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2019年04月13日
オロモウツ観光案内順路2(四月十一日)
とまれかくまれ、本日のスタートはドルニー広場である。テレジア門の方からドルニー広場に近づくと、広場の真ん中にそびえる聖母マリアの碑が目に入ってくる。その碑の説明に入る前に、広場に出たところの左側の角にある建物に注目しよう。レリーフつけられているので、見落とすことも間違えることもないと思うが、幼少のころに父親に連れられてオロモウツにやってきたモーツァルトが最初に滞在した建物である。もっともモーツァルト父が身分の低い人が住むといわれたドルニー広場を嫌って、教会関係者が住んでいたバーツラフ広場に転居したため実際にこの建物にいたのは、ほんの数日だったと言う話だけどね。
もし、チェコ語を勉強している人を案内している場合には、この建物に入っているレストランのハナーツカーについての解説を忘れてはいけない。内装の一部として壁にチェコ語の文章があしらわれているのだが、ハナー方言で書かれているため、外国人のチェコ語学習者には理解できないものが多いのである。どのぐらいわかるか挑戦してみる? と挑発してもいいかな。
ビール好きであれば、ハナーツカーとハナー地方を表す形容詞を店名にしていながら、ハナー地方のビールが飲めないことを話題にしよう。たしか、今ここで飲めるのは、遠く西ボヘミア産のピルスナー・ウルクエル傘下のブランドだったはずである。ラデガストはこっちのほうで生産されているとはいえ、モラビアシレジア地方のノショビツェというヒュンダイの工場がある町の生産だからなあ。オロモウツの地ビールのホモウトが置いてあれば完璧だけど、ハナー地方だからリトベルでもプシェロフのズブルでもいいと思うんだけどね。
さて、聖母マリアの碑に戻ろう。一番上には赤子のイエスを片腕に抱いた聖母マリアの像が置かれている。マリア様がイエスのほうを見ていない理由については、視線の先に売春宿が来ることになるからという理由を師匠から聞いた。ただ、それで納得しては面白くない。幼子イエスもマリア様のほうを見ておらず、反対側を向いているのである。ということは、イエスの視線の先に売春宿があってもかまわないという認識を当時の人は持っていたことになるのだろうか。
それからイエスの視線だけでなく、マリア様がイエスのほうを向いた場合の視線をたどると突き当たる建物が、前面から馬の前半分が突き出しているような装飾のついた建物である。この建物で仕事をしていた娘が、魔法使いから手に入れた惚れ薬を間違えて馬に飲ませてしまって、馬に追い回された娘が窓から飛び降りて逃げたのを、馬が追いかけて飛び降りようとした結果、こんな装飾が出来上がったと言う伝説が残っている。
この二つをあわせて考えると、娘が仕事をしていたのは売春宿で、売春婦の境遇から脱出するために惚れ薬を手に入れて、金持ちか貴族の男に飲ませようとしていたのではないかという気がしてくる。最初にこの話を聞いたときには、けなげな女の子の話だと思ったんだけど、印象が大きく変わってしまった。昔話に真実を求めても仕方がないと言うのはその通りなんだけどさ。
ここで、ドルニー広場とホルニー広場の関係を見ておこうか。この二つの広場は、「ホルニー=上の」、「ドルニー=下の」と訳せるのだが、それぞれの広場の標高の上下を表しているのではない。その証拠に一番高い点は、二つの広場が接触するあたりで、どちらの広場からでも反対側の広場に行くためには上り坂を登ることになるのだ。一番高い点も低い点もドルニー広場にあるんじゃないかというのが実感である。ドルニーのほうが傾斜がきついし。
このドルニーとホルニーの区別は、住んでいる人の身分の上下で決められたのだという。だからモーツァルト父は、ドルニー広場での滞在を嫌って、ホルニー広場よりも高位の聖職者たちが住んでいたバーツラフ広場に転居することを選んだのである。この上下関係は形を変えて現在にも残っているようで、建物の改修なんかに関してはホルニー広場のほうが優先されているような観がある。
ドルニー広場で見ておくべきものとしては、あとはネプチューンとユピテルの二つの噴水があるぐらいである。冬場だと、広場の下半分で特設スケート場が営業しているのだけど、今は駐車場である。ドルニー広場には二、三軒喫茶店ができていて、プラハの知人が言っていた、十年ぐらい前と比べたら美味しいコーヒーが飲めるお店が格段に増えたというのに賛成できる根拠となっている。とはいえ、あのころはチェコでまともなコーヒーが飲める店はなかったと言うのは、オロモウツのことを考えるといいすぎだと思うけど。
ドルニー広場を出て、ホルニー広場とは反対側にある通りに入ろう。右手前方に大きな教会らしき建物、その奥にレンガ造りの典型的な昔の工場の建物がスーパーになっているのを横目に見ながら、最初の角を左に曲がる。坂道を登っていくとオロモウツで一番知られていないブラジェイ広場にでる。特に見るべきものがあるわけではないのだが、オロモウツ一周と称するからには見ておく必要がある。
広場に入って、すぐに右に曲がって建物に沿って歩いていくと、城下公園の位置口に下りていく階段に出る。この辺は敵に攻撃されにくいように、がけ下にまで水が流れ込むような堀があったらしいのだが、現在では埋め立てられて、かつての水堀の名残は、モラバ川の支流ムリーンスキー川が残るのみである。
ここらで、話しつかれたし二回目の休憩といこうか。
2019年4月12日17時30分。
Olomouc 1:12 000, plan mesta =: Stadtplan = City map (Czech Edition) |