映画の題名(三月一日)



 このブログでは、チェコの映画や本を紹介するときに、チェコ語の題を示さずに私が適当に訳した題名を使っている。「トルハーク」のように訳しようがなくて、もしくは、訳したくなくてチェコ語をそのままカタカナで表記したものはあるけれども。

 これまでは、日本でも上映されて日本語の題がついているものについてはできるだけ避けてきた。納得できない使いたくない題名が多すぎるのだ。比較的マシな「コーリャ」も、ここまでは、本来はのばさずに「コリャ」というほうが原音に近いのがのばされているのは、日本語のただの「コ」よりは、長く聞こえなくもないので許そう。でも何で「愛のプラハ」が付かなければならないのだろうか。マーケティング上、「プラハ」を付けたかったということなのかも知れないが、アカデミー賞の外国映画部門で賞を取った作品でネームバリューは抜群だったはずだし、「コーリャ」という題名のほうがシンプルで絶対にいいと思うのだが。「コーリャ 愛のプラハ」なんて題名じゃこっぱずかしくて見にいけねえ、見られねえと思うのは私だけではなかろう。そもそも、金のために偽装結婚する男が主人公なのに「愛の」と言われてもなあ。チェコ人の愛はゆがんでいるというメッセージだというなら、それはそれで、ありかもしれないけど、題名を見ただけでは伝わるまい。
 さらに頭を抱えたのは、「プラハ!」という邦題である。これを見てチェコ語の「レベロベー」だとわかる人はいまい。1968年のプラハの春の時期を背景にしているとは言え、舞台は国境地帯の小さな町でプラハなんぞ出てきはしないのである。チェコ語で「反抗者たち」という意味の題名には、ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」のイメージが投影されているような気がするので、それを生かした題名でも悪くないと思うのだけど。やはりチェコと言えば、プラハだということでこんな邦題になってしまったのだろう。だから、日本人はチェコにはプラハしかないと思っていると憤慨するチェコ人が出てくるのだ。

 英語の題名をカタカナ化するのもやめて欲しい。そのままじゃなくていじってあるのも気持ちが悪い。「スウィート・スウィート・ビレッジ」という題名を見て、あの「ベスニチコ・マー・ストシェディスコバー」の内容は想像できないし、内容を知っていると皮肉にしか聞こえないのは、我が英語力のなさゆえだとしても、この題名では見る気になれないなあ。題名ではなく、文章か詩の一節であれば、「村よ、我が心の中心よ」 (注:この訳は間違いだった。地域の中心となる村を「ストシェディスコバー」と呼んでいたらしい) とでも訳したいところだけど、これで題名にしてしまうと、「明るい農村」みたいな内容を想像してしまいそうだからなあ。そうすると「故郷」ぐらいの簡単な題名でいいのかもしれない。
 「トマボモドリー・スビェト」が、「ダーク・ブルー」になるのも何だかかなあ。今まで挙げたのよりはましだけれども、「スビェト(=世界)」を落とす意味があったんだろうか。「青黒き世界」とか、「群青色の世界」「ダーク・ブルーの世界」とかじゃ駄目だったのかな。もしかしたら、「この素晴らしき世界」と「世界」が重なるのが嫌われたのかもしれない。
 「この素晴らしき世界」の「私たちは助け合わなければならない」というチェコ語の原題が、日本語訳にすると題名にはならないのは重々承知の上で、これじゃ駄目だろうと思う。それにこっちの方が、「コーリャ」よりずっと「愛のプラハ」が似合うような気がする。内容とチェコ語題を鑑みて、ぱっと思いつくのが、「情けは人のためならず」ということわざなのだが、これでは見る気になれないし。

 一体に、チェコの映画や本の題名は、そのまま訳すと日本語では題名にしづらいものが多い。昔読んだ本では「消防士達の舞踏会」と訳されていたミロシュ・フォルマンの「ホジー・マー・パネンコ」は、ウィキペディアには、「火事だよ!カワイ子ちゃん」と書かれていて泣きたくなったが、原題の意味には近づいているのである。文になっている題名も多く、日本語訳そのままでは使えそうにないものが多いのだ。天才子役と言われたトマーシュ・ホリーの「どうやって鯨の奥歯を抜くか」「どうやって父ちゃんを特別教室に放り込むか」、ツィムルマン関係者が出ている「マレチェクくん、ペンを貸してくれたまえ」「ヤーヒム、そんなの機械に放り込んじまえ!」などなど、こんな日本語の題名では客を呼べそうもない。
 こうして考えてみると、映画の邦題をつけるのは大変な仕事なのだと思わされる。こんなところで適当に書き飛ばすのとは違って、いろんなところに責任があるだろうから。それでも、もう少し何とかしてほしいというのが、チェコ語での題名の意味も知っていて内容も知っている人間の正直な感想なのだ。

 最後に、自分で題名をつけてみて結構いけるんじゃないかと思ったものを一つ。モラビアの国民的な映画だと言われている映画がある。怪優ボレク・ポリーフカが、まったく演じずに素で登場したものだとも言われているけれども、共産党政権崩直後のモラビアの田舎を舞台に国を出て財産を築いた親戚の遺産相続をめぐるごたごたを描いた映画である。チェコ語では「デディツトビー——アネプ・クルバホシグーテンターク」というのだが、「遺産相続——あるいは、グーテンタークって言ってんだろが、馬鹿やろうども」としてみた。いかがだろうか。続編は「遺産相続——あるいは、そんなこと言っちゃいけねえよ」としておこう。

3月2日15時30分。



 意外とチェコ映画のDVDは手に入らないのね。それなのに、こんなのが買えるとは! これも題名=文の作品で、「俺、アインシュタイン殺しちまったんだよ、みんな」とでも訳せるもので、「アインシュタイン暗殺指令」は納得できる邦題である。3月3日追記。



タグ: 修正 映画 翻訳
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2016年03月04日

「僕」と「私」(昔書いたもの)


 言うまでもないことだが、日本語には自分で自分のことを指す時に使う言葉が山ほどある。その中で、男性が使うものとして、現在でも全国的に使われているものは、「俺」「僕」「私(わたし)」「私(わたくし)」の四つぐらいだろうか。いや、正確に言えば、私自身が使ってきたものがこの四つなのである。
 子供の頃は、乱暴だとか、下品だとか、よくわからない理由で、「俺」を使うのは、親に禁止されており、「私」は女の子っぽいという印象もあって、「僕」ばかりを使っていたような記憶がある。それが、中学生になるぐらいから、小説や漫画などの影響で「俺」も親に隠れて使うようになり、高校生ぐらいから、公の丁寧に話さなければならない場では「わたし」「わたくし」を使うことを覚えて、現在に到るわけである。

 普段は、現在日本語で話すのは仕事上必要な時だけなので、大抵は「私」しか使わないのだが、たまに友人や同僚と飲みに出かけた時などには、状況に応じて「僕」「俺」も使い分けている。特に乱暴な口調で話す時に「俺」を使うのである。


 一人は毎年春にオロモウツに来てくださる方で、東京出身で年齢は70歳ぐらいの方である。その方が「僕」なんて気取った言葉は使えないと仰るのである。東京でも下町のほうのご出身で、「僕」を使うのは、山手の方のいいとこの坊ちゃんたちで気取っているというイメージがあるらしい。考えてみれば、この「いいとこの坊ちゃんが使う言葉」というイメージが、田舎に伝わって、上品な言葉で子供に使わせるにふさわしいということになったのかもしれない。田舎の教育委員会とかPTAとかで学校での方言使用禁止の一環として、「僕」使用推奨運動とかいうのもあったんじゃないかという気がしてきた。
 そして、もう一人が、最近、発掘したエッセー集を読んだ小谷野敦氏である。氏の本は日本にいた頃から読んでみたいとは思いつつ題名に萎縮して読む決心がつかなかったのだが、たまたまダンボールを開けてみたら出てきた『軟弱者の言い分』(これぐらいら萎縮せずにすむ)を読んで、そのことを後悔してしまった。読書欲が昂進する仕事の忙しい時期とは言え、久しぶりに(でもないか)時間を忘れて読みふけってしまった。
 しかし、この本、十年以上前の本なのである。高校生ぐらいの頃は、十年以上前の本などというと古すぎるような気がしてあまり読む気にならなかったものだが、十年前と言われても最近のような気がするのは、年をとってしまった証拠だろうか。いや、当時は初出とか、文庫化とか認識していなかったので、十年以上前に書かれた本を新しいと思って嬉々として読んでいたんじゃないかという気もする。

 閑話休題。
 小谷野敦氏の「僕」嫌いは、面白い。面白いのだが、今一つピンと来ない。この文章で、氏は、「僕」と「私」を比べて、「私」を選ぶ理由を語っているのだが、その一つは「僕」は子供の言葉で「私」は大人の言葉であるというものである。個人的には、「僕」と「私」の境界線は、大体私的領域と公的領域の境界線に重なると考えているのだが、公と私の判別がつかないのが子供だと考えれば、「僕」は子供の使う言葉と言ってもいいのかもしれない。では、「俺」はどうなんだというのが知りたくなるのだが、氏のエッセイには、あろうことか「俺」が出てこないのである。それがどうもピンと来ない理由なのではないかと思う。尤も氏が「私」を選ん理由の一つが男女平等主義だということだから、僕以上に男の言葉としてのイメージの強い「俺」は使わないのであろうが、氏の抱いている「俺」についての感情も読んでみたいものである。
 むしろ、氏が引用している上野千鶴子氏の「僕」に対する感覚のほうがわかるような気がした。「僕を使う男は軟弱な感じがする」とは、確かにどうでもいいことではあるけど、当たっているような気がする。一時期芥川賞作品ぐらいは読まなきゃと思って片っ端から読んでいたことがあるのだが、三田誠広あたりの「僕」が語り手の小説を読んで、俺よりも僕を頻繁に使っていた当時の自分は確かに軟弱者で、今風に言えばへたれだったなあと思う。人間としての本質があのころから変わったわけでもないし、人間的に成長したなんてこともないのだが、外国語嫌いを克服し、曲がりなりにも外国で暮らせているのだから、多少はたくましくなったと思いたいところではある。

 ところで、昔のことを思い出してみると、小説や漫画の登場人物の影響で使ってみたけど、似合わないのですぐにやめてしまったものもいくつかある。中学生の時だっただろうか、SF系の小説で出てきた「俺」と「僕」の中間ぐらいの印象のある「おいら」を使ってみたところ、友人に大笑いされ、自分でも似合わないことを自覚したのですぐにやめることになったし、大学時代に知り合いが使っていた「おれっち」や、漫画や小説で使われていた「あちき」とか「あっし」なんかは、実際に人前で使ってみる前に、誰もいないところで口に出してみた瞬間に、後悔してしまったのだった。使ってみたいと思うのと、実際に使えるのとは別物なのである。その一方で、「わし」とか「わい」のような言葉にはまったく食指が動かなかった。これは関西っぽい感じが合わなかったのだと思う。

 今は使えないが、いずれは使ってみたいというものもある。以前の職場の上司が使っていた「小生」、これは今の自分ではまだ似合わないような気がして使えない。もう少し年を取って貫禄がついてから(無理かなあ)、「小生はですねえ」などと言ってみたいものである。それから、「それがし」も、いつか、ふさわしい機会を得て使ってみたい。そのふさわしい機会が思い浮かばないのが、困りものなのであるが。ただ、同じく古めかしい感じのする「拙者」は、本来謙称でありながら、どこか尊大な感じがするせいか使いたいという気にはならない。
 また、これは話し言葉ではなく書くときに使う言葉だろうが、平安時代の古記録にしばしば使われる「下官」も使いたいものである。戦前の軍人あたりなら「小官」とでも言いそうなところだが、平安時代至上主義者としてはやはり「下官」なのである。



 ハードディスクの中のファイルを確認していたら、出てきた。一応けりがついているようなので、一部修正して投稿。どうでもいいちゃあどうでもいい話だけど、このブログの記事なんてそんなのばっかだしね。
 小谷野敦氏の本は、記事内で取り上げたものは出てこなかったので、一番読みたいと思ったこれ。馬琴には興味はあるんだけどなかなか手が出せないんだよなあ。江戸期の日本語ってわかりにくいし。3月3日追記。



タグ: 日本語 一人称
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