それはともかく、『物語を忘れた外国語』についての文章でも書いたことだが、青春と呼ばれる時期に正面から外国語に取り組んだ著者による「青春小説」が、この『ロシア語だけの青春』である。「外国語に取り組む青春小説」がないから自分で書いてしまえという単純な話ではなかったのだろうけれども、この二冊が同時期に前後して刊行されたことには、偶然以上の何かを感じてしまう。
著者本人は、あとがきにあるように「学校の物語」として、ミールという語学学校の物語を描き出そうとしたのかもしれない。ただ、ミールという学校を知らず、そのため当然思い入れもなく、不肖の弟子を自認する人間にとって(面と向かって師匠と呼んでいる登場人物がうらやましい)、本書は黒田師の物語である。だからこそ、大きな思い入れを以て読めるのである。
80年代のゆとり教育が何も残さなかったように、現在はやりらしいアクティブラーニングというのも、生徒、学生の側に前提となる知識が存在していなければ、最近は教師の知識すら怪しいかもしれないが、多くの場合絵に描いた餅に終わるのは目に見えている。もちろん子供の頃から、覚える訓練を受け、自ら考えるために必要な知識を持ち、考えることの苦労、苦しさを経験した生徒、学生のいる教室であれば、うまくいくこともあるだろうが、馬鹿の考え休むに似たりという結果になるところが多いはずである。もしくは、考える流れまで指導してしまって、かつての詰め込み教育と大差ない結末を迎えるか。
その点、黒田師の進める勉強のしかたは、基礎を固める時点では、細かいことは考えずにひたすら訓練を繰り返し、語彙を含めた必要な知識を覚えこむというのだから、時代には逆行している。逆行しているけれども、ごく一部の天才を除けば、外国語を身につけるというとてつもない目標を達成するには、それしかないのである。つまり、現在の何でも手軽に簡単に勉強しようという底の浅い風潮のほうが間違っているのである。
黒田師の語学の堪能さの裏側にこういう徹底的な基礎固めが存在したというのは、意外ではあったけれども、それを知って嬉しかった。自分自身がチェコ語の勉強の際には、基礎固めの時点では、暗記するためにひたすら書いていたのが、「間違っていなかった、それが唯一の正しい道だったのだ」と認めてもらえたような気がした。もちろん師のレベルとは天と地との開きがあるのは自認しているが、レベルの上下を問わず、共通するものはあるのである。
それから、最近の教育に対して、学校がすべてをお膳立てしてしまうのをやりすぎだと批判しているのも正しい。ボランティアなんて、どこに行くか何をするかを考え、あれこれ手配するところまで含めてボランティアであろうに、学校全体でまるで授業の一環のようにしてボランティアに出かけるというのは、本来体験できることの半分ぐらいしかできないのではないかと、他人事ながら心配になる。
また、大学が見返りを求めるところになっているという指摘には、今の大学はそこまで落ちてしまったのかと、それならかつての遊びに行く大学のほうがましだと思ってしまった。知人が最近の大学の専門学校化、高校化を嘆いていたのはこのことだろうか。文部省が進めているらしい大学教育の画一化もこの傾向に一役買っていそうである。
かつては遊びに行く大学でも、一定数のまじめに勉強する学生はいて、授業以外の場所で自ら勉強していたし、学内だけでなく学外で行われる学会出席したりもしていた。基本的に単位や卒業に関係なく学びたいことは学ぶという姿勢だったから、もぐりで登録していない授業に出ることもあったなあ。こういう高校までの教育とは違ってカリキュラムに縛られずに、自分の学びたいことが学べるというところが、大学で勉強する意味のはずなのだから、自分にとって勉強する意味のないことは勉強しなければいいのだ。
授業に真面目に出るのは単位のためではなく、その授業で学びたいことがあるからで、学びたいことがない授業は自主休講というか、出席にせずに単位だけかすめ取れる授業を選ぶものだった。そんなことをやりすぎて卒業の単位をそろえるのに苦労している人もいたけれども、制度と自分の希望の間でもがくという社会に出てからも直面するはずの現実にたいする訓練だと考えればよかった。
その点、ミールでの勉強には見返りはなかったと師は書かれているが、見返りはあったはずである。それは「ロシア語ができるようになる」ことで、本人以外には価値のないものであることが素晴らしいのである。勉強の見返りというものは、勉強そのもの、もしくは勉強が直接もたらす結果でしかない。だからこそ、人は一生学び続けていけるし、学び続けていくべきなのだ。ということで、今年は久しぶりにサマースクールでチェコ語の勉強をすることにした。
2018年6月26日23時55分
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