この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば
変体仮名を普通のかなにして読みやすいように表記を改めると、件の歌はこんな形になる。最初の疑問は、歌が詠まれた状況を何も知らずに、この歌を読んだとき、栄華とか権力、傲慢さなんてものが感じられるだろうか。「この世をば我が世とぞ思ふ」といったところに傲慢さを感じる人がいるのかもしれないが、自分が何か大きなことを成し遂げた歓びの中にいるときには、このぐらいのことは感じてもいいような気がするし、和歌の句としてはすんなり入ってきて、特に気にはならない。背景を抜きにしてこの歌を読めば、何かものすごくいいことがあって、その歓喜びの中で作った歌なのだろうと解釈してしまう。
『小右記』のこの日の記事の酒宴の部分を細かく読むと、道長がかなり出来上がっていることがわかる。突然酒盃を掲げて摂政の頼道の頭の上に持っていって、おそらく酒を頼道に頭にかけようとしたのだろうが、頼道に逃げられると今度は、左大臣、右大臣のほうに向かう。そのとき室内の宴席は膳などあれこれ置かれていて動きにくかったのか、一度庭に下りてから移動するということまでしている。実資は、「已に其の道無し」とか書いているけれども、これは批判というよりは、もうむちゃくちゃだよというあきらめの気持ちのように見える。実資も酔っ払ってあれこれやらかしているから、この程度のことで道長を批判したりはできないのである。
そしてまた、道長が冗談で実資に、「我が子に酒を与えよ」なんてことを言って杯がまた巡り始めたり、褒美のことを話したりした後に、道長が実資を呼び出して読んで聞かせたのがこの歌なのである。酔っ払ってぐだぐだの頭で思いついた歌が、すごく感じられたので、思わず自慢するように「誇りたる歌」だといったというのが真相のようにも見える。
実資は、歌に「和す(返歌をする)」と約束しておきながら、酔っ払った頭で即興では作れなかったこともあるのだろう、道長の歌を「御歌優美なり」と絶賛した上で、白居易と元?の故事まで持ち出して、出席していた公卿全員で道長の歌を唱和することを申し出ている。道長も実資の絶賛に満足したのか、あえて実資に和歌を作らせることもなかった。実資がどこまで本気で道長の歌を高く評価したのかはわからないが、実資も酔っ払っていただろうから、ものすごくいい歌に聞こえた可能性もある。
こう書くと道長の「此の世をば」の歌が大してよくない歌だと考えていると思われるかもしれないが、個人的には、この歌、喜びが満ち溢れてくるような気がして結構好きである。ちなみに道長ファンの与謝野晶子は、この歌を大絶賛している。日本古典全集版の『御堂関白記』(1926刊)末尾に寄せられた晶子の「御堂関白歌集のあとに」という文章によれば、問題になりそうな「この世をば我が世とぞ思ふ」の部分は、和歌の修辞上の誇張表現であって、これを道長の傲慢さの表れだと考えるのは、和歌を理解する能力がないからだということになる。「御堂関白歌集のあとに」というのは、世に流布する歌集『御堂関白集』には道長以外の歌がたくさん入っているので、あれこれ資料を当たって新たに編んだ『御堂関白歌集』の解説として書かれたものだからである。
晶子は、ついでに実資批判、実資のいとこの公任批判までしてしまう。実資については有職故実についてしか知らない詩人でもなんでもない奴にこの歌のすばらしさがわかるもんかと言いたげな書き振りである。公任は、当代一の歌人として認められていたわけだが、晶子によれば、「此の世をば」の歌と比べられるようなすばらしい歌は一首も作れていないのだという。実資が詩人ではないというのにはもろ手を挙げて賛成するけれども、公任にはいいとばっちりだと言うほかない。
再び自転車操業になりつつあるので以下次号。
2018年4月29日24時
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