「トルハーク」再び(三月廿日)



 夕方、他に見るべきものもなきとて、のんびりサッカーを見ていたら、「トルハーク見ないの」と言われた。えっと思ってプログラムを確認したら、チェコテレビの第一で放送中だった。慌ててチャンネルを変えて、途中からだから入っていけるか心配しながら、見始めたのだが、心配無用、最後まで見てしまった。

 久しぶりに見ての感想は、一言、やはり面白い。面白いのだけど、以前書いた「トルハーク」についての文章に結構記憶違いがあったことに気づいてしまった。
 一番大きいのは、貴族然とふるまう男性の正体が肉屋であることを小学校の先生が知るのは、村の爆発シーンの撮影に失敗して予算不足でストーリーの改変を強いられてからだと思っていたのだが、実際は肉屋だとばれたシーンの次が爆発のシーンだった。ということはスビェラーク演じる脚本家の書いた脚本もそれなりにぶっ飛んでいたってことか。まあ、あの監督が映画にしようという台本だから、プラハの肉屋が田舎の城館で貴族のように振舞うなんてシーンがあっても不思議はないのかもれない。
 他にも、監督が試写会が終わった後に漏らす言葉は、「最後が最後が」ではなく、「天気が天気が」だったし、観客が帰りしなに漏らす言葉は「嵐」ではなく「雨」だった。自分が理解しやすいように理解してしまうのだろう。特にこのような難解な作品は。

 ここで改めて「トルハーク」という映画について説明しておこう。これは映画の中で『トルハーク』(区別のために二重鍵にする)というミュージカル映画を撮影するという作品で、監督や脚本家などの映画の撮影関係者には、作中の人物としての名前が付けられているが、映画中の『トルハーク』に出演する俳優達は、本編の「トルハーク」には本名(芸名かも)で出演するというややこしい構造になっている。登場人物が異常に多いので、本名であれ、役名であれ名前が出てくる人は一握りで大半は、エキストラ扱いだったり、名前ではなく役職名で呼ばれたりすることも多いのだが。

 主要な配役を説明すると、まず本編の主人公だと思われる映画監督を演じるのが、おそらくこの映画の生みの親であるラディスラフ・スモリャク。脚本が映画化されたものの監督の手法に不満たらたらな新人脚本家を演じるのが、もう一人の生みの親スデニェク・スビェラークで、この二人が出てくる映画は、多かれ少なかれツィムルマンの香りがするのである。またこの二人の映画に頻繁に登場する俳優達をツィムルマン軍団とか、ツィムルマン組と個人的には呼んでいる。
 湯水のように予算を浪費する監督に腹を立てて、着ている服のシャツを引き破ることになるプロデューサーを演じるのが、ツィムルマン組の一人ペトル・チェペクである。この人は、主役をはることは少ないけれども、ツィムルマン関係の作品以外でも重要な役を演じることが多く、チェコ映画に欠かせない俳優の一人である。それから、監督の脇で台本(だと思う)を抱えてシニカルな笑みをたたえている眼鏡の女性がイジナ・イラースコバーで、監督のお気に入りでカチンコを叩く役の女性を演じるのが、後に子供番組の象徴となるダーダ・パトラソバーである。

 映画中の『トルハーク』に出演して、映画本編では本名で登場するのが、まず主人公のティハーチェク氏を演じるヨゼフ・アブルハームで、この人は、「ヤーラ・ツィムルマン」でも、同じような外から村に訪れる人物の役を演じている。チェコの永遠のアイドル女優シャフラーンコバーと結婚したことでも有名である。小学校の女の先生エリシュカを演じるのが、アイドル歌手と言ってもいいハナ・ザゴロバーである。1989年のビロード革命に際して当時の共産党の書記長ミロシュ・ヤケシュがやらかした失言で高給取りの芸術家は不満をこぼさないという例として名前が挙げられてしまった。エリシュカの最初の恋人で、貴族のように振舞うが実はプラハの肉屋だというレンスキー氏は、スロバキア人のユライ・ククラが演じている。かっこいいおっさんを体現したククラは、先日テレビのトーク番組で見かけたが、相変わらずかっこいいおっさんで、「ユライ・ククラという名前は捨てて、ハンガリー風にゾルターン・マックスという名前に変えたから、ゾルターンと呼んでくれ」などとのたまっていた。この番組でかけていたみょうちくりんな眼鏡が妙に似合っていたなあ。

 他にも重要な役では、男やもめの森林管理官を、チェコの歌手の人気アンケートでカレル・ゴット神を実力で破った男バルデマール・マトゥシュカが演じ、その三人の娘のうちの一人は、後にハベル大統領の後妻となるダグマル・ベシュクルノバーである。この人、憲章77に対抗して共産党が制作したアンチ憲章に署名したらしく、そのせいもあってハベルとの結婚当初はかなり評判が悪かったようだ。三人娘の結婚相手のうちの一人飛行気乗りのイジー・コルンは、歌手で、ヘレナ・ボンドラーチコバーと組んで歌っていた番組がしばしば再放送されるが、その後四人組のグループを作って黒ずくめでセグウェイに乗って歌うなんてことをしていた。今では髪がなくなっているけれども、このころは結構ふさふさなのに時間の流れを感じてしまう。
 ルドルフ・フルシンスキー、ステラ・ザーズボルコバーなど、チェコの映画を見たことがあるなら、どこかで絶対に見たことがある人たちが、ちょい役で出ているのには、見るたびにびっくりさせられる。贅沢な映画なのである。

 さて、題名である。「トルハーク」は、引き裂くとか、ちぎるという意味の動詞から派生した言葉で、わかりやすいのは、マラソンなどでスパートして集団を引き離して独走するのを言う。ちょっと汚い言葉でいうと「ぶっちぎり」ということになる。映画に関係する状況で言うと、連日満員で立ち見続出というような「ぶっちぎりのヒット作」を指すことになるのだが、自作の映画に「ぶっちぎりのヒット作」なんて題名をつけてしまう監督というのは、やはり「ぶっちぎりに頭がおかしい」としか言いようがない。
 チェコ人でも知らないという人がいる映画だけれども、この映画こそ、チェコ映画がチェコ的であるという意味において、最高傑作であると確信している。傑作ではあっても、外国での受け狙いのようなあざとさを感じる作品もある中、わからない奴はわからなくてもいいという態度はすがすがしいまでである。
3月21日23時30分。



 どうして「トルハーク」が放送されたのかというと、スビェラークの80歳の誕生日だった。このおっさん80なのとびっくりしてしまったが、「コーリャ」「トマボモドリー・スビェト」「オベツナー・シュコラ」など数々の傑作にかかわってきたスビェラークの誕生日に放送するのが「トルハーク」であるあたり、チェコテレビもなかなかやるなである。日本で発売されたら……、売れないだろうなあ。それでも、チェコ語を勉強する人にとっては必見である。3月22日追記。
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2016年03月31日

潔癖症国家(三月廿八日)



 もう廿年近く前になるだろうか。渡辺淳一なる作家の小説がベストセラーになり、映画化だかドラマ化だかされて、「不倫」という言葉が市民権を得たのは。当時から嫌な言葉だなあと思っていたのだが、マスコミにはなぜかもてはやされていた。「不倫は文化だ」とか叫んでいたのは、作家本人だったか、出演者だったか、いずれにしても聞くに堪えなかった。
 それが、最近は、どこぞの芸人が、どこぞの誰と不倫したというニュースが、ネット上を騒がし、それだけならまたかよと思えば済むのだが、よってたかって袋叩きにして謝罪を強要しているように見えるのはどうなんだろう。こういうのを見ると、いじめが日本社会の縮図だというのがよくわかってしまう。
 正直な話、芸人の誰が誰とくっつこうと、それがいわゆる不倫の関係であろうとなかろうとどうでもいいし、公私の区別で言えば、私にあたるプライベートな部分をつつかれて、一点の恥もないという人物が、報道するマスコミや声高に批判する人たちの中にどれだけいるのだろうと考えてしまう。他人のプライバシーを穿鑿するのは楽しいのだろうけど、穿鑿ぐらいでやめておいて、批判や罵詈雑言を投げるのは、当事者に任せておけばいいのに。こんなことは関係のない人間が、あれこれ言っても仕方がない。

 ただ、チェコのこういう点に関する寛容さもどうかとは思う。ここ十年ほどの首相のうち三人までが、在職中にいわゆる「不倫」関係にあり、首相を辞めてから前の奥さんと離婚して不倫相手と結婚している。いや、トポラーネク氏は、前の奥さんが離婚を拒否してるんだったかな。それはともかく、この女性問題は、在任中から一般にも知られていたが、首相をやめる原因にはなっていないのである。
 三人のうち、最後のネチャス氏の辞任だけは、女性問題のせいだとは言える。首相府(この言い方が正しいかどうかは確信がない)の事務局長をしていた今の奥さんが、軍の情報部を使って前の奥さんの動向を監視していたのが、職権乱用に当たるとして逮捕されたことがきっかけであって、二人がそういう関係にあったことが原因にはなっていない。一応、前の奥さんが、首相夫人が関係するには危険な宗教団体とつながりがあるという疑惑があって、それを確認するためだという言い訳がなされていたけど、実際は離婚につながるネタを探させていたんだろうなあ。
 結局、実際に職権乱用の指示を出したのがネチャス氏本人じゃないのかという疑惑が起こったことで辞任に追い込まれた。ただ、本人が頑張れば首相を続けられそうな雰囲気だったのに、政党ODSでクラウス氏の秘蔵っ子として日の当たる道ばかりを歩いてきて、批判を受けるのに慣れていない本人が、やってらんねえやとばかりに政権を投げ出したような印象を受けた。90年代の日本で政権を投げ出した細川首相の辞任に通じるものを感じる。
 このネチャス氏の件に関しては、批判されるべきは、むしろ愛人の女性を自分の管轄する役所の高官として採用したことだと思うのだが、そこをつつくと収拾がつかなくなるのか、それほど批判はされていなかったようである。ちなみに、このネチャス氏、今回の習近平氏の来チェコに際して、ゼマン大統領と、誰が中国との関係改善を始めたかでメディアを通して争っている。どちらが始めたにしろ、さして名誉なことでもないと思うのだが。

 話を日本に戻すと、最近叩かれている乙武氏だけは、ちょっと違うのではないかという気がしてきた。この人が自らの言動を通して主張しているのは、おそらく、障碍者だからと言って腫れ物に触るように扱わないでほしいということである。多少の配慮が必要であるにせよ、障害者を特別扱いをして、何をしても、しなくても、許されるアンタッチャブルな存在にはしないでほしいと考えているのなら、今回袋叩きにされているのは、実は本人の望む所なのではなかろうか。
 マスコミがそれをわかって協力しているのなら、捨てたもんじゃないという気もするが、実際のところは乙武氏に振り回されているだけのようである。更にひどいのは、どこかの政党が、計画していた選挙への擁立を見直すといっていることだ。お妾さんとか、二号さんとか、昔は政治家のためにあるような言葉だったのだが、今では変わったのだろうか。
 それはともかく、著書『五体不満足』というタイトルからもわかるように、乙武氏のスタイルは多分に露悪的である。今回の騒動にも、どうしてそこまでと言いたくなるような、そう、障碍者プロレスに関する記事を読んだときに感じたのと同じような感想を抱いてしまう。目的は理解できるし、理念に共感もできるのだけど、痛々しくて見ていられない。とまれ、乙武氏のように、自らを自らのハンディを冗談にできる、もしくは笑い飛ばせてしまう人は強い。

 チェコにルツィエ・ビーラーという女性歌手がいる。この人、実はチェコでも差別されることの多いロマ人(ジプシーと書いたほうがわかるかもしれない)らしいのだが、出自を隠さないどころか、自分がロマ人であることを冗談にしたり、他の人が言うと人種差別だと批判されてしまいそうなロマ人をネタにしたどぎつい冗談を平然とテレビの生放送で口にしたりしてきたらしい。この強さが、おそらくビーラーが共産主義の時代から変わらぬ人気を得て続けている理由の一つだろう。
 乙武氏にもビーラーにつながるしたたかさを感じてしまう。障碍者である、しかも重度の障碍者である乙武氏が、健常者(これも嫌な言葉だ)と同じような行動を取って、健常者と同じように批判され、健常者と同じようにあれこれ暴露されている現状は、乙武氏にとっては計算どおりなんじゃなかろうか。最初のリークも本人がというのはさすがに違うだろうが、少なくとも状況を十分以上に活用して、マスコミの大騒ぎぶりをにやにや満足げに眺めているような気がしてならない。もちろん、勝手な想像に過ぎないけど。
 また、当初の予定と内容が微妙に変わってしまった。これも看板に偽りありだけど、題名はそのままにしておく。
3月29日23時。

posted by olomou?an at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2016年03月30日

習近平、来チェコ(三月廿七日)



 サッカーのスラビア・プラハが中国資本の手に落ち、ユニフォームに簡体字が記されるようになったという話は既に書いた。ところが、先週の木曜日の代表の試合にもグラウンドの周囲に並べられているスポンサーの看板の中に、スラビアを買収した中国企業の看板も並んでいた。サッカー協会のスポンサーになったのだろうか。今年の夏で一部リーグのスポンサーから離れる賭け企業のシノットの代わりに、スポンサーになってリーグの名前が中国企業になったらいやだなあ。
 スパルタのホームのレトナーのスタジアムが、トヨタ・アレーナになったのも大いに違和感があったし、チェコのサッカー代表のスポンサーを韓国企業のヒュンダイが務めているのも、正直気に食わない。でも、かつて「ガンブリヌスリーガ」だったのものが、「CEFCリーガ」に成り下がるのに比べれば、何倍もましというものである。

 チェコのサッカー界は、お金のために金満中国に媚を売っているように見えるが、それはサッカー界に限った話ではない。現在プラハのハベル空港からプラハ城に向かう道路に建つ街灯などの柱の上部に、チェコの国旗と中国の国旗が並べて飾りつけられている。月曜日に中国からやってくる習近平国家主席を歓迎するために、スラビアを中国に売り渡したトブルディークを中心として組織されたチェコと中国の協力関係を強化しようという団体が設置したものらしい。
 もちろん、共産主義に痛めつけられたチェコには、共産中国と接近しようとする動きに対して反対の意を表する人たちはいる。そんな人たちが、金曜日に卵に灰色のインク(ペンキかも)を詰めたものを、中国国旗に投げつけ汚すという行動に出た。
 それに対して、プラハ六区の区長が、プラハの通りに中国の国旗をいくつも並べることを、プラハ市がゼマン大統領に媚びているのだと批判し、国旗に色をつけた犯人の行為に理解を示した。その結果というわけでもあるまいが、土曜日にはさらに多くの中国国旗に色入りの卵が投げつけられた。
 これに噛み付いたのが、大統領のスポークスマンであるオフチャーチェク氏である。チェコの中国接近は、政府も力を入れていないわけではないが、明らかにゼマン大統領の主導で行われており、今回の中国国家主席の来チェコを批判することは、大統領批判につながるのだ。オフチャーチェク氏は、いつものよくわからない論理で、プラハ六区の市長が所属するTOP09という名称もあれな政党がこの犯罪行為の責任を負うべきだと主張している。この手の目くそ鼻くそ的な批判の応酬はいつものことで、まともに受け取る気もしなくなっている。

 その一方で、ハベル大統領の支持者達は、習近平プラハ滞在中に、ハベル大統領とダライラマが一緒に写っている大きな写真を掲げると言っているらしい。中国側が民間人のやるそんな嫌がらせを気にするとも思えないけれども、何でもかんでもダライラマを出しておけばいいというのも短絡的だよなあ。

 中国の国家主席の訪問を歓迎できないというのは理解できないわけではない。共産党に対する忌避感はともかくとして、今回のチェコと中国の接近に関しては、すでになかなか挑発的なことをやらかしてくれている。今回の訪問を前に、北京市とプラハ市が姉妹都市の協定を結んだらしいのだが、その調印が、かつてチェコスロバキア共産党が「勝利の二月」と名づけた1948年2月に、共産党以外の政党に所属する大臣が全員辞表を提出し、共産党が実質的に政権を握った日、二月廿五日に行われたという。この日の選定が、どちら側の主導で行われたにしろ、歴史に対する配慮がかけていると批判されても仕方がないだろう。

 また、協定の中に、中国側が「中国は一つである」ことを認めるという条文をねじ込んできたらしい。姉妹都市というものは、基本的に文化的な交流関係を促進するもので、そこに政治を、しかもこんなデリケートな問題を持ち込むのはどうなのだろうか。それが現在の中国だと言えば、その通りなのだが、それを黙って受け入れて署名してしまうプラハもプラハである。
 当然、この事実は台湾を怒らせることになった。一つの中国という考え方を北京との協定で認めるということは、台湾が中華人民共和国の一部であることを認めることである。プラハは台湾の台北とも姉妹都市になっているというのに、何を考えているのだろうか。これでは台北との関係を捨てて北京についたと思われても仕方がない。実際に北京の金に擦り寄ったのだろうけど、それは明かさないのが政治というもののはずだ。それに、これで、これまで機会あるごとにチェコの各地の役所に掲揚されてきたチベット国旗も、少なくともプラハの役所での掲揚はできなくなるのだろう。どうでもいいことだと思っていたが、中国にとっては、腐っても役所がやることなので、結構重要なことだったのかもしれない。

 振り返れば、トヨタをはじめとした日本からの大量の投資のあとは、ヒュンダイを中心に韓国からの投資を誘致し、今後は中国からの投資を仰ごうというのだから、チェコも政治的にはともかく、経済的にはうまくやっていると言えるのかもしれない。
 飛行機の便も、日本への直行便はこれまでに何度も就航するという噂が出たものの、すべて単なる噂に終わったのに対して、中国へは北京、上海、成都と三都市にプラハからの直行便が就航したらしい。チェコ航空とハベル空港が韓国資本に買収されたこととあわせて考えると、日本への直行便はもう諦めるしかなさそうだ。オロモウツからはウィーンの空港が使えるから、どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど。
3月28日11時30分。




タグ: 中国 プラハ
posted by olomou?an at 06:36| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2016年03月29日

ソニーリーダーに合掌(三月廿六日)



 2011年の夏に手に入れて以来、酷使してきたソニーのリーダー一号機が、ついに実用に耐えない状態になってしまった。画面に触ってのページ送りは出来るのだが、下部についている五つのボタンのどれを押しても何の反応もない。そのため、読んでいる本を閉じて新しい本を開いたり、要らない本を削除したり、XMDFや.book形式の本の活字の大きさを変えたりすることはできなくなった。ブックマークとか辞書とか、一度も使っていない機能が使えないのはどうでもいいけど。
 いや、正確に言えば、上部の電源ボタンとリセットボタンはまだ生きているので、本を取り替えるのはできなくはない。ただ読み終わった本を閉じて、新しい本を開くためだけに一々電源を入れなおしたり、リセットしたりするのは、勘弁してほしい。本の数が増えて起動のあとの読み込みに数分かかるようになっているし、オフオンを繰り返すと電気の消費も増えてしまう。ということで、一号機はお風呂専用にして、これまで一、二度動作確認のために使用しただけの三号機を投入することになりそうだ。

 購入してから既に四年と半年以上、意外に長持ちしたというのが正直な感想だ。特に購入後半年ぐらいで電源の調子がおかしくなったときには、日本に行く友人に持っていって修理してきてもらおうかと思ったほどだ。ユーザー登録もしていなかったし、PCとの接続用の専用ソフトも使っていなかったから、修理に出すのは諦めて、二号機を買ってきてもらうことになったのだけど。いや、代替機のない状態で、修理に出すなんてことは、そもそも無理な相談だった。
 あのときは、SDカードに入ったあまり大きい声では言えない方法で入手したファイルから作成した本を読んでいるときに、ページを送ろうとしても反応しなかったのに対して、思わずあれこれボタンを押してしまったのだった。何がいけなかったのかはっきりとはわからなかったが、そのせいで電源が勝手にオンになったりオフになったり、読んでいる最中に勝手に再起動したりするようになってしまった。それ以来、反応が悪いからといって手当たり次第にボタンを押すようなことをやめたら、いつの間にか、普通に使えるように復活してくれた。PCに接続して充電が済んだ後も、一度バッテリー切れの表示が出で再充電が必要なこともあるが、電池の持ち自体は、それほど酷使していない二号機よりもいいぐらいだ。

 他にも、一枚のSDカードにファイルをたくさん入れすぎたせいで、起動させても読み込みに延々時間がかかって、いつまでたっても読めるようにならないのに業を煮やして、読み込み中にもかかわらずSDカードを取り出してしまったり、充電中にリーダーに入れてあったSDカードをUSB接続の機器を外す操作をして、リーダーから取り出したら、SDカード内のファイルが壊れただけでなく、本体のSDカード読み込みも不安定になってしまったりして、SDカードに入った本は二号機専用になってしまった。
 物理的にも、鞄の中に放り込んでいたら、側面を取り囲むように付けられている枠の右下の部分が割れてしまって、次第に欠けた部分が増えていった。使ったことのない下面のボリュームのスイッチなんかむき出しになっている。それでも、これまでは実用には、ほとんど問題もなかった。

 それで、どうせ半分壊れているんだからということで、お風呂場でお湯に浸かって読むのにも使うようになった。お湯の中に落としたことはないが、水滴がかかるのはいつものことで、湿気の高い中での使用が、この手の電子機器にいいはずもなく、壊れてしまうのは時間の問題だった。いや、こちらの想定以上に長持ちしてくれたと言ってもいい。
 メーカーの想定の何倍ものハードな使い方をしたのに、保障期間の何倍も使えたのは、ソニーの製品であること、しかも日本市場へ投入された最初の製品であることを考えると奇跡的なことである。学生時代には、ソニーファンでソニー製品愛用者の先生からも、ソニーが最初に出す製品は初期不良が多いから購入してはいけないといわれたもんなあ。

 一号機とともに購入したブックカバーも、既に使用できなくなった。背表紙にあたる部分の表面がはげてしまった。最近は一号機ではなく二号機につけて使っていたけれども、同時に購入した一号機とカバーがほぼ同時に使えなくなったのは、寿命と考えていいのだろう。一号機のほうは、これからもお風呂で使用するので、まだ余生というものが残っているし、以前のように何度も充電を繰り返しているうちに復活してくれるかもしれないが、一応の区切りとして、一号機に合掌。
3月26日23時30分。



 新製品が出そうにないという意味でも、ソニーのリーダーに合掌。3月28日追記。



posted by olomou?an at 06:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係

2016年03月28日

大金曜日(三月廿五日)



 イースターの話が続くが、チェコでは、今年からイースターの金曜日、チェコ語の「大きな金曜日」が祝日となった。これまでも、いわゆる「イースターマンデー」は祝日だったが、特にキリスト教の力が強いわけでもないチェコで、民俗行事が行われるわけでもない金曜日は祝日にはなっていなかったのだ。隣のカトリックの強いスロバキアでは、以前から金曜日も月曜日も祝日となっていたので、それに合わせたのかもしれない。
 初めての祝日だからか、新聞にもちょっとした特集のような記事が出ていて、それによると、ヨーロッパでは、金曜日も月曜日も休みというところが多いようだ。意外なことに、スロバキア以上にカトリックの強いポーランドでは、金曜日が祝日になっていないらしい。それから、金曜日は休みになっているが、月曜日は祝日ではないという国もあって、これも意外だった。イースターだからと言って月曜日を休みにしなければいけないわけでもないのだ。

 それで思い出したのが、日本においてもまれに見る愚策であった「ハッピーマンデー制度」である。名称からしてあれなこの制度も、月曜日にこだわらなければ少しはましだったのではなかろうか。金曜日を祝日にしても、政策の目的(これもどうかとは思うが)である三連休を増やすというのは実現できるのだから。
 オロモウツに来ている留学生に話を聞くと、月曜日に休日が集中してカリキュラムをこなせなくなるため、月曜日が祝日でも出校日ということにして、授業を行っている大学や、休みになった月曜日の代わりに土曜日に特別授業を行う大学もあるようである。文部省が月曜に授業を行う科目に関しては授業時間数の減少を認めるとかすればいいのだろうが、そんなことは期待できまい。かくして休日にも大学に出なければならない不幸な大学関係者が生まれたわけだ。

 チェコで、「大きな金曜日」が祝日とされた理由は何なのだろうか。一つ思いついたのは、祝日の数を増やすこと自体が目的だったのではないかということだ。以前日系企業で通訳をしたときに、日本から来た人たちがぼやいていたのが、チェコの休日の少なさだ。しかも日本のように振り替え休日がないので、週末が祝日になると祝日が一日減ってしまう。イースターの月曜日は、唯一の確実に休日となる祝日だったのだ。それに金曜日を追加しようということだったのかもしれない。
 施行初年度の今年は、サマータイムが始まる週末と重なったこともあって、非常にありがたい。金曜、土曜の休みでこれまでの疲れをある程度癒したところで、日曜日からサマータイムが始まり、次の月曜日まで仕事に行かずに体をサマータイムに慣らすことができる(ことを期待している)。エネルギー節約の面からもそれほど効果はなく、健康上害があるかもしれないといわれ始めたサマータイムが存続するなら、イースターの週末にサマータイムが始まるという制度に変えて欲しいものである。

 ここで、チェコの祝日にどんなものがあるのか紹介しておこう。
 まずは一月一日である。しかし、この日が祝日になっている理由は、新年の最初の日だからだけではない。1993年にチェコとスロバキアが、いわゆる「ビロード離婚」(最近は聞かなくなったなあ)をしてそれぞれ分離独立したのが、一月一日だったのだ。2000年からは、それを記念した祝日ということになっている。
 次は、五月まで飛んで、五月一日。言わずと知れたメーデーで労働者の日ということになるのだろう。現在でも共産党や労働組合がプラハで全国集会を開いている。
 その一週間後の五月八日も祝日である。各地に五月八日通りという名前の通りがあるのと同じで、第二次世界大戦のヨーロッパにおける戦争が終了したことを記念した日である。ドイツが降伏した日と言ってもいい。共産主義の時代には、ソ連の公式見解を受けて五月九日が、第二次世界大戦が終わった日として祝日になっていた。ソ連軍がプラハに侵攻して、チェコスロバキアが解放された日という意味あいもあったのかもしれない。
 次の祝日は七月で、学校に通っている人たちにはまったくありがたくない祝日である。五日が九世紀に、ビザンチン帝国から大モラバ国のスラブ人にキリスト教と文字を伝えたツィリル(キリル)とメトデイの兄弟を記念した日で、六日はチェコの宗教改革者ヤン・フスが火刑に処された日として祝日に指定されている。
 九月二十八日は、チェコの守護聖人である聖バーツラフが暗殺された日ということで祝日になっている。時々この日をチェコの独立記念日だという人がいるが、実際にはチェコの国体の日とでもいうべき日である。現在のチェコ共和国の独立記念日は、スロバキアと分離独立した一月一日だし、チェコスロバキア第一共和国が1918年に独立したのは、次の祝日となっている十月二十八日のことである。
 十一月十七日は、ビロード革命のきっかけとなった学生達たちのデモが起こった日であることを記念して祝日とされている。最近国会では、この祝日の名前を「国際学生の日」に変えようという動きもあるらしいけれども、祝日でさえあれば名前などどうでもいい。ただ、理解できないのは、チェコだけで休みになる祝日の名称に「国際」という名前をつけようという言語感覚である。政治家や官僚なんてどこの国でもそんなものというところだろうか。
 最後は冬至のお祭りを起源とするクリスマス関係の祝日で、十二月二十四日から二十六日の三日間が祝日になっている。ここも冬休みと重なるのでありがたみはあまりない。

 ちなみにイースター関係では、イースター前の水曜日が「醜い水曜日」、木曜が「緑の木曜日」、土曜日が「白い土曜日」と呼ばれている。

3月26日13時30分。







タグ: 伝統行事 祝日
posted by olomou?an at 07:22| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2016年03月27日

ベリコノツェ、またの名をイースター(三月廿四日)



 昨年だっただろうか、ハロウィンで大騒ぎをする若者達の姿がニュースとなって流れたのは。現在は一部の人たちが盛り上がっているだけのようだが、クリスマスやバレンタインなど、これまでさまざまな商業行事を導入してきた日本だから、これもそのうち定着していくのかもしれない。存在が知られてからかなり時間が経っているのは、80年代の終わりだったか、90年代の初めだったかに、アメリカに留学していた高校生がハロウィンの際に射殺されてしまったという事件の衝撃の大きさゆえだろうか。
 では、ハロウィンの次に来るものはと考えて、イースターはどうだろうと思いついた。他の国のイースターは知らないが、チェコやスロバキアのイースターならイベントとしては、面白いと言えなくもない。日本だと、イースターは「復活祭」などと訳されてキリスト教と密接に関係していると思われているようだが、本来はキリスト教とは関係のない春の訪れを祝う行事で、特にチェコのイースターには、キリスト教の香りはまったくない。もちろん信者の中には教会に行くという人もいて、特別なミサも行われているようだけれども。

 イースターの月曜日の朝、男の子たちは、柳の木の若枝を何本か編んで作った柔らかい棒を持って女の子の友達のいる家を巡る。呼び鈴を押して、持参した棒で出てきた女の子のお尻を叩いて、そのお礼に棒の先にいろいろな色のリボンを結んでもらう。話によると、女の子が健康で丈夫な子供が生まれるようにという願いを込めてのことだという。またイースターエッグをもらうために、叩きながら「色つきの卵をちょうだい。色つきがなければ白いのでもいいからちょうだい。どうせ鶏がまた産んでくれるでしょう」などという内容の歌を歌う。他にも女の子の家では、男の子たちに配るためのお菓子を焼いて準備しておかなければならないらしい。
 子供たちだけでなく、若者たちも民族衣装を着て楽器を抱えて歌を歌いながら、知り合いの女性の家を回る地域もある。この場合、焼いたお菓子だけではなく、スリボビツェやウォッカのような蒸留酒も供されることになり、昼間から酔っ払いの集団が出来上がる。

 どうだろうか。子供たちの間で流行ると、いじめの口実になりかねないので避けたほうがよさそうだけど、若者の間なら、パーティーのイベントなんかになら出来そうな気もする。でも、女性が一方的に叩かれて、お菓子や卵やお酒を準備しなければならないというのに、女性差別だとかなんだとか言い出す人もいるかもしれない。チェコの都市部でも、その性かどうかは知らないが、ほとんど廃れてしまった行事になっている。
 でも、スロバキアに行くと、さらに女性にとって過酷になるのだ。チェコと同じように棒で叩くところもあるらしいが、それに加えて女性に冷たい水をかけるところが多い。ひどいところでは、春とも言い切れない川や池に女性を投げ込む。そんなニュースを見た記憶があるのだが、記憶違いであると思いたいような気もする。これはさすがにやめたほうがよさそうだ。

 では、商売のネタになるだろうか。イースターに関する商品として売られているものとしては、まず、田舎では自分で作る男の子たちが女の子をたたくために使う柳の若枝を編んで作った棒。これは、イースターのころにチェコにきたらお土産にはなるかもしれない。一般には「ポムラスカ」と呼ばれているが、他にも地方によっていろいろな呼び名があるらしい。それから、これはチェコに限らないが、イースターエッグ。チェコのチョコレート会社は、イースターの時期だけ子供向けに、卵の形をした中が空洞になったチョコレートや、イースターのシンボルらしいウサギの形をしたチョコレートを販売しているが、基本的には子供向けの商品だからなあ。

 スタロブルノというビール会社は、イースターのビールと称して、緑色のビールを販売している。これは、イースター前の木曜日が「緑の木曜日」と呼ばれるところから来たものらしい。だたし、それほど美味しいものではないし、無理して飲んだり何杯も飲んだりする必要はないだろう。たまたま入った飲み屋で出していたら、話の種に飲んでみると言うのが正しいスタンスである。口の悪い知人は、アイルランドの聖パトリックの日に飲む緑のビールの真似で、その残り物をイースターのビールに回しているんじゃないかなんて言っていた。チェコのワイン業者がフランスのボジョレヌーボーを真似て、聖マルティンのワインなんてものを始めたという例もあるので、あながち間違いではないような気がする。

 ちなみに、チェコ語では「イースター」を「ベリコノツェ」というのだが、イースター諸島も、「ベリコノツェの島々」と呼ばれている。モアイの作成と移動に関して画期的な説を出したチェコ人もいるのである。

 ちょっと気の利いた話にしようとして自爆。普通にイースターの話を書いたほうがよかったかなあ。反省の意もこめて恥をさらすことにする。「大失敗作」というカテゴリーを作ろうかしらん。

3月25日23時。




タグ: 伝統行事 失敗
posted by olomou?an at 06:21| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2016年03月26日

いんちきチェコ語講座(いくつめだっけ) 方向を表す前置詞(三月廿三日)



 以前、場所を表す前置詞に「v」と「na」があって、使い方の区別がややこしいという話を書いた。その後すぐに、方向を表す前置詞「do」と「na」についても書くつもりだったのだが、いつの間にか忘れてしまっていた。
 「do」と「na」の区別は、「v」と「na」の区別と同様である。一言で言うとこれで終わってしまうのだが、具体的に説明していこう。「do」の後に来る名詞は二格になり、「na」の後に来る名詞は四格になる。原則として場所を表すときに「v」を必要とした名詞は、方向を表すのに「do」を使い、場所に「na」を使う名詞は、方向にも「na」を使うのである。だから区別がわからなくて、いちゃもんを付けたくなるものも同じになってしまう。

 そこで、今回はちょっと視点を変えたところからいちゃもんを付けることにする。「do」を付ける名詞と、「na」を付ける名詞は、厳密に区別されるのだが、たまにどちらも使えるものがある。一番最初に習ったのは冷蔵庫だった。動詞の「dát」(本来の意味は「与える」だが、日本語に訳すと、さまざまな動詞に訳せる)を使うときに、「do ledni?ky」と言うと、冷蔵庫の中に入れるという意味になり、「na ledni?ku」と言うと、冷蔵庫の上に置くという意味になる。つまり内部に入っていくときには「do」、表面で止まるときには「na」という区別だと考えればいいのだという。
 ということは、「na」を必要とするチェコ語のトイレ(záchod)は、われわれが用を足すあの空間ではなく、その下にある出したものが落ちていく空間を指すということなのだろうか。だから、トイレに行くのに、間違えて「do」を使うと、大笑いされてしまうのか。用を足す空間は、チェコ語のトイレで想定される空間の上面に接していると考えれば、この「do」と「na」の区別は理解できそうだ。

 それなら、人の家に遊びに行くときは、家の中に入るから「do」を使えばいいのかというと、そんなことはない。単純に「do domu」の後に、人名を二格でつければ、「誰々の家に(行く)」となりそうだが、チェコ語では、「家に(行く)」「家で(する)」と言う場合には、特別な副詞的な言葉を使う。だから「do domu」ではなく、「dom?」となり、これは名詞ではないので、二格で後からかけることができない。そのため、別な前置詞「k」+人名の三格を使わなければならない。全体で言うと、「k+人名の三格+dom?」になるので、それぞれを日本語に直訳すると「誰々のところに、うちに(行く)」と言うことになる。場所を表す場合も同様で、「u+人名の二格+doma」という形で使う。面白いことに、同じスラブ語でもポーランド語は日本語的な「do domu+人名の二格」が使えるらしい。ポーランド語のほうが、チェコ語より日本語に考え方が似ているというのはなんか悔しい。

 それから、もう一つの問題は、場所を表す前置詞を使うのか、方向を表す前置詞を使うのかである。これは動詞によって決定される。「行く」「来る」のような、移動していくことを表す動詞の場合には、全く問題がないのだが、ややこしいものがいくつかある。日本語で「置く」と認識できる動作の場合、チェコ語では前出の「dát」以外にも、「polo?it」「nechat」などの動詞で表されるのだが、「机の上に置く」であれば、前二つは「na」+四格、最後は「na」+6格を取るのである。日本語に動詞だけ直訳すると、「polo?it」は「置く」、「nechat」は「残す」と訳し分けられるのだが、日本語ではどちらも助詞「に」を使えばいいので、これはチェコ語の勉強を始めて廿年近く、チェコで生活を始めて十五年ほどたった現在でも間違い続けている。わかっていても間違える問題だから、どうしようもないのである。
 また、「前」を意味する「p?ed」も、場所なのか方向なのかで、七格になる場合と四格になる場合がある。チェコ語を勉強し始めてすぐに覚えたことの一つが、前置詞「p?ed」は七格を取ると言うことだったせいもあって、「p?ed」+四格は今でも使えないことが多い。

 思い返してみると、勉強を始めたころに、同じ「ここ」でも、場所を示す「tady」と、方向を示す「sem」の違いがあるということを繰り返し繰り返し何度も説明されて、完璧にできるようになったとは言えないけど、重点的に勉強した。それなのに、チェコ語の方言の中には、この「tady」と「sem」を逆に使う方言があると言うのだ。それを知っていれば、間違えて怒られたときに、方言なんだよという言い訳が使えたのにと思うと悔しくてならない。師匠に言ったら、それに対して、「ほう、そうか、お前は、モラビアの人間ではなく、シレジアの人間なのか」と返されて、モラビア人でありたい私には反論できなくなりそうだけど。
3月23日18時30分。


2016年03月25日

オロモウツレストラン巡り(三月廿二日)



 二月の終わりから三月にかけては、日本から来るお客さんが多く、毎週誰か彼か来ていて、昼食、夕食を一緒にすることが多かった。毎回同じところではつまらないので、いろいろなレストランに出かけることになってしまう。最近オロモウツについてあまり書くネタがないので、今回出かけたオロモウツのレストラン(ビアホールかも)について書くことにする。

 一番よく行ったのは、以前も書いたミニビール醸造所の スバトバーツラフスキー である。ここでジェザネーという黒と金色が半分半分に分かれたビールを飲んでもらうのが、オロモウツに来て最初のイニシエーションになりつつある。最近は近くの郵便局だったところに、高級バージョンのレストランも誕生したので、落ち着いた雰囲気のスノッブな雰囲気に浸りたいときには、そっちに行くのもいいのかもしれないけど、オロモウツらしからぬ値段になっているのが問題である。
 ミニ醸造所の モリツ もビールはとても美味しい。でも、混んでいることが多く予約しておかないと入れないのが玉に瑕である。今回は人数が四人と少なかったので何とか入れたけれども、数が増えると予約も取れないことがある。こんなビアホールで、大声でワイワイしゃべりながらビールを飲むのは幸せである。しかも、日本の居酒屋風にみんなで頼んでみんなで食べるという方式が使えるので、チェコにいながら日本で飲んでいるような気分になれる。これはモリツに限ったことではないけど。
 ピルスナー・ウルクエルが指定するオリジナルレストランになっている ドラーパル にも、最近よく行くようになった。以前はたばこの煙がもうもうと立ち込めていて、あんまり行きたくなかったが、完全禁煙になったので行きやすくなった。ホルニー広場のアリオンの噴水のわきを通って広場から外に出ていく通りが大通りにぶつかるところの交差点にある。お店の前に一服のために人がたむろしているのはお店としてどうなんだろう。通行の邪魔になることもあるので、何とかしてほしい。
 この三軒は、食べるよりも飲むために出かけるので、料理はおつまみ感覚で、あまり意識したことはないのだが、連れて行った人から不満が出たことはないので、それなりには美味しいのだろう。一体にオロモウツのレストランの味は、この十五年で見違えるほどによくなっているので、よほど変なところに行って変なものを頼まない限り、まずくて食えねえと思うことはないはずである。

 そして今回初めて行ったのが、オロモウツ三軒目の醸造所付きレストランの リーグロフカ である。小麦のビールと週替わりの特別ビール(果物などの風味の付いたビール。今回は西洋ニワトコの花風味のビールだった。飲んでないけど)以外には、ちょっと黒めのビールしかないのが残念だった。十分以上に美味しかったけど、普通の黄金のビールが一種類は欲しい。ホルニー広場からバチャの脇の通りを入ったところで交通の便は非常にいいところである。ただお店の入り口の看板などが完成していなくて、営業しているのかどうかわかりにくくなっている。

 クラシック音楽のファンには、ドルニー広場のモーツァルトの滞在した建物に入っている ハナーツカー がお薦めである。再開店してから行ったことがないので、何が食べられるかは知らない。ハナー地方の料理だろうとは思うけど。それが、不安な場合には隣の 赤牛の店 (別名赤べこ屋)のほうがいいかもしれない。インテリアに古い家具や楽器などが、使われていて落ち着いて食事するにはいい店である。大人数で行っても大声で話さなくて済むのがありがたい。さらに隣の階段を登ったところに最近移ってきたのがネパール料理の専門店である。以前は少し離れたアイリッシュパブでネパール料理のカレーなんかを出していたのだが、それがドルニー広場に進出してきたらしい。ただ、この場所はレストランの入れ替わりが激しいところなので、近いうちにまた別の店に代わるかもしれない。

 それから、音楽ファンにはホルニー広場のシーザーの噴水の近くにある喫茶店マーラーと、その角の通りを少し入ったところにあるマーラーの住んでいた家に入っている カフェ・デスティニ も薦めておこう。デスティニは、カフェという名前がついているけど、お昼の定食は毎日出している。夜はどちらかというとお酒を飲むお店になりそうな感じである。

 これも、今回、人に連れられて初めて夕食を食べに行ったのが、 カフェ・ニュー・ワン というお店である。カフェーと言いつつ普通のレストランで、ただチェコ料理はなくイタリア料理のスパゲッティとかリゾットとかそんなのが中心だった。大通りを通るトラムの中からインテリアの大きな丸い形のシャンデリアが見えるので、高級店なのかなと思っていたら、みんな普通のジーパンなんかで来ていたから、そういうわけでもないらしい。ホームページを見ると本格的なコーヒーのお店のようにも見えるので、今度はコーヒーを飲みに行ってみよう。
 これから、新しく改修されたクラリオン・コングレス・ホテル(旧名シグマ・ホテル)の レストランベナダ に行くことになっている。ホテルのレストランは、一年半ぐらい前にサッカーのスタジアムの近くのNHホテルに行って以来かな。あそこは何を食べるか悩んだけれども(その理由は察してほしい)、今回はどうだろうか。

 さて、つらつらと何軒かのレストラン(むしろビアホールかも)を紹介してきたが、今でも私にとってオロモウツで一番いいレストランは、 ホテル・ブ・ラーイ のレストランである。数年前に閉店してしまったのが残念でならない。それまでは、日本からお客さんが来ると、食事に行く場合には、必ずそこに連れていっていたのだ。復活してくれないかな。

3月23日15時30分。



2016年03月24日

金銭授受(三月廿一日)



 昨年の秋ぐらいに勃発した日本のプロ野球のスキャンダルがなかなか収束しそうにない。野球人が野球賭博に手を出したのは、その筋の人が絡んでいなくても、やはりまずいだろう。最近いろいろなチームで表ざたになりつつある「金銭授受」と、何だかよくわからない言葉で書かれた行為に関しては、どうなんだろう。そこまで責められるようなことではないような気もするし、やっぱりよくないというような気もする。
 日本でのことについてチェコから書いても仕方がないので、チェコのプロスポーツの、とは言ってもほとんどサッカーだけけれども、この手のお金のやり取りについて、いくつか知っていることを書いてみる。

 チェコのサッカーの中継を見ていると、キャリア初のゴールを決めた選手に対して、「このゴールは高くつきそうだ」とか言うことがある。特別な活躍をしたから監督やオーナーから賞金が出るという意味の高くつくではない。ゴールを決めた選手がお金を払うらしいのだ。チェコのサッカーチームには、選手の中に金庫番と呼ばれる選手がいて、選手達からお金を集めてチーム全体のために使っているのだそうだ。具体的にどんな理由でお金を取るのかや、何のためにお金を使うのかはわからないが、何かで罰金を取ったり、チームで宴会をするときなどに使ったりするのだろうか。
 その選手たちの金庫に徴収されるお金の一つが、ゴールを決めた選手が、支払うお金だと言う。特にキャリア初のゴールだったりすると、大目にお金を出すことになるらしい。まあアマチュアゴルファーが、ホールインワンを決めたときに、ご祝儀を配るようなものなのかもしれない。額は金庫番が設定するようだから、選手の年収も考えて若い選手から大金を取ったりはしないと思いたいところである。
 金庫番の選手が移籍するときには、次の金庫番にお金を引き継ぐのが普通だが、金庫番が金庫を持って行ってしまうということがあるらしい。数年前にスパルタの最終ラインに君臨していたイギリス帰りのジェプカが、追い出されるように移籍したときに金庫を持って行ってしまってスパルタの選手たちが困っているという記事が、スポーツ新聞をにぎわせた。急な移籍で引き継ぐ時間がなかったということかもしれないが、ジェプカならやりかねんよなあというのが正直な感想である。

 次は労働規約上どうなんだろうと不思議なのだが、チームの成績が低迷したときに、オーナーが選手に罰金を科すことがある。こんなことがまかり通るのは、もちろんオーナーの権限の強い一部のチームだけで滅多にないことだけど、これまでに何度がそんなニュースを読んだ。飲酒運転で捕まったリンベルスキーにも罰金が科されていたけれどもこれはまた別のお話だろう。
 そして、成績が低迷しているときに、選手たちが自らの発案でお金を出し合ってファンを招待する、つまり入場料を無料にすることもある。負けが続くと観客がてきめんに減るのが、チェコのサッカーなので、少しでも多くのファンに試合を見に来てほしいという意味もあるだろう。オロモウツでも以前何度か行われていて、友人から今日はタダだからサッカー見に行こうなんて誘われたこともある。それが、勝利という結果をもたらしたかどうかについては記憶がない。今年もうちのチームは超低空飛行状態なので、無料試合をやるかもしれない。見には行かないだろうけど。

 チェコテレビのサッカーの中継で、チェコだけの風習だからとっととやめてしまえと言われているのが、レンタル移籍した選手は、レンタル元のチームとの試合には出場できないというローカルルールである。不思議なのは、一律に不可というのではなく、出場する選手もいることだ。両チームの契約によると言うことなのだろうが、何を基準に決めているのだろうか。
 この前スラビアの関係者が話していたによれば、出場できるかどうかはレンタルした選手の給料を誰が出しているかによると言う。すなわち元チームとの契約に基づいた額の給料を、レンタル先が全額負担している場合には、出場できる契約になるが、レンタル先のチームにお金がなく給料の一部をレンタル元のチームが負担しているばあには、出場できない契約になると言うのである。言われてみれば、一部とはいえ給料を出してくれているチームとの試合に出場するのは、同義に反するかもしれないし、八百長の温床になりかねないとも言えそうだ。

 改めてスポーツ選手と賭け事について考えてみると、チェコはギャンブルのお金がスポーツに流れるという回路が出来上がっているので、スポーツ選手が賭け事をすること自体をとやかく言う空気はあまりなさそうである。もちろん自分のスポーツ、特に自チームを賭けの対象にするのはご法度だろうけど、チェコのスポーツ選手が依存するギャンブルというと、カジノなんかのスロットマシーンというイメージになってしまう。シマークやフェニンなどのギャンブルで身を持ち崩して失われた才能を思うと、プロの選手には契約で禁止したほうがいいのかもしれないと思う。日本でも休日にパチンコにいそしむプロ選手ってのはイメージがよくなさそうだし。

 2005年ぐらいにチェコで発覚した審判買収事件の首謀者、ビクトリア・ジシコフのGMだったホルニークは、裁判で十年間サッカーと関わることを禁止するという判決を受けていた。後に禁止期間は短縮され、五年後にサッカー界に復帰し、去年から現チェコサッカー協会会長のペルタがオーナーを務めるヤブロネツのフロントで仕事を始めてしまった。うーん、サッカー協会、大丈夫なのか、こんな会長で。
3月22日16時30分。



 これ、ちょっと欲しいかも。3月23日追記。


タグ: サッカー 買収

2016年03月23日

映画『トルハーク』が日本語で撮影された場合の考察(「トルハーク」三度)


 今回、我々チェコ語学習者有志の手によって上映会を実施することになったこの映画の内容については、池同志の書いたレポートを読んでもらうとして、主人公だと思われる映画監督の撮影方法を、一言で言えば、「言葉通り」と言うことになる。もう少しわかりやすく言うと、脚本に書かれていることを、そのまま映像にしてしまうのである。
 例としては、ミュージカルの舞台となる村の周りに広がる森の中の様子を描いたシーンを挙げておけば十分だろう。恐らく脚本のト書きには、「鳥たちは踊り歌い、蝶たちが舞い踊る」とでも書かれているのだと思うが、珍妙なコスチュームを身にまとった俳優たちが、これまた珍妙な歌を歌いながら踊るのである。それは、貴族風の男性が渋い声で歌う「虫をして生かしめよ」という歌詞とあわせて、シュールとしか言いようのないシーンを作り出している。
 そして、「蛇はどこだ?」という監督の台詞と、手も足も動かせないように気を付けの状態でコスチュームに包まれ、撮影現場に向かおうと四苦八苦している蛇役の俳優の姿に唖然とさせられる。それにしても、脚本には一体何と書いたあったのだろうか。因みに日本人ならこの場面の蛇役の俳優の姿に、ツチノコを思い起こしてしまうのは仕方のないことだと思う。

 さて、本稿で取り上げたいのは、言葉通りに撮影されたあるシーンである。それは、ミュージカルの主人公ティハーチェク氏の姉である郵便局員が、職場の窓から、外に銃を片手に立っている森林管理官を見つめているシーンなのだが、撮影自体はつつがなく終わる。しかし、その後、郵便局員の手が窓枠から離れなくなるという騒動が起こるのだ。脚本に、比喩的な表現で、「彼女は窓から離れられなくなった」とか、「窓に貼り付いてしまった」と書かれているところを、言葉に忠実に、女優の手に接着剤を付けてくっ付けてしまったらしい。そんなことをしても、しなくても、映画内映画の映像的には何の違いもないのにもかかわらずである。
 ここで考えてみたいのは、いや、考えてみたからと言って何がわかると言うわけでも、何かいいことがあるというわけでもないのだが、このシーンが日本語で書かれていたらどうなるだろうかということである。つまり脚本が日本語で比喩的に表現されていた場合、この監督が撮影するこのシーンがどうなるのか少し考えてみたいのだ。

 このような、誰かに見とれてしまう場合に、使われる表現はいくつかあるが、無難なところから始めるとすると、「男から目が離せなくなった」からだろうか。これを『トルハーク』の監督が映像化したとしたら、考えられるのは、女性の顔を離れないように男に押し付けることだろう。しかし、郵便局の中と外という位置関係と、チェコの建築物は壁が厚いことを考えると、こういうシーンの撮影は難しそうである。
 次に考えられるのは、「男に目を奪われてしまった」という表現である。この場合、スプラッタなシーンになってしまうのだが、男が女性の目をえぐり取ることになる。もちろん、実際に目をえぐるのではなく、特撮技術を使うことになるだろうが、これではコメディーがホラーになってしまう。この監督のことだから、ホラーな画面もコメディーになってしまうのだろうし、実際に金欠で森に幽霊の出てくるシーンの撮影が出来なくなった際には、既存の映画の幽霊の出てくるシーンを切り出してつないで代用するという荒業に出て、反応に困る映像を作り出してしまうのだが、ここでは関係がない。とまれ、この方法でも、建物の中と外という壁は越えられそうにない。
 三つ目は、「男に目が釘付けになってしまった」という表現だが、これもこのままでは血の飛び散るシーンが出来上がってしまうので、「目」から少し離れて、「男に見とれてその場に釘付けになってしまった」にしてみよう。これでも、足を釘で床に打ち付けるという残酷なシーンになる可能性もあるが、靴だけを打ち付けることでも言葉の意味を十分に満たすことが出来るのである。しかも、撮影中は問題なく、結果として何の変哲もないシーンが出来上がるのに、終わった瞬間に問題が起こるという点でもチェコ語版と同じにすることができる。
 そして、「目」から離れてしまえば、他にも例えば、「その場でカチカチに固まってしまった」や、「その場に凍り付いてしまった」など、いかにして映像化するかはともかく、いろいろな表現が候補に挙がってくる。『トルハーク』は、見て楽しむだけでなく、こんな楽しみ方もできるのである。皆さんも、いろいろなシーンで脚本にどんなことが書かれているのが想像しながら見てほしい。



 これもわけあって、一年ほど前に他人のふりをして書いた文章。収まりがついていない気がするけれども、投稿してしまう。今回の見直しで、脚本には「彼女は窓から離れられなくなった」というようなことが書いてあり、同時にそのシーンに使うものとして糊(ボンドでも可)が挙げられていたため、この二つの要素をくっつけて、手を接着剤で窓にくっつけるという展開になったことが判明した。3月23日追記。
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