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2016年07月17日

萩尾望都(七月十四日)



 高校時代の先輩に、大学に入ってから教えられた漫画家は佐藤史生だけではなかった。萩尾望都の漫画を貸してくれたのもこの先輩だった。萩尾望都の存在自体は早川文庫のSF小説のカバー絵で知っていたけれども、マンガは読んだことがなかった。作品名もSF小説の解説や、SFマガジンなんかに登場していたから、『ポーの一族』ぐらいは知っていた。





 最初に借りたのは『11人いる!』だっただろうか。原則として人類だけがこの宇宙に繁栄するという『クラッシャー・ジョー』などのそれまで読んできたいわゆるスペースオペラの宇宙観とは違う、多種多様な知的種族が存在していて、それが対立するのではなく、共存しているという宇宙観にまず惹かれた。宇宙学園の入試という舞台設定も、今はともかく、当時はなんかすごいと感じたんじゃなかったかな。漂流する宇宙船に乗り込む最初のシーンから、最後の11人目の正体が明かされて、合格が決まる最後まで読み始めたら一気に読ませる緊密なストーリーは、それまで読むことの多かった少年マンガのともすれば冗長になりがちなストーリーと比べて、マンガという媒体の持つ可能性を感じさせた。
 少年マンガはあれはあれで面白いと思うし、好きな作品もないわけではないのだが、まじめに読むなら小説を、まあこれも玉石混交なんだけど、読んだほうがましだと思っていたのだ。暇つぶしに読むことはあっても、完全に作品の中に没入して読むようなことはなかったような気がする。いや、高校時代までは、懐が心もとなかったので、マンガ自体を大して読んでいなかったのか。






 先輩には、『ポーの一族』と『トーマの心臓』だけは絶対に読むように言われた。先輩が持っているのは実家の物置にしまいこんであるから、すぐには貸せないとも言われて、購入すべきかどうか、悩むことになる。
 『ポーの一族』は、詩人で作家でもあったエドガー・アラン・ポーに関係する話だろうと思っていて、先輩に言ったら、当たらずとも遠からずかなと言う答が返ってきた。『トーマの心臓』に関しては、何故だかわからないが、アメリカインディアンの話だと思い込んでいた。トーマという人物の心臓が抉り出されて、洞窟の中の台の上に置かれてそれにナイフが突き刺っている情景が頭に浮かんでいた。もしかしたら、アメリカの原住民の言葉から命名されたというトマホークからの連想だったのかもしれない。
 そんなことを口にすると、先輩からは、アホとののしりの言葉を投げられて、ドイツのギムナジウムを舞台にした物語であることを教えられた。『11人いる!』の作家のイメージにそぐわない内容なのか、学園を舞台にしたSFなのか、どちらを想定すればいいのか少し悩んだ。読めばわかるということで、買うことにするんだけど。




 結局、古本屋でも新本屋でも、普通の単行本は見つけることができず、書店で見つけたのは愛蔵版と称するハードカバーに近い、ちょっと値のはるものだった。『ポーの一族』は、ピンク色がかった装丁でちょっと自分で買うには気が引けたが、無理して買った甲斐はあった。短編を積み重ねて、話を進めていく手法は、後半は短編と言うよりは中編になるけど、移り変わる時代、人間というものと、変わることなく存在し続けていく「ポーの一族」の対比を浮き彫りにし、時の流れの残酷さと、変われない、死ねないことの悲哀を見事に描き出していた。
 最初の予定では、全三巻の愛蔵版を一日一冊ずつ購入して、三日で読み通すはずだったのだが、一冊目を読み終わった時点で、財布を掴んで家を飛び出してしまった。一冊目を買うときにはちょっと恥ずかしいという思いもあったのだが、二冊目三冊目を買うときには、そんな気持ちは吹き飛んで堂々と本屋のレジに乗せたのだった。
『トーマの心臓』のほうは、文学的ないい話だとは思うのだが、いまひとつピンとこない。本の装丁は地味で買いやすかったのだけど、先輩の言うほどすばらしい作品だとは思えなかった。これは多分、最初に出会った『11人いる!』から、萩尾望都にはついついSF的なものを求めてしまっていたからだろう。傑作だからといって自分の読書傾向に合うとは限らないのだ。




 SFファンには、むしろ流刑地としての火星に追放された犯罪者たちの末裔が生き延びて、環境に適応するために特別な能力を手に入れるという設定だけで嬉しくなってしまう『スター・レッド』とか、時間軸というものを体内に持つ特別な種族の生き残りを主人公にして、目くるめくような物語が紡ぎあげられる『銀の三角』なんかのほうがはるかに魅力的だった。
 だから、光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』を萩尾望都が漫画化しているのを知ったときも、当然だと納得した。古本屋で少年チャンピオンコミックス版を購入して一読してさらに納得。しかし、こんなディープなSF作品を、しかも少女マンガ家に連載させるなんて「チャンピオン」という雑誌も思い切ったことをしたものだ。






 萩尾望都の作品で、むさぼるように読んだのは七十年代から八十年代初めのものが多い。九十年代の作品で評判も高かった『残酷な神が支配する』は、題名以外にはあまり惹かれず、「学校へ行く薬」のような短編のほうが魅力的だった。終わったのか終わっていないのかよくわからない『ポーの一族』や、SFじゃないけど『メッシュ』なんかの続編が出たら嬉しい。



7月16日17時。



 これも忘れてはいけない。


タグ: SF 漫画
posted by olomou?an at 06:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係

2016年06月16日

光瀬龍(六月十三日)



 日本のSFは、戦後に新しい文学として、日本に導入された。SF関係者は、しばしば『竹取物語』が日本のSFの最古の作品だと言うが、それはSF作家たちの冗談を誰かが真に受けてしまって、記事にしたに違いない。『竹取物語』にSF的な要素、伝奇小説に通じるようなものがあるとしても、SF作品だというのは強弁が過ぎるだろう。
 戦後SFの黎明期を主導した福島正実は、かなり意図的に、そして強引に戦前の文学からの流れを断ち切り、新しくアメリカから入ってきた文学としてSFというジャンルを確立しようとしていたようである。そのことを考えると、新しい欧米の文学として日本に導入されたSFの中から、「東洋的無常観」にあふれる文体などと形容される光瀬龍が、登場してきたこと、特にいわゆるSF第一世代の中から登場してきたことは、不思議な気がしないでもない。その一方で、換骨奪胎とか、和魂洋才とかいう言葉があることを考えると、日本SF史の最初から日本化が進んでいるのも、当然なような気もする。半村良も福島正実が「SFマガジン」の編集長を外れてからだったと思うが、独自の日本的な伝奇小説の道に分け入ったわけだし。






 さて、光瀬龍の存在を知ったのは何によってだったのだろうか。SFを読み始めた当時に読んでいた高千穂遥の小説には解説は付いていなかったような気がするが、ソノラマ文庫だったので、巻末の目録に載っていたのかもしれない。学校か町の図書館でジュブナイルの『夕映え作戦』を見つけて借りたという可能性もある。そしてもう一つ考えられるのが、たまに家族で出かけていたラーメン屋に置かれていた漫画雑誌「少年チャンピオン」だ。少中学生の間では「少年ジャンプ」が圧倒的に人気で、「チャンピオン」なんて買っている友人はいなかったのだが、そのラーメン屋には、なぜか「ジャンプ」ではなく、「チャンピオン」が置かれていたのだ。
 当時の「チャンピオン」には、『ドカベン』『750ライダー』『ガキデカ』など、それぞれに一時代を築いた漫画が連載されていたが、そんな中に光瀬龍が原作の『ロン先生の虫眼鏡』があったはずなのだ。理系少年としてはあの作品に描き出された生物学に惹かれなかったはずはなく、本ではないけれども、最初に読んだ光瀬龍の作品は、漫画版の『ロン先生の虫眼鏡』ではないかと思う。その後、徳間文庫で出ていた文章版の『ロン先生の虫眼鏡』を読んで、漫画版とはまったく別物であることに戸惑った記憶がある。生き物に向けるまなざしは、どちらも同じだったけど。



(購入はできないみたいだけど)


 そして、傑作『百億の昼と千億の夜』、『たそがれに還る』、『喪われた都市の記録』を読んだのは高校時代だった。全てを理解できた自信はないが、人類の存在のちっぽけさと、時の流れの残酷さに打ちのめされた。人類がいかに栄え、どんなものを築き上げようとも、悠久の時の流れの前では無力であり、やがては滅びを迎え、元の自然に戻ってしまう。人間が何をしようが、宇宙は宇宙としてそこにあり、何も変わらないのだということを理解させられた。そしてそれでも何かをなそうとするから、うまく行かないときでも最後まで抵抗するから人間は素晴らしいのだと。そうか、この諦念が自然保護を声高に叫ぶ連中や緑の党などに対するアレルギーにつながっているのか。



(阿修羅王というと萩尾望都の描いたものが思い浮かんでしまう)



 光瀬龍が、さまざまな媒体で子供向けのいわゆるジュブナイル小説を書いているのは知っていたが、ソノラマ文庫や秋元文庫に入っている作品を古本屋で買い集めていたら、予想以上の冊数になってびっくりした。できのいい面白いものもあれば、いまいちというものもあるのだが、光瀬龍のジュブナイル作品は、男の子が主人公で、必ずヒロイン役の女の子が出てきて、恋人にはならないまでも、一緒に活動をしている間に、結構いい雰囲気を作り出すという点で、現在流行の男の子向けのいらゆるラノベの源流だとも言えそうだ。そのフォーマットは驚くほど変わっていない。
 福島正実の主導でSFを普及させるために、まず子供たちに子供向けのSFを読ませて読者として育てようというプロジェクトもあったようだから、子供が主人公のSFが求められていたのだろう。旺文社あたりが出していた中高生向けの学年別の雑誌に連載されたものも多く、掲載雑誌の対象学年の子供が主人公となるのは当然だったのだ。
 一概には言い切れないのだが、光瀬龍のジュブナイルは、子供たちの活躍を支える大人の存在が重要で、その大人が魅力的である作品ほど、面白いような気がする。大人たちの中で、一番印象に残っているのは『暁はただ銀色』のお寺の和尚さんかなあ。『夕映え作戦』に出てくる大人は、ちょっと頼りない女の先生で、子供たちを支えているとは言えなさそうだけど。





 では、光瀬龍の作品で、一番好きなものはと言われたら、悩んでしまう。わけのわからない面白さということで、『猫柳ヨウレの冒険』を挙げておこう。読んでいるうちに、人物の設定などいろいろなものが変わってしまって、矛盾の塊のようなストーリなのだが、そんな細かいことは気にしないのがSFだとでもいわんばかりに強引に話を進めてしまい、二冊目の最後で、とんでもない最期を迎えてしまうのである。あれは多分最期って言っていいはず。



(ヨウレはなかった……)


 これは外国語に訳せないなあとか、キリスト教関係者には読めないだろうなあなどと考えながら、たまに『百億の昼と千億の夜』を読み返す。そして、光瀬龍がこの作品を書くきっかけとなったという奈良興福寺の阿修羅王の姿を頭に思い浮かべるのである。
6月14日23時30分。


 時間管理局ものも忘れてはいけない。



posted by olomou?an at 06:30| Comment(1) | TrackBack(0) | 本関係

2016年05月29日

半村良(五月廿六日)



 この希代の物語作家の名前を知ったのは、中学生の頃だったか、高校生の頃だったか。どのようにして知ったのかにも確証が持てない。
 一つの可能性は、NHKのドラマで見た「下町探偵局」の原作者として、半村良を知ったというもので、もう一つは当時あれこれ読み漁っていたSF小説のあとがきや解説で言及されていたのを読んだという可能性だ。特に栗本薫が『グイン・サーガ』を百巻書くと言い出したきっかけが、半村良が『太陽の世界』を八十一巻で構想しているのに対抗してだという話を読んだのは覚えている。しかし、どうして、その時に『太陽の世界』に手を出さなかったのかは今でも謎である。




 それから角川映画の「戦国自衛隊」がテレビで放映されて、同級生たちの間で話題になっていたのも、このころだったかもしれない。当時はいっぱしの左翼気取りだったから、自衛隊という言葉だけで見る気になれず、当然原作を読むこともなかった。自分のあのころの愚かさを考えると、『太陽の世界』や『戦国自衛隊』を読んだところで、後に大学生になってから読んだときほどの感動を得られたかどうかは怪しいのだが、残念な気持ちを抑えることはできない。






 大学に入って知識の量も幅も深さも高校時代とは段違いになり、交友関係も大きく広がったことで、自らの井の中の蛙っぷりを思い知らされた結果、SFファンとしての偏狭さが次第に薄れていき、思想的にも左翼からは離れることになる。大学の自治会だったか学生会だったかの言っていることが、あまりにばかばかしくて、政治的な論争に興味が持てなくなったのである。思想的には、その後、平安至上主義者を自称して、京都の街を更地にして平安京を再建しようと半分冗談で主張したり、奈良の平城京址で発見された長屋王の邸宅の上に建てられたデパートを破壊せよと叫んだり、うん、やっぱりこのころも愚かである点については大差なかった。
 現在では穏健派の民族主義者を自称しているのだけど、穏健派というところで鼻で笑われてしまう。どうも過激な英語排斥論者、もしくは日本語、チェコ語至上論者だとみなされているらしい。これでもずいぶん穏健になったつもりなんだけどねえ。
 とまれ、SFファン特有の偏狭さから開放されたことで、読書の幅も広がった。高校時代までは、なぜか読んでいなかった田中芳樹の『銀河英雄伝説』も、眉村卓や筒井康隆のジュブナイル小説も、それこそ手当たり次第に読み進めていった。その濫読の一環として、半村良に手が伸びるのはいわば時間の問題だった。





 確か最初に読んだのは『産霊山秘録』だった。いや、これ、多分高校のときに読んでいたら理解できていなかったわ。本能寺の変という日本の歴史上、最大の謎の一つを、「ヒ」の民という太古には皇室の上にあり、皇室を守るために忍びとして活動している集団を設定することで解いてみせるのには、フィクションであることは重々承知でありえたかもしれないと感動してしまった。柳田民俗学が扱いきれなかった農民以外の人々に焦点を当てて一世を風靡し始めていた網野義彦の歴史学につながるものを感じ、それがすでに70年代の初めに書かれていたことに驚愕した。
 正直な話、中盤から後半にかけては、豊臣秀頼生存説とか、鼠小僧伝説とか、いろいろなものを取り込みすぎて、ちょっと迷走してしまった感もあり、面白さは最初の部分を読んだときに期待したほどではない。それでも、高校時代に読み漁ったいわゆる純文学系統の作家の作品よりははるかに面白かったし、学ぶ点も多かったのだけど。この特異な存在を設定することで、歴史そのものではなく、その読み方を変えてしまおうというのは、刺激的だった。
 そして、初期作品の『石の血脈』から、『黄金伝説』『英雄伝説』などの70年代の作品を経て、80年代の『岬一郎の抵抗』、90年代の終わりに書かれた『飛雲城伝説』に至るまで、本屋、古本屋を回る時間をつぎ込んで、手を尽くして買い漁り読み漁ったのだった。





 不満は一つ。作品が終わってしまうことだった。いや、正確に言うと物語が始まり、広がっていく部分は、読むのをやめられないぐらいに面白く、これからどこまで面白くなっていくのだろうと大きな期待を抱かせるのだが、物語を終わらせるために話をたたみにかかる部分に入ると、前半で期待したほどの面白さではないことが気になり始めることだ。初読ではそこまで強く感じないのだけれど、繰り返し読んでいくうちに、気になるようになっていく。特にそれは、執筆が長期中断し、中断後に何とか完結させた作品において顕著である。
 関が原で戦いに負けた主人公が出雲の阿国の子供を連れて真田幸村の娘と共に旅をする『慶長太平記』も、戦後の焼け野原における戦災孤児たちの奮闘を描いた『晴れた空』も、古代地球に不時着して埋もれていた宇宙船に乗って選ばれた地球人たちが宇宙に向かう『虚空像王の秘法』も、未完となった『飛雲城伝説』も、前半を読んでいるときの幸福感は、後半に入って終わりに近づくに連れて薄れていってしまう。






 これは、おそらく半村良本人の言葉を借りれば、終わることを拒否する物語という伝奇小説そのもの抱える問題なのだろう。その意味では、神々との戦いが始まってこれからというところで終わった『戸隠伝説』や、物語を広げては閉じ、広げては閉じを繰り返しながら18巻まで書かれ中断してしまった『太陽の世界』あたりのほうが、完結してしまった小説よりも幸せな小説だといえるのかもしれない。
5月27日14時30分。




posted by olomou?an at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係

2016年04月03日

我が読書の記録——SFの時代(三月卅一日)



 児童文学だけではなく、推理小説も読むようになったころに、SFにも出会った。出会った作品が高千穂遙の『クラッシャー・ジョウ』だったのは、その後の読書にとって幸せだったのかどうだったのか。自分で言うのもなんだが、かなり偏狭なSF読者であったような気がする。いや、今でもそうだなあ。





 たしか、親戚のうちに泊まりに行ったときに、従姉が持っていたのを読ませてもらって、面白かったので、いや、とても面白かったので、小遣いをはたいて当時出版されていた六冊すべて自分でも買ったのだった。友人に貸して、これで完結なのか、主人公のジョウは、六巻の最後で死んでしまったのかどうか、議論したなあ。二、三年続編が出ないぐらいで、おたおたするなんて当時はまだまだ餓鬼だった。
 映画ができるころに、七冊目と映画のノベライズが発売されて小遣いのやりくりに困った記憶もある。当時の田舎の子供の小遣いなんて、たかが知れていた。本を買うだけでなく、地元の町には映画館はあったが廃業していたので、映画を見るために従姉の住んでいた町まで行って連れて行ってもらう必要があった。アニメ映画とはいえ、小学生と中学生の境目辺りの餓鬼が一人で行くのは許されなかったのだ。





 当時、別の従姉の影響で、『クラッシャージョウ』のイラストを担当していた安彦良和の漫画『アリオン』にも出会っている。これも遊びに言ったときに読ませてもらって、「ジャンプ」的なマンガしか読んだことのなかった餓鬼の目には、とんでもなくすごい作品に見えた。もっとも、自分の好きな『クラッシャージョウ』のイラストを書いている人の漫画だという事実が評価を高めた嫌いもあるのだけど。





 この辺りまでが中学時代に読んだSF作品ということになる。栗本薫の『グインサーガ』は存在は知っていたけれども、まだ読み始めてはいなかったはずだ。『魔界水滸伝』は最初の何冊かだけは読んだから、このころ手を出していただろうか。これでいわゆる「クトゥルー神話」を知って、ソノラマ文庫の『クトゥルーオペラ』を読んだんだったか、その逆だったか。ソノラマ文庫の菊池秀行や夢枕獏の作品も読んだが、これが中学時代だったか、高校時代だったかが判然としない。いずれのしても本格的なSFの時代は高校時代ということになりそうだ。

 ちなみに80年代に一世を風靡したSFアニメ「ガンダム」に関しては、見ていない。他にもあれこれ放送されていたが、SF的アニメはほとんど見ていない。SFは読むものだという思い込みと、SFアニメは「クラッシャージョウ」さえあればいいという偏狭な認識のせいである。いや、みんな見ているから見ないという現在まで続く天邪鬼的な思考の結果だった可能性も高い。高校時代には、ベストセラーになった『ノルウェーの森』を、みんな読んでほめているからという理由で、読まなかったし。自分が読んでいた本がベストセラーになるのは許せるのだが、ベストセラーだとわかっている本を読むのは耐えられないのだ。だからベストセラーは、読むとすれば、時間がたって忘れられた頃になることが多い。ひねくれ者の本読みの無意味なプライドである。

 高校に入ってからは、図書館に入っていた早川文庫のSF作品をむさぼるように読んだ。『グインサーガ』は最初の十巻ちょっとしか入っていなかったが、今思い返すとこの作品に関してはあのあたりを読んでいたころが一番幸せだったなあ。それでも好きな作品だったので、その後も五十巻ぐらいまでは読んだ。この『グインサーガ』本編のあとがきと、外伝の解説で高千穂遥がヒロイックファンタジーの『美獣』という作品を書いていることを知ったが、田舎では手に入れるすべがなく、実際に手に入れて読めたのは大学に入るために東京に出てからになる。





 翻訳物の作品を読み始めたのも高校時代だった。ドイツの『ペリー・ローダン』シリーズに手を出し、変な名前の変な日本人が出てくるのにショックを受けたり、訳者の松谷健二のあとがきから北欧神話に興味を持ったりしたが、図書館に入っている巻を読み終わった時点で読むのをやめてしまった。巻ごとに執筆者が交代するせいか、自費で買って読もうと思うところまでは行かなかったのだ。北欧神話への興味は、一時東海大学にあった日本で唯一の北欧文学科を目指そうかと血迷うぐらいだった。そこの谷口という先生の訳した『エッダ』を本屋で注文して買ったのが、初めての本屋での注文購入だった。






 田舎の本屋はそれほど品揃えがよかったわけではないので、新刊が出ていても気づかないことが多かった。『クラッシャージョウ』の刊行が途絶えていた時期に、ある日NHKのFMを聞いていたら、「FMアドベンチャー」というラジオドラマが始まり、「高千穂遥原作『黄金のアポロ』」というナレーションが流れてきて、角川ノベルズでそういう作品が出ていることを知った。ラジオは毎回聞いて堪能したが、活字で読んだのはこれも大学時代である。「FMアドベンチャー」では、他にも『僕らの七日間戦争』や『グリーンレクイエム』などを聴いた。懐かしいなあ。





 偏狭なSFファンであったせいで、高校時代には半村良も、小松左京も、田中芳樹も、山田正紀も存在は知っていながら、読みはしなかった。もちろん、後には読んだけれども、何で読まなかったんだろう。我ながら不可解な選択だとしか言いようがないのだが、翻訳作品でも、マイケル・ムーアコックに手を出す一方で、ハインラインやアシモフは、この時期はまだ読んでいなかったのだ。光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』を初めて読んだのは、高校時代だっただろうか。理解できて読んでいたのかなあと、今頃になって不安になる。




 とまれ、中学から高校にかけて、いろいろというよりは限定的だけど、SF作品を読みふけったのだが、SFファンの例に漏れず、当時の自分も偏狭だったなあと反省する。大学に入ってからの方が視野が広がり、読書の対象となるSF作品、作家も増えていくのだが、大学時代以降は、ジャンルや作家を意識しない濫読の時代とでも言うべき時代になってしまうので、本稿の対象とはしない。本格的に漫画を読むようになったのも、大学に入ってからだもんなあ。

4月1日23時。



posted by olomou?an at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係

2016年03月29日

ソニーリーダーに合掌(三月廿六日)



 2011年の夏に手に入れて以来、酷使してきたソニーのリーダー一号機が、ついに実用に耐えない状態になってしまった。画面に触ってのページ送りは出来るのだが、下部についている五つのボタンのどれを押しても何の反応もない。そのため、読んでいる本を閉じて新しい本を開いたり、要らない本を削除したり、XMDFや.book形式の本の活字の大きさを変えたりすることはできなくなった。ブックマークとか辞書とか、一度も使っていない機能が使えないのはどうでもいいけど。
 いや、正確に言えば、上部の電源ボタンとリセットボタンはまだ生きているので、本を取り替えるのはできなくはない。ただ読み終わった本を閉じて、新しい本を開くためだけに一々電源を入れなおしたり、リセットしたりするのは、勘弁してほしい。本の数が増えて起動のあとの読み込みに数分かかるようになっているし、オフオンを繰り返すと電気の消費も増えてしまう。ということで、一号機はお風呂専用にして、これまで一、二度動作確認のために使用しただけの三号機を投入することになりそうだ。

 購入してから既に四年と半年以上、意外に長持ちしたというのが正直な感想だ。特に購入後半年ぐらいで電源の調子がおかしくなったときには、日本に行く友人に持っていって修理してきてもらおうかと思ったほどだ。ユーザー登録もしていなかったし、PCとの接続用の専用ソフトも使っていなかったから、修理に出すのは諦めて、二号機を買ってきてもらうことになったのだけど。いや、代替機のない状態で、修理に出すなんてことは、そもそも無理な相談だった。
 あのときは、SDカードに入ったあまり大きい声では言えない方法で入手したファイルから作成した本を読んでいるときに、ページを送ろうとしても反応しなかったのに対して、思わずあれこれボタンを押してしまったのだった。何がいけなかったのかはっきりとはわからなかったが、そのせいで電源が勝手にオンになったりオフになったり、読んでいる最中に勝手に再起動したりするようになってしまった。それ以来、反応が悪いからといって手当たり次第にボタンを押すようなことをやめたら、いつの間にか、普通に使えるように復活してくれた。PCに接続して充電が済んだ後も、一度バッテリー切れの表示が出で再充電が必要なこともあるが、電池の持ち自体は、それほど酷使していない二号機よりもいいぐらいだ。

 他にも、一枚のSDカードにファイルをたくさん入れすぎたせいで、起動させても読み込みに延々時間がかかって、いつまでたっても読めるようにならないのに業を煮やして、読み込み中にもかかわらずSDカードを取り出してしまったり、充電中にリーダーに入れてあったSDカードをUSB接続の機器を外す操作をして、リーダーから取り出したら、SDカード内のファイルが壊れただけでなく、本体のSDカード読み込みも不安定になってしまったりして、SDカードに入った本は二号機専用になってしまった。
 物理的にも、鞄の中に放り込んでいたら、側面を取り囲むように付けられている枠の右下の部分が割れてしまって、次第に欠けた部分が増えていった。使ったことのない下面のボリュームのスイッチなんかむき出しになっている。それでも、これまでは実用には、ほとんど問題もなかった。

 それで、どうせ半分壊れているんだからということで、お風呂場でお湯に浸かって読むのにも使うようになった。お湯の中に落としたことはないが、水滴がかかるのはいつものことで、湿気の高い中での使用が、この手の電子機器にいいはずもなく、壊れてしまうのは時間の問題だった。いや、こちらの想定以上に長持ちしてくれたと言ってもいい。
 メーカーの想定の何倍ものハードな使い方をしたのに、保障期間の何倍も使えたのは、ソニーの製品であること、しかも日本市場へ投入された最初の製品であることを考えると奇跡的なことである。学生時代には、ソニーファンでソニー製品愛用者の先生からも、ソニーが最初に出す製品は初期不良が多いから購入してはいけないといわれたもんなあ。

 一号機とともに購入したブックカバーも、既に使用できなくなった。背表紙にあたる部分の表面がはげてしまった。最近は一号機ではなく二号機につけて使っていたけれども、同時に購入した一号機とカバーがほぼ同時に使えなくなったのは、寿命と考えていいのだろう。一号機のほうは、これからもお風呂で使用するので、まだ余生というものが残っているし、以前のように何度も充電を繰り返しているうちに復活してくれるかもしれないが、一応の区切りとして、一号機に合掌。
3月26日23時30分。



 新製品が出そうにないという意味でも、ソニーのリーダーに合掌。3月28日追記。



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2016年03月13日

我が読書の記憶 推理小説の時代(三月十日)



 小学生の中学年ぐらいまで熱心に読んでいた児童文学や子供向けにリライトされた外国産の推理小説は、お話として読んでいて、小説を読むという意識はなかった。作り物の小説であることを意識して読むようになったのは、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロなどの登場する作品の子供向けではないバージョンが最初だった。同じころにSFにも出会っているのでどちらが先とは言いにくいのだが、1980年代前半に小学校を卒業し中学校に入学した人間の例に漏れず、すぐに赤川次郎の洗礼を受けることになる。
 戦後退行していた言文一致を作品の中で(恐らく無意識に)推し進めていた赤川次郎の作品の文体は、児童文学の子供向けにきれいな文章で書かれた文体に比して生き生きとして魅力的だった。最初に読んだのは、『三毛猫ホームズ』だったか、『幽霊なんとか』だったか、はたまたソノラマ文庫に収録されていた学生が主人公の推理小説だったか覚えていないが、一冊読んだ時点でとりこになっていた。


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 当時の、せいぜい月に千円ほどの小遣いでは、自分が満足できるほど本は買えなかった。親はベストセラーや話題になった本は比較的買っていたが、活字狂というほどの読書家ではなかったため、自分が読みたい本を買わせるのは難しかった。そこで取ることができた方法は二つ。一つは図書館を使うことである。小学校、中学校の図書館には赤川次郎は入っていなかったので、町立の図書館へと出かけるようになった。児童閲覧室ではなく一般向けのの閲覧室で本を探して借りるようになったのだ。

 もう一つの方法は、友人達と本を貸し借りすることだった。本を読む友人達のグループがあって、自分が買った本を人に貸し、友人が買った本を借りて読むというようなことをしていた。買うときにも、同じ本を買わないように多少の調整が必要だった。赤川次郎であれば、それぞれに担当するシリーズがあるというような形で買っていたのかな。ただ、今思い返すと、友人達も経済状態の悪さには大差なく、それぞれ、せいぜい月に一冊買えればいいという状態だったので、図書館で借りた本の方が多かったような気がする。そして、読書傾向が違ったのか、女の子達とは本の貸し借りをした記憶はない。赤川次郎なら女の子も読みそうなものなのだが、不思議なものである。いや、あの時期特有の気恥ずかしさというものがあったのかもしれない。高校になると平気で貸し借りしていたのだから。
 『三毛猫ホームズ』は、ノベルズ版でもちょっと高くて買えず、時期的にも特に初期の何冊かは既に文庫化されていたので、文庫版で読み、もしかしたら一次文庫の光文社文庫ではなく、二次文庫の角川文庫版で読んだかもしれない。ちょっと変わったところでは、集英社文庫の女の子向けのレーベルコバルトシリーズに入っている『吸血鬼』シリーズも読んだ。これは中学校に入って知り合った先輩に借りたのだったか。当時はコバルトが女の子向けのシリーズだというのは知らなかったから、ぜんぜん気にしなかったけど、今考えるとあの先輩よく買えたなあ。


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 それから、赤川次郎の影響で、作中に登場する欧米の文学作品にまで手を伸ばしたのもこのころだ。『悲しみよ、こんにちは』『異邦人』『老人と海』などの作品は、名作と言ってもいいのだろうが、赤川次郎の作品で出会わなかったら、読むことはなかっただろう。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』も読もうとした記憶はあるけど、読んだ記憶はない。この時期は、変な話であるが、友人達と競うようにして本を読んでいたのだ。この欧米文学に手を出し始めた辺りから、我が読書の迷走が始まり、高校時代の一時期、よくわからないままに純文学の作品を読むようになってしまったのである。
 赤川次郎の作品は「ユーモア推理」とか「ユーモアミステリー」と言われるけれども、本を読みながら推理するというよりは、ストーリーと登場人物たちの掛け合いが楽しくて読んでいたような気がする。一部の作品を除けば、悲惨な事件を描きながらも、決して残酷な描写にも暗い話にもならず、登場人物たちも明るさと希望を失わず、何らかの意味でハッピーエンドで終わり、読後感がさわやかだったのも、赤川次郎を読む理由だったろう。

 推理小説の推理の部分を意識しながら読んだ作者としては西村京太郎がいる。こちらは両親が好きだったのか結構たくさん(すべてではないけれども)うちにあって読みやすかった。もちろん図書館でも借りたし、友人からも借りて、いっぱしの、今思えば噴飯物の推理談義をしていたのだ。十津川警部が、部下の協力も得ながら証拠を集め推理を重ねて犯人を追い詰めていく緊迫感がたまらなかった。実のところは、読みながら推理するなんて頭は持っていないので、あれこれ考えながら最後まで読んだ挙句に、読後感はいつも「そうだったのか」でおしまいだった。
 当時は文庫版には必ず解説がついていて、西村京太郎の作品の解説でほぼ必ず触れられていた作品が、ポワロ、メグレ、クイーン、そして明智小五郎という四人の名探偵を集めて書かれた『名探偵』シリーズだった。これがものすごく読みたくて、最初の『名探偵なんか怖くない』を読んだときには、読めたことに対する感動のあまり、ポワロやクイーンの作品まで読み耽ってしまったのである。ただ、メグレの本だけは、田舎ではどこを探しても見つけることができなかった。東京に出てからなら見つけられたのだろうが、大学時代には名探偵熱はおさまっていたので、あえて探すこともなかった。だからいまだに読んでいないのである。






 この時期に読んだ推理小説やミステリーの作家は、この二人以外には、他にも読んだと思うのだけど。『迷犬ルパン』シリーズを友人の一人が貸してくれた辻真先ぐらいしか覚えていない。社会派といわれた松本清張や森村誠一は、名前を知っていたのは確かだが、作品を読んだ記憶はない。経済的に制約があったので、誰でも彼でも読むというわけにはいかなかったからなのだろう。作者で読む本を選んでいたのだから。
 この推理小説、ミステリーを熱心に読む時代は、赤川次郎の影響で欧米の文学作品を読み始め、それが日本の純文学を読むという病に到った高校時代に終わりを告げる。それ以後も、機会があれば読みはしたが、以前の追い求めるような読み方はしなくなった。読書というものに、文学というものに、無駄に重い意味を求めるようになってしまって、読みやすい軽く読めてしまうものは価値がないものだという愚かな観念に支配されてしまって推理小説を読んでいるなんて公言できなくなったのだ。

 赤川次郎や西村京太郎の作品を再び評価して読むようになるまでには、かなりの年月を要した。大学時代の友人が漏らした「辛い現実から本を読んでる間だけでも離れたいんだから、文学なんて読めない。そんなときに最適なのが赤川次郎の作品なんだ」という言葉も再び読み始めるきっかけとなった。とまれ、赤川次郎のような何を書いても売れる作家の存在が、1980年代以降の日本の出版業界を支えてきたことは間違いない。赤川次郎が出現していなかったら、文芸書の出版部数は大きく減らされ、値段も高くなっていたに違いない。活字狂としては、作品を読めたことだけでなく、この事実に関しても感謝しておきたい。
3月11日23時。
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2016年02月29日

我が読書の記憶 幼年期の終わり(二月廿六日)



 今回オロモウツに来てくださって、あれこれお世話になった方との雑談の中で、小学校、中学校のころの話をしていたら、不意にあのころ読んでいた本のことが思い出されて、一冊思い出すと二冊三冊と思い出し、内容は思い出せても題名や作者が思い出せない本もあり、懐かしさに震えてしまった。年を取ったものだ。
 比較的本の多い家で育ったため、小さな子どものころからあれこれ本を読んできた。それが現在の活字中毒につながっていると言えば言えようが、さすがに絵本のことまでは覚えていない。小学校のときに定期購読していた学研の「科学」と「学習」のうち、「学習」の夏休みの付録だった分厚い物語集のようなものが、初めてのまとまった読書だったような記憶がある。毎年いろいろな作家のいろいろな作品を読むことができるのは、夏休みの喜びだった。この物語集のために書き下ろされたものも、既刊の本から採用されたものもあったようだが、悲しいのは具体的にどんな話を読んだか、まったく覚えていないことだ。

 では、このころ読んだ子供向けの本で覚えているものは何かと言うと、灰谷健次郎と今江祥智の作品である。灰谷健次郎は、ドラマで『太陽の子』を見て感動した両親が、本を買って来たのか、それ以前から『兎の眼』を読んでいて、そこから『太陽の子』につながったのか、どっちだっただろうか。『太陽の子』ではフウちゃんが、子供たちの中ではなく、大人たちの中で生き生きとしている姿に、ものすごくあこがれた。現実には子供同士の付き合いでアップアップしていたからそんなことを感じたのかもしれない。そして『兎の眼』では、何よりも元船員のおじいちゃんが作る「シタビラメのムニエル」なる料理が、妙に美味しそうだったのを覚えている。インターネットのない時代、「シタビラメ」も「ムニエル」も自分の頭の中で想像するしかなく、限りなくイメージを膨らませてしまい、後年実際に実物を見て、なんだかがっかりしてしまったのであった。




 今江祥智の作品は、小学校の図書館で最初に『優しさごっこ』を読んだのだったか、それとも夏休みに読むべき戦争文学の一冊として『ぼんぼん』に手を出したのだったか。いずれにしても図書館にあった今江祥智の作品は、大した数ではなかったけれども、すべて借り出して読破した。大学に入ってから、近所の図書館で再会して再読して、こんなのを子供に読ませていたのかと、かつての自分はこの世界を理解できていたのだろうかと頭を悩ませたが、子どものころに今江祥智の作品に出会えたのは幸せだったのだと思う。






 戦争中の体験にしろ、親の離婚にしろ、おそらく当事者にとっては耐え難い二度と繰り返したくなどない体験なのであろうが、文学作品を通してしまうと、文学作品として読んでしまうと、それがかけがえのない貴重な体験のように感じられて、自分がごく普通の家庭で生活し、文学になどなりそうにない人生を送っていることで親を恨めしく思ってしまうというどうしようもない子供に育ってしまった。ぐれるなんてことにはならなかったが、文学なんてのはごくつぶしの道楽だというかつての評価はすごく正しいのだと今にして思う。そしてチェコなんぞに流れてきた自分の考え方の発端が、この時期にあることに気づいて愕然とする。
 NHKの人形劇で見た記憶のある上野瞭の『ひげよ、さらば』もなかなか衝撃的な作品だった。人形劇が放送されていた当時は、本は読んでいないと思う。読みかけたとしても通読はしていないはずである。大学時代に今江祥智を再読し始めたころに、『ひげよ、さらば』も発見して、これはかつての自分には読めなかったはずだと感じたのを覚えている。勧善懲悪に終わらない物語は子供たちに読ませるには、残酷に過ぎ、途中で読むのをやめる子もいたのではないだろうか。人形劇をみて、本も子どものころに通読できたという人がいたら、心の底から尊敬する。






 一時期離れた時期はあるが、児童文学というのは大人になってからも、我が読書の重要な一部であった。活字中毒者はジャンルは選ばないとは言え、自らすすんでそのジャンルの本を読む場合と、ジャンルに関係なく偶然その本を手にする場合があるのである。書店や図書館の人にとっては、子供向けの本を嬉々として読む変な大学生だったのだろうが。
 小学校時代に偶然手にした本の中で、その後の読書傾向に影響を与えたものとしては、もう一つ、正確な名称は覚えていないが、子供向けにリライトされた立川文庫のようなもので、真田十勇士だの、鎮西為朝などの英雄的人物たちの活躍が描かれた古い本がある。どこの出版社で出した本なのか不思議なのだが、一時期夢中になって読んだ。当時読んだ中に真田物が多かったからか、池波正太郎を読むようになったのかもしれない。これは、高校時代にNHKで放送された『真田太平記』の影響の方が大きいか。いや、『真田太平記』を見ようと思ったきっかけが小学生のころの読書だったのだ。

 それから、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロ、アルセーヌ・ルパンなどに、子供向けにリライトされたシリーズで出会ったのもこのころだった。外国発の児童文学、例えばケストナーなんかには、なぜか手を出していない『飛ぶ教室』にしても、『二人のロッテ』にしても、題名から、実際とはぜんぜん違う内容を想像して読むのを避けてしまったのだ。




 この辺りまでの我が読書というのは、お話、物語として読んでいたような気がする。その後、作り物の小説であることを意識して、児童文学以外の作品を読むようになるのが、もちろん時期的に重なる部分もあるけれども、我が読書の幼年期の終わりということになるのだろう。
2月27日11時30分。


 昨日に続いてちょっと実験。文章がぶつ切りになるような気もするが、考えてみればそんなのを気にしなければならないような大した文章ではないし、本屋さん気分で楽しいから本について書くときには、またやってみよう。2月28日追記。
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2016年01月27日

佐藤史生追想(一月廿四日)


 生まれて初めて、少女マンガと言うものを、少女マンガだと認識して読んだのは高校生のころのことである。高校二年生だったか、三年生だったか、隣の席に座っていた女の子がマンガを読みながらケタケタ笑っているのに対して、「高校生にもなって教室でマンガ読みながら笑うなよ」と言ってしまったのだ。虫の居所が悪かったのか、試験勉強で自習だった時間だったから邪魔になると思ったのか、自分もマンガを読む身でありながらそんなことを口走ったのだった。
「マンガとか言って馬鹿にしないでよ、これほんとに面白いんだから。読んだら絶対に笑うって。そうだ、特別に貸してやるから、うちで読んで来て。最後まで読んで一度も笑わなかったら謝るから」
 とか何とか言われて押し付けられたのが、後にシベリアンハスキーブームを巻き起こすことになる『動物のお医者さん』だった。単行本ではなく、雑誌と同じ版型紙質で連載をそのまままとめただけの総集編みたいなものだったと思う。マンガ自体は好きだったから、断りもせず受け取ったのだが、うちに帰って抱腹絶倒することになるとは思ってもみなかった。そして翌日返却するときには、こちらがごめんと頭を下げる羽目に陥ってしまった。
 少女マンガを読んだとはいえ、すぐさま自分で買うように、買えるようになったわけではなかった。大学に入ってから本屋で『動物のお医者さん』のコミックスを発見して欲しいと思ったときにも、自分では買えないので、研究会の女性の先輩にお願いをして買ってきてもらったのだ。

 佐藤史生の存在を教えてくれたのは、高校時代の先輩だった。同じ田舎から東京に出て、大学は違ったけれども、何かの機会に再会して本の貸し借りをするようになったのだ。この先輩には、面白い漫画を、漫画だけでなく小説もジャンルを問わず教えてもらった。その中で我が読書傾向を変えることになったのが、翻訳ファンタジーに目を向けるきっかけとなった『ベルガリアード物語』と、少女マンガ(もしくはそのレーベルから出ている作品)を読むことに対する抵抗を取り去ってくれた佐藤史生と萩尾望都の作品であった。
 最初に借りた『夢見る惑星』は、題名からして魅力的な、ジャンルで言えばファンタジーと言うことになろうか。超古代文明、人類恐竜共存説、人類地球外起源説などというSFファンにはたまらない要素が詰め込まれているだけでなく、王権と神権の対立、神学と科学の対立など歴史、社会学的な視点、それに大陸移動説まで取り込んで、壮大な物語が展開する。冒頭の行方不明になっていた王女の遺児である主人公のイリスが登場するところから、神殿のある谷が爆発を起こして大地震が起こりその上をイリスたちを載せた竜が飛び去るところまで、綿密に組み立てられた物語は一度読み始めたら最後まで読み通すしかない。同時に、ぎりぎりのところで破綻を免れているような危うさがあって、その危うさがもたらす緊迫感が、物語を魅力的にしている。
 次に読んだ作品は『ワン・ゼロ』で、こちらはいわゆるサイバーパンク物になるのだろうか。コンピューターとネットワークが重要な役割を果たすのだが、インターネット以前のパソコン通信の時代にこのような作品が生まれたことは特筆すべきであろう。コンピューターのような最新の電子機器に、インド神話、民俗学などの土俗的なものを組み合わせて展開する物語は結構難解で、件の先輩は雑誌連載中に読んだときにはよくわからないと思ったと言っていた。コンピューターで神を捜すなどという一見矛盾したプロジェクトが出てくるのは、冷戦終結前後のそれまでの世界が軋みを立てて揺らいでいた時代の反映なのかもしれない。『神と物理学』なんていう相容れないものを取り合わせた本も出ていたし。
 大学の文学の授業で日本神話が取り上げられることが多かったため、神話学に関する本は、大量に読んでいたが、日本神話関係だけでなく、フレーザーの『金枝篇』やエリアーデの著作などにまで手を伸ばしたのは『ワン・ゼロ』以下の作品の影響である。あれこれ迷走することになったが、おかげで国史国文の人間にしては幅広い知識を得ることができたのだから、文句は言うまい。
 いつどこで読んだものだったかは覚えていないがSF作家の高千穂遙が、日本のSFに圧倒的に欠けているのは、ファンタジーとサイバーパンクで、これらのジャンルはマンガによって補完されたのだというようなことを述べていた。ならば、この『夢見る惑星』『ワン・ゼロ』こそが、その極北だと言えるであろう。
 その他の短編で、繰り返し世界背景として描写される宇宙進出後の人類の姿にも震撼させられた。各惑星に殖民した人類は共時性を喪失して、惑星単位で独自の発展をたどった結果、それぞれにどこかいびつな社会が誕生する。そしてそれぞれの世界をつなぐのが、複合船と呼ばれる巨大な宇宙船なのだが、その宇宙船内部にもまた、ときにおぞましさすら感じさせる社会が誕生しているという世界観は、一般のスペースオペラのワープなどの特別な方法で、強引に共時性を確保した宇宙観よりも、はるかに生々しく感じられた。スペースオペラはスペースオペラで大好きではあるのだが、佐藤史生的な未来の宇宙像のほうが、人類学的にありえそうな気がして、同時にそのおぞましさに寒気がしたのである。
 惜しむらくは、作者が寡作であったため、全体像が明かされないままに終わってしまったことだ。断片的に書きつがれた短編から、どのようにして、その社会が形成されたのかを完全に読み取ることはできないが、想像しながら暗澹たる気分になることもあった。
 佐藤史生の単行本は、カバーがそれほど少女マンガ少女マンガしていなかったので、書店で購入するのにもほとんど抵抗がなく、買いあさっているうちに、他の少女マンガも何の抵抗もなく買えるようになっているのに気が付いて愕然としたことがある。いや、愕然とすべきは、この文章の終わらせ方がわからないことだ。いやはや、思い入れのある作家についての文章というのはうまく行かないものだ。
1月25日21時30分





 この作品にふれるのを忘れていたとは、われながら不覚である。死ぬほど探し回ってやっと見つけた記憶があるのだが、以前よりも過去の作品が手に入れやすくなっているのはいいことなのだろうが、日本にいないのが恨めしくなる。日本にいたら金欠になるのが関の山ではあるけど。1月26日追記。







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2016年01月17日

ソニーリーダーを讃えよ(一月十三日)


 2010年の秋に、ソニーのリーダーが発売されたとき、すぐにほしいと思った。同時期に発売されたシャープのガラパゴスには、まったく食指が動かなかった。私が欲しかったのは、電子書籍の読めるミニPCではなく、紙の本の代わりだったのだ。
 雑誌などの比較記事ではリーダーはモノクロで、通信機能も付いていないなどというまったく的外れな批判を見受けたが、おそらく本を読まない電子機器の専門家が書いたのだろう。真の活字中毒者であれば、カラーなど不要だし(マンガのカラーページがモノクロになったところで、ストーリーには変化はないし、表紙のカバー絵なんて本を選ぶときには重要でも読む際には不要だ)、本に通信機能なんか求めはしないのである。むしろ、音楽が聴ける機能が付いていたり、辞書が入っていたりするのに、無駄なことをという感想を持つはずである。大切なのは、快適に読めることで、それ以外の事は些末事にもならないのである。
 ソニーの製品を、カタログスペックだけで購入するのは危険なので、すぐには飛びつかず、ネット上で購入者の体験記をあれこれ拾い読みした。最大の懸念はファイル管理のための転送ソフトだったのだが、実はそんなものは不要で、USB接続で充電する際に、普通のUSBメモリーと同じように認識されるので、所定のフォルダにコピーしてやればいいということだった。それまでチェコ語版ウィンドウズを使っているせいで、日本語のソフトがまともに機能しないという体験を何度もしていただけに、これはありがたかった。
 また、いちように称賛されていたのが画面の見やすさ、文字の読みやすさだった。これはカタログでも強調されていたことではあるが、メーカーの宣伝文句ではなく、実際に使った人の実感として目に優しいというのは、仕事でもコンピューターを使うことが多く目に疲労を感じることの多い私には、非常に魅力的だった。
 それでも、購入には踏み切れず、どうしようか悩んでいたところに、半年ほど日本に滞在していた知人が、たまたま発売されたばかりだったリーダーを購入して帰ってきたことがわかり、お願いして見せてもらった。PDFのファイルを楽に読むために購入したらしく、日本の電子書籍はサンプルしか入っていなかったが、二、三ページ見るだけで十分だった。その電子機器とは思えない画面に、買わないという選択肢は消滅した。ただ、外国にいる悲しさ、実際に手に入れるまでにはまたしばらくの時間が必要で、無理を言える友人が日本に行く七月まで待たなければならなかったのだった。
 そして実際に手に入れたリーダーにXMDF形式の電子書籍を入れて読んだときの満足感は、もうPCで読むのはやめようと思わせるに十分だった。だから、その後の一年ほどの間に、ソニー製品はいつ生産中止になって新しいものが購入できなくなってもおかしくないので、日本に住んでいる友人にもお願いして、全部で四台確保したのである。一号機はすでに電源の調子がおかしくなっているので、湿気で寿命が短くなることは覚悟のうえで、風呂場で湯に浸かりながら読むのにも使っているし、メインで使っている二号機も、バッテリーの持ちが悪くなってきたので、そろそろ三号機を箱から出して投入しようかと考えているところである。一号機のもち具合を考えると、これで、少なくともあと十年ぐらいはリーダーを使い続けられるはずである。
 リーダーを購入して、本体に対する不満はない。USBで充電中は読めないのが最初は不満だったが、これは専用の充電アダプターを購入しなかったこっちのミスだし、二号機投入後は、一台が充電中は、もう一台で読めるようになったので不満の持ちようもない。
 許せなかったのは、広告には、一度充電すれば、二週間だったか、三週間だったか、とにかく長期間読み続けられると書いてあったのに、ひんぱんに充電しなければならないことだった。購入以来、一週間に一度も充電しなかった週なんて存在しない。これは本体の問題ではなくて、広告やカタログに載せる数値を出す際に、想定する読書量、読書時間が、話にならないぐらい少ないことによるのだ。ソニーには活字中毒者の心理がまったくわかっていないのである。
 実感値としては、一度の充電で読めるのは、テキスト主体のPDFで五千ページは読めるけど一万ページは読めないぐらいだっただろうか。現在は使いすぎたせいか五千ページにも届かないかもしれない。ならば、ここは、一日中読み続けても大丈夫とか、徹夜で読んでもまだ読めるとか、読書時間を細切れにして、長期間読めるというのではなく、連続で何時間読めるのかに焦点を当てたほうが、本当の読書狂いを引きつけることができただろうに、もったいない話である。
 もったいないといえば、ソニー独自で書籍の販売サイトを立ち上げて読者の囲い込みをはかったことも、無駄な努力だったのではなかろうか。以前、ある出版社がソニーに買収されて傘下に入ったときにも、話題になったことだが、ソニーは本の売り方がわかっていない。ソニーが囲い込むべきは、読者ではなく、電子書籍の販売サイトだったのである。リーダーを持つ人がみなソニーの本屋で購入するという状況ではなく、どの販売サイトで購入した電子書籍でもリーダーで読めるという状態を作り出すべきだったのだ。その上で、どうしても機器認証とか登録などのややこしい手続きが必要なのであれば、ソニーのサイトでユーザー登録する際に、同時に販売サイト用の機器登録もできるとか、手続きの簡略化ができるようなシステムを構築していれば、もう少しは戦えたと思うのだが。
 2014年にリーダーが北米市場から撤退したというニュースが流れ、以降日本市場でも新製品の投入がないことを考えると、ソニーはリーダーを諦めたのかもしれない。キンドル如きに、負けたと思うと、リーダーユーザーとしては、泣きたくなるくらい悲しい。やはり、ハードで勝負するべきソニーが、ソフトの販売で儲けようというのが間違っているのだと、ソニーというブランドにいまだに特別の輝きを感じてしまう世代の私としては思うのである。今後、電子書籍リーダーからソニーが完全に撤退するとしても、将来四号機が寿命を迎えるころに、コンセプトを見直した上で再参入してもらいたいという誠に自分本位な希望を込めて、改めて断言しておく。ソニーのリーダーは素晴らしいと。
1月14日21時45分
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2016年01月16日

電子書籍のたそがれ(一月十二日)



 ウェブの書斎、ビットウェイブックス、パピレス、まだ他にもいくつかあったはずだが、これが、私がこれまで使ってきた主な電子書籍の販売サイトである。残念ながら、サービスの再編や終了が相次いだ結果、現在でも使えるのはパピレスだけになってしまった。そのパピレスも最近元気がなく、電子書籍を購入することはほとんどなくなっている。
 確か2010年の秋に、電子書籍専用の端末であるソニーのリーダーとシャープのガラパゴスが発売され、何度目かの電子書籍の夜明けと呼ばれる時代がやってきた。しかし今になって考えてみると、この辺りから、日本国外で日本の電子書籍を購入する環境が悪化し始めたような気がする。
 そもそも、こちらに来たばかりの2000年前後には、大量の本を持ってきていたこともあって、本の購入はそれほど緊急の問題ではなかった。大半は既読の本だったけれども、繰り返し読むのも読書の楽しみであるのだ。ただ、次第にまだ読んだことのない本に対する欲求が高まり、あれこれ探してみたところ、発見したのがパブリや上記のサイトなどの電子書籍を販売しているいくつかのサイトだった。残念なことに、考えようによっては幸いなことに、日本でクレジットカードを作ってこなかったので、支払い方法がなく、最初の何ページかを立ち読みできる機能で満足するしかなかったのである。
 その後、いくつかのサイトでは、ウェブマネーというプリペイド方式のお金のようなものが使えることが判明し、知り合いが日本に一時帰国する際に、5000円分購入してきてもらった。これが、私が電子書籍の購入を決意した瞬間だった。正確に覚えてはいないが今から約十年前のことである。
 お金があるとは言っても、高々5000円分では、買える数はそれほど多くないし、ウェブマネーを定期的に追加する方法があったわけでもないので、慎重に買う本を選んでいた。こっちのサイトにはあるけど、こっちにはないとか、このサイトではウェブマネーではこの本は買えないとか、いろいろな制限があったせいで、複数の販売サイトを使うことになったが、ありがたいことにどこで購入したものでも、閲覧ソフトがあれば問題なく読むことができたのである。ただ、主要なファイル形式が二つあったために、ソフトも、ブンコビューアと、T-Timeの二つが必要ではあったが、現在のように販売サイトごとに専用ソフトが必要だというややこしい状況ではなかった。
 それから数年の間は、何とかウェブマネーを調達して、毎月一〜二冊の割合で、新しい電子書籍を購入し、楽しんでいたのだが、コンピューターを日本語ウィンドウズのものからチェコ語のものに変えたことで、この幸せな時代は終わる。閲覧ソフト自体は起動することはできても、文字化けを起こして読めなくなってしまったのである。後には、エミュレーターソフトの存在を教えられて、何とか読めるようにはなったけれども、活字も読みやすいものではなかったし、文字の並びもどこか不自然で、あえて読みたいと思えるものではなくなってしまった。

 そんな時期に発売されたのがソニーのリーダーだったのである。発売後半年ぐらいたったころに知り合いのチェコ人が日本で購入してきたものを見せてもらって、文字の読みやすさを確認した上で、迷わず購入に踏み切った。つまりは、仕事で日本に行った友人に買ってこさせたのである。電子書籍をPCのモニター上で読むのは、目が疲れて苦痛に感じられることもあったし、それまでに購入していたXMDF形式の電子書籍がそのままリーダーでも読めるというのもありがたかった。これでソファーに寝そべって目の疲れを考えずに読むことができる。
 その後、リーダーは.book形式にも対応するようになり、これは本当に電子書籍の時代が来たと思ったのだ。それなのに冒頭にも書いたとおり、サービスの再編やら何やらが起こり、多くの販売サイトではPCで読むならチェコ語のウィンドウズで動くかどうかも分からない専用ソフトが要求されるようになり、販売される形式も純粋なXMDFや.book形式ではなく、ソニーのリーダでは読めないものになってしまったのである。唯一の生き残りのパピレスでは、販売を停止する出版社や、すでに発売済みのものは残っていても新刊が追加されない出版社が増えてきて、電子書籍の購入欲も低下する一方なのである。
 もちろん、ソニーのリーダーストアなんてのがあるのは知っているが、使えないと評判だった公式の転送ソフトを使わなければならず、外国からはできなかったリーダーの本体の使用者登録や、リーダーストへの機器認証など、やってられるかといいたくなるぐらい手間がかかるようだったので、全く使う気にはなれなかったし、今でもその気はないのである。もっとも支払い方法の問題で買えないのではあるけれども。

 それにしても、国外にこれだけたくさんの日本人がいて、日本語を学習している外国人もいるのだから、外国向けの対応をしてもいいのではなかろうか。日本で自由に本を買えないこういう人たちこそ電子書籍を求めていると思うのだが、hontoとか、BookLiveあたりの大手取次ぎが関わっているところで対応してくれないだろうか。私の知る限り、海外からの購入を想定していて、海外発行のクレジットカードで購入できるところはパピレスだけである。品揃えの面からhontoあたりが、日本向けのサービスのかたわらで外国向けの販売をしてくれると本当にありがたいのだけれど。その際には、使える端末にソニーのリーダーを追加するのと、うまく行くかどうかもわからない機器認証を外国向けには廃止するのを忘れないでくれるとなおありがたい。
1月13日22時30分








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