国外の難民や困窮している人たちを、呼びよせて国の予算で救済するとなると、国内にも困窮している人がいて、そういう人たちには支援の手が伸びないのに、どうして外国人を国が救済する必要があるのかなどという反論が出てくるのは予想に難くない。現在の地球上の国家の多くが国民国家という形態をとっている以上、この反論にも理はなくはないのだが、こんなことを言う人たちの多くは、実際には国内の困窮者に対しても冷淡で支援などするはずがないから、反論のための反論に過ぎない。
逆に、国内の困窮者には全く冷淡なのに、外国人への支援を熱心に訴える人もどうかと思うけれども、これは外国での出来事はしょせん他人事で、同情して支援を訴えておけば国際貢献している気分になれるという面もあるだろうか。もちろん本気で支援を訴える人もいるだろうけど、そんな人たちは国内で困窮している人たちに対して冷淡だということはあるまい。
今回の受け入れの提案がうまいなあと思うのは、孤児を対象にしていることで、孤児であれば一見チェコの社会に適応しやすそうに見える。親を失った孤児というと人々の同情を引きやすくなるから、両親と子供を合わせて家族全員という場合よりも賛成する人も増えそうだし、受け入れられる可能性も高くなりそうである。
ただ、この提案をしたEU議会議員が想定している孤児は10歳から17歳の子供たちらしく、それを聞いたときにちょっと言葉の詐欺じゃないかと思った。多くの人が孤児と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、幼稚園に通うぐらいの幼子だろう。そんな年齢の孤児たちでであれば、本人たちの意向はさておいて保護のためにチェコに連れてくるということをしてもあまり問題はなさそうだが、ある程度人格形成の済んでいる十代半ばの子供たちの場合、ドイツでもイギリスでもなくチェコに連れて行くと言われたときに、すんなり受け入れてくれるかどうかが問題になる。受け入れるチェコの側でも幼児であれば、子供の頃からチェコ人の中で育つことでチェコ的な価値観を身につけられるけど、十代の子供たちには無理だと考えて、受け入れ反対に回る人たちが増えるだろう。
バビシュ首相は、当然受け入れに反対で、何でシリアなんだ、ウクライナにも孤児はいるだろうとか言っていたような気もするが、反論における一番の主張は、孤児たちを国外に連れ出すよりも、国内で生活の道が立つように支援するほうが大切だと主張している。これは、イタリアやスペインに押し寄せる難民の受け入れを拒否する論理としても使われており、チェコ政府は西ヨーロッパの大国とは比べ物のにならない規模の予算の中からイタリアにも支援のためのお金を出し、また北アフリカ諸国の沿岸警備を強化するための資金も提供しているという。
確かに、ヨーロッパに逃げてくる人々にとって、一番いいのは母国が政治的にも経済的にも安定して、生まれ育った国で生活を続けることだろう。そこを支援しないで、あふれ出てくる難民を原則受け入れてEU内で分配するというのでは、喜ぶのは難民をヨーロッパまで、正確には地中海の海の上まで運ぶ密輸業者だけだというバビシュ首相の主張にも理はあるんだよね。
現在EUで進行中のドイツによる加盟各国への難民受入れの強要に、チェコなどの国がかたくなに反対しているのも、受け入れることが問題の根本的な解決につながらないからにほかならないし、国別に分担を決めることですでにヨーロッパに入った難民の問題は片付いても、押し寄せてくる難民の数自体を減らさなければ、早晩破綻するのは目に見えている。
話を今回の孤児受け入れの提案に戻そう。バビシュ首相が受け入れを拒否したのを批判する人たちの中には、かつて第二次世界大戦中にチェコのユダヤ系の子供たちをイギリスに受け入れたウィントン氏の活動を例に挙げて、今度はチェコが行く当てのない子供たちを救う番じゃないのかなんてことを言う人たちがいる。心情的にはよくわかるし、こんなことを言われるとチェコ人としては反対しにくくなるという面もあるだろうけど、政治的にはどうなのだろうか。
各党の反応を見ていると、積極的に賛成しているのは、キリスト教民主同盟と海賊党ぐらいだろうか。市民民主党はどんな子供達が来るのかはっきりしないとチェコ語側がどんな支援をすればいいのかわからないからと保留している感じで、共産党は孤児だからで一括で受け入れるのではなく、個々のケースをしっかり分析した上で判断するべきだという主張。社会民主党は受け入れるのは不可能ではないだろうという消極的な賛成と言えそうな態度。
一見、素晴らしい提案にも見える孤児の受け入れに対して、積極的に支援しようとする政党が少ないのは、何年か前に、これも当時は与党だったキリスト教民主同盟の主導で、キリスト教系の民間団体が中心となって推進したイラクで迫害されているキリスト教徒をチェコに受け入れようというプロジェクトが、チェコに連れてこられたキリスト教徒の一部が、それを悪用してドイツに逃亡した事件が尾を引いているような気がする。この事件については、 ここ と ここ を参照。
あれも何が問題だったのかとか反省もないままに放置されている印象があるし、下手に賛成して同じ結末を迎えたら批判されるだろうし。とりあえずキリスト教民主同盟には前回の失敗を分析した上で、今回の孤児の受け入れ計画を具体化することが求められるだろう。それなしには、一部を除けば賛成も反対もしようがない。
もう一つ、煮え切らない理由としては、地方議会と上院の選挙が近づきつつあるというのもあるかもしれない。積極的な賛成も、断固としての拒否も、一部の支持者を失いかねず、それが選挙での負けにつながりかねないから、支持者の意見がはっきりしていそうな政党を除いては、はっきり賛成とも反対とも言いにくいのだろう。
2018年9月19日17時。
【このカテゴリーの最新記事】
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image