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2016年02月25日
ヨーロッパの傲慢一 羊頭狗肉篇(二月廿二日)
ヨーロッパの人は、チベットが大好きである。私には理解のできない理由で理解できないレベルでチベットのことが大好きである。中国に併合されて独立を求める運動をしているという点では同じである新疆のウイグル人にはまったく冷淡であるのに、インドに併合されてしまったシッキムなんて知っている人もいないのに、チベットにだけは異常な共感を示すのである。
おそらく、ダライ・ラマという人物が鍵を握っているのだろうが、この人物がどうにも評価しづらい人物である。ラマ教、もしくはチベット仏教の僧衣を身に付けて、眼鏡をかけて腕時計をしている姿には、どうしようもない違和感を感じてしまう。実際のところがどうだったのかは知らないが、オウム真理教の麻原彰晃がダライ・ラマにすり寄っていたと言うか、麻原がダライ・ラマの名前を悪用したという話も納得できてしまう。だからダライ・ラマが悪というわけではないが、何ともいえない胡散臭さを感じてしまうのだ。
おそらく、ダライ・ラマという存在は、欧米の人たちのオリエンタリズムを刺激してしまうのだろう。ヨーロッパが期待するアジア人を、見事に演じているといってもいい。オリエンタリズムの裏返しとして、異質なはずのアジア人の口から、ヨーロッパ的な自由、民主主義を称揚する言葉が出てくることに喜びを感じるのかもしれない。
それで思い出してしまったのが、プレスター・ジョンの伝説である。キリスト教がイスラム教の攻勢に悩まされていた時代、かつて東方に向かったプレスター・ジョンがイスラム教徒の向こうに、つまりアジアにキリスト教を広めたおかげでキリスト教徒の国があるという伝説が流布していた。イスラム教の向こう側にモンゴル帝国が起こってイスラム教徒の国々と戦い勝ち始めたとき、ヨーロッパの人々はこれこそプレスター・ジョンの国だと考えて、熱心に使節を送りつけたりしたらしい。チベットが、ヨーロッパからイスラム世界を越えたところに位置することと、モンゴルではラマ教が信仰されていたことを考えると、奇妙な符合を感じてしまう。
ところで、ヨーロッパの人たちは転生ラマというものを本気で信じているのだろうか、それとも、だだの社会制度として理解しているだけなのだろうか。いずれにしても政教分離の原則からは外れそうである。そして、もう一つ気になるのは、チベットへの共感が、政治的には相容れないはずの中国と経済的な結びつきを強めていかざるを得ない状況の中で、口に出せない中国への反感の裏返しではないかということだ。ヨーロッパが見ているのは、実はチベットではなく中国なのではないだろうか。ダライ・ラマはしたたかな人物のようなので、そんなことは百も承知で、ダライ・ラマを演じているような気もする。
ただし、チェコ人にはチベットに共感する大きな理由が二つある。一つは、プラハの春以降の正常化の時代のチェコとソ連の関係を、チベットと中国の関係に見立てることができる点である。そして、もう一つが、近年チベットで増えているらしい、現体制に抗議するための手段としての焼身自殺である。ワルシャワ条約機構軍の侵攻に対して抗議の焼身自殺を遂げたヤン・パラフとヤン・ザイーツは、チェコでは民族の英雄となっているし現在でもしばしば社会に対する不満を訴えるために焼身自殺を図る人がいるのである。
記事のタイトルと内容に乖離が生じてしまって、しかもおさまりが全くついていないのは、酒が入ってしまったからということにしておこう。
2月23日23時30分。