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2020年02月25日
90年代のチャペク(二月廿二日)
この90年代のチャペクの翻訳ブームの原因を考えてみると、一つには、19989年に没後50年を迎えて著作権の保護期間が切れたことがあげられるだろう。音楽の世界でも著作権が切れた途端に演奏回数が増えるなんて話を聞いたこともあるし、翻訳の世界でも似たような事情はありそうだ。もちろん、ある程度知られた作家で、評価も高い作家でなければ翻訳はされても刊行は続かないだろうけど。そうなると、1989年に岩波文庫から刊行された千野栄一訳の『R.U.R.』がチャペクブームに先鞭をつけたといってもいいのかもしれない。
とまれ90年代に入って最初に翻訳されたチャペク作品はSF的な『Továrna na absolutno』である。金森誠也訳『絶対子工場』が刊行されたのは、1990年のことで、チェコ語の原典からの翻訳ではなくドイツ語からの重訳であった。出版社は、木魂社というあまり知られていない会社だが、簡単に絶版にしない良心的な出版社のようで、90年代後半にチェコ語の勉強を始めた後でも、注文して取り寄せることができた。この作品の翻訳としては、後に平凡社から飯島周訳『絶対製造工場』(2010)も刊行されている。こちらはチェコ語からの翻訳である。手に入れてはいないけど。
二つ目は『Krakatit』で、1992年に田才益夫訳『クラカチット』として、大手ではない楡出版から刊行されている。これも刊行後数年たってから購入して読んだ。この田才訳は青土社から2008年に再刊されているので、現在でも手に入りそうである。
読んだのはすでに廿年ほど前のことなので、正確な内容は覚えていないが、『絶対子工場』も『クラカチット』も、軍事転用のできそうな新技術を開発した技術者と、その技術をめぐる物語だったと記憶する。それが核兵器の登場を予言しているのではないかとかで評価されていたようだ。個人的には戯曲の『R.U.R』や、あれこれ話を広げ過ぎた感のある『山椒魚戦争』より面白かったと思うのだが、どちらが面白かったかと言われると答えに窮する。
どちらかの作品では、読んでいる最中に語りを信じていいのか、書かれていることが小説内の真実なのか、主人公の思い込み、妄想なのか、わからなくなるような記述に、不安を感じながら読んだ。この不安も読書の醍醐味の一つである。
そして、1995年からは、成文社が「チャペック小説選集」と題して、これまで全訳されたことのないチャペクの作品を六冊連続で刊行してくれた。ラインナップは以下の通り。
第1巻
石川達夫訳『受難像』(1995) 原題『Bo?í muka』
第2巻
石川達夫訳『苦悩に満ちた物語』(1996) 原題『Trapné povídky』
第3巻
飯島周訳『ホルドゥバル』(1995) 原題『Hordubal』
第4巻
飯島周訳『流れ星』(1996) 原題『Pov?tro?』
第5巻
飯島周訳『平凡な人生』(1997) 原題『Oby?ejný ?ivot』
第6巻
石川達夫訳『外典』(1997) 原題『Apokryfy』
このうち、短編集『Bo?í muka』の一編「エレジー」(千野栄一訳)が、白水社が1971年に刊行した『現代東欧幻想小説』に収録されている。この本、1990年代には新刊で手に入らなかったのはもちろん、古本屋でも見かけることはなかった。今から考えると、存在を知らなかったのが残念な一冊である。
また、『Apokryfy』の抄訳が、「『経外典』から」(千野栄一訳)と題して、岩波の雑誌「ヘルメス」第23号(1990)に掲載されたようだ。収録された短編の翻訳としては、栗栖継訳「アルキメデスの死」が、『世界短篇文学全集』第10巻(集英社、1963)に、関根日出男訳「聖夜」が、『世界短編名作選 東欧編』(新日本出版社、1979)に収録されている。
hontoで確認したら、この「チャペック小説選集」のうち、第4巻の『流れ星』と第5巻の『平凡な人生』が品切れで購入できなくなっていた。ただし、『流れ星』のほうは、2008年に青土社から出版された田才益夫訳『流れ星』がまだ手に入るので、読むことは可能である。
長くなったのでエッセイ集の話はまた次回ということにする。「チャペック小説選集」とほぼ同じ時期に、「エッセイ選集」も全6巻で刊行が開始されて、今とは逆で本を買う金はあっても読む時間がない生活をしていたので、全部購入したはいいものの、読み通さないままいわゆる積読本になってしまったのだった。これもまた読書家の楽しみの一つである。
2020年2月22日24時。