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2020年07月15日

プシェミスル家の遺産2(七月十二日)





 プラハの北方、ムニェルニークの近くにあるジープ山は、高さは約450メートルほどとそれほど高い山ではないが、山頂からは遠くまで見晴らしのいい景勝の地で、現在でも行楽の地となっている。確か年に一回、ジープ山山登り競走が行われていて、たくさんの参加者が麓から山頂まで駆け上がっている。昔チェコの中をあちこちしていたときには、行って見たいと思いながら、どこにあるか調べ切れなかったのだった。地図は見たはずなんだけど、チェコ語ができなかったし。

 五つめは、我等がオロモウツである。オロモウツはプシェミスル家のモラビア支配の拠点のひとつで、チェコの君主にオロモウツに封じられモラビア統治を任されていた兄弟や息子などが反乱を起こすこともあった。また、プシェミスル家最後の王バーツラフ三世が1306年にポーランド遠征を前に暗殺したことも知られる。オロモウツは、プシェミスル家が男系で断絶し、プシェミスル王朝が滅んだ地でもあるのだ。
 オロモウツ最大の教会、聖バーツラフ教会に接する形で、かつてプシェミスル宮殿と呼ばれていた建物が現存する。聖バーツラフ教会だけでなく聖アナ教会や大司教博物館の建物ともつながっていてどこからどこまでがその宮殿なのか判然としないのだが、現在ではジーデク宮殿と呼ばれることのほうが多いようである。ジーデクはプシェミスル家が創設に成功したオロモウツの司教座の司教で、ヨーロッパを舞台に外交官として活躍しており、その立場にふさわしい拠点を確保するために建てた、もしくは改築したのがジーデク宮殿だという。
 現存する宮殿でプシェミスル家の時代にさかのぼるのは、一部は城下公園からも見上げることができるロマネスク様式の窓と、天国の庭と呼ばれる部分である。30年近く前に始めてオロモウツに来たときに、このプシェミスル宮殿(だと思っていた)に入ったことがあるのだが、何の知識もないままの見学と言うよりは、見物だったのでほとんど何も覚えていない。チェコ語を勉強するためにこちらに来てからは、何となく行きそびれている。

 六つ目、記事の最後に紹介されているのは南ボヘミアの中心都市のチェスケー・ブデヨビツェである。13世紀の後半に、プシェミスル・オタカル2世が、当時いわゆる東方植民をチェコの国土で進めていたドイツ系の住民の協力を得て建設した町のひとつだという。本来ドイツ系の町だったので、ブデヨビツェで最初にビール会社を設立したのがドイツ系の住民だったのも当然のことだったのだ。
 それはともかく、チェスケー・ブデヨビツェは、当時計画的に建設された典型的な国王都市の
特徴を示していると言う。それは中心となる広場が正方形であることと、通りが碁盤の目と言うには旧市街が小さすぎるが、通りが直角に交差している点である。オロモウツの近くでこんな特徴を持つ町というと、完全ではないけどリトベルだろうか。それに対して、オロモウツの二つの広場はいびつな形をしているし、通りなど直角に交わっているものの方が少なく、道に迷いやすい。

 この記事には以上の六件だけだが、他の記事にはプシェミスル家によって建設されたものとして、1230年に建設されたクシボクラートの城、13世紀の半ばにプシェミスル・オタカル2世によって建設されたベズデスの城なども紹介されている。この二つの城は身分の高い人を収容する牢獄としても使われていたので、親子、兄弟間での血で血を洗う権力争いを繰り広げたプシェミスル家なので、収監された人も多いようだ。また、南ボヘミアのランチュテインの城跡が1231年にプシェミスル・オタカル1世によって建設されたと紹介されているのだが、プシェミスル・オタカル1世が没したのは1230年なので、生前に建設が始まり死後に完成したと考えるべきだろうか。
 チェコの国家の基礎を築いたのがプシェミスル家である以上、残された遺産も膨大なものになるのである。
2020年7月13日14時。










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