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2016年03月03日
民間療法(二月廿九日)
恥をさらすようだが、これまでに二回救急車を呼ばれたことがある。二回ともいわゆる腎臓結石で痛みに七転八倒していたところ、見かねた人が救急車を呼んでくれたのだ。
一度目はチェコに来て一年目のことで、尿検査を受けてその場で注射一本で終わったが、救急を呼んだ経費は誰が払ったのだろう。あのころ入っていた保険は旅行保険で、こちらで払っておいて後でその分を請求できるタイプの保険だったはずだが、お金を払った記憶はない。頻繁にトイレに行くために水分をたくさんとるように言われ、ビール、特にピルスナー・ウルクエルを飲むように勧められた。さすがに医者はそんなことは言わなかったが、一説によるとピルスナー・ウルクエルは結石を溶かすらしいのである。本当なのか?
昨年、チェコ人は一年間に人口一人当たり147リットルのビールを消費し、これは世界でももっとも多い数字だと言う。この数値がどのようにして出されたものなのかは知らないが、チェコ国内におけるビールの消費量を人口で割るという簡単な方法で出しているのなら、チェコ滞在一年目の私は、大いにこの数字の向上に貢献したことになる。医者にビールを飲んでトイレに通うことを指示された後は、よほど体調が悪くならない限り毎晩夕食の名目の元に飲みに出かけ、最低でも二杯、後期には三杯飲むという生活を続けていたのだ。次第に酒量が増えていくのに危機感を感じて、一年ほどでその生活に終止符を打ったが、一年間に最低でも400リットル以上は飲んだ計算になる。統計上は二年に分かれてしまうのだけれども。
二回目は歯医者で治療を受けている途中で痛み始め、うちに帰って飲んだ痛み止めも効かず苦しんでいたら救急車を呼ばれた。急患扱いで病院に搬送され、二泊三日の入院を体験してしまった。中世の自殺の原因で一番多かったのがこれなんだよねという医者の言葉に思わず納得してしまった。痛んでいる最中は、この痛みがなくなるのなら何でもすると、こんな痛みが続くのなら死んだほうがマシかもしれないと思った。じっとしていても痛いのに、ちょっと体を動かすと、さらに激痛が走るので、痛みを感じている間は自殺さえもできそうになかったけど。
診察を受けて痛み止めの注射を受けた後は、ひたすらお茶を、なんだかよくわからないハーブティーを飲まされていた。利尿作用があって結石を流しだすには一番いいらしい。病院で出すような普通の薬ではなく、お茶というのに少し驚いたが、お茶のおかげか入院二日目には痛みを与えていた大きめの石が出て、その翌日には無事退院となった。退院後もちょっと熱っぽかったりしたが、医者の勧めに従って、例のお茶を毎日飲んで、ピルスナー・ウルクエルも毎日一本飲むようにしていたおかげか、あれからすでに十年近く、再発はしていない。
この結石だけでなく、チェコの医者では、薬ではなくお茶やお酒などを勧められることが多いようだ。そのため、医者以外でも、おなかが痛いときにはロフリーク(角の形のパン)を食べろとか、この場合にはベヘロフカ(薬草酒)がいいとか、ジンがいいとかそんなことを言う人が多いのは医者の影響だと思う。医者が患者にお酒を勧めるのには、違和感を感じなくもないのだが、何でもかんでも化学的な薬品に頼ってしまうよりは、いいのではないかと思う。
ただ、正直な話、チェコのお医者さんがこんなことを言うのは意外だった。チェコの薬は、風邪薬、痛み止めなど、市販されているものでも、日本の物より強いという印象がある。それにチェコの医者は、抗生物質を出すことが多い。こんなに出していたら耐性菌ができて後で問題になるんじゃないかと思うぐらい簡単に出してくれる。
私は風邪程度では医者にはいかない日本人なので、それで抗生物質をもらったことはないのだが、虫歯が悪化したときに抗生物質を出されたことがある。虫歯の菌が神経の奥のほうまで入ったせいか、炎症を起こして口がほとんど開けられなくなるという状態になってしまったのだ。痛みも激しく、痛み止めを飲むのだが、痛み止めが切れるとまた激痛に襲われるので、夜痛みで目が覚めるのが怖くて、眠りたくないと思ってしまったほどだった。かなり強い消毒薬などを使って虫歯のある辺りを浄化してもらって痛みは和らいでいったのだが、最後に抗生物質を飲むように言われて処方箋を渡された。使用上の注意を見て、この抗生物質の服用中はできるだけ日向に出ないようにと書かれていたのに、こんなものを飲んでもいいのかと不安になったのを覚えている。
きれいな言葉で言えば、伝統的な民間療法と、最新の化学的な療法とが共存し補い合っていると言えるだろう。ただ、そう言いきるにはかかった医者の数が少ないし、チェコなので人によって言うことが違うという落ちになるのではないかという気もする。とまれ、チェコに来ると、薬だからと言われて、朝からスリボツェを飲まされることがあることは警告しておきたい。
以前、警察のために日本人が関係した事件の報告書を翻訳したことがあって、そのお礼にパトカーで送ってもらったことがある。つまり、チェコで救急車とパトカーには乗ったことがあるのである。救急車は乗ったというよりは乗せられて運ばれただけれども。あとは消防車に乗ることができれば、完璧だと機会を狙っているところである。
3月1日16時。
どうにもこうにも話がうまく収まらない気がしてならない。それはともかく、ベヘロフカ発見。いろいろなお店で取り扱われているようで隔世の感を感じる。昔はどこにも売られていなくて、輸入元まで買いに出かけなければならなかったのに。3月2日追記。
2016年03月02日
童話映画(二月廿八日)
最近、日本で子供向けの映画というと、アニメーション映画か、実写でも漫画が原作ということが多いが、チェコでは漫画の力が強くないこともあり事情が異なる。今でも、昔話、おとぎ話と言われるような子供向けの童話をモチーフにした映画が撮影され続けている。登場する俳優たちも、一部の子役を除けば、普通の映画と変わらず、主人公たる王子様、お姫様は、若手で実力を評価された俳優が演じることが多い。
毎年、クリスマスの時期になると、テレビはこの手の童話映画一色になる。チェコテレビでは毎年新作が一、二本放送されるが、それ以外は、一部を除くと毎年同じものを各テレビ局でローテーションしている感じである。特に定番とも言える作品は、クリスマスの時期だけではなく、夏休みや、最近ではイースターの時期に放送されることもあるので、年に三回は放送されているのではないだろうか。
ハードディスク付きのDVDレコーダーを買って十年ぐらいになるが、当初の目的は気に入った映画やドラマがテレビで放送されなくても見られるようにDVD化するというものだった。しかし、こんなに再放送が繰り返されるので、録画してDVDに落として以来一度も再生したことがない映画も山ほどあるのである。
古いところでは、「誇り高きお姫様」「金の星のお姫様」あたりを毎年テレビで見ることになる。最近は意識して見ないで、別なことをしながら時々テレビに意識を向けるという見方をしているので、両者のストーリーがごっちゃになっているのだが、前者はモノクロ映画で、プライドが高すぎて婿選びができないお姫様に、隣国の王子が庭師のふりをして近づいて親しくなり、花に二人で歌を教えたりしているうちに恋に落ち、駆け落ちしてしまうというストーリーだったかな。後者は、額に金色の星のついたお姫様が、持ち込まれた結婚話を嫌って、目立たないように鼠の皮で作ったフード付きのコートを身につけて、自分の城を出て行き、たどり着いた別のお城の厨房で働くうちに、その城の王子の嫁探しのパーティーが行われることになって、あとはお約束の結末が待っているというお話。
子供だましのご都合主義と言わば言え、子供の頃から繰り返し見続けているチェコの人にとっては、これがないとクリスマスが始まらない大切な作品で、放送されるとチャンネルを合わせてしまうという大人も多いのである。
他にも、ニェムツォバーの原作をもとにヤン・ベリフが、ブラスタ・ブリアンとともに出演している「塩は金よりも(=昔々あるところに王様が)」、アイドル歌手三人で結成したゴールデンキッズのうちのヴァーツラフ・ネツカーシュとヘレナ・ボンドラーチコバーが主役を務め、かなり前衛的な映像の出てくる実験作でもありそうな「狂おしき悲しみのお姫様」なども繰り返し放送されているが、チェコ人の間でもっとも人気のある童話映画となると「ポペルカ」以外には考えられない。
この作品はいわゆるシンデレラもので、グリム童話の「シンデレラ」とストーリーの大筋は同じである。昔、薀蓄たれの友人が「シンデレラ」というのは、ドイツ語では「灰かぶり」という名で呼ばれていて、日本にも「鉢かづき」なんて似た題名の似た話があるんだなどと言っていたが、チェコ語の題名もドイツ語と同じで灰と関係がある。チェコやドイツなどの、ヨーロッパのこの当たりには、「シンデレラ」の物語は、さまざまなバリエーションを伴って広がっていたのだろう。チェコ版の「ポペルカ」はニェムツォバーの原作がもとになっている。
70年代前半に、当時の東ドイツと共同で撮影されたこの映画には、チェコ人だけでなく、ドイツ人の俳優も出演しているらしい。もちろんドイツでも放映された、いや現在でも放映され続けているようで、撮影が行われた モリツブルク の城館には、その記念碑としてポペルカの靴の像が置かれているらしい。また、この映画は、「みつばちマーヤ」ドイツ語版の主題歌とともに、主題歌を歌ったカレル・ゴットがドイツ語圏でも不朽の人気を誇っている原因の一つとなっている。
このチェコ版シンデレラは、正式なタイトルを直訳すると「ポペルカのための三つの胡桃」(題名だということを考えると「ポペルカと三つの胡桃」と訳したほうがよさそうだけど)となるように、他の一般的なシンデレラ物語と違って、と書いて一般的なシンデレラを知らないことに気づいてしまった。それはともかく、ポペルカを見守るフクロウと、三つの胡桃の実が大切な役割を果たしている。母を亡くして継母にいじめられるポペルカをフクロウが励まし、肝心のときに胡桃の実を割ることで、ドレスや馬車などの必要なものが手に入るようになっているのだ。
監督の回想などを読むと、本来ポペルカ役に想定していたヤナ・プライソバーという女優が産休に入って、急遽別のニェムツォバー原作の映画「お祖母さん」で少女役を好演したリブシェ・シャフランコバーに白羽の矢を立てたり、当時の童話映画としては珍しく冬の撮影となったため、野外シーンで雪を求めてチェコやドイツをあちこちし、果てはスカンジナビアに出かけたりもしたと言う。コスチュームが夏の撮影を想定して作られていたので、野外での撮影中に俳優達は凍えていたと言う話もあったなあ。
とまれ、この作品で人気を不動のものにしたシャフランコバーは、以後さまざまな映画やテレビドラマに出演し、チェコ随一の人気女優になる。たしか、日本でも知られている「コーリャ」にも、どんな役だったかは覚えていないが出演しているはずである。そして、雪の中で撮影されたこの映画は、雪があるべきクリスマスの象徴として、毎年テレビで放送されるようになっていく。最近は放送回数が多すぎて、私は食傷気味ではあるけれども、チェコ人にとっては、ひょっとしたらドイツ人にとっても、クリスマス=ポペルカという等式は永遠のものなのだろう。
2月29日13時。
モリツブルクの城館のホームページは、英語版も、ドイツ語版も「ポペルカ」が取り上げられていた。チェコ語版によれば、冬の時期には「ポペルカ」を記念した展示が行われているようだ。
こんなのを発見してびっくりなのだが、商品名というか、商品の説明には大いに異がある。シャルル・ペローがどうこうとか、ゴスロリとかいうのは、不満はあるけれども、まあ解釈の問題だとして、監督名は、「ヴ」を使うなら、ヴァーツラフ・ヴォルリーチェクと書いてほしかった。それでもこんなのが日本で手に入るのは、時代だなあ。3月1日追記。
2016年03月01日
健康テロリスト(二月廿七日)
半月ほど前だっただろうか、日本から来られた方と話していて、面白い話を聞いた。その方も知人から聞いた話だというのだが、チェコに来た方が、レストランで料理を注文するときに減塩にしてほしいというお願いをしたというのだ。それで、減塩調理なんてしたことのないチェコ人シェフは塩を使わずに料理を作って出してきたらしい。高血圧なのか、脳卒中になる危険性を下げたいということなのか、よくわからないが、旅行中ぐらい開放感に浸って、そんな制限は外してしまえばいいのにとも思ったが、私のこの文章書きと同じで、一日ナアナアにしてしまうとずるずると行きそうで怖いと言う気持ちはわからなくはない。
ただ、どうなのだろう。我が知り合いたちがよく言うように、食事制限に気を使いすぎると、料理に何が入っているのかをいちいち確認しなければ食べられなくなって、そのストレスの方が塩分を多少多めによるよりも、はるかに健康に悪いのではないかという気もする。ときどき日本から食品を送ってもらうことがあるのだが、減塩のインスタント味噌汁が出てくると、うーんと思ってしまう。健康にはいいのだろうけれども、日本にいるならともかく、チェコでたまにしか食べられない和食ぐらいは、そんなことを気にせずに食べたいものである。
すでに旧聞に属してしまうが、昨年の秋ごろに世界保健機構の何とか言う下部組織が、ソーセージやハム、燻製の肉などを食べると発ガン率が上がると発表したというニュースに一瞬びっくりした。そして、正確には覚えていないが、発ガン性が高くなる分量と食べ方、上がるという発ガン率の差に、そういうのは誤差の範囲じゃないのかと言いたくなった。同じものを毎日大量に食べたり飲んだりすれば体によくないのは、別にこの手の加工肉に限った話ではないだろう。
1980年代の半ば、日本では科学雑誌が一時代を築いていた。若者の理科ばなれを憂えた竹内均が創刊した「ニュートン」を筆頭に、小学生向けの学習雑誌「科学」「学習」につながるものとして学研が発行していた「ウータン」、とりあえず売れそうな分野には手を出す日本最大の出版社講談社から出ていた「クオーク」の三誌がその中心を担っていたといえようか。うちでは「科学」「学習」時代からの付き合いで「ウータン」を購読していたのだが、学研ではオカルト雑誌の「ムー」も発行していた影響なのか、時々、麻原彰晃の記事のようなこれは何か変だと思う記事も載っているが不満で、「ニュートン」を購読していた友人の家がうらやましかったのを覚えている。「クオーク」は高校の図書館に入っていて目にする機会があったのだったか。
この三誌のうちのどの雑誌の別冊だったかは覚えていないが、分厚い科学関係の百科事典のような内容のハードカバーの別冊があった。その本ではさまざまな科学的な知識を得ることができたのだが、中でも、人間の体にとっては、本来あらゆる物質が毒であるという記事には衝撃を受けた。どんなに栄養のある物質であっても、人間の体にとっては異物であり、害よりは益の方が大きいから、毒だとみなされずに食べ物とみなされるのだと言う。摂取した際に害の方が、大きくなる分量に多寡の差があるに過ぎず、地球上で一番毒性の低い水でさえも、摂取量が多すぎれば死に到るのだとも書かれていた。たしか五リットルの水を一度に摂取すると、半数の人間が死ぬだったかな。
動物実験の結果から導き出された数値を駆使した記事には、説得力があり、どんなに好きなものでも毎日食べ続けることはしないという以後の生活の指針の一つとなる。お酒とかコーヒーとか、例外はあるし、どうしようもなく忙しくて毎日ファーストフードのお世話になった時期はあったけれども。
だから、毎日たくさん食べ続けると発ガン性が上がるなどと言われても、当たり前すぎて、無意味な言葉にしか聞こえない。こんな誤差としか言いようのない結果を発表するぐらいなら、毎日毎日ハンバーガーだの、牛丼などを食べ続ける食生活の危険性を訴えるキャンペーンをしたほうがはるかにましである。吉野家が牛丼は毎日食べても健康に悪くないなどという「研究結果」を発表していたが、冗談ではない。この手の健康にいい研究も、悪い研究も、いわゆるためにする研究のように感じられてならない。最初から求められる結果が決まっている研究などないほうがましである。
塩分や砂糖などいろいろな食品に含まれているものについては、ある程度意識する必要はあるのかもしれないが、一回一回の分量に神経質になるのではなく、長期的に考えたほうがいい。だから、一週間に一回ぐらいなら、ファーストフードのお店でハンバーガーと得体の知れない飲み物を買っても問題ないのではないだろうか。もちろん食べたい飲みたいという欲求があればの話だが。私自身はハンバーガーを食べたいと思うことはないが、たまに無性にポテトチップスやカップラーメンが食べたくなってしまって、体にはよくないだろうなあと思いながら食べてしまうことがある。
煙草にしても、今では麻薬になってしまったコカインにしても、かつては健康に害があるなどとは思われていなかったし、薬のように扱われていた時代もあるのである。薬とは役に立つ毒のことであると言う名言もあるが、現在健康にいいとされているものが、将来実は有害なものだったということにならないとも限らない。
煙草に関しては、本当にそんなに有害なのなら、子供が見たら泣き出してしまいそうな写真をつけるなんて方法は取らずに、常習性の高い麻薬として禁止してしまえばいいのに。禁止できない事情があるなら、薬品扱いして処方箋がないと買えないようにしてしまえばいい。煙草にだって適量というものがあるはずだから、医師がそれを指定することはできるはずだ。
書き上げるのに、これまでで一番苦労したかもしれない。その割には大した文章になっていないのが残念。ブログに載せるということで、無意識に穏当な表現を求めてしまうせいか、頭の中で考えているように文脈が流れていかないような気がする。うーん。
2月28日11時。
これも題名に偽りありかなあ。今回の敗因は、書いている途中、テレビでジェイミー・オリバーが、アメリカの学校給食を変えようとしてロサンゼルスで奮闘する番組が流れていたことに違いない。あれを見ていると、健康にいい食事とか考えなくてもいいじゃないなんてことは、書ききれなかった。2月29日追記。