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2016年10月12日

選挙結果(十月九日)



 チェコの人が選挙が好きだとは言っても、日本のように民放までもが選挙のための特別番組を組むほどではない。ただ、同時に上院の選挙が国内の三分の一の地方で行なわれるとはいえ、地方議会の選挙で全国放送で選挙の特別番組が放送されるという点では、日本よりも上なのかとも思える。チェコの上院は日本の参議院以上に軽視されているのか、今回の選挙に関する報道でも、地方議会よりも扱いが下だった。いや、日本では地方議会の勢力分布が国政に影響を与えることはほぼないが、チェコでは、地方知事の選定にもかかわるので、影響力が大きいと考えたほうがいいのか。
 その理由のひとつとして、日本から来てはじめて知ったときには、開いた口がふさがらなかったというか、理解できなかったのだが、日本では確か公務員が選挙に立候補するときには、辞職した上でなければできないことになっているはずなのに対して、チェコにそんなルールはない。だから、落選すればそのままもとの公務員としての仕事を続けるし、当選しても本人が兼職できると考えれば、特に辞職の必要もない。

 これは、選挙で選ばれる議員職、地方議会の話し合いで選ばれる地方公共団体の首長職に関しても同様で、かつてオロモウツの市長は、同時に上院議員を兼ねていたし、前回の地方議会選挙と下院選挙で社会民主党が圧勝した後には、下院議員と地方の知事を兼職するものが複数誕生していた。これには、さすがに批判も多く、社会民主党では知事兼国会議員たちに、どちらかの役職を選んで、選ばなかったほうは辞職するように指示を出したのだが、地方のボス化しつつあった連中の中には、その指令になかなか従わなかったものたちがいた。
 かつてチェコの政界に大きな力を振るったのがバーツラフ・クラウスが設立した市民民主党だった。当初から、地方の政財界のボスたちが党内を牛耳って好き勝手なことをしているという批判を受けていたようだが、クラウスが党と決別した後、党は求心力を失い地方のボスたちの専横をますます許すようになり、ネチャスが政権を放り出した後は、党勢は一気に凋落した。社会民主党も対応を誤れば、この市民民主党に続きかねない爆弾を抱えているのだ。この辺の、既存の大政党のていたらくが、次々とポッと出の新政党が意外なほどに票を集めてしまう原因になっているのだが、本人たち、特に90年代にクラウスの取り巻きとして政治の世界に出てきた連中に、それを反省する様子はない。

 選挙の結果は、ANO、別名バビシュ党の圧勝に終わった。今回選挙の行なわれた13の地方議会のうち9の地方で第一党の座を確保した。これがそのまま地方知事の座を約束するわけではないのが、チェコの地方自治の複雑なところだが、選挙後の交渉で有利な立場を確保したのは間違いない。27の選挙区で改選が行われた上院議員の選挙でも、14の選挙区で決選投票に進んでおり、最終的にどれだけの議席を確保できるかはともかくとして、他の政党が多くとも一桁に終わったことを考えれば圧勝といってもよさそうだ。
 ANOと連立与党を組む社会民主党の結果は惨敗と評価できるものだった。合計ではANOに次ぐ第二党に留まったとは言え、これまで確か11の地方で第一党、もしくは地方知事の座を確保していたのに較べれば、今回第一党の座を確保できたのは、南ボヘミア地方とビソチナ地方の二つに過ぎない。交渉に長けた正当なので知事はもう少し増えるかもしれないが、地方のボス政治家たちの行動に嫌気が差した有権者が増えつつあるという証拠であろう。
 同じく与党のキリスト教民主同盟は、ズリーン地方で第一党の座を確保した。2000年前後には存在感を失い単独では下院の選挙に立候補できないところまで党勢は落ちていたのだが、その後、上下動はあるものの、次第に勢力を拡大しつつあると考えてよさそうだ。

 伝統的に問っていいのかどうかはわからないが、地域政党の勢力が強いような印象のあるリベレツ地方では、以前はTOP09と共同で候補者名簿を作っていたリベレツ地方のための市長連合(ちょっと違うけど、こう訳しておく)が第一党となった。ほかの地方でも単独で、あるいは別な党と連合を組んで議席を確保していたが、各地の市長達が中心となって作った市長無所属連合という政治団体の発祥の地は、ズリーン地方でそれが、全国的な組織に成長したようだが、各地方の独自性を示して、それぞれ微妙に違った名称で選挙に候補者を立てていた。
 全体的に右よりの政党の退潮は明らかで、市民民主党は前回の下院選挙よりはマシになっているとはいえ、議席を取れなかった地方があるなど以前では予想もされなかったような結果になったし、下院選挙では右派最大の勢力となったTOP09も市民民主党の後塵を拝する結果に終わった地方が多かった。特にTOP09の党首カロウセクは、バビシュとの同属嫌悪からポピュリストだと言って批判するけれども、人気取りの政党という意味ではこの二つの政党のほうが先輩である。クラウス人気と、シュバルツェンベルク人気に胡坐をかいて、好き勝手にやってきた結果がこれなのだから。

 個人的な最大の勝者は、ズリーン地方でキリスト教民主同盟を率いたイジー・チュネクだろう。フセティーンの市長として、ロマ人問題を解決するために取った過激な手法で話題を集め、上院議員にまで選出され、一時は党首を務めて国政の舞台でも活躍していたのだが、市内から移住させたロマ人に訴えられたとか、元秘書の女性に訴えられたなどのスキャンダルをいくつも起こして、市長と上院議員の座に逼塞していたのだが、今回の選挙の結果を受けてズリーン地方の知事に就任しそうである。その場合、さすがに三職兼務は無理だということで、フセティーンの市長職は辞任することが予想されている。ちなみに名簿の順位を上げるための「○」印を、全国で一番たくさん獲得したらしい。その数一万五千近くというから、フセティーンも含まれるズリーン地方での人気にはゆるぎないものがある。

 一方で、最大の敗者は、南モラビア地方の社会民主党のリーダー、ミハル・ハシェクである。地方閥化しつつある社会民主党の地方組織の欠点を体現したようなこの人物は、2013年の下院選挙の後、取り巻き連中と組んで、大統領のミロシュ・ゼマンと秘密の会合を持ち、党首のソボトカではなく、当時は下院議員でもあったハシェクに組閣の命令が出るように画策するという事件を起こしている。最悪なのは、そのことが報道された後も、そんな会合はなかったと否定し続け反省の色も見せなかったことだ。
 また最近は、南モラビア地方庁が大金を払って契約している広報担当の女性が、実在しなかったというスキャンダルも起こしている。謝礼と称したお金は実際に支払われているらしいのだが、実際に誰にお金が流れたのかなどについては、ハシェクはまともに説明をしていない。こんなでたらめな人物をそのまま選挙後の知事候補として担ぐ社会民主党の南モラビア支部も腐敗の巣窟と言えそうだ。
 その結果、ANOだけではなくキリスト教民主同盟にまで先を越されて社会民主党は、南モラビア地区で第三党に転落してしまった。ハシェクは、自分自身の責任を棚に上げて、ネガティブキャンペーンにやられたと、自分が犠牲者であるかのようなコメントを出していたが、こんな人物は、オロモウツ地方の市民民主党のボス、ラングルとともに、とっとと政界から消えてほしいものである。

 結局、ANOが勝ったというよりは、他の政党が負けたというのが正しいのかもしれない。ここ何回かの選挙で、議席を確保したポッと出政党の中では例外的に、ANOはうまく専門家を取り込んで活用することで、既存の大政党と同程度には有能であることを示した。バビシュのスキャンダルも他の政党がこれまでにやらかしてきたことと比べれば、同等以下のものでしかないし、新政党ということでチェコの悪しき財政官の癒着とも比較的無縁である。だから、ANO自体が強く支持された結果ではなく、消去法で選ばれた面があると考えたほうがよさそうだ。
 次の下院選挙で、ANOが本当に有権者に支持されて、政界に確固たる地位を築いていけるかどうかが決まるのだろう。特にバビシュを支持するつもりはないけれども、少なくともTOP09のカロウセクよりはましなようだから、社会民主党が一部の地方支部の癌と化している幹部を摘出することができなかったら、スロバキア出身で、共産主義時代に秘密警察に協力していた過去を疑われている首相が誕生することになるだろう。
10月9日23時。



2016年10月11日

選挙の日(十月八日)



 日本の選挙運動は、言わば押し売り型で、頼みもしないのに、候補者が家の近くにまで選挙カーに乗ってやってきたり、通勤に使う駅前に出没したりして、聞きたくもない話を聞かされてしまう。だから選挙期間に入れば、すぐにうんざりした気持ちと共に選挙が近づいていることを理解させられる。それに対してチェコの選挙運動は、イベント型なので住宅地にまで選挙カーが入ってくることはない。いや選挙カー自体が存在しない。かつてゼマンバスというのはあったけれども、あれは移動の手段であって、移動している姿は見せても、移動しながらマイクで叫ぶようなことはなかったはずだ。
 だから、特に今回は、上院と地方議会の選挙ということで盛り上がりに欠け、オロモウツでも上院議員の選挙が行なわれるようだが、選挙が近づいているという実感は持ちにくかった。仕事帰りに街中を通れば、ホルニー広場では、誰かが大声で話しているのが聞こえてくることが多かったが、中央にある市庁舎の反対側を通ることが多く、何を言っているのかわからなかった。一度、極右に近いと思しきグループが演説しているのに出くわしたけれども、遠巻きに見ている人は数人いても、縁者の前で聞いている人は誰もおらず、一番数が多かったのは警備の警察官だった。九月末のことだから、あれも選挙運動の一環だったのだろう。

 全国で行なわれる下院の選挙だと、もうすこし大々的に選挙運動が行なわれて、選挙に付き物のグラーシュを食べさせたり、選挙グッズを配ったりするのだけど、最近いろいろな事情で政党にお金がないせいか、以前と比べると選挙運動の規模が縮小しているような気がする。チェコ社会民主党は、前回の下院の総選挙でかなりの額の借金をして、返済が大変だったようだし、90年代に党本部の建物の所有権を巡る裁判で雇った弁護士から、謝礼の不払いで起こされた裁判に負けて、遅延によるペナルティも含めて多大な額を支払わなければいけないことになっている。
 資金的に余裕があるのはバビシュのANOぐらいなのだろうけど、最近はバビシュ対策で、政党が選挙に掛けられるお金の上限を決めるとか、政党への寄付の上限を決めるとかされているので、資金力をほしいままには振るえなくなっているようだ。それに、この政党は、道路わきの巨大なビルボードにポスターを貼ることに力を入れているように見える。
 選挙が行なわれるというのは、自宅の郵便受けに候補者の宣伝の紙が放り込まれたり、階段に投票用の候補者リストの入った紙が積まれたりしているのでわかっていたが、実際にいつ選挙が行なわれるのかは実感をもてないまま、気が付いたら選挙が始まっていた。チェコテレビの選挙前の特集番組も木曜日には党首を集めたスーパー討論会になっていたなあ。チェコ人も、と言うべきか、チェコテレビもと言うべきか、日本と同じで、いや日本以上に選挙が好きである。政見放送はない代わりに、水曜日までは、議席を得る可能性のある政党の代表を集めた討論番組を、毎日一地方ずつに放送していたのだ。

 チェコの選挙は、金曜日に始まる。金曜日は午後二時から十時まで、土曜日は午前八時から午後二時までが投票所が開いている時間である。会場となるのは、地方自治体の役所、学校など日本と大きな違いはない。ただ体育館ではなく普通の教室を使うため、金曜日は朝から投票所の準備が必要になり、会場となった学校は休みになるらしい。台風による臨時休校なら体験したことがあるが、選挙による臨時休校とはうらやましい話である。
 また、選挙管理委員の役をするのは、役場の職員が多いようだが、数が足りない場合には一般の人が選ばれて務めるようだ。多少の謝礼はもらえるようだけれども、二日合わせて十四時間ひたすら座っていなければいけないのは、あまり魅力的なアルバイトではなさそうだ。近年は投票率の低下がひどいので、待ち時間のほうが手続きをしている時間よりも圧倒的に長いに決まっている。昔、まだチェコ語の勉強をしていたころ、知り合いが選挙前の木曜日の夕方、実家のある町で選挙管理委員に選ばれたからと言って、嫌そうな顔で駅に向かっていたのを思い出す。

 それから、共産主義時代は、投票率ほぼ百パーセント、共産党の得票ほぼ百パーセントという数字をたたき出すために、病院や老人ホームは当然のこと、交通の便の悪い家庭や、病気で寝込んでいる人のところにまで、投票箱を運んで投票を強要していたらしい。その名残なのか、事前に希望すれば老人ホームの入居者や、入院中の患者は投票所に出かけることなく、出張してきた選挙管理委員の立会いの下で投票できるようになっているようだ。

 本来は、選挙の投票だけではなく、そろそろ自動車のタイヤを冬タイヤに交換する必要もあるので、今週末にうちのの実家に出かける予定だったのだけど、二人とも体調不良でオロモウツに残ることになってしまった。それで、選挙用に配られる候補者の名簿などあれこれ再確認して詳しい記事を書くことができなくなってしまった。来年まで書き続けることができていたら、来年の下院の選挙で再挑戦だな。
 結局投票率は、全国平均で地方議会の選挙も、上院議員の選挙も35パーセント弱で、有権者のほぼ三分の二が投票に行かないという結果に終わった。選挙と同時にいくつかの町では、住民投票も行われていたが、ブルノでは有効とみなされる有権者の35パーセント以上という条件を満たすことができず、住民投票は無効となった。ブルノでの住民投票は、ここ廿年ぐらい議論が続くだけでまったく解決に向かっていない中央駅の移転先についてであったが、移転なんか不要だと考える人が多いということか。いや、一般的に政治に関する関心が低下していると考えたほうがよさそうだ。まあ、こんなのが、日本とも大差のないヨーロッパの民主主義の現状なのである。
10月8日22時。


2016年09月15日

チェコの選挙——大統領選挙(九月十二日)



 当初の予定に反して、チェコの選挙制度適当解説シリーズになっているので、毒を食らわば皿までで、大統領の選挙についても概説しておく。
 もともと大統領は、国会議員による選挙で選出されていたのだが、ハベル以後の大統領選挙が二回とも、一度で終わらず二回、三回と選挙をやり直さなければならなかったこともあって、国民による直接選挙を求める声が高まった。以前から検討されていたのだろうが、議論が本格化したのは、クラウス大統領の任期が二期目に入った2008年以後のことだったと記憶する。当時盛んに議論されたのは、選挙を一回の投票で済ますのか、二回目の決選投票を行うのかということと、決選投票を行う場合に、誰が決選投票に進むのかということだった。
 議論の詳細は覚えていないが、いろいろな政党がそれぞれ念頭にあった候補者に有利になるような主張をしていたのは確かである。結局、上院の選挙とほぼ同じ制度という無難なものに落ち着いた。つまり、決選投票に進むのは上位二名だけ、ただし、一回目で過半数を取る候補者がいた場合には、二回目は行われないというものである。上院議員の選挙との違いは、一回目と二回目の投票の間が一週間ではなく、二週間あるという点である。
 立候補するための方法は二つあって、一つはこれまでの選挙と同じで、政党、もしくは国会議員のグループによって推薦されること。これに必要な議員数は、上院議員の場合には十名以上、下院議員の場合には二十名以上である。もう一つは、一般の有権者による推薦で、こちらは署名を五万人分以上集める必要がある。

 2013年の第一回の直接選挙による大統領選挙では、有権者推薦で八人、国会議員の推薦で三人の合わせて十一人が立候補した。しかし、有権者推薦で集めた署名にかなりの割合で、無効なものが発見され、三人の候補者の立候補が無効とされた。署名が無効になったのは、実在しない人物だったり、同一人物が複数回にわたって署名したりしていたのだろうか。ここで立候補を無効にされたうちの一人が自称日系人政治家のオカムラ氏である。
 三人のうち、ボボシーコバーというテレビ関係者から政治の世界に足を踏み入れた女性だけが、憲法裁判所に申し立てた異議が認められ、立候補も有効とされた。ただ、このボボシーコバー氏もよくわからない人物である。一時はEU議会の議員になっていたこともあるようだが、2008年の大統領選挙に、共産党の推薦で立候補しておきながら、直前になって辞退した。その後、自らを党首とした政党を設立し、大統領退任後市民民主党との関係が悪化しているクラウス前大統領にすり寄って市民民主党から離れた支持者を取り込もうとしていたが、共産党に推薦された過去は何だったのだろう。最近はさまざまな選挙に立候補しては落選しているようだから、資金源が気になる。
 無効になる署名が予想以上に多かったことを受けて、現在法律の改正が進められている。いろいろ案は出たようだが、結局必要な署名数は五万で変わらないが、署名の際に身分証明書を提示させての本人確認と、出生番号の記入を求める方向で話がまとまりそうである。これで無効になる署名が減るかどうかは、再来年のお楽しみということにしておこう。

 2013年の選挙では、事前の調査で一番有力だとされていたのは、チェコがEU議長国を務めていたときに内閣が倒れた後、暫定内閣を組織してその期間を乗り切ったヤン・フィシェル氏だった。大半の世論調査では、ゼマン氏やシュバルツェンベルク氏を押さえて、一番高い支持率を誇っていたのだが、ふたを開けてみたら、社会民主党から離れたとはいえ党内に支持者も多いゼマン氏と、TOP09の党首シュバルツェンベルク氏が、上位二位に入り、決選投票に進出した。フィシェル氏は三位に終わったのだったのかな。
 二週間後に行われた決選投票では、僅差でゼマン氏が勝利し大統領に就任した。就任直後は高い支持率を誇っていたのだが、それ以後は本人や側近の失言続きで、支持率は下降中である。最近は国民の投票で選ばれた大統領は、国会議員の投票で選ばれたこれまでの大統領よりも大きな権限を持つべきだとか主張しているが、議会制民主主義の考え方としては正しいのかね。
 今日は今日でオーストリアの極右の大統領候補をプラハ城に招待して物議を醸していた。二人とも怪我の後遺症で杖を手放せないという共通点以上に、難民問題で意見が合う国の元首、元首候補が他にいないということなのかもしれないけど。スロバキアの大統領は比較的穏健な思想の持ち主だというし。

 二年後に予定される次の大統領選挙でゼマン氏が再選を目指すのかどうかはわからないが、現在のチェコの政界には、誰もが、支持者じゃなくても、この人なら仕方がないと言えるような大物候補がいない。そうなるとまた消去法でゼマン氏になるのかなあ。反対陣営の人たちでも、ある意味でチェコ人の典型で、ある意味でチェコ人にふさわしい大統領であるという点は否定しきれないようだし。それが将来につながるかと言われると否と言うしかないのだけど。
9月13日16時。


2016年09月14日

チェコの選挙——地方議会選挙(九月十一日)



 日本の地方議会、都道府県議会や市町村議会に当たるものを指す言葉は、チェコ語では議会そのものとは異なっているのだが、他に適当な言葉もないので、議会という言葉を使うことにする。
 議員の定員は、もちろんそれぞれの地方、市町村で違うが、選挙制度としては、下院の選挙に似ている。大選挙区制で、政党単位での立候補で、各政党は候補者の名簿を作らなければならず、印をつけて支持する候補者を上位に押し上げることもできる。

 違うのは選挙の後である。日本では、首長は住民による直接選挙で選出されるため、地方議会の選挙と、首長の選挙は別々のものとして扱われ、議会の選挙があったからといって首長が交替するわけではない。それに対して、チェコの地方公共団体の首長は直接選挙ではなく、総理大臣や、かつての大統領と同じように、間接選挙、つまり議員たちの選挙、いや選挙の前の交渉で選ばれるのである。だから、地方議会の選挙があるたびに首長は交替するし、過半数を獲得した政党がない限り、いくつかの政党で連立を組むことになるので、首長の決定には時間がかかることが多い。また連立与党の中で対立が起きた場合にも、首長の交代劇が起こることがある。
 地方自治は民主主義の学校とかいうのは、中学の公民の授業で出てきた言葉である。国の首長である総理大臣を直接選挙で選ばない日本で、地方自治体、今は地方公共団体かなの首長を直接選挙で選ぶのと、同様に総理大臣を直接選挙で選ばないチェコで、地方自治体の首長も直接選挙で選ばないのと、どちらがいいのだろうか。チェコに来たばかりの頃は、地方自治体の首長は直接選挙で選ぶものだと思い込んでいたので、直接選挙ではないという話を聞いたときには、大きな違和感を感じたのだが、国の首長である総理大臣を決めるのと同じになっているのだと言われて、それはそれで正しい考え方なのかもしれないという気もしてきた。

 ただし、チェコの地方自治体の首長の選び方は、一点だけ総理大臣の選び方と異なっている。総理大臣の場合には、まず大統領が、原則として下院で一番勢力の大きな政党の党首を指名して、組閣を指示するのである。組閣に失敗したり、成功しても議会で信任を得られなかった場合には、別な人物が指名されたり、下院が解散されて総選挙が行われたりする。
 あくまでも原則としてなので、大統領の恣意で下院の第一党の党首以外の人物が指名されることもなくはない。近年だとネチャス内閣が総辞職をした際に、当時の下院の第一党だった市民民主党の新しく選ばれた女性党首ではなく、ゼマン大統領に近いと目されていた人物が国会議員でもないのに、暫定内閣を組織するように指名されたことがある。このときは、組閣後の議会での承認を得ることができずに、正式な内閣として発足する前に、内閣が倒れてしまった。その結果、議会解散で総選挙になったのかな。

 それに対して、地方議会の場合には、大統領に当たる役職がないため、首長の選出はあくまで政党間の交渉による。もちろん第一党になった政党が交渉で有利なのは当然だが、政策などで合意に達せず、第二党、第三党が手を結んで首長の座を押さえてしまうこともあるようだ。その後、連立与党内部で対立が生じて、連立解消で、首長の選びなおしなんてこともあるようだし、小さな村なんかだと、議員のなり手、首長のなり手がおらず、選挙をしても立候補する人が出ないために、暫定的に国の管理下に置かれているところもある。
 そんな、地方自治体の中には、辞職や首長が選出できないなどのせいで、年に何度も選挙が行われるところ、何度選挙が公布されても立候補者が出ないところがあって、住民たちもうんざりして政治に対する興味を失ってしまっているようだから、いや、でも、これも学校と言えば学校なのか。

 秋には行政区分としての地方議会の選挙が行われ新しいオロモウツ地方知事が誕生することになる。市町村の議会は今回はないんじゃなかったかな。オロモウツ地方の知事は、今年の春に、警察の捜査に圧力をかけただったか、賄賂を贈ろうとしたかだったかで摘発されたのだが、無罪を主張して職に居座っている。この件も、今年の夏に政権を揺るがした警察内の組織の再編と関っているらしいのだが、この件についてはいずれ書く機会もあるだろう。
 そういえば、数年前にオロモウツ市で行われた日系企業の工場の開所式で通訳をしたときは、市長は上院議員を兼ねていたためプラハで仕事があって欠席、副市長が挨拶をしたんだったか。その副市長がその後、市長になっていたのは、上院議員になった市長が辞職したからだったか、その後の議会の選挙の結果を受けてのことだったか。この二人所属政党が違うから後者かな。
 実は、チェコではこの議員の兼職というのが結構多いのだ。国会議員が同時に地元の町の町長だというのは、人口十万を超えるチェコレベルでの大都市では珍しいが、中小都市ではそれほど珍しくもないし、禁止する予定もないようである。一時は、両方の職の給料をもらえるのはおかしいから、片方は返上させようなんて案もあったようだけど、どうなったのかな。公務員が選挙に立候補して、当選したら議員になって、落選の場合は元の仕事を続けるなんて話もあって、日本の潔癖ともいえる選挙制度からすると、それいいのか、と叫びだしたくなることは多かった。最近は、慣れてしまいすぎて特に問題だとも感じられなくなっているのが、ブログのネタ的には問題なのである。オロモウツの市長が上院議員と兼職してたなんて、すっかり忘れていたし。

9月12日17時30分。


2016年09月13日

チェコの選挙——上院議員選挙(九月十日)



 上院議員の定数は81、任期は六年で、解散はなし。選挙は二年に一度で、定数の三分の一ずつ改選されるという話を聞いたときに、日本の参議院と同じような選挙制度なのだろうと考えてしまった。つまり、全国区の有無はともかくとして、各選挙区に三つの議席が設定されており、二年に一度一議席ずつ改選されるのだろうと。
 チェコに来て、二年目ぐらいだっただろうか、友人の一人が上院の選挙があるから週末は実家に帰ると言っていたので、全国で選挙が行われるのだと思っていた。金曜日の夜にたまたま会った別の、オロモウツ出身ではない知人に、選挙に行かなくていいのかと聞いたら、うちの辺りでは選挙ないもんという答えが返ってきた。へっである。
 最初は一人目の友人の実家のある地方だけで行われた補欠選挙だったのかなと納得しかけたのだが、よくよく調べてみたら、チェコの上院の選挙は、二年に一回、チェコ国内の三分の一の地域で行われるものだった。これではわかりにくいか。
 上院議員の選挙は、チェコ国内を81の選挙区に分けて行われる。この81の選挙区が、それぞれ27選挙区からなる三つのグループに分けられており、それぞれのグループの任期が二年ずつずれた形で設定されているのだ。だから、チェコでは二年に一度、全国の三分の一、27の選挙区で上院議員の選挙が行われる。同じプラハ市内でも、選挙があるところとないところがあるので、全国で展開される下院の選挙運動ほどの盛り上がりはない。

 不思議に思ったのは、上院が誕生した最初の選挙はどうしたのだろうかということだ。二年おきに三分の一ずつ、任期六年で選挙をしていったのかとも考えたが、現実は違った。それに、今後2016年、2018年、2020年に改選を迎えるグループ分けをどうしたのかという点も疑問である。一回目はどうしたかはともかく、決める際に隣接する選挙区が同じ時に改選を迎えないように配慮をするなんてことがあったのだろうか。
 あれこれ調べてわかったのは(間違っているかもしれないけど)、初めて上院の選挙が行われたときに、任期が二年、四年、六年に分けられていたらしい。そして、どの選挙区の任期が何年になるかは、抽選で決められたという話を聞いた。抽選とはいっても、それぞれのグループの選挙区の所在に大きなばらつきがないことを考えると、まずチェコ全国を、隣接する三つの選挙区ごとに分割して、その三つの中で、どの任期になるかの抽選をしたのかもしれない。

 選挙そのものは、小選挙区制、つまり一つの選挙区から選出される議員は一人だけである。下院の選挙が政党、政治団体単位の立候補であるため個人が無所属で立候補することは難しいが、上院のほうは、候補者個人が立候補するので、所属政党はなくてもいいし、政党の推薦を受けるだけにしてもかまわない。現実には政党所属者が多いわけだが。
 そして、一回目の選挙で過半数を得た候補者が出ない限り、一週間後に改めて決選投票が行われる。一回目の選挙で一位と二位になった候補者だけが、第二回投票に進めるのである。間の一週間を使って、一回目で落選が決まった候補の支持を取り付けるなんてこともできるので、理論上は一回目で勝った候補者が必ず決選投票で勝つというわけでもないのだが、結果がひっくり返ることはほとんどないような気がする。一回目の投票は、他の選挙と一緒にやることもあるので行くが、上院だけで行われる二回目の投票は面倒くさいから行かないという有権者も多いようである。

 そんなこんなで投票率も低いため、上院は、革命後の設置の当初から、不要論がなくならない。この辺も日本の参議院と同じである。ただ、かつては設立当初の上院の議長を務めたピットハルト氏のような上院ならではの、政党に所属していても政党色の薄い議員たちのおかげで、一定以上の存在感を発揮してきた。それが近年は、下院議員になる前の腰掛として上院に立候補するような政党所属の議員が増えて、上院の独自性が薄れているような印象を受ける。90年代、もしくは2000年年代初頭から誇りをもって上院議員であり続けている人たちの口から、上院議員の質の低下を嘆く声が聞こえてくるのは、何とも言い難いものがある。

 さて、今年は十月だったか十一月だったかに上院の選挙が行われるため、各地で選挙運動が始ろうとしている。でも、オロモウツではあまり活発な活動をしていないようだから、今年は改選されないのかな。いや、まだ本格化していないので目に入ってこないだけという可能性もあるか。選挙権はなくても、結果は気になるのである。
9月12日16時。


2016年09月12日

チェコの選挙——下院議員選挙(九月九日)




 下院は定員二百名で、議院の任期は四年、任期中の解散はあると思うのだけれども、よくわからない。というのは、二千年代に入って、一度は、内閣不信任案の可決か、信任案の否決かを受けて、時の首相が下院を解散して総選挙が行なわれた。しかし、二度目に同じ状況になったときには、解散総選挙が決定されたにもかかわらず、失職したくないと考えたのか、何人かの議員が憲法裁判所に、違憲ではないかと訴えた。その結果、どういう根拠なのかは覚えていないが、上院の解散は憲法上認められないという判決が下り、準備の進んでいた総選挙は中止になってしまった。現在は法律の改正で、解散権が明記された形になっているとは思うが、チェコのことだから、その法律は無効だとかいうことになりかねない。だから、解散できるのかどうかは和からないということにしておく。

 選挙は大選挙区制で行なわれる。行政区分としての地方が選挙区となっており、首都であるプラハも合わせて全部で十四選挙区に分かれる。人口に応じて議席が配分されており、比例代表方式で当選者が決定される。ただし、投票の仕方は、政党名を記入するのでも、事前に決定される政党の番号を記入するのでもなく、選挙前に有権者に配られる各政党の候補者名簿の印刷された紙の中から、自分が選ぶ政党のものを選んで、封筒に入れて、それを投票箱に入れるというものである。その結果、投票に向かう有権者でも、活用するのは大量に送りつけられた紙のうちの一枚だけで、残りすべて廃棄されるという紙の大きな無駄遣いをしているのである。寡聞にしてこの投票システムに、環境保護を声高に叫ぶ連中が反対の声を上げたという話は聞かない。
 ただ、いい点も一つあって、投票の際に、候補者の名簿の中で特に支持する人に印をつけることで、その人の名簿順位を向上させることができる。もちろん、一人の付けた印だけでは無理な話だが、ある程度の数が集まれば、名簿上は下位でも順位を上げて当選することも可能になる。逆に×をつけて順位を下げることもできるんだったかな(ちょっと怪しい)。とまれ市民民主党のオロモウツ地方の有力者であったラングル氏が、名簿上は上位であったにもかかわらず、前回の選挙で落選してしまったのは、この制度のおかげであった。

 個人的には、有権者が政党の名前を書けなくても投票できるように、番号を割り振るというだけでも、有権者をバカにしているようで嫌な感じがするのだが、チェコの上院の選挙では、番号は割り当てておきながら、それすら書く必要のないのである。日本の選挙の場合には、ポスターを所定の場所に貼り付けるために、候補者に投票には使わない番号をつける必要もあるのかもしれないが、チェコではポスターは、張り紙が許可されているところならどこに貼ってもいいし、金にあかせて高速道路脇などの広告用のスペースに巨大な選挙ポスターを貼りだす政党もある。

 下院の選挙には限らないが、有権者を集めての演説会も、演説会というよりは何かのフェスティバルのようになることも多く、その政党を支持しているのか、金で雇われたのかはわからないけれども歌手のコンサートが付いていることもある。コンサート目当てで来た人に演説を聞いてもらおうというのかもしれないけれども。それから選挙の集会というと、なぜかブラーシュの配布がつき物だというイメージがある。これもグラーシュ目当てに来た人に演説を聞いてもらおうということなのだろうか。こんな有権者に直接物を配るようなことをしていいのかね、と初めて見たときには思ったが、友人の話では食べちまえば証拠は残らないからいいんじゃないかとこのこと。冗談であろう。

 議席を得るためには、全国で五パーセント以上の得票が必要となるため、地域政党や、極右政党、ポッと出の泡沫政党などは議席を取りにくい制度になっている。以前は、そのため、いくつかの政党が連合を組んで、四党連合とかいう形で候補者の名簿を作成して、選挙に臨むことが多かった。ただ、選挙のための連合なので、そのあとの議会運営で問題が起こることも多く、最近は各地の市長達が作った政党が、どこかの党と選挙協力をするぐらいである。
 ただし、ポッと出の政党が議席を取りにくかったのは、昔の話と言ってもいいのかもしれない。緑の党に始まり、VV(公共の福祉党)、黎明党、ANOなどなど、最近の総選挙では、それまで名前を聞いたこともなかった政党や、聞いたことはあっても議席を持っていなかった政党が、一気に多くの議席を獲得して、政局を混乱に陥れている。五パーセントの壁は、越えるまでが大変だが、越えてしまうと一気に多くの議席が獲得できてしまうのだ。
 有権者の間に既存の政党に対する失望感があるという点では、チェコも周辺の国々と大差はないのだろう。今後も現在の情勢が続くと、EU離脱を求める政党や、外国人排斥を訴える極右政党が下院に議席を獲得する日も遠くないような気がする。EUの改革とどちらが早いか競争だな。

9月11日23時。


 近づいてきた上院と地方議会の制度についてかくための枕として下院の話を書いていたら長くなったので独立させることにした。9月12日追記。

2016年04月07日

バビシュ危うし(四月四日)



 最近は日本でもそういう傾向があるみたいだが、チェコでは選挙の前に誕生したようなぽっと出の政党が意外に大量の票を獲得してしまって国会に議席を得、連立内閣にまで参加してしまう事例が最近いくつかある。そして、与党時代の失政が原因で次の選挙では議席を失ってしまうのである。

 この手の泡沫政党でありながら、権力を握ってしまい舞い上がって勘違いして転落するという政党の嚆矢は、緑の党であろうか。この病めるヨーロッパを象徴する政党は、チェコでも90年代の初めから活動を開始したようであるが、下院に議席を得たのは2006年の選挙が唯一のことである。既存の政党が分裂したものや、連合したものではない新しい政党が議席を得たのは、ちょっとした驚きだったが、そのまま連立政権に参加したのには更に驚かされた。政治家がいいというわけではないが、この党から任命された素人大臣たちの業績は、内閣が倒れた後に行われた選挙で、大幅に得票を減らし議席を失ったことからどんなものだったのかは理解できるだろう。頻発した内紛も原因だったのだろうけど。
 政権参加時の党首、副党首が別組織を作って追ん出てしまった緑の党は、最近また勢力を盛り返しているようで、上院には議席を持っているかもしれない。プラハの市議会にも議席を確保して、連立与党の一角を担っているが、わけのわからないことをして市政に混乱を巻き起こしている。こんな迷惑政党はとっととつぶれてくれたほうがいいのだが、エコロジーといううたい文句にだまされる人はまだまだ多いのだ。日本にこのヨーロッパの病が浸透していないのは喜ぶべきことである。

 緑の党が自業自得で国会から去った後、2010年の選挙で、下院に大きな勢力を得たのが、VVと略されることの多いビェツ・ベジェイネーである。「公共の物事党」と訳すと政党名っぽくないので、「公共の福祉党」とでも訳してみようか。この党は、警備会社を経営するビート・バールタという人物が、ラデク・ヨーンというテレビ関係者を擁して下院選挙に参戦し、緑の党を見限った人々を含む、既存の政党に飽き足らない層の支持を得て国会に議席を獲得した。そしてそのまま政権に参加したのだが、連立している政党ODS(市民民主党)の仕掛で、一部の所属議員が造反しODSに合流して、バールタ氏の金を使った政党運営を暴露したり、バールタ氏が経営していた警備会社を使ってODSの政治家を監視していたという疑惑がマスコミにし報じられたりして、求心力を失っていった。
 結局、交通大臣を務めていたバールタ氏も、内務大臣を務めていたヨーン氏も辞任し、連立を解消し野党へと転じる。このあたりの経緯で、二人とも政治に対するやる気を、少なくとも資産を投じてまで政治の世界にしがみつく気を失っていたようで、VVは2015年には解党されてしまうのである。

 次にチェコの政界に登場するのが、VVの凋落のきっかけの一つとなったバールタ氏の疑惑を報じた新聞「ムラダー・フロンタ」(青年戦線?)を所有する会社の経営者アンドレイ・バビシュ氏が組織したANOである。バビシュ氏が所有する会社は、チェコでは最も大きい企業連合体の一つであるアグロフェルトで、本来は農業関係の会社なのだが、前記の「ムラダー・フロンタ」と、「リドベー・ノビニ」という二大紙も傘下におさめている。
 バビシュ氏は2013年の選挙で、財界での経験を政界にもたらすことで、国の財政を健全化することができるというようなことを主張して、ANOを成功に導いた。同時に財政の専門家を自任する政党TOP09の当主カロウセク氏のプライドを刺激したのか、以後犬猿の仲というか、目くそ鼻くその批判し合いを繰り返している。ANOは、選挙に勝った?SSD(チェコ社会民主党)の主導する連立政権にキリスト教民主同盟とともに参加することになり、いくつかの大臣のポストを得た。バビシュ氏が財務大臣に就任し、交通大臣には最初は党員でなりたがった人が就任したが、すぐに経済界から党員ではないスチューデント・エージェンシーというバスと鉄道の会社を経営していたテョク氏を招聘して就任させるなど、経済界の実力者の経験を政界に生かすという方向性は、公約どおりに見せている。

 その後、小さなごたごたはあったが、大きな問題は起こらなかったので、ANOは、これまでの緑の党や、VVとは違って、比較的平穏に次の選挙を迎え、議席を維持するのかなと思い始めていたら、大きなスキャンダルが発覚した。その名も「コウノトリの巣」事件である。
 コウノトリの巣というのは、宿泊施設もついた小さな農場ということになっている。現在はバビシュ氏の所有するアグロフェルト社の保有する施設になっており、実質的にはバビシュ氏一家の住居として使われているらしい。
 それだけなら何の問題もないのだが、問題は、この施設がEUの助成金を使って建てられたことである。本来、中小企業が農場とそれに付随する施設を建設するプロジェクトを対象にした助成金を、バビシュ氏は家族名義で設立した会社に申請させて受領し、施設の建設が終わって助成金の会計処理も済んだ時点で、名義を自分の会社であるアグロフェルトに書き換えたのだという。つまり、アグロフェルトは大企業でこの助成金の対象とはならないので、あまり大きな声では言えない抜け道を使って助成金を獲得したということになる。さらにその会社の資産を個人的に使っているのだから、批判されても仕方がない。

 EU評議会でも問題にする声が上がったことで、チェコ国内のマスコミが飛びつき大きな問題だとして批判のキャンペーンを始めた。更に強く批判されたのが、バビシュ氏のアグロフェルトの子会社である二つの新聞社が、これまで他の政治家のスキャンダルに関しては積極的に報道して批判してきたのに、このバビシュ氏の件に関しては、まったく取り上げないことだった。この批判が出た後で、「ムラダー・フロンタ」では記事にしていたが、他のメディアほどの鋭い記事ではなかった。
 国会においてもバビシュ氏に対する批判の声が高まり、国会での説明を求める動きや、また大臣が経営に関与、もしくは株主として決定権を持つ会社が国の発注する仕事に入札できないようにする法律や、政治家がマスコミ関係の会社を経営るることを制定しようという動きが出ている。企業の経営者が大臣となって自分の会社に便宜を図るのを防ぐということだが、実質的には反バビシュ法とでもいうべきものである。
 バビシュ氏は自らのEUの助成金の獲得と活用に関して規則に反したことはしていないと弁明している。その上、同じような抜け道を使って助成金を悪用しているのは自分だけではないと言って、反撃に出たらしいけれども、どうなのかね。仮に皆やっているからといって、それが自分もやる理由にはならないし、規則に反していなくてもモラルに反しているものもある。いずれにしても、こんな形で助成金を得るなんてのはチェコ有数の企業の経営者がやるべきことでないのは確かである。
 バビシュ氏とANOがこのスキャンダルを乗り越えて、次の選挙でも議席を確保して国政政党であり続けるのか、それともこれまでのポッと出政党と同じで、一期だけのあだ花に終わるのかは、このコウノトリの巣をどう解決するかにかかっている。

 政権に参加しなかった政党でも、オカムラ氏のポッと出政党ウースビットも分裂して次はなさそうだし、ゼマン支持者が設立したいわゆるゼマン党も内紛などの問題があって一期だけで議席を失ったし、ANOもそうなりそうな気がする。とまれ、これだけ国会に議席を得る泡沫政党が出てくるのは、有権者の既存の政党への絶望を示しているのだろう。どこが政権をとっても同じ、同じなら新しいところに任せてみたほうがましだと考えるのは自然なことである。
 ANOの次に国会に議席を得て与党になりかねない政党は、地方議会ではすでに与党になっているところもある海賊党かな。

4月5日23時。


2016年03月16日

大統領選挙 その一(三月十三日)



 以前まだチェコ語を真面目に勉強していたころ、ハベル大統領の二期目の任期が終わって、初めてハベル大統領以外の大統領を選ぶ選挙が行われた。チェコの大統領の任期は五年で二期までしか務められないという規定があるため、1993年にチェコ共和国の初代大統領に就任したハベル大統領は、2003年の大統領選挙には出馬できなかったのである。ただ、二期目は健康に大きな問題を抱えながら仕事をこなしていたようなので、出馬できてもしなかった可能性はある。

 当時、勉強の一環として、大統領選挙に関する新聞記事を読むことにした。チェコの一般紙として一番有力な二つの新聞「ムラダー・フロンタ(=青年戦線? 別名ドネス=今日)」と、「リドベー・ノビニ(=人民新聞)」で、まず実際に選挙が行われる前の、選挙制度の説明の記事から読んだのだが、見事に理解できなかった。自分のチェコ語のせいかと思って、当時習っていた先生のところに記事を持ち込んで、授業中に意味がわからないんだけどと言って、先生に渡したら、ひとしきり眼を通した後、俺もよくわからんと言われた。その後、記事から先生が理解したことを説明してくれたけれども、実際の選挙のやり方とはちょっと違っていた。
 何が問題だったのかというと、大統領選挙の説明で、一回目の選挙、二回目の選挙という言い方と、一回目の投票、二回目の投票、という言い方が混在していたことだった。もしかすると一回戦、二回戦と訳せる言葉もあったかもしれない。とにかく、この二つ、場合によっては三つの表現が同じ物を指すと思ってしまったのだ。だから一回目の投票(一回戦)で各議院で一番多くの票を集めた候補者が二回目の投票(二回戦)に進むとあって、同時にゼマン氏は一回目の選挙には立候補しないが、二回目の選挙に立候補すると書いてあったのを読んで、途中で候補者を入れ替えていいのかと不思議に思ってしまった。
 実際に行われた大統領選挙は、一回目の選挙で最大三回の投票が行われるというもので、三回の投票で当選者が出なかった場合には、期日を改めて二回目の選挙を行うというものだった。それまでの選挙では、二回目の投票が行われたことはあったが、後日改めて二回目の選挙となったことはなかったため、チェコ人の先生にもよくわからなかったらしい。

 2003年の大統領選挙では、ODS(市民民主党)はもちろん元首相で党の創設者でもあるバーツラフ・クラウス氏を擁立したが、もう一つの大政党である?SSD(社会民主党)は、党内で派閥抗争が激化していて元首相のゼマン氏を擁立するグループとそれに反対するグループに分かれて争っていた。ゼマン氏が一回目の選挙には出ないといったため、反ゼマングループの中から候補者が出て、もちろん共産党と、キリスト教民主同盟を含む四党連合からも候補者がでて、第一回目の投票には四人の候補者が立候補した。二回目の選挙に進んだのは、下院で票を集めたODSのクラウス氏と、上院で票を集めた四党連合の上院議長ピットハルト氏だった。当時政権与党であった?SSDは党内をまとめることができずに、惨敗を喫したのである。この一回目の選挙では、二回目の投票でも、三回目の投票でも、クラウス氏のほうが多くの票を集めたが、当選の条件を満たすほどではなかったので、後日二回目の選挙が行われることになった。
 二回目の選挙には満を持してミロシュ・ゼマン氏が登場してきた。おそらく一回目で惨敗した?SSD内部の反ゼマン派に、自らの力を見せ付けようという目論見だったのだろう。しかし、ゼマン氏は、クラウス対ゼマンの一騎打ちにしたくなかったという理由で四党連合から立候補した女性に負けてしまう。四党連合は上院に多くの議員を抱えていたので、こちらで四党連合の候補者が勝ち残るのは予想されなかったことではない、しかし、ゼマン氏が上院、下院で獲得した票数は、予想をはるかに下回ったのである。この結果の裏側には、?SSDの反ゼマンの中心人物だった当時の首相シュピドラ氏と、後に首相になるグロス氏の存在があるとも言われている。この?SSD内部の分裂をどうにかしようとしていたころのシュピドラ首相の青ざめて同時に鬼気迫るような病的な表情は見ていてかわいそうになるほどだった。このときも、クラウス氏が最多の票を集めたが、選出には到らず、最後の第三回目の選挙が行われることになる。
 三回目の選挙は既にハベル大統領の任期が切れて、大統領不在の状態で行われた。この大統領不在の状態が続いたまま、国会議員の任期が切れたらどういうことになるんだろうと楽しみにしていたのだが、クラウス氏と?SSDが擁立したヤン・ソコル氏の選挙では、両院の議員総数の過半数を獲得したクラウス氏が三回目の投票で大統領に選出された。

 結局当時の大統領選挙の制度は次のようなものだった。第一回目の投票では、上院、下院別々に集計し、それぞれの議院で最多数の票を獲得した候補者が第二回目に進む。上院、下院で最多数を獲得した候補者が同じ場合には、二回目に進むのは一人だけとなり、最多の票を獲得した候補者が、上院、下院でそれぞれ過半数を獲得した場合には、その時点で大統領に選出される。
 二回目の投票では、上院、下院それぞれに集計し、両方の議院で過半数の票を獲得した候補者が大統領に選出されれる。二回目に進出した候補者が一名の場合には、承認するか否かで投票を行う。そして三回目の投票では、両院の票をあわせて集計して、過半数の票を獲得した候補者が大統領に選出される。
 三回目の投票は、単純に両院の議員数を合計した数の過半数でいいので、候補者が二人の場合には、勝ったほうが過半数だろうと考えたのだが、残念ながら棄権するという権利もあるため、選挙が一回で終わらなかったのである。2003年だけではなく、クラウス氏と、?SSDが擁立したシュベイナル氏の一騎打ちとなった2008年の大統領選挙でも、一回の選挙では決着がつかず、二回目の選挙が行われた。

 この延々と続く国会での大統領選挙に嫌気が差していたのか、2013年の選挙からは、国民が直接投票する直接選挙へと制度が変更された。こちらは二回目の投票に進むのは、一回目の上位二名だけで、二回目では得票の多い方が大統領に選出されるという形になったので、大分すっきりした。さすがに直接選挙で有権者数の過半数を条件にすることはできなかったようである。これやると、絶対、いつまでたっても選出されないし。
 2013年の選挙では、政界を引退していたゼマン氏が復活して、当時の外務大臣シュバルツェンベルク氏と共に二回目の投票に進み、二回目の投票で選出されることになる。このときの選挙の経緯については、また稿を改めることにする。
3月14日23時30分。



 大統領にちなんで、ゼマン大統領の大好物だというベヘロフカを。3月15日追記。



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