参加者は、結局我々のクラスから4人、一つ下の第9クラスから3人の全部で7人だった。日本からは外大の学生さんも参加していて、一番参加者の多い民族となった。とはいっても2人でイタリア人と並んでいたのだけど。他はスロバキア人とウクライナ人が一人ずつ。うちのクラスのドイツ人とポーランド人は意外なことに来ていなかった。
授業というか、ワークショップは、手紙やイーメールの書き出しから始まった。チェコ語ではメールでも、手紙と同じように呼びかけの言葉を書かなければならない。日本語だとメールと手紙の作法は違うけれども、チェコ語はほぼ同じだと考えていい。メール、手紙を出す相手によって書き出しやら結びの表現やらが変わってくるのは、日本語と同じである。
正直な話、友達に崩れた文体で書くのであれば、どんな書き方をしてもいいのだから作法もくそもない。大切なのは目上の人に、できるだけ敬意を表したい相手に書くときの作法である。普通は「Vá?ený pane」「Vá?ená paní」で始めるのは知っている。大切なのは、形容詞は形が変わらないけれども、呼びかけなので5格にすることである。これに学位やら名字やらをつけていくのだが、どこまで書くべきなのかが正直よくわからない。学位も含めて肩書き大好きなのがチェコ人だから、名刺に書かれているものは全部書いたほうがいいような気もするけど、長すぎるのもくどくてなんだかなあである。
先生の説明では、「Vá?ený pane」の後に書くのは一つだけにするべきだという。つまり肩書きを使うのであれば、たくさんある肩書きの中から一番重要なものだけを書き、名字を書く場合には肩書きは書かないというのである。そこで心中「マジか」と叫んでしまったのは、H先生にメールを書くときに、できるだけ丁寧にと思いつつ、学位と名字を両方書いてきたことを思い出したからである。両方書くと長すぎてあまり印象がよくないというのには賛同するけれども、じゃあどっちを使えばいいんだ? 学位を使った方が公式な感じで敬意が強く感じられる一方で、名字を使った方が親しみを感じさせるところがあるのだとか。そうすると、H先生に最初にメールを出すときは、学位を使って、返事が来てそれに返すときには名字を使うのがいいのかな。
結びも、一番よく使うのが「挨拶」という意味の名詞を使った「S pozdravem」なのだが、動詞の三人称単数形「Zdraví」「Pozdravuje」と書いて、その下の自分の名前と合わせて、「こうこういう者が挨拶しております」的な形式にすることもある。名詞を使うほうは最初から問題なく使えたのだが、動詞の方は自分が挨拶しているんだという意識が強すぎたせいか、一人称単数を使ってしまうことが多かった。それを間違いだと認識していたのだが、先生によると完全な間違いではないらしい。もちろん、公的に響く三人称単数を使うよりは表せる敬意が下がってしまうけれども、逆に一人称単数を使うことで親近感を表すことも可能なのだという。となればこれもH先生にメールをするときには使い分けることができる。最初はできるだけ」硬く、そこから徐々に親近感を出していくような戦略的なメールを書いてみよう。
考えてみれば、H先生は毎回、書き出しの呼びかけの部分も、最後の結びの部分も、少しずつ変えていたような気がする。毎回数度のメールのやり取りをするので、最初から並べて見てみるとH先生の言葉の使い方が見えてくるかもしれない。それを完全に真似するのはよくないだろうけれども、その中にある言語使用の戦略性はぜひとも真似たいものである。そう我がチェコ語は目標とする人物の真似から入るのである。喋るのと書くのの基本的な部分は師匠のチェコ語を真似るところから始まったし、ほかにもカンボジアの国王陛下や、チェコテレビのボサーク師匠、「チェトニツェー・フモレスキ」の登場人物たちなどなど、我がチェコ語の血肉になった存在は多い。学ぶ=まねぶ(真似る)だとはよく言われるが、意図的に実行できたのはチェコ語の学習が最初で最後である。
最後に三つのグループに分かれて、求人に応募するときに履歴書とともに提出する手紙、チェコ語だと「モティバチニー・ドピス」というのを書くことになった。グループは第9クラスと、第10クラスの人がそれぞれ一人ずつになる形で作られた。一つ目のグループはスロバキア—ポーランドグループで、新聞記者のルカーシュがいるからか、当然のようにチェコテレビの記者を目指し、二つ目のウクライナ・イタリア・日本グループは、チェコ語の先生のリュバがいるからか、サマースクールの講師に応募していた。最後の我々の組は、イタリア人も金曜日のホモウト見学に行っていたから、迷わずホモウトの「スラーデク」、醸造責任者と訳しておこうか、である。
この手の文書は自分褒めが必要であまり好きではないし、たいてい褒めるポイントが同じでどれを読んでも大差ないという印象を抱いてしまうので、あまり意味のあるものではなかろうと思うのだが、先生によるとチェコ企業の人事の人は、履歴書以上にこれを重視するらしい。日本だと受けそうな文書の書き方マニュアルなんてのが出るものだけど、チェコではそこまで行っていないのかな。とりあえず、事前に読んで分析した文書を真似るところから入って、要所に他の人は書かないであろうことを書いてオリジナリティを出すしかあるまい。
イタリアのおじさんは、ルカーシュの行っていた通り、文法の間違いは結構したけど、語彙が豊富で、こっちは文法的正確さなら考える時間さえあれば問題ないので。お互いに弱いところを補うことができた。そうして作成した文書はなかなかの出来で、先生には褒められたのだけど、オリジナリティを出すために入れた一文がなければとリュバに批判されてしまった。批判された「毎日ビールを飲んでいます」ってのは、ビール会社の求人に応募する際には必須だと思ったのだけど、こんな文書で読むとアルコール依存症みたいに感じられるという声も上がっていた。
きっちりと形式が決まっていて、内容の制約も強い中で、少しずつ表現や内容をずらしていくことで新しいもの、違うものを生み出すというのは和歌みたいなものか。求人に応募するためには公式の場にふさわしいものであるべきだと考えると、それは所謂「ハレ」の場となる。我々の書いたものは、違いを求めすぎて「ケ」に流れすぎたということか。こういう風に和歌にたとえてしまうと、妙に納得してしまう。こんな解釈でいいのかどうかは知らんけどさ。
2018年8月4日9時44分。
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