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2020年07月16日

イバンチツェ(七月十三日)





 歴史的に見ると、フス派戦争の血まみれの時代の中から生まれたプロテスタントの一派、戦いを否定する兄弟団の主要な拠点の一つだったのことが重要である。イバンチツェには、ルドルフ2世の弾圧を受けてクラリツェに移転するまで、兄弟団の秘密印刷所が置かれていてさまざまな宗教関係の文書、書物が印刷されていた。その印刷所のあった建物なのか、小さな印刷所の記念館があって、サマースクールの週末の遠足で出かけたことがある。当時はその意味もわからないままに見物して終わったけど。
 そして、もう一つ重要なのが、この地に兄弟団によって設立された学校が、短期間だけだったとは言え、ヨーロッパレベルでよく知られた学問の拠点だったということである。16世紀の前半に兄弟団は各地の拠点にチェコ語で学ぶ学校を創設し始め、イバンチツェにも初等教育の学校が設立された。その上の中等、高等教育の学校が設立されるまでにはしばらく時間がかかったが、それは兄弟団がラテン語やギリシャ語などの教育に、実用性がないものとして懐疑的だったことが理由だと言う。


 ブラホスラフは、自ら新約聖書を、非常に文学性の高いスタイルで翻訳し、印刷に回した。その翻訳のスタイルは旧約聖書の翻訳のスタイルにも適用され、すべてが完成したのはブラホスラフが1571年に亡くなった後、印刷所がクラリツェに移転した後のことなので、イバンチツェではなくクラリツェの聖書と呼ばれている。

 ブラホスラフが兄弟団の牧師の仕事には、外国語の知識が不可欠であることを説得した結果、イバンチツェにプロテスタントの師弟を対象にしたギムナジウムが設立される。同時にドイツなどの大学の学生たちが、授業の時間が少ないこともあって自堕落な生活をしていることがわかり、イバンチツェのギムナジウムでは道徳教育にも力を入れることが決められた。これが、師弟の教育に頭を悩ませていた貴族階級に受け入れられ、ジェロティーン家のカレル爺などの有力貴族もイバンチツェの学校で学んだという。
 外国語の教育のほうは、教師を見つけるのが難しい時代だったこともあって、時間がかかったが、宗教上の理由でビッテンベルクの大学を追放されたエスロム・リュディングルを、1575年に学長として招聘することに成功する。リュディングルはドイツではギリシャ語だけでなく、物理学や歴史学も教えていたという。毀誉褒貶の激しい人物ではあるが、リュディングルの存在がイバンチツェの学校の評価を高めたことは間違いない。

 同時に、チェコの再カトリック化を進めていたハプスブルク家には敵視され、時の皇帝ルドルフ二世がイバンチツェの領主だったリペー家に、リュディングルの追放を求める手紙を送ったという。特に1583年に届いた二通目の手紙は、兄弟団だけではなくリュディングル本人にも強いショックを与え、死因となった心臓発作を起こしたらしい。ただ参考にした雑誌の記事には、リュディングルが亡くなったのは1588年ともあるので、年が離れすぎているようにも思える。
 リュディングルを失ったイバンチツェの学校は、衰退に向かい、かつての評価を取り戻すことはなかった。1620年のビーラー・ホラの戦い以降は、プロテスタントの諸侯が力を失い、学校の母体となった兄弟団自体がチェコの領域内から追放されることになる。隠れキリシタンならぬ、隠れ兄弟団なんてものが存在し続けた可能性はあるが、公式に許された宗教としてプロテスタント系の宗派がチェコに戻ってくるのは、1918年の第一共和国の成立を待たねばならなかったはずである。

このイバンチツェの学校を巡る話も、キリスト教の非寛容性が如何に世界の害悪だった。いや現在でも害悪であり続けているかを示す事例だと言えよう。アメリカや西ヨーロッパで吹き荒れている人種差別反対の暴動も、奴隷貿易を認めたとうよりは、推進していたキリスト教への攻撃に向かわないのが不思議である。環境保護運動もそうだけど、良識派ぶった活動家ってのは、ご都合主義で攻撃対象を決めるからなあ。良識あるつもりの日本人としては付きあいきれない。
2020年7月13日22時30分。











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