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2019年11月14日
温故知新続(十一月十二日)
最初に、このことに気になりだしたのは、タピオカとか言う食べ物? だっただろうか。日本で流行っているという話を読んで、またどこかの会社が、どこかの国から、日本にもすでに似て異なるものの存在する食べ物を、今までになかった新しいものとして導入したのが、たまたま当たったのだろうと考えていた。その後、十年ぐらい前にもブームがあったなんて話をちらっとどこかで読んで、雑誌や新聞の記事ではなくて、個人の書いたものだったと思うけど、これもよくある、過去のブームの再来だったのかと理解した。
そんなときに、朝鮮戦争の野戦病院を舞台にしたアメリカのドラマ「メッシュ」を見ていたら、タピオカが登場したのである。朝鮮戦争当時、日本が米軍の補給基地としての役割を果たしていたことを考えると、当時すでに日本に入っていたとてもおかしくはない。ブームになったかどうかはわからないけど。タピオカについて書くときにいちいち日本への伝来の歴史を書くなんてことは無理な話だろうが、これまでのブームと今回はどう違うのかなんて記事は見かけなかった。あまり興味のあることではないから、見落としの可能性もあるけどさ。
そういう大学入試の歴史的な流れを知っていれば、これまで文部省がどのように大学入試を改悪してきたかという観点から、センター試験に代わる新しい試験の導入についても批判できるはずである。この件に関しては、大学関係者からは怨嗟の声しか聞こえてこないけど、認可と補助金を握られている以上、正面から批判できないらしい。こういうときこそ、マスコミの出番となるはずなのに、文部省の情報操作に踊らされて、まともな批判ができていないのだから情けない。
そもそも、一次試験に記述式の問題なんかいらないのだ。学生に思考能力とそれを文章にまとめる能力を要求する大学は、二次試験でやればいいだけの話である。文部省がセンター試験を商売の種にしようとして、一次試験だけで合否を決めるとか、私立でもセンター試験を利用して合否を決めるとか、意味不明なことを始めたのがいけないのである。
センター試験だけでいくつもの大学を受けられるということは、一見、受験生にとって有利な制度のように見えるけど、一つ失敗したらおしまいと考えると、センター試験にかかるプレッシャーが過大なものになる。逆に二次試験があったり、別試験だったりすれば、センターで失敗しても取り返しがきくという気楽さがある。新テストも、それだけで合否を判定する私立大学の参加も見込んでいるのだろうけど、自分が受験生だったら、そんな大学は受けたくないなあ。
目玉となっていた民間の英語試験を利用するという、責任放棄としか理解できない案も、現時点では延期になったようだけど、本質的な批判なんて見かけなかったし。そもそも高校を卒業した時点で、英語でペラペラ喋れる能力がいるのかって話である。外国語の学習においては、読み書きがしっかりできていれば、喋れるかどうかは、語学能力以上にコミュニケーション能力に左右されるはずだ。それに喋れても、話の中身が天気の話とか、道案内とか、わざわざ話さなくてもいいようなことしなないなら、そのために英語を勉強するなんて時間の無駄である。
もちろん英語を専門とする学生は別だけど、日本文学や日本史を専攻する学生には、英語で話すための努力をする時間があるなら、古文漢文を原文で読んだ方がはるかに意味がある。専門的な知識が十分にあって、初めて大学生が英語で話す意味が出てくるのである。いや、話さなくてもいい。専門分野について論文を書けるようになればそれで十分である。どうせ、英語を専門に学んでいる連中には叶わないのだから、必要なときには通訳を頼めばいいことである。問題は英語で情報を発信できないことではなく、発信するべき内容が存在しないことにある。
入試制度を変えたところで、この問題が解決するとは思えない。大学生の英語のレベルが下がっているとかいうのだって、実は大学が増えすぎて学生の平均レベルが落ちた結果じゃないのか。センター試験をやめるなら共通一次を復活させた方がましである。
考えが煮詰まらないまま書いたら、自分でも意味不明なものが出来上がってしまった。読んでくれた方には申し訳ないことである。
2019年11月13日22時。