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2019年12月09日
中村哲氏の死を悼む(十二月六日)
中村医師の存在を知ったのはいつのことだっただろうか。具体的な活動の内容を知ったのは、『 オバハンからの緊急レポート 』という一読抱腹絶倒だけど、実は日本の問題点を痛烈に批判している本によってだった。この本は、2001年のアメリカでのテロ事件の後、首謀者とされたアフガニスタンのタリバン攻撃の拠点となったパキスタンにやってきた政治家、官僚、そして特にマスコミの出鱈目ぶりに憤慨した、現地在住で取材のコーディネーターも務める方が書かれた本である。奇書と言ってもいい。
政治家の海外での使えなさというのは意外でもなんでもなかったが、マスコミがどうしようもないというのは、ろくでもない記者が多いのは知っていたけれども、タリバン取材というのは当時最も重要なものだったはずで、各社最高の人材を送り込んでいるだろうことを考えるとちょっと意外だった。いや、特権意識にかられた日本のマスコミの腐敗はここまで進んでいたのかと納得したというのが正しいかもしれない。
取材のために来たはずなのに、日がな高級ホテルに閉じこもって、日本で書いてきた予定稿をそのまま提出したり、コーディネーターの話だけ聞いて現地の住民の話に書き換えたり、わざわざ高い金をかけて、いや、コネを使って政府の特別機に政治家と一緒に便乗しているから経費はそれほどかかっていないのかもしれないが、パキスタンで取材する意味のない記事を量産していたらしい。取材したというアリバイ作りに難民キャンプまで足は運んだという記者もいたようだけど。当然、同行した政治家たちの醜態が新聞や雑誌の紙面を飾ることもなかった。
そんな記者たちから、あれこれ理由をつけてコーディネート料をふんだくって、一部を従業員にボーナスとして支給した以外は、全て難民への援助にまわしてしまう著者のオバハンは凄い。こんなあぶく銭なんて持っていてもしょうがないという感覚が理解できる記者なら、肝心の取材をおざなりにして、適当なことを書き飛ばしたりはしないのだろう。最近世を騒がしているフェイクニュースなんてのは、別段新しいものではないのだ。昔から新聞などのマスコミはこれが真実でございと出鱈目を書き飛ばして間違いがあっても訂正もしないことが多かったのだから。
そんなマスコミの記者たちと、全く反対側の存在、つまりは尊敬してもしきれない存在として登場するのが中村医師と、ペシャワール会の若者たちである。記憶があやふやなのだが、著者は、中村医師の「難民を物乞いにしてはいけない」という言葉に心の底から賛同しながらも、当時のアフガニスタン、パキスタンの国境地帯では、支援物資を配るしかできないという現実を受け入れ、諸給料などの配布に全力を上げる。
中村医師の活動については、難民たち、家や盛業を失った人たちに、仕事を与え給料を与えることで自立させようとしているのだと書かれていたと記憶する。それが、戦争による荒廃で農地が荒れ砂漠化も進んでいた地域で、井戸を掘り農業用水路を開削するという活動だったのだろう。現在ではすでに農業用水は完成し、多くの人々が農業に従事して生活できるようになっているらしい。農地の周囲には植林も進められてある程度の森もできているというから、素晴らしいとしかいいようがない。この形の支援が世界中に広まれば、ヨーロッパにまで逃げてこなければならない難民の数は減るはずなのだけど、そうなっては困る連中がいるのだろうなあ。
著者の批判は、ボランティア活動を自分のキャリアのために行う若者にも向けられる。中村医師率いるペシャワール会で支援活動に従事する若者たちはボランティアではなく、給料をもらっている。ただし、その給料も住居などの生活条件も現地で採用された地元の人たちと同じなのである。それに比べて、ボランティアと称してやってくる連中は、住処の提供を求めて、それが現地の人々と同じだったら、こんなところ住めないと駄々をこねる。これなら来てもらわない方がはるかにましだと、オバハンは憤るのである。ここからも中村医師が目指された支援の形が見えてくる気がする。
最後に中村医師に哀悼の意を表するとともに、氏が体現してこられた、本当のあるべき支援が、薫陶を受けた方々の手で今後も継続されることを願ってやまない。それが、アフガニスタンだけでなく世界を救うことにつながるのだと確信する。
2019年12月7日23時。