たしか、親戚のうちに泊まりに行ったときに、従姉が持っていたのを読ませてもらって、面白かったので、いや、とても面白かったので、小遣いをはたいて当時出版されていた六冊すべて自分でも買ったのだった。友人に貸して、これで完結なのか、主人公のジョウは、六巻の最後で死んでしまったのかどうか、議論したなあ。二、三年続編が出ないぐらいで、おたおたするなんて当時はまだまだ餓鬼だった。
映画ができるころに、七冊目と映画のノベライズが発売されて小遣いのやりくりに困った記憶もある。当時の田舎の子供の小遣いなんて、たかが知れていた。本を買うだけでなく、地元の町には映画館はあったが廃業していたので、映画を見るために従姉の住んでいた町まで行って連れて行ってもらう必要があった。アニメ映画とはいえ、小学生と中学生の境目辺りの餓鬼が一人で行くのは許されなかったのだ。
当時、別の従姉の影響で、『クラッシャージョウ』のイラストを担当していた安彦良和の漫画『アリオン』にも出会っている。これも遊びに言ったときに読ませてもらって、「ジャンプ」的なマンガしか読んだことのなかった餓鬼の目には、とんでもなくすごい作品に見えた。もっとも、自分の好きな『クラッシャージョウ』のイラストを書いている人の漫画だという事実が評価を高めた嫌いもあるのだけど。
この辺りまでが中学時代に読んだSF作品ということになる。栗本薫の『グインサーガ』は存在は知っていたけれども、まだ読み始めてはいなかったはずだ。『魔界水滸伝』は最初の何冊かだけは読んだから、このころ手を出していただろうか。これでいわゆる「クトゥルー神話」を知って、ソノラマ文庫の『クトゥルーオペラ』を読んだんだったか、その逆だったか。ソノラマ文庫の菊池秀行や夢枕獏の作品も読んだが、これが中学時代だったか、高校時代だったかが判然としない。いずれのしても本格的なSFの時代は高校時代ということになりそうだ。
ちなみに80年代に一世を風靡したSFアニメ「ガンダム」に関しては、見ていない。他にもあれこれ放送されていたが、SF的アニメはほとんど見ていない。SFは読むものだという思い込みと、SFアニメは「クラッシャージョウ」さえあればいいという偏狭な認識のせいである。いや、みんな見ているから見ないという現在まで続く天邪鬼的な思考の結果だった可能性も高い。高校時代には、ベストセラーになった『ノルウェーの森』を、みんな読んでほめているからという理由で、読まなかったし。自分が読んでいた本がベストセラーになるのは許せるのだが、ベストセラーだとわかっている本を読むのは耐えられないのだ。だからベストセラーは、読むとすれば、時間がたって忘れられた頃になることが多い。ひねくれ者の本読みの無意味なプライドである。
高校に入ってからは、図書館に入っていた早川文庫のSF作品をむさぼるように読んだ。『グインサーガ』は最初の十巻ちょっとしか入っていなかったが、今思い返すとこの作品に関してはあのあたりを読んでいたころが一番幸せだったなあ。それでも好きな作品だったので、その後も五十巻ぐらいまでは読んだ。この『グインサーガ』本編のあとがきと、外伝の解説で高千穂遥がヒロイックファンタジーの『美獣』という作品を書いていることを知ったが、田舎では手に入れるすべがなく、実際に手に入れて読めたのは大学に入るために東京に出てからになる。
翻訳物の作品を読み始めたのも高校時代だった。ドイツの『ペリー・ローダン』シリーズに手を出し、変な名前の変な日本人が出てくるのにショックを受けたり、訳者の松谷健二のあとがきから北欧神話に興味を持ったりしたが、図書館に入っている巻を読み終わった時点で読むのをやめてしまった。巻ごとに執筆者が交代するせいか、自費で買って読もうと思うところまでは行かなかったのだ。北欧神話への興味は、一時東海大学にあった日本で唯一の北欧文学科を目指そうかと血迷うぐらいだった。そこの谷口という先生の訳した『エッダ』を本屋で注文して買ったのが、初めての本屋での注文購入だった。
田舎の本屋はそれほど品揃えがよかったわけではないので、新刊が出ていても気づかないことが多かった。『クラッシャージョウ』の刊行が途絶えていた時期に、ある日NHKのFMを聞いていたら、「FMアドベンチャー」というラジオドラマが始まり、「高千穂遥原作『黄金のアポロ』」というナレーションが流れてきて、角川ノベルズでそういう作品が出ていることを知った。ラジオは毎回聞いて堪能したが、活字で読んだのはこれも大学時代である。「FMアドベンチャー」では、他にも『僕らの七日間戦争』や『グリーンレクイエム』などを聴いた。懐かしいなあ。
偏狭なSFファンであったせいで、高校時代には半村良も、小松左京も、田中芳樹も、山田正紀も存在は知っていながら、読みはしなかった。もちろん、後には読んだけれども、何で読まなかったんだろう。我ながら不可解な選択だとしか言いようがないのだが、翻訳作品でも、マイケル・ムーアコックに手を出す一方で、ハインラインやアシモフは、この時期はまだ読んでいなかったのだ。光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』を初めて読んだのは、高校時代だっただろうか。理解できて読んでいたのかなあと、今頃になって不安になる。
とまれ、中学から高校にかけて、いろいろというよりは限定的だけど、SF作品を読みふけったのだが、SFファンの例に漏れず、当時の自分も偏狭だったなあと反省する。大学に入ってからの方が視野が広がり、読書の対象となるSF作品、作家も増えていくのだが、大学時代以降は、ジャンルや作家を意識しない濫読の時代とでも言うべき時代になってしまうので、本稿の対象とはしない。本格的に漫画を読むようになったのも、大学に入ってからだもんなあ。
4月1日23時。
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