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2017年07月14日
お酒の話5(七月十一日)
当時は、ビール以外のお酒といえば蒸留酒、つまりはウイスキーと焼酎だったので、ただしどこぞの酒造会社が流行らせようとしていたスピリッツなんてのは飲む気になれなかったけど、ワインにすら手を出していなかったのだ。だからリキュールなんて気取った呼ばれかたをするお酒を探してまで飲もうという気にはなれなかった。
その後、仕事の関係で、フランスの詩人、ランボーやらボードレールやら存在を知り、彼らが夜な夜な痛飲しての悪夢の果てに思想を得ていたのが、このお酒であることを知る。フランス文学を専門とする知人に、フランス語での発音は、むしろ「アプサン」に近いことを教えられ、ボードレールなど、アブサンを常飲していた詩人も含む芸術家の多くは酒毒に犯されて早世したことも知る。これを命を削って作品を制作したと解釈するべきなのかどうか悩むところである。
その知人の話によると、アブサンには精神に毒になる成分が含まれていて、大量に摂取すると精神を病んでしまうことがわかったらしい。それで、フランスでは生産も販売も禁止されたというのだった。かくて、どんなお酒なのかは知らないまま、飲まなくてもいい酒にカテゴリーされることになった。
アブサンの原料がニガヨモギであることは知っていたが、それがどんな植物でどんな方法でお酒になるのか想像もできなかった。ニガヨモギ自体は、チェルノブイリの原子力発電所が爆発したときにも、オカルト系の論者の口から名前が出てきていたのを覚えている。ただ、ニガヨモギとという名称の響き、与える印象に寄りかかっていて、言葉を口にしている人も実物は知らないんじゃないかという印象を抱いた。
ニガヨモギがどんな植物かなんて、今ならネットで検索すれば一発なのだが、って、検索してみたら英語名は「ワームウッド」だって。そういえば高千穂遙の作品『ワームウッドの幻獣』に、ワームウッドはニガヨモギとか書いてあったっけねえ。どちらの言葉で書かれても、具体的なイメージがわかずに、ヨモギに似た植物なんだろうと考えておしまいにしてしまう点では大差はない。
そんな、存在だけは知っていた、ある意味なぞのお酒に出会ったのは、チェコに来てチェコ語の勉強を始めてからのことだった。いや、最初はそれがアブサンだとは気づかなかったのだよ。何せチェコ語では、フランス語のつづりをチェコ風に発音して「アプシント」と言ってしまうから。いや、つづりもすでにチェ語化しているといってもいいかもしれない。
知り合いにアプシントを飲みにいかないかと言われて、どんなお酒と聞いたら、強烈なお酒で嫌なことを忘れるために酔っ払うときに飲むお酒だという答えが返ってきた。自棄酒用のお酒ということなのだろうけど、つたない外国語で愚痴こぼしまくりになるのは目に見えている自棄酒には付き合いたくなかったので、そのときは断ったのだった。
実際に目にしたのは、その知り合いがビンごと学校に持ち込んできたときのことだ。特徴的な青と言うか、緑と言うか、ただの色として見るならきれいな色だと言えそうだったのだけど、飲み物、お酒の色として考えると、鉱物でも入っていそうな印象を受ける色だった。緑青って言葉にぴったりの色じゃない? この毒々しさがいいというのは知人の言である。
瓶に書かれた酒の名前を見て、もしかしたらアブサンじゃないのかと思いついて聞いてみたら、フランス語の発音はわからないけど、元はフランスのお酒だから、多分そうだという答えが返ってきた。製造も販売も禁止されているんじゃなかったのか。そう言うと、フランスは禁止されているかもしれないけど、チェコにはそんな禁止は存在しないと言う。
毒性があると聞いたというと、悪酔いするからその可能性は高いと言う。何でそんなもん飲むんだと聞くと、嫌なことを忘れるためにはぼろぼろになるまで酔わなければならないと言う。そんな強烈な酔いをもたらしてくれるのはアプシントだけだ。だからそれがたとえ毒であっても俺は飲むのをやめないとか、EUが禁止するならEUなんか入らなくてもいいなんてことを言っていただろうか。
2000年代の初めのチェコがEUに加盟するかしないかのころのEUは、すでに中央集権化が始まりつつはあったけれども、現在のように、加盟各国の事情を無視してEUが正しいと判断したことを押し付けてくる独善性には染まっていなかった。その緩やかなEUの象徴がチェコでアプシントが生産販売されていることなのだと理解していたのだけど、いつの間にかフランスでも生産と販売が解禁されていたようだ。毒性はなかったのか?
とまれ、悪酔いするために飲む酒という知人の言葉に、ビールですら量を過ごせば悪酔いできる酒に弱い左利きとしては、そんなお酒は飲む気にはなれず、知人の再びの誘いも丁重にお断りさせてもらったのだった。酒は楽しく飲むべかりけりなのである。
7月12日22時。
タグ: アプサン