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2017年12月03日

森雅裕『マン島物語』(十一月卅日)




 森雅裕の作品としては最初の、推理小説的なものの縛りを脱した小説だといってもいい。「五月香ロケーション」はハードボイルド的だと考えれば、推理小説のすみっこに収めることができるし。このデビューした推理小説というジャンルからの離脱が、『さよならは2Bの鉛筆』の解説で、中島渉が書いていた「この作品を機に森雅裕は変わった」の具体的な内容なのかもしれない。刊行された順番に読んでいたらそんな印象を抱いていたのかもしれない。この流れが翌年の『あした、カルメン通りで』、翌々年の『歩くと星がこわれる』につながっていくのだろうし。

 本作の中心的なテーマとなるバイクレースについては、すでに『サーキット・メモリー』で、ついでに芸能界についても、取り上げられているけれども、あれは殺人事件の舞台としてのもので、事件の背景というには森雅裕なので綿密に書き込まれていたけれども、バイクレース自体が作品の主要なテーマとなっていたわけではない。その意味では、森雅裕が書いた唯一無二のバイク小説なのである。


 そんな事情も含めて、主人公の三葉のレース人生が作品中で語られるわけだけれども、鶏口となるも牛後となるなかれ的に、下のカテゴリーで上位を狙うものの思うままにいかない現実、それでも勝利を目指してレースを続けマン島でのレースに赴いた三葉の前に、マン島にテレビ番組の撮影のためにやってきたアイドルのマネージャーを務める元アイドルの女性が現れて……、というのが、ネタばれしないように書いたあらすじということになる。
 普段のレースで使っているホンダから、ドゥカティに乗り換える経緯、レースに至る準備の過程から丁寧に描写した上でのあの結末は感動的である。ガソリン切れで止まったバイクを押してゴールまでというのは、多分バイク乗りにはたまらない状況なのだろう。他の作家の漫画だったか小説だったかでも、状況は全く違うけれどもゴールまでバイクを押すシーンを読んだ記憶がある。

 マン島のレースが登場する小説は、他にも読んだことがあるけれども、森雅裕のこれほどの感動はなかった。そこに森雅裕の作品だからというフィルターがあったことは否定しないけれども、レースシーンだけでなく、テレビ番組の撮影シーン、マン島の情景なんかも丁寧に描きこみ、全体的に完成度の高い作品になっている。ジャンルや個々の作品に対する思い入れを無視して、作品のできという点だけで評価するなら、この『マン島物語』こそ、森雅裕の最高傑作である。
 90年代に入って刀剣へのめりこむようになってからの作品も、好きは好きなのだけれれども、題材との距離感ということを考えると『マン島物語』を越えられていないと。だからこそ、KKベストセラーズから、「森雅裕幻コレクション」として三冊だけ復刊されたときの一冊に選ばれたのだろうけど、それ以降の復刊がないのが非常に残念である。

 森雅裕が、どこかでイギリスのマン島と、フランスのル・マンを混同している人がいて云々と書いていたのを覚えているのだけど、ル・マンのサーキットでも、車だけでなくバイクの24時間レースも行なわれていてそれなりに知名度はあるから、ヨーロッパの情報のほとんどなかった、あったとしてもマスコミの取捨選択を経て変化してしまった情報しかなかった時代を考えると仕方がないんじゃないかなあ。そもそもマスコミに混同している人間がいるからそんなことになるんだろうし。

 中央公論社で文庫化されなかったということは商業的にはあまりぱっとしなかったということなのだろうか。漫画ならともかく、小説でバイクレースを描いた作品に対する需要というものがどのぐらいあったのかという問題もあるしなあ。バイクブームなんてものはあっても、バイクに乗って喜んでいた連中の多くが小説を読んでいたかというと疑問だし。鈴鹿の四時間耐久を描いた高千穂遙の『夏・風・ライダー』もそれほど売れたとは思えない。それに出版社の中公自体が、後継者問題とか、いろいろ厄介な問題を抱えていたようだから、一定数しか売れない森雅裕の文庫本を出す余裕がなかったという事情もあったはずである。

 最後にもう一つ『マン島物語』の特質を上げておくとすれば、不毛の恋愛を描かせたら右に出るものはないとまで言われた森雅裕の作品にして、ほとんど唯一、ハッピーエンドに終わりそうな恋愛が描かれていることだ。その結末は描かれていないわけだけれども、うまくまとまりそうな予感と余韻を残して終わるこの作品、繰り返しになるけれどもどこかの出版社で再刊してくれないかなあ。恋愛小説として売ってもいいんじゃないかなあ。いや恋愛小説と呼ばれる小説を読んだことがあるかどうかもわからないので確信はないんだけど。
2017年12月1日23時。 









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