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2019年11月06日
オリンピックなんざやめちまえ2(十一月四日)
理解できないのは、マスコミの報道に、IOCの突如の変心を非難する記事がほとんど見られないことで、これが日本の組織のやったことだったら、袋叩きにするだろうにと不思議に思った。開催権を返上すると発言しろという正論を述べているのも、元大阪知事の橋下氏ぐらいのもので、他はなんだか、危険物に触るような慎重さを見せている。
ああ、そうか、変なことを書いてIOCににらまれて、オリンピック関係の報道から締め出されることを恐れて、IOC批判を自粛しているのか。さすがは言論の自由のために戦う日本のマスコミである。誰かの発言の形で報道することで責任逃れをしているとしか思えない。IOCの金まみれの利権まみれの実態については、あれこれ漏れ聞こえてくるのに、大きなスキャンダルにならないのは、マスコミの配慮のおかげだしさ。
今回の件も、どう考えても、マラソンの有力選手を抱えるスポンサーが、自分のところの選手の優勝確率が下がらないように、IOCにプレッシャーをかけたに決まっている。競歩は、マラソンだけだとあからさますぎるから、道づれにされたのだろう。これもまたひどい話である。選手に配慮するように見せて、全く配慮していないのは、当の選手たちの中からも批判の声が上がっていることで、しかもその声を完全に無視していることからも明らかである。東京の炎暑の中で行うのが危険なスポーツはこの二つだけではないのだし。どうして、そこを批判しないのか。
ひどい記事になると、マラソンの札幌移転について、「商業主義」を捨てようとか、離れようとか言って弁護しているものがあったが、スポーツにおける商業主義を批判するなら、真っ先に批判されれるべきはIOCのはずである。そもそも、真夏の東京でオリンピックを行うという決定自体が、これは東京に限らないけれども、大きな間違いであり、東京でやるなら、かつてのオリンピックと同様、秋が深まってからにするべきだったのだ。変えるべきは会場ではなく、会期なのである。場所を北に変えれば絶対に気温が下がるというものではなく、当日の気温なんて運によっても左右されるというのは、明らかなのにさ。
オリンピックの開催において、商業主義的なものが取りざたされ始めたのは、1984年のロサンゼルス・オリンピックだったと記憶する。オリンピックの無駄な拡大のために開催地の負担が増大し続けていて、音を挙げざるを得ない状態になるのを回避するために、あれこれスポンサーを呼び込んだり、放映権料を高く取ったりしたんじゃなかったか。当時はそのやり口を、商業主義だとかアマチュア規定に反するとか言って声高に批判する人たちもかなりいたはずである。今では誰もそんな批判をしなくなったけど、過去に目をつぶりすぎじゃないか。
本来その開催地の負担を軽くするためだった資金集めの手法が、いつの間にかIOCのための錬金術に変わり、開催地の負担ばかりが増大するというのが、ロス以来の商業オリンピックの現状なのである。仮に商業主義を廃せというのであれば、オリンピックを本来の姿にもどすことを主張すべきであろう。すなわち、プロの参加を禁止し、IOCのスポンサー、大会スポンサーなども廃止して、勝つことや記録よりも、参加すること自体が重要だった、古き良き時代のオリンピックにさ。そんなオリンピックなら、こちらも胸を張って見ることができるから心の安定にもいいし。
さあ、今からでも遅くない。スポーツを食い物にする腐敗IOC貴族に鉄槌を下ろすのだ。正論好き、正義好きの新聞社どもよ、自分のことは棚に上げてきれいごとしか言わないマスコミの連中よ、悪の所在は明らかなのだから、革命ののろしを上げるのだ。そうでもしなければますます存在意義が失われていくだけだぞ。今立ち上がらずして、いつ立ち上がるというのだ。かつて担いだ小泉元総理を担ぎ出せ。破壊のときはすでに来たれりである。
収拾がつかなくなったのでおしまい。
2019年11月5日20時。
タグ: マスコミ批判