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2020年07月08日
ミラン・バロシュ引退(七月五日)
バロシュがチェコ代表に定着し始めたころディフェンスの中心の一人だったベテランのレネー・ボルフも、ビガンティツェの出身で、人口千人にも満たない小さな村からサッカーの代表選手が二人も、しかも同時期に二人も出たというので大きな話題になっていた。バロシュはプラハに住んでいると思うが、ボルフは故郷に帰ってビガンティツェに住んでいるという話を聞いた覚えがある。
とまれ、チェコ代表でのバロシュというと、2004年のヨーロッパ選手権での大活躍が一番印象に残っているのだが、あのときはコレルを抑えて得点王に輝いたのだった。それで、いずれはコレルの代表でのゴール数を抜くのではないかと期待されていたのだが、期待は期待のままに終わった。今にして思えば、期待が大きすぎたのであって、バロシュは十分以上にチェコ代表に貢献していたのだけど、点が入らないときには、しばしば批判の対象となっていた。
個人的にも今更バロシュじゃないだろうと思うことは多かったのだが、バロシュ以後のフォワードの選手たちは、一瞬の輝きを示す選手はいても、長期的見ればバロシュの足元にも及ばないというか、影さえ踏めない選手ばかりだった。そう考えると、コレルとバロシュの二枚看板を誇った2004年ごろのブリュックネルの代表というのは、チェコ代表の中でも特異な時代だったわけである。別な言い方をすれば計算できるフォワードが二人もいる幸せな時代だったのだ。
2004年以降のバロシュの代表での勢いが衰えた原因の一つは、所属するチームでの成績がなかなか上がらなかったことにあるだろう。最初の国外チームであるリバプールではチャンピオンズリーグの決勝で活躍するなど戦力としては計算されていたけど、完全にレギュラーとして扱われていたわけではない。フランスに移籍したときには、サッカーでの活躍よりも、高速道路で制限速度を大幅に超えるスピードで車を走らせて警察のお世話になったことで話題になった。
その後移籍したトルコリーグで得点王になるなど大活躍したあと、2013年にチェコにもどってきた。このころにはすでに代表も引退していたはずである。戻ってきたのは当然出身チームと言ってもいいバニーク・オストラバだったのだが、意外なことにバロシュとバニークの関係は常に良好なものではなく、チームとの交渉がまとまらずに、ムラダー・ボレスラフとリベレツに移籍していた時期もある。財政問題を抱えたバニークでは、何度かオーナーの交代もあり、それもまたバロシュの去就に影響をあたえていた。
その後、2017年にバニークに再度復帰してからは、出場機会の少なさに不満を漏らすことはあったようだが、バニークでのプレーを続けていた。最近は怪我で出場できないことも多く、それが最終的に引退を決断する理由になったようだ。今後については、しばらく休んで、いずれはサッカーとかかわる仕事にもどって来たいと語っていた。今のオーナーとはいい関係を築いているようなので、その場合にはバニークで仕事をすることになるのだろう。
バロシュの引退で2004年当時の代表で現役を続けているのは、ヤブロネツにいるヒュプシュマンぐらいになってしまった。ブリュックネルも健在とはいえ監督を引退して久しいし、さびしいものである。考えてみればあれからすでに16年か。あのときのチェコ代表が規準になっているから、最近の代表には不満を感じることが多いんだよなあ。
とまれバロシュは、記者会見で「チャガン」を買いに行くと言っていたのだけど、この言葉、ボヘミアの人には理解できないモラビアの方言らしい。もちろん、外国人が知れる言葉でもないのでうちのの聞いたら、古いタイプの杖を指す言葉らしい。引退して年金生活が始まるとも言っていたから、モラビアで杖ついて暮らすということか。
2020年7月6日13時。