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posted by fanblog
2016年02月28日
悩んで悩んで(二月廿五日)
さて、ブログを開設して以来の悩みが一つ解決してしまった。今後も悩み続けることは確実ではあるが、とりあえず第一歩を踏み出してしまった。いろいろと望外にうれしいことが重なり、酔っぱらって口を滑らせかけてしまったので、えいやで、これまでお世話になった方と、今回お世話になった方、そしてチェコ人で日本語が非常によくできる悪友に、ブログをやっていることを報告してしまったのだ。当初の予定では、一月続けられたら誰かに教えようと考えていたので、ほぼ二ヶ月続けられた現在、教えるのはまあ予定通りと言えなくもないが、当初想定していたのとは、まったく違う方々に教えることになったのは、「運命なりけり」なのかなあ。
この件に限らず、最近はインターネット関係で悩んでしまうことが多い。今年一番の悩みは、ブログをはじめることで、どのブログサービスを選ぶかだったのだが、これは自分でも意外なことにすんなり決定することができた。いや、違う。悩むのが面倒くさくなって、清水の舞台から飛び降りてしまっただけである。他は、お金が絡むだけに、うじうじといつまでも悩み続けてしまっている。
ジャパンナレッジ である。このサービスの基本的なプログラムであるJKパーソナルに申し込むと、『日本国語大辞典』がネット上で使えるようになる。英語系の辞書なんかは使う予定もないのでまったく不要だが、百科事典も、そして『日本古典文学全集』さえも使えるようになるのである。月々千六百円ほどで、これだけのものが使えるのは、非常に魅力的で、我が学生時代であれば、悩むこともなく、すぐに申し込むところである。
更に魅力的なのがJKパーソナル+Rで、月額で五百円ほど追加するだけで、『国史大辞典』『古事類苑』まで使えるようになってしまう。お金がなければ借りればいいかとか、親に出させようかなどと、一瞬不埒なことまで考えてしまった。
しかし、しかしである。冷静になって考えてみると、これに申し込んだとして、果たして使うのだろうかという疑念が湧き上がってくる。職場には紙の書籍で『日本国語大辞典』も『国史大辞典』も置かれているが、日々の仕事に追われて、滅多に使うことはない。でも、ネット上で使えるようになれば、大きな本を本棚から引っ張り出さなくてもいいし、検索も楽なので頻繁に使うようになるかもしれないなどと、不要だけれども欲しいものを買うときの言い訳探しを始めてしまう。
このジャパンナレッジのサイトは、お金を払わない無料の部分だけでも、十分に面白く、満足できてしまうのが悩ましい。「 知識の泉 」と題されたページでは、さまざまな魅力的なエッセイを読むことができる。中でも『日本国語大辞典』の編集者が書かれている「 日本語、どうでしょう? 」には、これまで何度も蒙を啓かれてきたのだ。それから「 方言チャート 」もなかなか楽しい。古い47都道府県バージョンでは、隣県にたどり着いてしまったが、新しい100地域バージョンでは、見事的中した。こういうコンテンツである程度満足してしまうので、ジャパンナレッジに申し込むのをためらってしまうのである。現在は個人用のサービスでは、まだ使えなさそうな『群書類従』が使えるようになったら、思い切って飛び込んでみることにしようか。
もう一つ悩んでいるのが、漫画のネット上の違法スキャンファイルの根絶と漫画の保全を目標として活動を始めた Jコミ である。最近名称が変わったようだが、サービス開始当初の、作品数も少なく、すべてPDFファイルで提供されていた時代からお世話になってきたので、今でもJコミと呼んでしまう。
もともとの方針では、すべての作品に関して無料でPDFをダウンロードできるようにしたいということだったはずだが、やはり漫画家の側からの抵抗が大きかったのだろう。紆余曲折を経てキンドル用のPDFをアマゾンで販売するという形になってしまった。現在ではJコミのサイトで直接PDFを購入するという形になっているかもしれない。そして、月額三百円の会費を払って有料会員になれば、毎月一冊ずつ欲しい漫画のPDFをダウンロードできるようになるらしいが、有料会員にならなくても、ブラウザ上で読む分には問題のない現在、あえて有料会員になる理由を見つけかねていというのが現状である。PDFがソニーのリーダーに最適化されたものであったら、有料会員になろうという気になってしまいそうだが。
作家にも、読者にもメリットのある形で、漫画をネット上で提供していくというJコミの理念には、心のそこから賛同するし、その活動には頭が下がる思いがするので、有料会員になって少しでも力になれればと思う気持ちはあるのだが、うじうじと悩んで決断を先送りにしてしまう。おそらくこれは、ならないまま終わってしまうパターンだな。
最後に、このブログに加えてもう一つサブブログを始めようかなと考えたことがある。もう廿年以上も前に、ワープロを使っていたころから作りためた『小右記』の訓読文があるので、それを少しずつ、簡単な解説もつけて公開してみようかと思いついたのだ。このブログ以上に需要はなさそうだが、かつての苦闘の証を死蔵するのももったいない気がするし、始めると解説を書くのに辞書を引く必要性が高まるので、ジャパンナレッジに申し込む理由が一つ増えるのである。一石二鳥と言えなくもない。でも、優柔不断な私はいつまでも悩み続けて、アイデアが存在したことすら忘れてしまうのだろう。
考えてみれば、これまでの我が人生、こんなことの繰り返しだった気がする。後悔、そんなものは存在しない。思いついたという事実すら忘れているのだから。忘れられるというのは力なのだ。
2月26日22時30分。