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2016年03月16日
大統領選挙 その一(三月十三日)
当時、勉強の一環として、大統領選挙に関する新聞記事を読むことにした。チェコの一般紙として一番有力な二つの新聞「ムラダー・フロンタ(=青年戦線? 別名ドネス=今日)」と、「リドベー・ノビニ(=人民新聞)」で、まず実際に選挙が行われる前の、選挙制度の説明の記事から読んだのだが、見事に理解できなかった。自分のチェコ語のせいかと思って、当時習っていた先生のところに記事を持ち込んで、授業中に意味がわからないんだけどと言って、先生に渡したら、ひとしきり眼を通した後、俺もよくわからんと言われた。その後、記事から先生が理解したことを説明してくれたけれども、実際の選挙のやり方とはちょっと違っていた。
何が問題だったのかというと、大統領選挙の説明で、一回目の選挙、二回目の選挙という言い方と、一回目の投票、二回目の投票、という言い方が混在していたことだった。もしかすると一回戦、二回戦と訳せる言葉もあったかもしれない。とにかく、この二つ、場合によっては三つの表現が同じ物を指すと思ってしまったのだ。だから一回目の投票(一回戦)で各議院で一番多くの票を集めた候補者が二回目の投票(二回戦)に進むとあって、同時にゼマン氏は一回目の選挙には立候補しないが、二回目の選挙に立候補すると書いてあったのを読んで、途中で候補者を入れ替えていいのかと不思議に思ってしまった。
2003年の大統領選挙では、ODS(市民民主党)はもちろん元首相で党の創設者でもあるバーツラフ・クラウス氏を擁立したが、もう一つの大政党である?SSD(社会民主党)は、党内で派閥抗争が激化していて元首相のゼマン氏を擁立するグループとそれに反対するグループに分かれて争っていた。ゼマン氏が一回目の選挙には出ないといったため、反ゼマングループの中から候補者が出て、もちろん共産党と、キリスト教民主同盟を含む四党連合からも候補者がでて、第一回目の投票には四人の候補者が立候補した。二回目の選挙に進んだのは、下院で票を集めたODSのクラウス氏と、上院で票を集めた四党連合の上院議長ピットハルト氏だった。当時政権与党であった?SSDは党内をまとめることができずに、惨敗を喫したのである。この一回目の選挙では、二回目の投票でも、三回目の投票でも、クラウス氏のほうが多くの票を集めたが、当選の条件を満たすほどではなかったので、後日二回目の選挙が行われることになった。
二回目の選挙には満を持してミロシュ・ゼマン氏が登場してきた。おそらく一回目で惨敗した?SSD内部の反ゼマン派に、自らの力を見せ付けようという目論見だったのだろう。しかし、ゼマン氏は、クラウス対ゼマンの一騎打ちにしたくなかったという理由で四党連合から立候補した女性に負けてしまう。四党連合は上院に多くの議員を抱えていたので、こちらで四党連合の候補者が勝ち残るのは予想されなかったことではない、しかし、ゼマン氏が上院、下院で獲得した票数は、予想をはるかに下回ったのである。この結果の裏側には、?SSDの反ゼマンの中心人物だった当時の首相シュピドラ氏と、後に首相になるグロス氏の存在があるとも言われている。この?SSD内部の分裂をどうにかしようとしていたころのシュピドラ首相の青ざめて同時に鬼気迫るような病的な表情は見ていてかわいそうになるほどだった。このときも、クラウス氏が最多の票を集めたが、選出には到らず、最後の第三回目の選挙が行われることになる。
三回目の選挙は既にハベル大統領の任期が切れて、大統領不在の状態で行われた。この大統領不在の状態が続いたまま、国会議員の任期が切れたらどういうことになるんだろうと楽しみにしていたのだが、クラウス氏と?SSDが擁立したヤン・ソコル氏の選挙では、両院の議員総数の過半数を獲得したクラウス氏が三回目の投票で大統領に選出された。
結局当時の大統領選挙の制度は次のようなものだった。第一回目の投票では、上院、下院別々に集計し、それぞれの議院で最多数の票を獲得した候補者が第二回目に進む。上院、下院で最多数を獲得した候補者が同じ場合には、二回目に進むのは一人だけとなり、最多の票を獲得した候補者が、上院、下院でそれぞれ過半数を獲得した場合には、その時点で大統領に選出される。
二回目の投票では、上院、下院それぞれに集計し、両方の議院で過半数の票を獲得した候補者が大統領に選出されれる。二回目に進出した候補者が一名の場合には、承認するか否かで投票を行う。そして三回目の投票では、両院の票をあわせて集計して、過半数の票を獲得した候補者が大統領に選出される。
三回目の投票は、単純に両院の議員数を合計した数の過半数でいいので、候補者が二人の場合には、勝ったほうが過半数だろうと考えたのだが、残念ながら棄権するという権利もあるため、選挙が一回で終わらなかったのである。2003年だけではなく、クラウス氏と、?SSDが擁立したシュベイナル氏の一騎打ちとなった2008年の大統領選挙でも、一回の選挙では決着がつかず、二回目の選挙が行われた。
この延々と続く国会での大統領選挙に嫌気が差していたのか、2013年の選挙からは、国民が直接投票する直接選挙へと制度が変更された。こちらは二回目の投票に進むのは、一回目の上位二名だけで、二回目では得票の多い方が大統領に選出されるという形になったので、大分すっきりした。さすがに直接選挙で有権者数の過半数を条件にすることはできなかったようである。これやると、絶対、いつまでたっても選出されないし。
2013年の選挙では、政界を引退していたゼマン氏が復活して、当時の外務大臣シュバルツェンベルク氏と共に二回目の投票に進み、二回目の投票で選出されることになる。このときの選挙の経緯については、また稿を改めることにする。
3月14日23時30分。