一番花火を挙げて騒ぎたい連中が集まるのが、オロモウツならホルニー広場ということになるのだろうが、家の窓から見る限りそこらへんの駐車場なんかから上がる花火もあったりして、火事の原因になるんじゃないかと不安になる。日本では伝統的な風物詩とも言うべき除夜の鐘にさえ、うるさいとクレームをつけて、自粛に追い込む人たちがいるらしいけれども、日本社会が非寛容になったと考えるべきなのか、チェコが寛容すぎるのか。
人間は、まあうるさくて寝付けないのを我慢すればいいだけなのだが、人間よりも音に敏感な犬の場合には、花火の騒音にパニックを起こしてしまうことがあるらしい。うちのの実家で飼っている二匹の犬も、花火の音に対して恐れからかひたすら吠えまくっていたが、ひどい場合には庭で飼われている犬が、パニックになって逃げ出して行方不明になることも多いという。
そういう飼い主からはぐれたペットを保護する施設は、新年になるとたくさんの保護された犬が集められ、行方不明のペットを探す人たちで賑わうらしい。このニュースをテレビで見たとき、犬隙が多く、犬を飼っている人の多いチェコで、どうして犬を虐待するようなイベントもどきが禁止されないのだろうと不思議に思ったのだけど、新年ってのはそこまでして祝うべきものなのか。
門松は冥土の旅の一里塚
なんて句を読んだのは、一休禅師だっただろうか。昔は新年はめでたいものという常識をひっくり返すような内容を喜んでいたのだが、最近年をとったせいか素直に理解できるような気もしてきた。新年を迎えると一つ年をとる数え年を使っていた時代には、今よりも平均寿命が短かったわけだし、新しい年を迎えるたびに、この世での時間が短くなったことを感じていたのかもしれない。だからこそ、また新しい年を迎えられたという喜びも大きかったのだろうか。
そう考えると、一休禅師の句も、時代を考えると俳句でも発句でもなく、連歌の一節だったのだろうが、新年を迎えた喜びを表しているとも言えそうである。いずれにしても、お年玉ももらえなくなり、新年が年の変わり目という単なる節目に変わってしまった今の自分にはそぐわない。チェコにいると門松も目にする機会はないわけだし、それで年をとってあの世へ一歩近づいたという感慨も抱けない。
めでたさもちうぐらいなりおらが春
一茶という俳人は、あまり好きではないのだけど、今年の新年の気分にはこの句が一番ぴったりくる。世間に背を向けて新年なんてとつばを吐く気にもなれないし、だからといって両手を挙げてめでたいと万歳をする気にもなれない。大晦日だから、元日だからと特別なことをするわけでもなく、いつもと同じように、こんな駄文を書いているのだ。それでも普段とはちょっと違うテーマになっているあたりが、取り立てて目でたいわけではなくて「ちうぐらいなり」なのである。
クリスマスと違って、風情のかけらもない花火を除けば、特にこれといった行事というか、決まってすることのないチェコの元日において、元日であることを強く感じさせるものは何だろう。今のゼマン大統領になってからクリスマスに時期を移してしまったけれども、クラウス大統領までは元日に新年を迎える演説をしていた。その演説をチェコテレビだけでなく、民放のノバとプリマも放送していたのではなかったか。このあたりにチェコ人の政治好きを感じてしまう。それはともかく、大統領のテレビ演説は新年恒例と言っていいものだった。まじめに聞いていたわけではないけど。
それをゼマン大統領がクリスマスに移してしまったのだが、今年は内容も結構議論を呼ぶものだったらしい。今年もと言うべきかも知れない。ほとんどすべてのチェコ人に、自分たちの大統領として認められていたのはハベル大統領だけで、前のクラウス大統領も今のゼマン大統領も、認められないと言うアンチが結構いるからなあ。それでも日本人の首相の新年の演説に対する関心を考えたら、チェコ人は政治的にまじめである。
テレビつながりで思い出した。新年の風物詩としてはチェコのものではないけれども、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートがある。いつのころからかチェコテレビでも放送してくれるようになって、元日の昼食はウィーンフィルのコンサートの様子を見ながらというのが恒例になっている。ウィーンくんだりまで出かけて場か高いチケットを購入して会場で聞くような余裕はないし、テレビで十分なのだよ。
テレビを見ていると、ウィーンフィルで、ウィーンからの中継と言いながら、関係者にチェコ系の人がかなりいることがわかるし。今年は取り上げられた作曲家の一人がツィブルカで、どう見てもチェコ系の苗字だったし、休憩時間に放送されたプログラムのタイトルロールには「RIHA」という苗字がいくつも並んでいた。これ、今ではリーハさんになっているかもしれないが、本来はチェコ語の苗字の「?ÍHA(ジーハ)」である。チェコとウィーンはつながっているのである。
新年という感慨の薄い生活を送っていると、平安朝の貴族たちが年中行事にこだわっていた理由もなんとなくわかる気がする。そして、高浜虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」という俳句も、わからなくはないけど、「棒」ではなくて、「糸の如きもの」と言ってみたくなる。去年と今年をつなぐ頼りない糸が、このブログなんだなんていうと、きれいにまとまりそうな気もするけれども、今日の分の記事は、いつも以上にぐちゃぐちゃに入り混じって理解不能になっているような気もして、間違い探しの読み返しもしたくない。この酩酊した文章を最後まで読んでくださった方々には、今年もよろしくとお願いしておこう。我が駄文を読むには忍耐力が必要なはずである。
2018年1月1日23時。
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