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2018年11月10日

マサリク大統領についてあれこれ(十一月五日)



 マサリク大統領は、一般には南モラビアのスロバキアとの国境の町ホドニーンの出身で、当地のドイツ系貴族の所有する農園で働いていたチェコ人の下女とスロバキア人の馬丁の間に生まれたと言われている。それが、分断されていたチェコ人とスロバキア人が結びついて建国したチェコスロバキアを象徴するような生まれだとして喧伝されるわけだが、それに異を唱える人がいないわけではない。初代大統領の出自というデリケートな問題ではあっても完全なタブーとはなっていないようである。
 コメンスキー研究者のH先生は、以前お宅にお邪魔してあれこれお話を伺ったときに、マサリク大統領はハプスブルク家の実質的な最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の隠し子だったんだなんてことを仰っていた。その証拠としては、皇帝本人のだったか、皇帝の執事のだったかの手帳に、マサリク大統領の母親と同じ名前が書いてあって、その後に日付と処理済という言葉が記されているという事実を挙げられた。手帳には他にも皇帝が関係を持った女性の名前が書かれているらしい。自分では見ていないし、見ても読めないだろうけど、同名の別人ということがあってもおかしくなさそうではある。

 それに対して先生は、状況証拠になるけれども、マサリク大統領の経歴を見ると、ただの馬丁の子供だとは思えないと仰る。マサリクの生まれた19世紀の後半といえば、初等教育は一般に普及していたけれども、高等教育を受けられたのはごく限られた層だったと考えていいだろうか。当時の社会通念で言えば、社会の下層から出てきた子供が、確かブルノのギムナジウムを経てウィーンの大学に入り、さらにはプラハの大学の教授になるというのは稀有なことだったのは確かだろう。先生はこれについて、プラハであれウィーンであれ、マサリクが向かったところ、マサリクが望んだところのドアは、まるで自動ドアでもあるかのように開かれたのだと仰る。
 マサリク大統領に関しては、苦学して大学まで進学したというイメージを持っていたのだが、当時の社会では苦学して優秀さを示しても、有力な後援者でもいない限り大学まで進学すること自体が難しかったのだと言われれば、納得してしまう。戦前の日本でも書生なんてものが存在したわけだし。その有力な後継者の代わりになったのが、皇帝の落胤という出自だということなのだろう。

 先生は、このことを前提にすると、チェコスロバキアが独立しマサリク大統領が誕生したのは、歴史の皮肉だと続けられた。オーストリア・ハンガリー帝国側から見れば、非公式の行程の息子が領土を分割して戴冠してしまったことになるし、チェコスロバキア側から見れば独立してなおハプスブルク家の血を国家元首として戴くことになったのだから。先生はそう言ってからかうような笑みを我々に投げかけてきたのだけど、このマサリク大統領落胤説をどこまで本気で語られたのだろうか。
 こうであってもおかしくはない話だから、これをテーマに歴史小説というか、時代小説というか、誰か書いていないかな。こういうのは学術的に解明しても面白くないから、いろいろフィクションを盛り込んで、ありそうな嘘話にしてしまうのが一番いい。独立したばかりのチェコスロバキア軍の情報部が、オーストリアの秘密警察とマサリクの出自に関する文書を巡って争うとか。独立前のハプスブルク家の宮廷内でマサリクの処遇を巡る暗闘があるとか。あれば読んでみたいものである。

 マサリク大統領の妻となったのは、フランス系のアメリカ人シャルロット・ガリクで、この女性についてはチェコでもあまり語られることはなかったのだが、今年が独立百周年だということからか、ニュースなどの特集で、マサリク大統領との出会いや、いかに夫を支えたかなんてエピソードが紹介されていた。記憶に残っているのは、交際を申し込むつもりだったマサリク大統領が、夫人の受け答えに感動して、思わず結婚を申し込んだというエピソードと、チェコ人社会から敵視されていた時期に、もうチェコ民族の独立はあきらめてアメリカへ渡ろうかと弱音を吐いたマサリクを叱咤激励して活動を続けさせたという話である。
 マサリク大統領は、殺人犯と目されたユダヤ人を弁護して無罪を証明したり、チェコの民族の古さを証明するとされたゼレナー・ホラ手稿が発見者の作った偽書であることを証明するなどした結果、一時はチェコ民族の裏切り者扱いをされていたのだ。それにもめげず、祖国、いや自らの民族の権利の拡大と独立を求めて運動に邁進した人物としてイメージしていたのだが、その陰には夫人の献身的な支えがあったというわけなのである。交際を申し込もうとして結婚を申し込んだマサリク大統領の目は正しかったというところか。ミドルネームに夫人の旧姓のガリクを付けることを決めたのも、そんな夫人の素晴らしさを見抜いていたからと言えば、ほめ過ぎになるだろうか。

 マサリク大統領がハプスブルク領内にいられなくなって、国外でチェコ、チェコスロバキアの独立のための活動を続けていた時期にも、夫人はプラハに残って秘密警察の監視を受けつつ、子供たちを育て上げたという話だし、マサリク大統領の活躍の陰には常にシャルロット夫人がいて、ある意味でチェコスロバキアの独立に最も貢献した人物だと言えなくもない。ハベル大統領の最初の夫人であるオルガ夫人のことも考えると、チェコで敬愛される政治家は奥さんで持っているところがあるような気もする。マサリク大統領にも秘密の愛人がいたとかいう話もあるし、ハベル大統領は以前から関係のあったらしい二人目の奥さんと結婚しているし、そんなところも二人は似ているのかな。
 ハベル以後の大統領夫人というと、クラウス大統領夫人は、伴侶というよりはクラウス大統領信者という感じで、自分の夫のことを「パン・プレジデント」って呼んでいたなあ。二人目のハベル大統領夫人が親密さを強調しようとしてなのか愛称で「バシェク、バシェク」と呼ぶ違和感に比べればマシだけど。今の大統領夫人は控えめにすぎてほとんど存在感がない。テレビで見るたびにあれこの人だったっけと思ってしまう。
2018年11月7日15時30分。




値段が間違っているような気がする。

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2018年11月09日

森雅裕『いつまでも折にふれて/さらば6弦の天使』(十一月四日)



 久しぶりの森雅裕である。どの作品まで書いたか覚えていなかったので、確認してみたら前回は三月だから半年以上間が開いてしまった。なかなか書けなかった理由は、忘れていたというのもあるけれど、後期の作品については、初期の作品ほどには思い入れがないということに尽きるのだろう。読めば面白かったし、刊行されたことを感謝しもしたが、学生時代に読んだ本の方が印象に強く残るものなのだろうか。作風が多少変わったというのもあるのかな。

 とまれ、本書は1995年に私家版として刊行され、1999年に「森雅裕幻コレクション」の最終巻として、続編の『さらば6弦の天使』とともにKKベストセラーズから刊行された。『いつまでも折にふれて』の存在は『推理小説常習犯』で触れられていたから知っていたし、読んでみたいと切望していたから、出版社には感謝の言葉もないのだが、不満を言うなら二作合わせて一冊になっていたため、通常のノベルズの倍近い厚さになっていたこと。二冊に分けて刊行してくれれば、森雅裕の本が出たという喜びを二回味わえたのにと思うと残念である。当然、二作品を一度に読んでしまって、新作を読めた喜びも一回しか味わえなかった。
 分冊にしてほしかった理由はもう一つある。『推理小説常習犯』によれば、私家版の『いつまでも折にふれて』はCDケースのサイズで製本されたらしい。分冊だったらそれを復刻する形で出版することも可能だったんじゃないだろうか。CDについているブックレットと同じサイズの版型で活字も同じだとすると読みづらいことこの上なさそうだから、ノベルズ版を購入した人を対象に予約限定復刻出版をしてくれていれば、両方買ったのに。一冊5000円だった1000部ぐらいは捌けたんじゃないかなあ。5000円で200部限定だったファンの有志たちの手による自費出版も、手に入らなかったと嘆く声がネット上に上がっているわけだし。

 あとがきによれば、1994年と1998年に書かれた二作を、刊行年に合わせて1995年と1999年が舞台になるように書き改めたのだという。正直何でこんなことをしたのか、熱心な森雅裕読者にも理解できなかった。特に『いつまでも折にふれて』は私家版とはいえ、すでに刊行されたもので、KKベストセラーズ版が刊行された時点では、94年も95年も過去になっていたのだから。また、作品の内容的にも、小説内の時間設定が1年ぐらいずれていても問題があるようには見えなかった。
 この辺の妙なこだわりが森雅裕だと言ってしまえばそれまでなのだが、同じあとがきにある「陽の目を見ない作品ゆえに」続編を書いたというのは、まだわかる気がする。ただ単に刊行年に合わせるためだけに書き直すってのは、何か他に事情があって書きなおさなければならなかったんじゃないかと疑ってしまう。芸能界もので、例によって露骨なモデルが存在する小説だから、露骨さが出版社の許容する範囲を超えていたとかさ。現代小説で、執筆年と刊行年が違うから、作品の時代背景を刊行年に合わせるなんてことしてたら、年をまたく出版なんてできなくなるし、5年も10年も違うってんなら、テクノロジーの進歩に合わせて書きかえる意味もありそうだけど1年じゃなあ。
 どこがどう変わったのかわからない読者としては、改稿前のバージョンも読みたくなってしまうのは当然である。だからこそ、CDサイズのものを改稿しないまま復刻すれば、全体的な読者数に比べれば多い森雅裕中毒者たちはこぞって購入したはずなんだけどなあ。あの頃は、まだ今ほど出版業界も苦しくなっていなかったから、1000部やそこらの限定出版でちまちま稼いでられるかなんてところもあったのかなあ。

 それにしてもと思わずにはいられない。どうして『いつまでも折にふれて』だったのだろうか。「幻コレクション」の1でその存在を明らかにした『愛の妙薬もう少し……』を出版する手はなかったのだろうか。原稿を関係者に一枚ずつ配っておしまいにしたとか書かれていたけど、それから数年しか時間が経っていなかったはずだから、返してもらって印刷所に放り込むこともできただろうし、記憶をもとに書き直すことだってできたはずだ。森雅裕のことだから入念な取材の結果が残されていたはずだし。『椿姫』シリーズの続編を出してから、『推理小説常習犯』で私家版として紹介した『いつまでも折にふれて』を出すという順番で刊行されていたら、もう少し売れて、KKベストセラーズから新作が刊行されるという未来もあったんじゃないかと夢想してしまう。
 森雅裕の陽の目を見なかった作品は他にもあって、「復刊ドットコム」の 森雅裕のページ には、『雪の炎』と『微笑みの記憶』という作品も上がっている。前者の存在は「復刊ドットコム」に出会う前から知っていたけど、後者は全く知らなかった。何とか出版されないものかなあ。著者との交渉について前向きな返事とか書かれていても、ぜんぜん進展していないようだし。

 さて、表題となっている『いつまでも折にふれて/さらば6弦の天使』にの内容ついても簡単に触れておかねばなるまい。森雅裕の作品の中では『ビタミンCブルース』に続く芸能界物というかアイドル小説。苦手なジャンルなので評価もしにくいのだけど、心ないファンの問題とか、芸能界の暗い部分を描き出そうとしたのかなあ。これも森雅裕の作品でなかったら絶対に手を出していなかっただろう。
 最大の不満は、主人公の女性も、その相手役の男性も、いい人過ぎて、森雅裕の主人公を魅力的にしているひねくれた部分があまり感じられないところだろうか。話がつまらないとも登場人物に魅力がないとも言わないけれども、どこか主人公達二人の存在感が希薄なのである。もう少しあくの強い人物設定にしてくれた方が、森雅裕ファンには受けたんじゃないだろうか。ファンではない一般の読者がいたのかどうかはわからないが、なれていない人向けにはこのぐらいでちょうどよかったのかもしれないけど。
 とまれ、陽の目を見ていなかった森雅裕作品が刊行された最初の例になるのだから、ファンにとっては大きな意味を持つのである。
2018年11月6日23時25分。



今朝処理するのを忘れていた……。









posted by olomou?an at 06:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 森雅裕

2018年11月07日

政治家と金(十一月三日)



 政治家というものは金に汚いものだというのは日本もチェコも大差ない。チェコではビロード革命以来の既存政党は、共産党を除けば、クライアント主義といわれる汚職まがいの便宜供与を繰り返してきた。もちろんキックバックを受けているのは当然のことで、そのうち目に余るものは摘発されてきたが、全体的に見れば、一部の金持ち、影響力を持つ連中のための政治が行われていたと言っていい。それが、バビシュ首相にEUの助成金詐取の疑いがかかってもANOの支持率が落ちない原因の一つになっている。
 既存の政党がANOをポピュリストだとして強く批判するのは、自分たちのクライアントだった連中が政治の世界に入ってきて、政治家=クライアントという図式が出来上がった結果、受け取れていた謝礼がなくなったからでもあろう。逆に言えば、政治家とクライアントが完全に別々だった時期と比べれば、クライアントから政治家に渡る金が減った分、国庫から抜き取られる金が減ったと言ってもいいのかもしれない。これもANOへの支持が不思議と減らない理由であろう。クライアント主義の権化だった市民民主党あたりが、汚職ぎりぎりの行為でANOを批判しても、お前らが言うなである。
 また、ロビイストとかいう政治家に影響力を持つとされる連中とつるんであれこれよからぬことをやらかしていたのもANOではなく、既存政党の政治家たちである。一番ひどかったのは国政ではなく、市民民主党のベーム市長時代のプラハで、あるロビイストとプラハ市政を牛耳る政治家、役人たちの結託で、公共交通機関の乗車券一枚当たり確か17ハレーシュ(0.17コルナ)がカリブ海のどこかの国にあるペーパーカンパニーの口座に入るようになっていたなんて事件も起こしている。総額で50億コルナほどが横領されたらしいが、ロビイストとプラハ交通局のボスが起訴されて裁判になっているだけで、裏にいたはずの政治家までは捜査が届いていない。ロビイストたちが証拠不十分で無罪になる確率も高そうだし。

 さて、現在チェコでは既存政党の政治家の銭ゲバ振りを象徴するような事態が進行している。政権与党のANOが国会に提出した国会議員の報酬を来年から9パーセント上げようという法案が、まともに審議もされないまま、国会の会期が終わろうとしているのである。9パーセントもあげようというANOの国会議員が金に汚いのではない。この法案が可決されなかった場合には議員報酬が自動的に20パーセントも上がるというのだから、積極的に法案に反対して国民の反感は買いたくないけれどもなし崩し的に廃案に追い込んで、報酬を一気に増やそうという魂胆が見え見えの既存政党の議員たちが金に汚いのである。
 一方でこの法案を廃案にしてはいけないと主張して、会期の延長を求めて議員の間で署名を集め始めたのが、新興政党の海賊党と、何かと批判されることの多いオカムラ党だという事実は重要である。議員報酬の伸びを積極的に抑制しようとしているのが、ANO、海賊党、オカムラ党という三つの新興政党だけで、既存政党がその中には一つも入っていないのである。

 平均給与がそこまで上がらない中、自分たちの報酬だけを20パーセントも上げるというのは、さすがにばつが悪いのか、既存政党の中でも積極的に給料を上げようと主張しているのは市民民主党だけである。市民民主党の議員によれば、国会議員報酬は、例のリーマンショックの影響がチェコに何年か遅れで到達してチェコの景気が低迷した時期から昇給が凍結されてきたのだから、その上がらなかった時期の分も含めて20パーセント上がるのは当然だという。裁判官や検察官などの賃金も上昇している中、国会議員の昇給が今後もなかったら、議員報酬の方が裁判官の給料より下になるじゃないかとも言っていたのだけど、議員報酬が裁判官の給料より高くなければならない理由については何も言わなかった。
 それでも、ANOの議案や、海賊党とオカムラ党の提案に、賛成するようなコメントを残しながら、その実何もせず、審議ができないまま会期が終わって仕方なく議員報酬が増額されたとというシナリオに沿って動いているとしか思えない他の既存政党に比べれば、本音を語っている分だけましなのだ。考えてみれば、議員報酬の昇給を凍結する法律を制定して国民に対していい格好をして見せておきながら、その法律の末尾に何年か後には一度に20パーセント上げるというのをもぐりこませるという姑息なことをしたのが既存の政党の政治家たちなのだから、今回もなし崩し的に昇級に持ち込むという姑息な手を取るのも当然なのだろう。

 最悪なのは、野党側が来年度予算について予定の赤字額が多すぎるから、支出を減らすべきだと強硬に主張していることである。国家予算の支出を減らす上でまず削減すべきは人件費であろう。そう考えると先ず隗より始めよで、議員総数を減らしたり議員報酬を減らしたりするところから始めるべきなんじゃないのか。これではますます既存政党の凋落が進むだけだと思うのだが、この件に関してはオカムラ党よりも下に落ちてしまったことに気づいていないのだろうか。
 チェコでは議員報酬は毎年自動的に上がるようになっているようで、それを停止したり抑制したりする場合にはわざわざ法律を制定する必要があるようだ。どうして変わらないのが原則で、昇級する場合には国会で審議が必要という形にしなかったのだろうか。そうすれば有権者をはばかって、ひんぱんな昇給も、大幅な昇給もしにくくなると思うのだけど……。そういえば昔議員報酬は法定最低賃金の何倍という形で規定しておけばいいと主張している人がいたなあ。そんな声は、金のことしか考えない政治家には届かないのだろう。
2018年11月5日22時30分。








2018年11月06日

チェコとロシアの微妙な関係(十一月二日)



 ソビエトというと、チェコ人の多くは、共産党員以外は、嫌悪感を隠そうとしないのだが、これがソビエトの前身でもあり、後身でもあるロシアとなるとその反応は微妙である。ソビエトと同一視して、敵視する人もいれば、かつての汎スラブ主義の名残なのか、親近感を隠さない人もいる。そのうちの一人が、ゼマン大統領である。

 日本でも知られるチェコアイスホッケーのスーパースター、ヤロミール・ヤーグルは、自らの背番号として、「プラハの春」の悲劇が起こった1968年にちなんだ「68」をつけ続けるほど愛国心の強い選手である。おそらく、あのときの悲劇を忘れないという意思を表しているのだろう。そんなヤーグルがロシア正教に改宗すると言い出してチェコ社会を驚かせたことがある。実際に改宗したのかどうかまでは覚えていないが、68にこだわるヤーグルがロシアを象徴するロシア正教に改宗するということは、ロシアに対して親近感を持っていたことを示しているのだろう。
 ヤーグルは、アメリカのNHLで希望するような契約が結べなかった時期にロシアのKHLでもプレーしている。その後、NHLに復帰したのだが、ロシアでプレーしたことは後悔していないと語っていた。ロシアに行ったときにも、まったく契約するチームがなかったわけではなく、条件を下げるぐらいならロシアに行くという感じだったようだ。このことからも、ヤーグルがロシアに対しては忌避感を持っていないことは明らかだと言ってよかろう。だからと言って、親プーチンかどうかはわからないけど。

 ロシアを長年にわたって支配するそのプーチン大統領から勲章をもらったチェコ人というと、ゼマン大統領の前のクラウス大統領の名前が挙がるのだが、今年チェコを代表するフォーク歌手であるノハビツァが、どういうわけか叙勲の対象となり、モスクワまで出かけて勲章を受け取った。この人、共産党支配の時代からオストラバを中心に活動してきた歌手で、ポーランドでも国境地帯を中心に絶大な人気を誇っているらしい。だから、ポーランドの勲章というのならわかるけれども、なぜロシアがという話になる。一説によると、プーチン大統領と仲のいいゼマン大統領の推薦があったのではないかという。
 ノハビツァは秘密警察に協力を強要されていたという過去が暴かれることで批判の対象になったから、ソ連に対しては恨み骨髄というところだろうが、ロシアに対してはわだかまりはないらしい。特に言い訳することもなく、ロシアからの叙勲を受け入れていた。こんなのは事前に打診があるものだろうから、ロシアに反感を抱いていればその時点で断って話が表に出てくることもなかったはずである。
 幅広いファンの中には、当然ロシア嫌いの人もいるわけで、ロシアの勲章をもらったことを理由に、ファンをやめるとか、ノハビツァの曲を聴くのをやめるとネット上で表明した人たちもいるようだ。しかし、ファンたち、これまでの言動で、ノハビツァという人物がどんな政治的信条を持っているのか理解できなかったのかねえ。悪名高きバニーク・オストラバのもっともコアなファンたちと結びついているし、去年の下院の選挙ではオカムラ党支持を公言してしまうような人物なのである。オカムラ党支持者=ゼマン大統領支持者だから、ロシアのプーチン大統領に親近感を抱いていても何の不思議もないのである。

 チェコがロシアに対してどんな態度をとるべきなのかで一体になれていないのは、先日下院議長のANOのボンドラーチェク氏が議長就任後の最初の外遊としてロシアに出かけたことで物議をかもしていることからも明らかである。多くの党はEUが制裁の対象にしているロシアに外遊するとはどういうことかと批判し、外務省の外交政策と足並みをそろえていないのはけしからんとか言っていたかな。
 ゼマン大統領はもちろんボンドラーチェク氏の肩を持って、チェコは独立国でEUに加盟しているからと言って独自の外交を行う権利を失ったわけではないと主張している。ゼマン大統領はロシアに対する制裁自体を無意味なものだと批判しているから、ボンドラーチェク氏を支持するのは予想通りなのだけど、批判している人たちは、ロシアとの関係をどうしようと考えているのだろうか。ロシアへの対応については大本のEU自体が中途半端なところで揺れているから、個々の加盟国としても対応が難しいところである。

 旧共産圏諸国の反対を押し切って鳴り物入りで始めたロシアへの経済制裁も、肝心の天然ガスについては対象外にした上に、ドイツのエネルギー安定のために新たなウクライナを通らないパイプラインの建設を、経済制裁にもかかわらず、進めているのだから、プーチン政権を追い詰めるほどの効果は発揮していない。資源大国相手に最大の財源である天然資源を除外した経済制裁を仕掛けても意味がないだろうに。あの経済制裁でダメージが大きかったのは、輸出先のロシア市場を失い、ドイツなどのロシア向け製品に市場を荒らされた旧共産圏諸国なのである。それがこの辺りの反ドイツ、反EU感情を高めているから、ゼマン大統領が経済制裁を無意味なものとして廃止を求めているのにも理がないわけではない。
 考えてみれば、啓蒙主義の時代以来、チェコの政界は、ロシアとドイツに対してどのように対処するかという点で分断されゆれてきた。そう考えると、現在、ドイツに対しても、ロシアに対しても統一した態度が取れず、微妙な対応に終始するのも仕方がないのかもしれない。
2018年11月4日23時35分。








posted by olomou?an at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2018年11月05日

自己責任問題其の三(十一月一日)



 また、どこまで本当かは確認していないが、今回解放された人は、以前も中東で武装組織に誘拐なり拘留なりされた経験があるという。仮にこれが事実であれば、取材に出かけたこと自体も批判されるべきである。一度失敗していながら、何の根拠があったのか次は大丈夫だからと再び出かけたのだから。イラクであれトルコであれ、この手の反政府の武装勢力というものは、つながっているものだから、カモがネギ背負ってやってきたと思われた可能性もある。
 誘拐なんてものは、どんなに入念に準備して対策を練っていたとしても、遭うときには、いや遭う人は遭ってしまうもので、多少対策が足りなくても遭わない人は遭わないものである。誘拐でなくても、例えば悪名高いプラハのスリでも、すられる人はどんなに警戒していても何度もすられるし、すられない人は特に警戒なんぞしていなくてもすりには遭わないものである。一日に二度、朝は財布を取られて、午後は携帯をとられたなんて人もいたなあ。だから、一度戦場取材で被害にあった時点で、次は大丈夫などと考えずに、紛争の現場での取材からは手を引くべきだったのだ。それなのに、手を引かずに再びのこのこと紛争地帯に入って誘拐されることで、次なる日本人が誘拐組織に狙われる可能性を高めた責任は大きい。

 こう考えると、解放されたジャーナリストが果たすべき責任は二つである。一つは、国に対する責任で、国の反対を押し切って、しかもジャーナリストであることを振りかざして取材に向かったというのだから、何もなしというのはありえないだろう。誰かが登山で遭難したときと同じ扱いでいいんじゃないのとコメントしていたが悪くない。
 ジャーナリスト側は、またぞろ登山と取材は違うとか言い出すのだろうが、そんな特別扱いはしてはならない。ただでさえ勘違いしたマスコミをますます付け上がらせるだけである。山とは違って、渡航の禁止が出ている場合で職業がジャーナリストかマスコミ関係者に限るということにしておけば、一般の観光客や普通の仕事で外国に出なければならない人たちには実害はあるまい。

 もう一つの責任は、国民全体を危険にさらしたことである。今回の件で国外の日本人が狙われる可能性が僅かとはいえ上昇したのは間違いない。おまけに記者会見で日本政府には身代金を払う用意があったなんて事をばらしてしまった。国としてはあれでよかったのかね。誘拐組織における日本のカモ度が上がっていなければいいのだけど。
 こちらはヨーロッパでもチェコという比較的安全なところに住んでいるから、そこまでテロだの誘拐だのに対して危機感を持っているわけではないけれども、日本にいた頃に比べれば、テロのあるなしにかかわらず慎重に暮らしているつもりである。それは日本語の通じない、日本とは制度の違う外国に暮らしていれば当然といえば当然なのだけど、だからこそその慎重さを台無しにしてくれるような行動には、過敏に反応してしまう。チェコに住んでいる人間でもこうなのである。紛争地域の近くで仕事をし、生活をしている人たちは今回の件をどう考えているのだろうか。
 仮にジャーナリストが取材のために特別扱いをされるべきだとしても、その行動で他の人の安全を脅かしていいことにはなるまい。捕まるのが一回目というなら、まだ許容できるけど、一度誘拐された人間が反省することなく再び取材と称して出て行くのは、やめてもらいたい。現地からの報道の大切さというのはわかっているつもりなので、紛争地帯での取材を禁止しろと言う気はない。国の禁止を振り切っていくのもいいだろう。ただ、誘拐されるなどの失態を犯した場合には、きっぱりと現地取材からは手を引くのが責任の取り方ってもんじゃないのかと考えるのである。

 国全体を巻き込むようなリスクにふさわしい取材ができているのかどうかはまた別の話だけれども、日本の戦地からの報道を知らない人間には評価しようがない。
2018年11月4日20時55分。











タグ: マスコミ
posted by olomou?an at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2018年11月04日

自己責任問題其の二(十月卅一日)



 自己責任論でジャーナリストを批判する人たちを批判している人たちには、同業のジャーナリストやらマスコミ関係者やらが多いようであるのだが、その擁護の論理もなかなか醜悪である。大抵は、現地取材の重要性を訴え、国民の知る権利を満たすための取材での出来事だったのだから批判されてはならないというようなことが主張されている。この論理に、自分たちが国民の知る権利を代表しているのだから、取材のためだったら何をしてもいいというマスコミ、ジャーナリスト達の思い上がりを感じる人も多いはずである。
 この中国や韓国の反日無罪に通じるような、いわば取材無罪という考え方は、現在世界中で既存のマスコミが読者の信頼を失いつつある原因にもなっている。マスコミは、行政、司法、立法にづく、第四の権力を自任して特権化した時点で、存在意義を失ったと言ってもいいのかもしれない。それを端的に象徴するのが、この取材無罪的な考え方であり、災害が起こったときに呼ばれもしないのに被災地に出かけて、知る権利とやらをのもとに、心ない質問をして被災者を激怒させたり、苦しめたりするテレビのくそレポーターどもである。
 仮に、取材に出かけたことについては批判できないにしても、国の制止を押し切ってのことであったらしいことを考えると、取材に失敗して誘拐されたことについては強く批判されるべきであろう。そこをも批判しないのであれば、マスコミ、ジャーナリストと呼ばれる連中が身内の失敗はかばうとして強く批判している警察と大差ないということになってしまう。

 もう少し深く考えるなら、外国のマスコミが取材と称して紛争地帯に入ることが、現地の社会にどんな影響を与えているのかまで視野に入れなければならない。取材のためにコーディネーターと称する人物やら護衛やらを雇い、現地の感覚から言えば大枚の謝礼を払うことになるはずである。もちろんそのお金で家族が生き延びられたなんていい話も発生するだろうけれども、何度も繰り返されれば謝礼金を巡る対立を現地社会に巻き起こすことになりはすまいか。それに武装勢力の勢力範囲での活動を許されているということは、コーディネーターとやらも護衛も、武装勢力と何らかのつながりを持っている可能性が高く、謝礼の一部が武装勢力の資金になっている恐れもある。
 この手の外国からやってきた連中が金ばら撒いて現地社会に悪影響を与えた例としては、パリダカの例を挙げておけば十分だろう。パリダカについては主催者や取材陣を金ずるにしていた非合法組織が、手に入れた金で武装を整え、さらに儲けの大きい誘拐やら、キャンプ地の襲撃をねたにした脅迫を繰り返すことになったために、アフリカから撤退せざるをえなくなったという話を聞いたことがある。自業自得ではあるけれども、同様のことが取材と称する連中が集まる紛争地帯で起こっていないとは言えまい。

 それに、ジャーナリストと招する連中がどんな取材をしているのかという問題もある。かつて北アフリカの難民キャンプに仕事で出向いた人から、ボランティアやジャーナリストと称して滞在してた連中の話を聞いたことがある。やつらは早朝の一、二時間申し訳程度に仕事の振りをするだけで、残りの時間は、難民キャンプの近くの町の超高級ホテルでバカンス生活をしていたらしい。一日の宿泊費でそれこそ数千人の難民の一日の食費がまかなえるようなホテルで快適な生活をし、水不足で難民たちが苦しむその近くで、日がなプールで優雅に泳いでいたというのだから、ボランティアも取材も詐欺みたいなものである。
 これはヨーロッパの事例だけど、日本のマスコミ、ジャーナリストたちも、タリバン騒動で呼ばれもしないのに押しかけたパキスタンでは、ホテルから一歩も出ないで取材していたという話もあるから、こっちのほうがひどいか。それに日本のジャーナリストが、事前にコーディネーターや通訳に約束していた謝礼を踏み倒したり、全額払わなかったりして、差額を懐に入れたなんて話も踏み倒された側から聞いたことがある。えせ取材旅行に家族を連れてきていたなんてのもいたから、最初から謝礼を払ったことにして踏み倒し、家族の旅費に当てるつもりだったのは明白である。その取材とやらの結果でてくる記事を、どこまで信用していいものやらである。本人が書いたものであるのかどうかすら怪しいのだしさ。
 ジャーナリストと称する人たちが、みんながみんなこうだというつもりはないけれども、マスコミやジャーナリストの存在価値を貶めているのは、マスコミ自体、ジャーナリスト自身であることは否定できまい。取材だから、報道のためだからなどという論理ですべてを正当化することはできないし、許されるべきではない。

 今回解放された人へのバッシングをマスコミが非難しているけれども、これまでの弱ったものは袋叩きにし、溺れる犬はさらに棒で叩くというのを実践してきた連中に非難されても、お前らが言うなという反応が返ってきて終わりである。調子のいい間は散々持ち上げて提灯記事を書いておきながら、失敗すると寄ってたかってあることないこと書き散らして、それまでの賞賛をなかったことにしてしまうのがマスコミの常套手段ではなかったのか。それをなかったことにしてバッシング批判をしても、説得力はない。
 ネット上でのバッシングにしても、子供たちの間のいじめ問題にしても、弱ったものは袋叩きにしてしまうマスコミの報道姿勢が影響を与えているとは考えないのだろうか。そんな想像力があれば、報道のためなら何をしてもいいなんて思い上がったりはしないのだろうけどさ。
 予定とは違う方向に筆が進んだので、この件、もう一回。
2018年11月2日20時15分。










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2018年11月03日

自己責任問題(十月卅日)



 シリアの紛争地帯に取材に出かけて誘拐され、監禁され続けてきた日本人ジャーナリストが三年ぶりに解放されたことで、あれこれ議論が噴出しているようである。一つは例の、国の渡航禁止命令や勧告を無視して戦争地帯に向かった人間に関しては、危険を承知した上で自らの意志で出かけたのだから、誘拐されようが殺害されようが国は動く必要はないという、いわゆる自己責任論という奴である。それに対して、マスコミやジャーナリストの関係者を中心に、戦場に出向いて取材活動をすることの重要性を説き、ジャーナリストの行動を擁護しているグループもあるようである。
 この二つの議論が全くかみ合っていないのは、最近の日本におけるこの手の議論の例に漏れない。この場合のかみ合わない理由は簡単で、国家の責任と個人の責任という本来同じレベルで議論してはならないものを一緒くたに扱っているからである。この二つは別々に議論し、それぞれの責任について問われなければならないはずなのに、ごちゃまぜにするから、読んでもどこか歯切れの悪い納得のできない議論に終始してしまうのである。

 まず、国の責任という点から考えてみよう。これはもう、議論の余地もなく、動かなければならない。拉致されたのが犯罪者であろうと、国家にとって都合の悪い人物であろうと、日本人である以上は、日本という国が責任をもって対応し、解放に向けて動かなければならない。それは日本という国が、現時点では自国民と他国民を峻別して、自国民を守るべき国民国家という形態をとっている以上、当然のことである。窮地に陥った際には国家が支援するという前提があるから、国民は義務を受け入れるのである。これが個々の国民に対する責任。

 それから、外国に対する責任というものもある。国民国家とはいいながら、日本に住む外国人も、外国に住む日本人も増えている。長期的に住みはしなくても、留学や国外赴任で数年程度外国に居住する人も多いし、国外を旅行する日本人も多い。そんな日本人が問題なく受け入れてもらえるのは、個別の人から受ける差別はあっても、日本人だからという理由で差別されて不当な扱いを受けることがないのは、日本という国に対する信頼があるからである。その信頼は、経済的な豊かさだとか軍事力だとかいう即物的なものに依存しているのではなく、日本人が問題を起こした場合には、最終的には日本政府が責任を取ってくれるという信頼である。日本のパスポートを持っていれば、ビザなしで入国できる国が多いのもその信頼に基づいているはずである。
 チェコでは、以前イギリスの入国管理局が飛行場に出張してきて、イギリス行きの飛行機のチケットを持つ人たちのパスポートのチェックをし、飛行機に乗せる乗せないを決めていたことがある。これは完全な内政干渉だったけれども、原因は、チェコの政府がイギリスに入国したチェコ国籍の人が起こした問題についてちゃんと責任をもって対応するとは思われていなかったことにある。当時、イギリスに出国するチェコ国籍のロマ人が多く、ほとんど拒絶されていたけれども、差別を理由に難民申請をしようとしていたのだったか。チェコ政府がそのイギリスに出たロマ人について責任ある対応を取らなかったことが、イギリス政府が内政干渉を行った原因だった。同じような事態がカナダとの間でも発生していたような記憶もある。とまれチェコ政府は、信用されていなかったのである。
 話を日本に戻せば、これまで外遊でやってきた国会議員の醜態から、パスポートや財布をすられた観光客に至るまで、日本が、正確には大使館の職員たちが、問題の解決のために頑張ってきたからこそ、日本は信頼されており、日本人は世界各地で観光したり仕事したりできるわけである。よきも悪しきも、世界中のどこであっても日本人が起こした出来事の最終的な責任は日本という国のものであって、今回だけではないけれども、日本人が紛争地帯にのこのこ出かけて行って誘拐されるという失態を起こした場合にも、日本政府は責任をもって解決にあたらなければならない。これを怠り続ければ、日本に対する信頼は失せ、国外における日本人、日系企業の活動は制約が今まで以上に大きくなってしまうだろう。これは個人的にも困る。

 最後に考えなければいけないのは、国民全体への責任である。日本という国は、個々の日本人を守ると同時に、日本人全体の安全も守らなければならない。だから、日本人が誘拐され政府が交渉の場に立たされたときに、誘拐犯の言いなりになって、犯罪者を釈放したり身代金を払ったりすることは許されない。この手の武装勢力、犯罪組織は、情報の交換をしているに決まっているのである。日本はカモだと認識されてしまえば、日本人誘拐が続発するのは目に見えている。政府は、正確には担当者は、誘拐された人の解放を目指しつつ、日本人を誘拐するのは割に合わないと思わせるような交渉をしなければならないのだから、その苦労は想像するにあまりある。

 その交渉の役に立つという観点から言えば、誘拐されたことが明らかになった時点で(こういう情報が表に出るのもあまり望ましいことではないのだろうが、最近は誘拐した側が交渉の一環として公開してしまうから仕方がない)、自己責任論が出てきて、国は何もするなとか、身代金は払うなとかいう方向に世論が向かうのは、悪いことではないだろう。交渉の材料として、誘拐犯の要求に応じられない口実として使用できるのだから(この辺は「マスター・キートン」からの想像である)。ただ、誘拐されて監禁されていた人が解放された後で、つまり交渉の必要がなくなった後で、こんな議論が出てくるのは健康的ではない。国にとって日本人の失態をしりぬぐいするのは義務なのであって、これを誘拐されたジャーナリストへの批判に結びつけるのは間違っている。
 実際にどの程度の動きだったのかは確認していないが、誘拐されて交渉が長引くと、関係者や野党などから、交渉に全力を尽くせとか、国は十分なことをしていないとか、国に対する批判が出てくるものだが、これは、実際に交渉を担当した人からすれば、ただの害悪でしかなかろう。誘拐組織側の条件交渉のネタになってしまうのだから、ぎりぎりの綱渡りをしているところを後ろから背中を押されるようなものである。 

 繰り返しになるが、日本人が外国で、それが紛争地帯であれ、誘拐などの犯罪に巻き込まれたとき、国が動くのは当然の義務であって、それを批判するのは天に唾するようなものである。現在は国の威信をかけて解決に尽力しているものが、一度自己責任を口実に国が義務を果たさないことを許してしまえば、自己責任の範囲が拡大されて、そのうち旅行者がパスポートや財布をすられた際にも、自己責任で大使館が何もしてくれなくなるかもしれないのだから。
 と、まあ以上がこの件について国の責任という観点から見た場合の考えである。だからといって解放されたジャーナリストを批判するなという気はない。ただし、これに関しては、個人の責任という観点から、国の責任とは切り離した形で批判されるべきである。
2018年11月1日23時。












タグ: マスコミ
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2018年11月02日

渡辺か渡邊か(十月廿九日)



 ヤフーの「個人」のところで こんな記事 を見つけた。渡邊という名字を渡辺で表記しているメディアを批判しているのだが、これを読んで共感できる渡辺姓の人間などいるのだろうか。この問題は、ここで書かれているような簡単で軽いものではない。

 簡単な問題から先に指摘すれば、著者は渡邊が渡辺になる原因を通信社の存在に求めているが、浅い浅い。通信社が渡辺表記を使う理由は常用漢字にある。新聞社は、戦後の国語改悪に際して唯々諾々と常用漢字の前身である当用漢字という漢字制限を受け入れ、人名であっても、正字ではなく、常用漢字に入っている略字を使用しているのである。渡辺の辺について批判するならば、ここであって通信社の存在などはささいな問題でしかない。
 作家の丸谷才一は、戦時中にお国の指示とやらにしたがって戦争賛美を展開した新聞社が、戦後その事実を、国に従って戦争賛美した事実を、反省したと称していながら、その舌の根も乾かぬうちに国語改悪に際して再びお国の決めたことに従ったことを強烈に批判しているが、全く以て賛成である。日本の新聞社などは、その節を、最初からなかったとも言えるけど、捨てて当用漢字というものに従った時点で、その存在価値を半ば失ったと言っていい。丸谷才一はそこまで言っていないかもしれない。

 さて、話を戻そう。この記事ではバスケットボールの渡辺選手の表記を、ツイッターの公式表記に基づいて「渡邊」だと断定しているが、そんなに簡単に断定できるものなのか。コンピューター上では、渡辺の辺の正字は「邊」と「邉」の二種類しか表示できないが、実際には多種多様のバリエーションがある。シンニョウの点が、一つだったり二つだったり、自ではなく白だったり、その下がウカンムリだったり、ワカンムリだったり、自とワカンムリが分離しているのではなくつながっていたり、様々で、ワタナベ姓の人が二人以上集まると、「ナベ」をどう書くのかで盛り上がってしまうのは、故なしとはしないのである。そして、たまに細部まで同じ字を使うということがわかると妙に親近感を感じるらしい。
 自分が正しいと認識する表記が渡邊か渡邉であれば何の問題もないが、渡邊でも渡邉でもないワタナベさんの場合は、手書きでは自家の正しいとしている字を使う人でも、PC上では表示できないので、仕方なく「邊」と「邉」のどちらか自分の字に近いほうを使用するという人もいれば、どちらも自分にとっては正しくないのだから、略字の「辺」を使う人もいる。略字であれば誤字ではないと考えるのである。

 だから、ワタナベ姓の人や、「邊」と「邉」にまつわる事実を知っている人には、ツイッターというPC上での表記が渡邊になっているから、それがその人の名字の正しい表記だというのには、根拠が不十分に感じられる。もちろん渡邊が本当に正しい可能性もあるけれども、本人に確認もしないで断言してしまうのは軽率のそしりを免れない。
 それに、実は渡邊さんや渡邉さんの中にも、普段は手書きでもPCでも「渡辺」で済ませてしまうという人は多い。画数が多くて書くの大変だし。判子も実印はともかく、三文判は手に入りやすい「辺」で済ませる人が多い。だから正しい表記が「渡邊」だとしても、「渡辺」と書くのが間違っているというのは、間違っている。もちろん本人が渡邊と書けと要求しているなら話は別である。

 中学までは特に自分の漢字が正字で新字ではないことにこだわる人はいなかったけど、高校大学で知り合った正字のワタナベさんのなかには、渡邊もいれば渡邉もいたし、どちらとも微妙に違うという人たちもいた。文字にこだわる人もいればあまりこだわらない人もいたが、こだわる人でもふだんは渡辺と書いても特に文句は言わなかった。こだわるときにはやめてくれと言いたくなるぐらいこだわるので、いい迷惑ではあったけど。
 ワープロが出始めの頃だっただろうか。旧字も使えるのを最初は喜んでいた「邊」でも「邉」でもない渡辺さんたちが、渡辺に戻ったなんてこともあったなあ。あの頃は、画面で見ると同じに見えるけど、印刷してみたら違っていて、ワープロ使えねえとか喚いていたかな。コンピューターの時代になってもその状況は大して変わっていない。

 近年戸籍の電子化が進められた結果、「邊」「邉」以外の異体字が使えなくなり、「辺」も合わせた三文字に集約されつつあるようだが、それに不満を抱えているワタナベさんは少なくないはずである。「邊」「邉」以外の異体字が、本来は誤字に発しているというのは、重々承知しているし、効率を考えるとすべての文字をコンピューターで使えるようにもできないというのも当然だろう。だけど、長年自分の名字として使ってきた文字に愛着と誇りを持っている人たちに、その文字の使用を禁じるのも正しいことではあるまい。
 そんな事情を飲み込んだ上で、ワタナベさんたちは必要に応じて、正字と略字を使い分けて生きている。正字のかわりに略字を使うことには特にこだわらず、正字の中における細かい違いにこだわる。それは、正字と略字の関係をちゃんと理解しているからである。字にこだわれというのであれば、このぐらいのことは知っておいてほしいものである。ワタナベさんたちの事情を多少なりとも知っている人間からすると、「渡邊」「渡邉」という表記を見ても、感心するどころか、本当にその字で正しいのかと疑うのがあるべき反応なのである。
2018年10月30日22時55分。




完本 日本語のために (新潮文庫)











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2018年11月01日

チェコスロバキア独立100年(十月廿八日)



 十月廿八日は建国記念日として祝日になっている。ただし、チェコには日本のような振り替え休日の制度がないので、土日に祝日が重なると一日休日を損することになる。その上、十月最後の日曜ということで、夏時間から冬時間への切り替えとも重なっている。冬時間に向かうほうは、一時間長く寝られるわけだから、比較的楽なのだけど、体内時計、特にお腹のすき具合で測る腹時計が狂うので全く問題なしとはいかない。来年からはこのまま時間が固定されることを願おう。

 さて、建国百周年ということで、年初から大々的な盛り上がりをするのかと思っていたら、そんなこともなく、近づくにつれて第一共和国百年に関する報道が増えて、すこしずつ盛り上がってきたのだけど、正直期待したほどでもなかった。当日の軍や警察、消防隊などのパレードも例年のものを拡大したもののように見えたし、チェコテレビの中継はゲストをたくさん呼んで例年以上に気合は入っていたかな。ただ、こういうイベントで軍のパレードが儀式の中心に据えられているあたりが、日本とヨーロッパの国の軍隊に対する認識の違いを物語っているようでなかなか興味深い。
 この建国100周年のイベントがそれほど盛り上がらない理由を考えてみると、一つには、100年前に誕生したチェコスロバキアという国がすでに存在しないことがあるだろうスロバキアでもこの日が国家の祝日になっていて、共同で式典をやるということになっていれば、話はまた違ったのだろうが、1990年代に分離独立したスロバキアでは、第一共和国をチェコ人がハンガリー人に代わってスロバキア人を支配したものという解釈が優勢だったために、この日は祝日から外されてしまっているのだ。スロバキアでも式典は行われているようだけれども、チェコほど力は入っていない。

 今年の式典の一部は、すでに土曜日から始まり、フランスのマクロン大統領と、ドイツのメルケル首相がプラハを訪問し式典に参加していた。第一共和国の誕生に協力的だったフランスもミュンヘン協定でチェコスロバ期を裏切ったわけだし、ドイツは第一共和国の解体に直接関与した国である。いかにEUの有力刻とはいえ、独立100周年の式典に招待するにふさわしい国だったのかねえ。むしろ民族自決主義を掲げてチェコスロバキアの独立に最大の貢献をしたウィルソン大統領を讃えて、アメリカの大統領を招待するべきではなかったのか。現職がトランプという問題はあるにしてもである。
 オロモウツでは、当日具体的にどんな式典が行われたのかは知らないが、一週間ぐらい前からホルニー広場にパネル展示が設置されていた。8月にも1968年のプラハの春を蹂躙したワルシャワ条約機構軍の侵攻についての展示が行なわれていたが、今回は独立前後の出来事についての展示で、当時の市長などの写真、新聞、オロモウツの地図などが展示されていた。古い地図を見ると現在と通りの名前が違ったり、今はない川が流れたりしていてなかなかに興味深かった。

 夜は、例年同様に、プラハ城で大統領による勲章の授与式が行なわれる。叙勲者は国会議員による推薦などいくつかの方法で選出されるのだが、最終的な決定権は大統領が握っている。その人選に関しては、ハベル大統領でさえ批判にさらされたことがあるのだが、ゼマン大統領は2年前にダライラマ問題で文化大臣のおじの叙勲を取り消したことで、国民の半分を敵に回した前科がある。個人的には、いかにホロコーストを生き延び、その体験を語り続けている人とはいえ、政治家の縁者に勲章を与えるのにもお手盛りの感じがして好感は持てないのだけど、チェコの良識派を自任する人たちは文化大臣の側に立った。毎年何人かいる大統領の恣意で何でこんなのがってのに比べれば、ちゃんとした理由があるから支持はしやすいんだけどね。

 今年も事前に何人かの叙勲者の名前が漏れてきている。チェコ人ならぬ身でも知っている人物となると、スポーツ界の人ということになる。事前に判明しているのは先日引退試合を挙行したばかりのテニスのラデク・シュテパーネクと、今年の冬季オリンピックで、スキーとスノーボードの二種目で金メダルを獲得して世界を驚かせたエステル・レデツカーの二人。他にもスポーツ新聞の情報では、二年前の選手生命にかかわる大怪我から復活して、今年ランキングのトップ10に復帰したペトラ・クビトバーの名前も挙がっている。ゼマン大統領は、クビトバーが節税のためにモナコに住民登録していることを国に対する裏切り者だ敵なことばで非難していたと思うのだけど、どういう心境の変化なのだろうか。
 ふたを開けてみたら、スポーツ界からはこの三人に加えて、サッカーのペトル・チェフ、テニスのヘレナ・スコバーの二人も勲章をもらっていた。引退したシュテパーネクとスコバーはともかく、まだ現役で頑張っているチェフとクビトバーを叙勲するってのはどうなんだろう。去年引退したロシツキーとかもうもらっているのかな。

 それからスポーツ新聞では叙勲式に関して、もう一人、格闘家のベーモラという人の名前も挙がっていたのだけど、これは勲章をもらうというのではなく、授与式に招待されたということのようだ。MMAだかUFCだかいう団体でアメリカで試合をしたときに、トランクスのチェコの国旗の代わりにスポンサー名を入れることを求められたのを拒否したのが愛国心の発露だとして、大統領のお気に召したのだとか。ゼマン大統領とチェコの国旗、トランクスというのは因縁があるからなあ。ゼマン批判勢力に対するあてつけの意味もあるのだろう。

 うちのが、何でこいつが叙勲されるのだとお冠だったのが、歌手のミハル・ダビットという人物。80年代に一つか二つヒットを飛ばしたらしいけど、その歌の内容はしょうもないものだったのだとか。たしか一つは「ポウパタ(つぼみ)」という歌で、スパルタキアーダ(共産党政権時代の集団体操)の体操の一つのテーマ曲として選ばれたことで頻繁に流れたから、一定以上の年齢の人は知っているはずだという。今はナにやってるのかねえ。ゼマン党(SPO)から国会議員に立候補したのがこの人だったかな。それは何とか・リンゴ・チェフだったかもしれない。ゼマン大統領支持者の歌手とか俳優とかってみんな印象が似通っているから区別がつきにくいんだよなあ。

 チェコ在住で例外的にチェコに堪能なアメリカ人の新聞記者エリック・ベストが勲章をもらっているのも意外だった。うちのの話では、アメリカ人でありながらロシア親派で、ロシア寄りすぎて問題含みの記事を垂れ流しているらしい。以前はチェコテレビのニュースや解説番組にしばしば登場していたのだが、最近見かけないと思っていたら、中立ではなくロシアよりの発言をするのが嫌われたのか。ゼマン大統領にはそこが気に入られたのだろうけどさ。

 そういえば、最近の報道で、以前ポーランド軍が攻め込んできてと書いたチェシーン地方をめぐる戦いは、最初に仕掛けたのはチェコスロバキア軍であったことを知った。調停案どおりの国境線だと鉄道など重要なインフラがポーランド側に行くことになっていたのが問題だったようだ。それから、実行はされなかったが、ボヘミア北部のドイツとの国境を山脈の稜線から北に押し出して、山脈の山すそまでチェコスロバキア領にしようという計画もあったらしい。誕生したばかりのチェコスロバキア第一共和国もなかなか野心的な国家だったのである。ちょっとイメージの修正が必要である。

2018年10月29日22時。








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