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2017年12月30日
永観三年二月の実資〈下〉(十二月廿七日)
十九日は、前夜より引き続き雨が降り続いている。実資はまたまた物忌で、重い物忌なのか閉門して二日間の仮文を提出している。伝聞で昌子内親王の創建した観音院の仏事が、雨のために中止になったことが記される。御堂会というのは、創設記念のイベントでいいのかな。
廿日は午後になってまた雨が降り始め、物忌が続いているため上皇からの呼び出しも断っている。上皇が女御だった藤原兼家の娘の詮子を訪問して、兼家の東三条第に出向いたことを伝え聞いている。詮子の里第となっていたのはそのうちの南院と呼ばれる部分だったようである。
公卿たちへ褒美である禄とは別に、五位、六位の者たちに引出物として馬四匹が与えらている。この引出物の意味が分からんと実資は不満である。引出物の馬に騎乗したうちの一人が、兼家の子道長で、久しぶりの『小右記』登場である。
廿二日は小雪の中を、院から退出して、頼忠のもとを経て内裏に向かう。この日の朝、内裏では勅計が行われたという。これは、降雪や雷鳴などの異変に際して、六衛府や帯刀などの武官系の役所に勅使を派遣して出仕しているものを調べて名簿を天皇に奏上したものである。まじめに仕事に出ているかどうかの確認であろうか。でもたかが小雪でやるかあ。
十九日に中止になった皇太后昌子内親王の創設した観音院の供養が行われている。皇太后は未明に車に乗って出発している。この観音院の創建に合わせて出家することを許された僧がいて、恐らく観音院の僧になるのだろう。当時は仏僧になるにも、国の許可が必要だったのである。
実資自身は、皇太后から参入するように求められていたが、内裏に講ずる必要があったために、参入していない。蔵人頭として天皇を優先したということかな。一日中雪が降り続いたとあるので、観音院まで出かけるのは大変だっただろう。
廿三日は、雪が積もっていてその高さが二寸、6センチほどか。前日候宿した内裏を出て、また内裏に戻っている。除目の間違いをただす直物が行われている。上皇のところに出向いたのは、上皇の申請した任官に辞退者が出て代わりのものを申請する必要があったからか。実資がそれを取り次いで天皇に奏上したわけである。
深夜になって皇太后の昌子内親王のもとに出向いて、昨日の観音院のお堂会に出なかったことについて、怒られお詫びを申し上げている。直接ではなくて女房に取り次いでもらったのかな。実資の聞くところによると、僧正の寛朝が昨日の儀式に、華美な唐車に乗って、華美な服装をした童法師を引き連れて登場したという。天下の人が驚奇したというのは、大げさにしても、実資にとってはとんでもないことなのだろう。
廿四日は、参内しているが、花山天皇自身の弓射や管弦をともなう遊びが行われている。「御遊」に「雑々の」と付けているあたりに実資の不満を見るのは間違いか。
廿五日は内裏を退出して、頼忠のもとに向かう。御読経の始まりの日なのである。それが終わって上皇の許に向かうが、特筆するようなことは起こっていない。
廿六日も前日に続いて雨が降り、内裏に参上しただけである。
廿七日は、中宮、上皇の許に出向いた後、参内して候宿している。地方からの重要な文書を天皇に太政官が奏上する官奏が行われている。式部卿から、明日諸国の国司の史生を任命する儀式である一分召を行うという奏上がなされ、天皇の許可が下りている。この儀式は式部省で行われるものである。
また藤原師輔の子である権僧正尋禅(右大臣兼家の弟にあたる)を天台座主にするという意向を左大臣に伝えて宣命を作らせている。天台座主任命の勅使は、通例では少納言なのだが、みんな都合が悪いと言って参入しないので右少将の源惟賢が勅使を務めている。ただし乗っていく馬がないというので、馬寮の馬をもらっている。
実資は今日から四日間物忌だが、あちこち外出しているということは軽い物忌のようである。
廿八日は、早朝内裏を出て、廿五日に始まった頼忠第での御読経の結願に出席。その後、内裏に参入して一分召に間する手続きを行っている。天皇の仰せで、明日侍臣たちを二つに分けて弓を射る競争をすることになっている。臨時というか、突然の行事である。
廿九日は、前日の仰せの通り射場殿で、競射である。それぞれ七人ずつのグループに分かれている。三位中将が参加しているが、これは天皇に近い義懐かな。突然決まった儀式なので、実資の書きぶりも「臨時にて卒尓の事」などと不満気である。天皇の寵姫である藤原?子が、競射の褒美を提供しているというのも、何かなあ。仮に?子に皇子が生まれていた場合、父親の為光が外戚として摂関になっていた可能性があると考えるとね。この時点で大納言だから摂関になるための条件である大臣までは後一歩なのだ。それにしても、花山天皇と関白為光ってのは、最悪の組み合わせじゃないかい。
2017年12月27日23時30分。