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2017年05月30日
ターボルTábor(五月廿七日)
地名としてのターボルは、プラハからチェスケー・ブデヨビツェに向かう鉄道や幹線道路が南ボヘミア地方に入ってすぐのところに現れる。ブルタバ川沿いでもあると思い込んでいたのだが、ターボルの近くを流れているのは、支流のルジュニツェ側だった。ブルタバ川は、この辺りで西にふくらんで北流し、幹線道路は東にふくらんでいる。川沿いに山の中を抜ける昔の隊商路をもとに鉄道が敷設されたというわけではなかったようだ。
イギリスのウィクリフの影響を受けて、聖職の売買や免罪符の販売を強く批判したチェコの宗教改革者ヤン・フスが、コンスタンツ(チェコ語だとコストニツェ)の宗教会議で騙し討ちのように火刑に処されたのは、1415年7月6日のことだった。遺骸はフスの支持者たちに取り戻されることがないように、コンスタンツの町を流れるライン川にまかれたと言われている。
フスの死後に、フスの支持者たちが立ち上がって、教会と皇帝に対する反乱を起こした際に、軍事拠点の一つとなったのが、現在のターボルである。南ボヘミアの小高い丘の上に、最初は一時的に設けられた軍事拠点がターボルと名付けられたことから、行軍中の軍隊の陣営をターボルというようになり、やがてキャンプの意味でも使われるようになったということのようだ。
では、ターボルという名前が選ばれた理由はというと、それは『聖書』に出てくる「タボル山」である。異端派と認定され十字軍の派遣を受けたとはいえ、フス派もやはりキリスト教だったのだ。最近使っていないジャパンナレッジから一部引用すると、
イスラエルのナザレの南東約10kmの平原にある山。標高588m。旧約聖書によると,前1200年ころ女士師デボラDeborahに率いられたイスラエル諸部族がこの山に陣をしいてカナン軍の戦車隊と戦い勝利を博したとされる(《士師記》4,5)。
"タボル[山]", 世界大百科事典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2017-05-27)
ということで、勝利を収めた縁起のいい山ということからの命名だったのだろうか。隻眼の英雄ヤン・ジシカに率いられたフス派の軍隊は、新兵器の開発などもあって、ボヘミアに押し寄せたカトリックの軍隊を打ち破るのである。
ターボルは、フス派の中でも急進的な強硬派の拠点となったのだが、穏健派との対立でフス派内部での闘争も激しかったようである。その辺の事情は、『プラハの異端者たち』に詳しい。この本を読んだときの感想の一つが、ターボル派が突然消えてしまうというものだった。穏健派の中でも、強硬派の中でも内部分裂が起こって日本語で読んでもわけがわからなくなるのが、フス派の抗争の歴史なのである。
共産主義の時代には、フス派の戦いは、貧しい農民階級や市民階級が貴族に抵抗するために立ち上がった正義の戦いだった的なプロパガンダが主流だったようだが、現在ではフス派の負の側面についても語られるようになっている。それは、戦争で荒廃したボヘミアから他の領邦へ略奪のための遠征が行われていたという事実である。宗教的には、異端派として認定されて弱者の立場にあったフス派が、軍事的には強者の立場にあったというねじれが生んだ現象で、フス派の戦いがすべて信仰のためのものではなかったのである。
さて、ターボルの街であるけれども、出かけたのは始めてチェコにやってきたかれこれ20年以上も前のこと、正直あまり記憶がない。あの時は、プラハに入ってまずプルゼニュ、ヘプなんかの西ボヘミアを回ってプラハに戻り、南ホヘミアのチェスケー・ブデヨビツェに向かう途中で電車を降りてターボルに滞在したのだった。
せっかくなのでと、二、三日いたのだけど、何をしていたのだろう。旧市街自体はそれほど大きくないし、現在ほど見るべきものも多くなかったはずである。旧市街の地下にフス派の人々が掘ったという地下道も、まだ一般公開されていなかったし。クラシックの小さなコンサートを聴きに行ったかな。
観光案内所みたいなところで宿を紹介してもらおうとしたら、英語も全くできないお姉ちゃんが出てきて、こっちは片言の英語、向こうは多分片言のドイツ語で会話をしたのがターボルだったか。言葉よりも、身振り手振りのほうが役に立っていたような気もする。それでホテルではなくて、一般の人が小銭稼ぎに、自宅を改装して旅行者に提供していたペンションもどきを紹介されたのだった。
意外に居心地のいい宿で、値段もホテルよりもずっと安かったこともあって、以後、あちこちの街でこの手の宿を探すことになる。これが上にも書いたが今から廿年以上も前のことで、あのときはビザを延長して三ヶ月ほどチェコ国内をふらふらしたのだった。
5月27日23時。
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フス派の思想面についてはこちらにあるはず。
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