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2019年11月10日

ベルリンの壁(十一月八日)



 我々、1980年代末に高校を卒業して大学に入った世代にとって、ベルリンの壁は戦後の冷戦の象徴であり、その崩壊は冷戦の終わりの象徴だった。だからベルリンに旅行した人が、自ら壁を崩してお土産として持って帰ってきたという話を聞いてうらやましく思ったし、ベルリンの壁の破片をお土産として売るお店があって観光客が自分で崩そうとするのを邪魔してたなんて話を聞いて、ドイツ人の商魂のたくましさにあきれるとともに、日本で言われているほどドイツ人って真面目でお堅いというわけでもないのかと思った。思い返せば、自分の中にあったドイツという偶像が壊れ始めた最初の事件だったのかもしれない。

 そのベルリンの壁の崩壊から今年の11月9日でちょうど30年ということで、チェコテレビのニュースでも取り上げられ、ここ何日か毎日のように当時を振り返るニュースが放送されている。8月のプラハの春のときほど多くはないし、これからすぐに、11月17日のビロード革命の発端となるデモの起こった日の特集に取って変わられるのだろうけど、昨日の夜のニュースで今まで知らなかった事実が報道されていて衝撃的だった。
 元心情左翼なので、90年代に日本で出版された旧ソ連圏の共産主義諸国崩壊に関する本はあれこれ購入して読んだ。そのおかげで、社会主義の誇る計画経済というものが最初はともかく、大半は計画倒れにおわっていたため、国の経済がほぼ破綻した状態にあり、ゴルバチョフの登場がなくとも、東側諸国は、遅かれ早かれ、崩壊していただろうことは知っていた。ただ、東ドイツの状況がここまでひどく、西ドイツとの間でここまでひどいことをやっていたとは思わなかったというのが、ニュースを見ての感想だった。

 一つ目の驚きは、東ドイツが深刻な経済危機にありながら、何とか命脈を保ちえていたのは西ドイツからの借金のおかげだったという話である。公式に共産党によって階級の敵に認定されていたブルジョワの権化西ドイツ政府から支援を受けていたのである。これを人民に対する裏切りといわずして何を言うのか。西ドイツ政府も、当時西側では東側諸国をテロリストを支援する国家として敵視していたはずなのに、裏でつながって支援していたとは。
 この西ドイツの、借金という形とはいえ、東ドイツに対する資金援助が行なわれていなかったら、破綻した東ドイツをソ連が支えきれなくなって、ベルリンの壁の崩壊がもう少し早くなった可能性もあるのかもしれない。そうすれば、チェコスロバキアのビロード革命も1988年に起こっていて、チェコ史における8のつく年の伝等に並んでいたかもしれないのである。残念。
 そして、東ドイツ政府は、さらなる資金獲得の方法を発明する。それが、人身売買のような、人質をとって身代金をとるような、一国の政府がこんなことをしてもいいのかといいたくなるようなものだった。さすがは諜報機関でテロリストを育てて西側にばら撒いていた国である。東ドイツの求めに応じて金出していたらしい西ドイツもどうかと思うけど。

 東ドイツの国民にとって、いくつかあった西側に亡命する方法の一つがベルリンの壁を乗り越えて、西ベルリンに入ることだった。もちろん、厳重に監視が張り巡らされていたから至難の業であったのだろうが、このベルリンの壁を乗り越えての亡命は、検問所を無理やり通り抜けるという話もあったかな、小説や、漫画、映画などさまざまな形で描かれているが、警備隊に銃殺された人もいれば、途中で捕まって強制収容所に放り込まれた人もいるらしい。
 東ドイツが目をつけたのは、この国に留まることを望まない亡命に失敗した人たちだった。国にとっても不満分子を国内に抱え込んでおくことは負担だということを考えたのか、西ドイツに取引を持ちかけたらしいのだ。収容された人を西ドイツに引き渡す代わりに、金をよこせと。これを人身売買と見るか、人質に対する身代金と見るか、難しいところである。

 短いニュースだったので、一人当たりいくらと決まっていたのか、人によって金額が上下したのかもわからないし、誰を買い取るかを決めていたのが、どちらの国だったのかもわからないのだけど、衝撃的な話だった。東ドイツも誰彼かまわず売っぱらったのではないだろうし、西ドイツとしても引き取る人は選びたがっただろうから、そのつど協議していたと考えるのが自然だろうか。
 冷戦の末期、東西ドイツの再合併以前から、現在まで続く西から東への資金援助が行なわれていたのである。東西ドイツが、鉄のカーテンを挟んで、実はずぶずぶの関係だったというのは、ほかにもあれこれありそうだ。
2019年11月8日24時30分












タグ: 歴史 ドイツ
posted by olomou?an at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年11月09日

スラビア勝った?(十一月七日)



 一昨日の話だから、火曜日のことになるのだが、チェコから唯一ヨーロッパのチャンピオンズリーグに出場しているスラビア・プラハが、バルセロナで試合をした。仕事を終えて七時過ぎに帰宅して、テレビのテレテキストで試合経過を確認しようとしたら……。

 すでに結果が出ていて、バルセロナ−スラビア 2−3と書かれていた。えっ勝ったのかというよりは、もう終わったのかという驚きのほうが大きかった。今のスラビアならバルセロナに勝ってもおかしくないとは思っていたけど、どこかおかしい。よく見たら同じページにドルトムントとインテルの試合の結果もすでに出ている。グループの順位表を見るとスラビアが勝ち点6で3位になっている。実はこの結果は、Aチームの試合の前に行われた、ユースリーグの結果だった。とはいえ幸先のいいニュースではある。
 Aチームの試合は別のページにあって、6時55分に始まったばかりで、どちらも無得点という状態だった。これが去年までだったら、チャンピオンズリーグの試合は、ロシアなど極端に東にある町で試合が行なわれる場合を除いて、8時45分からで統一されていたから、勘違いすることはありえなかったのだが、今年はなぜか、各開催日2試合だけ早い時間に行うようになっている。この日もスラビアの試合が早く始まるのは知っていたけど、正確な時間を知らなかったのが、勘違いした最大の理由である。

 それにしても、なんでまたこんな中途半端な変更をしたのだろう。ヨーロッパリーグは、以前から試合数が多いこともあって、グループ単位で半分に分けて、試合時間を変えている。そのおかげでチェコのチームが複数出ているときには、2試合連続でチェコテレビが放送してくれることもあったのだけど、今年は一チームも生き残れなかったので、せっかくチェコテレビが放映権を持っているのにもったいない話である。
 この変更は、その各開催日に複数の試合を見たいという視聴者の要望に応じて、開催時間を二つに分けたのかね。それなら、ヨーロッパリーグのように半々に分ければいいのに、2試合だけ、しかも違うグループの2試合というのがよくわからない。格式が下のヨーロッパローグを真似するのはよくないということだろうか。それなら以前のまま全試統一のほうがよかったと思うのだけど。

 試合のほうは、今のスラビアの好調さを反映して、完全に互角とまでは行かないまでも、一方的な展開にはならなかったようだ。スラビアの選手たちの運動量が以上に多いというのが外国のメディアで話題になっているなんて見出しも見かけた。完全に格上のチームが相手でも守りを固めてという試合はしないのがト ルピショフスキー監督のいいところで、数合わせのチームではないことを証明し続けている。
 チェコのチームで最後にチャンピオンズリーグのグループステージを勝ち抜いたのは、十年以上前のスパルタ・プラハだけど、あの時はとにかく守備を固めて、できるだけ失点をしないという戦い方をしていた。最終節の試合終了間際にたまたまチャンスが訪れて、たまたま得点できて、2位で勝ち抜けたけど、あんな戦い方で云々と相手チームの選手から批判されていた。チェコのチームを応援するひいき目で見てもまったく面白くない試合ばかりだった。
 その後は、前回のスラビアも、何回か出場してきたプルゼニュも、まず守りを固めてという戦い方はしなかったが、グループを勝ち抜ける上の2チーム相手には、善戦するのも難しいという状態が続いていた。それが、去年はプルゼニュがレアル相手に大善戦を展開し、今年はスラビアがバルセロナ相手に互角に近い試合を二試合続けたのだから、チェコのリーグのレベルも上がっているのかなあ。以前のようなクソつまらない試合は減ったし。

 バルセロナでの試合の結果は、どちらも無得点で引き分け。スラビアは貴重な勝ち点1を獲得した。両チームともオフサイドで認められなかった得点があったけど、バルセロナのメッシのやつは、オフサイドと判定されなくても文句の言えない微妙なものだったし、ゴールポストに当たったシュートもあったし、バルセロナ優勢だったのは否定できない。引き分けに終わったのは運もあったのだ。でも、プラハではバルセロナの決勝ゴールが運のいいものだったから、妥当な引き分けだったと評価しておこう。
 それにしても、こういう試合をすると、チェコではキーパーのコラーシュがすごかったとか、チェコチーム、選手たちの頑張りに焦点が当たるのだけど、ネット上で日本語の記事を探して読むと、バルセロナの出来が悪かったという論調ばかりで嫌になる。スラビアなんて知っている日本人は限られているから、誰でも知っているバルセロナ側からの視点で記事を書いてしまうのはわからなくはないのだけど、どこかの雑誌で、無名の弱小チーム側から記事を書くコーナーとか作ってくれないかなあ。意外と需要はあると思うのだけどねえ。

 とまれ、スラビアは2試合を残して勝ち点2で最下位。ホームのインテル戦で勝って何とか3位は確保してヨーロッパリーグの春の部に生き残ってほしいところなのだけど、引き分けで恩の字かなあ。
2019年11月7日24時。



スラビアの監督の名前修正。







2019年11月08日

クトナー・ホラ(十一月六日)



 数あるチェコの世界遺産の中でも、クトナー・ホラは、比較的初期に認定されたし、プラハから近いこともあって、知名度も高く訪れる人の数も多いはずだ。最初に訪れた1993年は、まだ世界遺産にはなっていなかったけど、観光客は多かった。何せ日本語のガイドブックに載っていたのだから。中世から銀の採掘で発展し、チェコ国内でも最も栄えた町の一つだったとか、中央ヨーロッパの共通通貨だったプラハ・グロシュと呼ばれる銀貨が、プラハと付くけどクトナー・ホラで鋳造されたものだったなんてことを知っていたかどうかは記憶にない。
 二回目に出かけたのは、近くのコリーンにできた日系の自動車工場で通訳のバイトをしていたときに、クトナー・ホラに宿舎をとっていた日本から指導のために派遣された人たちに夕食に誘われたときのことだった。あのときは、仕事が終わった後だったから、世界遺産になった教会なんかは見る時間もなく、そのまま飲み屋に入って、当時はまだハイネケンの手には落ちていなかったクトナー・ホラのビールを飲みながらチェコ料理を食べたのだった。そのあと、宿をとっていたコリーンに戻るのが結構大変だったのもいい思い出である。

 と、本題と関係のない枕はこの辺にして、昨日の夜のニュースでクトナー・ホラの市議会で、アントニーン・ザーポトツキーと、クレメント・ゴットバルトの名誉市民の称号を剥奪する決定がなされたというニュースが流れた。最初の正直な感想は、いままで何でそのままにしてあったんだろうというものだった。ビロード革命の後、共産党員に対する弾圧は起こらなかったが、ゴットバルドフがズリーンに戻るなど、共産党の政治家の功績を称賛するためのものは取り消されることが多かった。
 それはともかく、当然共産党の市会議員は反対したものの、過半数が賛成したため、ゴットバルドとザーポトツキーの名誉市民の称号の剥奪は可決されたらしい。念のために書いておけば、ゴットバルトは、第二次世界大戦中の共産党の指導者で、戦後最初の選挙で勝利して首相になった後、1948年にクーデターを起こし、ベネシュ大統領を追い落として自ら大統領に就任した人物で、ザーポトツキーはその後継者として1948年に首相、1953年にゴットバルトがスターリンの後を追うように亡くなった後は大統領を務めゴットバルトのスターリン主義路線を守った人物である。

 そもそも何で名誉市民になったのだろうと考えていたら、ニュースでは政治的な理由であって、町とは全く関係がなかったと言っていた。もう少し詳しく知るために、ネット上の「novinky.cz」で関係する記事を探してみた。その記事に登場するANO所属の市長によると、名誉市民になったのは戦後の政治的な社会情勢のせいだという。共産党の指導者を名誉市民にするのが流行ったのだろうか。名誉市民にしたほうが予算が取りやすかったなんてこともあったかもしれない。
 そして、この二人は、クトナー・ホラとは全く関係がなく、訪問すらしたことがないはずだと剥奪を主張する理由を語っている。それに対して、剥奪に反対した共産党の市会議員は、ザーポトツキーにかんして、クトナー・ホラに来たことがあって、しばらく滞在したこともあるんだと主張する。しばらくに使われている言葉から考えると、何日かではなく、何時間か、もしくは何分かのレベルのようで、それで名誉市民を与える理由になると言われても困る。
 ただ、この議員は、名誉市民を町と関係のない人物に与えた例はいくらでもあるし、こんなに時間が経ってから(授与からなのか、ビロード革命からなのかは不明)、一度与えた名誉市民の称号を剥奪するのはよくないとも語っている。どうして今更そんなことをする必要があるのかというのは、当然の疑問だし、同時にどうして今まで放置されてきたのだろうというのも気になる。

 他の町では、これも今更だけど、先週クルノフでゴットバルトの名誉市民が取り消されたらしいし、生地のあるビシュコフでもすでに取り消されているという。その一方で、名誉市民の称号をそのままにしている町も多いようだ。その理由としては、過去の歴史を現在の視点から修正する、なかったことにするのはよくないということが挙げられている。
 ビロード革命直後の、共産党の指導体制から解放された直後ならともかく、それから30年以上も放置されてきたことを考えると、そのままにしている町のほうに賛成したくなる。ズリーンが復活したのもビロード革命直後だったわけだしさ。

 観光地、クトナー・ホラを題名にして、こんな記事を書いてしまう。我ながらこれでいいのかと思わなくもないのだけどね。書いちまったものは仕方がないのである。
2019年11月6日24時。










2019年11月07日

日本ラグビーの未来(十一月五日)



 ワールドカップが大成功のうちに終わった後、日本ラグビー界の課題は、いかにこのブームを更なる代表の強化につなげるかということだろう。その方策として、プロ化という声も上がっているようだけど、性急に過ぎるプロ化は混乱を巻き起こしかねないという気もする。バスケットなんて、リーグが分裂したし、ハンドボールなんかプロ化しても知名度は全く上がらなかった。
 そもそも、すでに選手たちの多くは、企業チームに属しているとはいえ、所属チームとは選手として契約を結んでいるのだから、リーグをプロ化するかどうかは、それほど大きな問題ではない。大切なのは、プロであれノンプロであれ、日本最高峰のリーグとなる社会人ラグビー、今はトップリーグというのかな、を頂点とした明確なヒエラルキーを作り出し、テレビでの中継や、マスコミの報道もレベルの高いリーグを中心としたものにすることが大切である。

 その意味では、代表の選手たちや、ヤフーなんかのラグビーのニュースの下に書き込みまでする熱心なラグビーファンたちが、しきりにトップリーグの試合も見に来てほしいという発言を繰り返しているのは正しい。問題は自分のことしか考えないマスコミが、その流れに同調するかどうかだけど、80年代のラグビーブームを思い出すと、あまり期待できそう。もない。
 あのときは、見てくれのいいスター選手の多かった大学ラグビー、それも名門校の多い関東の対抗戦グループが日本ラグビーの頂点であるかのような歪んだ状況が、マスコミによって作り出されたのだった。「ナンバー」ですら、大学ラグビーの特集号は頻繁に出していたが、実力的には頂点にあった社会人ラグビーには冷淡だった。レベルとしては二番手、三番手でしかないリーグが人気や報道の面では頂点を極めるという状態では、代表が強くなるなんてのは望めないのである。

 ラグビーから野球につぐスポーツの座を奪ったサッカーも、長らく歪んだ構造に苦しめられていた。Jリーグの開幕によって状況が劇的に変わるまでの日本サッカーの頂点は、社会人リーグでも天皇杯でもなく、冬の高校選手権だった。そんな状況を変革するための劇薬として選ばれたのがプロリーグの創設だったといえる。
 それがうまく行ったからこそ、ワールドカップのアジア予選で、最終予選にまでたどり着けないこともあった日本代表が、アジア最強チームの一つとなることができたのだ。ただ現在の目から見ると成功が約束されていたようにも見えるJリーグも、当時は成功を疑う声も大きかったし、関係者にしてみれば、かなりのばくちだったという話も聞いたことがある。逆に言えば、いつまでたってもワールドカップに近づけなかったサッカー界は、一かバチかで大ばくちを打つしかないところまで追い詰められていたのである。

 ラグビーは、今回、ワールドカップで盛り上がった熱気を追い風にできるのだから、一かバチかのばくちに走らず、トップリーグを、実力人気とも他とは隔絶した存在に育てていくほうがいい。ラグビーについての全国的な報道があるときには、ほぼ必ず代表か、トップリーグで、大学と高校のラグビーについては、季節の風物詩的な扱いにするという状況が作り上げられれば最高である。それでもラグビーの露出自体が少なければあまり意味はないけど、今なら視聴率と儲けしか考えないテレビ局もラグビーを無視することはできまい。

 マラソンの成績不振で駅伝のせいにされることも多い陸上の長距離だけど、これも駅伝が悪いのではなく、競技としての構造が歪んでいるのがいけない。テレビ局の戦略によって、たかだか関東の大学を集めて行なう大会に過ぎない箱根駅伝が日本の長距離界の頂点にあるかのように扱われはじめたのが最大の問題である。実業団で箱根駅伝を超えるような規模の大会を駅伝の頂点として創設し、資格を得た選手しか出場できないマラソンの日本選手権を今年のMGC(ちがうかも)に基づいて毎年開催して、箱根駅伝の価値を相対的に落としてやれば状況はマシになるはずだ。

 プロ化してもというのは、野球の事例もあるからである。今でこそ、野球界に君臨するプロ野球だけど、創設当初は、高校野球(当時は中学野球だったかも)を食い物にしていた朝日新聞の妨害によってなかなか野球界の頂点に立つことができず、興業的にも苦労していたと聞いている。日本の野球が本当の意味で発展を遂げ、相撲を押しのけて国民的なスポーツにまでなったのは、プロ野球が名実ともに日本野球の頂点に立ってからのことだと理解している。

 とまれ、ラグビーの魅力の一つは、いい意味でのアマチュアっぽさを残しているところにもあるのだから、だからこそ日本中を熱狂させることができたという面もあるのし、プロ化するにしても慌てて強引にやるのではなく、長期的な計画に基づいて実現してほしいところだ。その前に、今回のワールドカップでラグビーファンだと広言していた芸能人たちには、ぜひともトップリーグの試合を見に行って、それをSNSかなんかで報告してもらうなんてことをやってもいいんじゃないだろうか。
2019年11月6日10時。










タグ: ラグビー

2019年11月06日

オリンピックなんざやめちまえ2(十一月四日)



 東京オリンピックのマラソンがどうなるのか、日本がIOCに対して立ち上がるのではないかと期待しながら、ネット上の記事を読んでいるのだが、全くそんな気配はない。陸上関係者が、納得いかないなんてことは言っているようだけど、歯切れが悪すぎる。普段はおとなしいけど、突然爆発すると言われる日本人の恐ろしさを世界に見せつけるいい機会だというのに、もったいない話である。ラグビーのワールドカップで日本の優しさを見せ付けたのだから、今度は恐ろしさを見せ付ければ、外交的にも最高じゃないか。
 理解できないのは、マスコミの報道に、IOCの突如の変心を非難する記事がほとんど見られないことで、これが日本の組織のやったことだったら、袋叩きにするだろうにと不思議に思った。開催権を返上すると発言しろという正論を述べているのも、元大阪知事の橋下氏ぐらいのもので、他はなんだか、危険物に触るような慎重さを見せている。

 ああ、そうか、変なことを書いてIOCににらまれて、オリンピック関係の報道から締め出されることを恐れて、IOC批判を自粛しているのか。さすがは言論の自由のために戦う日本のマスコミである。誰かの発言の形で報道することで責任逃れをしているとしか思えない。IOCの金まみれの利権まみれの実態については、あれこれ漏れ聞こえてくるのに、大きなスキャンダルにならないのは、マスコミの配慮のおかげだしさ。
 今回の件も、どう考えても、マラソンの有力選手を抱えるスポンサーが、自分のところの選手の優勝確率が下がらないように、IOCにプレッシャーをかけたに決まっている。競歩は、マラソンだけだとあからさますぎるから、道づれにされたのだろう。これもまたひどい話である。選手に配慮するように見せて、全く配慮していないのは、当の選手たちの中からも批判の声が上がっていることで、しかもその声を完全に無視していることからも明らかである。東京の炎暑の中で行うのが危険なスポーツはこの二つだけではないのだし。どうして、そこを批判しないのか。

 ひどい記事になると、マラソンの札幌移転について、「商業主義」を捨てようとか、離れようとか言って弁護しているものがあったが、スポーツにおける商業主義を批判するなら、真っ先に批判されれるべきはIOCのはずである。そもそも、真夏の東京でオリンピックを行うという決定自体が、これは東京に限らないけれども、大きな間違いであり、東京でやるなら、かつてのオリンピックと同様、秋が深まってからにするべきだったのだ。変えるべきは会場ではなく、会期なのである。場所を北に変えれば絶対に気温が下がるというものではなく、当日の気温なんて運によっても左右されるというのは、明らかなのにさ。

 オリンピックの開催において、商業主義的なものが取りざたされ始めたのは、1984年のロサンゼルス・オリンピックだったと記憶する。オリンピックの無駄な拡大のために開催地の負担が増大し続けていて、音を挙げざるを得ない状態になるのを回避するために、あれこれスポンサーを呼び込んだり、放映権料を高く取ったりしたんじゃなかったか。当時はそのやり口を、商業主義だとかアマチュア規定に反するとか言って声高に批判する人たちもかなりいたはずである。今では誰もそんな批判をしなくなったけど、過去に目をつぶりすぎじゃないか。
 本来その開催地の負担を軽くするためだった資金集めの手法が、いつの間にかIOCのための錬金術に変わり、開催地の負担ばかりが増大するというのが、ロス以来の商業オリンピックの現状なのである。仮に商業主義を廃せというのであれば、オリンピックを本来の姿にもどすことを主張すべきであろう。すなわち、プロの参加を禁止し、IOCのスポンサー、大会スポンサーなども廃止して、勝つことや記録よりも、参加すること自体が重要だった、古き良き時代のオリンピックにさ。そんなオリンピックなら、こちらも胸を張って見ることができるから心の安定にもいいし。

 さあ、今からでも遅くない。スポーツを食い物にする腐敗IOC貴族に鉄槌を下ろすのだ。正論好き、正義好きの新聞社どもよ、自分のことは棚に上げてきれいごとしか言わないマスコミの連中よ、悪の所在は明らかなのだから、革命ののろしを上げるのだ。そうでもしなければますます存在意義が失われていくだけだぞ。今立ち上がらずして、いつ立ち上がるというのだ。かつて担いだ小泉元総理を担ぎ出せ。破壊のときはすでに来たれりである。
 収拾がつかなくなったのでおしまい。
2019年11月5日20時。











posted by olomou?an at 06:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年11月05日

チェコ政界二話(十一月三日)



 頑張って書いても、どんなに枕を長くしても、一本分にはなりそうにないネタが二つあるので、関係ないけど、まとめて一日分にする。ちょっと寒さが厳しくなってきて、お疲れモードなので、手抜きである。手を抜いても抜かなくてもレベルが変わらないのが悲しいけど。

?海賊党内紛?
 名前とは裏腹に、意外とまともな政党であることを見せつけている海賊党だが、ネット上で海賊党の党員同士の争いが始まったというような見出しを見つけてしまった。バビシュのANO以外の新政党は、緑の党も、VV党も議席を獲得して、すぐに連立与党に入って調子に乗っていたら、内紛が起こって分裂する羽目に陥ったし、野党にとどまった第一次オカムラ党であるウースビットも、内紛の結果党首が追い出されるという事態を起こしている。

 海賊党は、そんな醜態をさらしまくった新政党の路線をたどることはなく、たまに変なこと言う人は出現したけど、これまでは党内のまとまりの良さを感じさせていただけに、意外だった。忙しくて中身までは読む時間がなく、学歴詐称とか汚職なんかのスキャンダルでも起こした人がいたのかねと考えていた。
 そのことを思い出して、うちのに聞いてみたら、スキャンダルでもなんでもなくて、上司に対する不満が爆発しただけだった。とはいえ、最近はやりの何とかハラスメントではなく、部下に仕事をさせ過ぎだという不満のようだ。次々に仕事を振られて、耐え切れなくなったということなのかと思っていたら、それだけではなく、仕事を頼むときのやり方とか、評価するときの振る舞いなんかが、偉そうで鼻持ちならないと言うのと、無駄にプレッシャーをかけられている感じがするなんてことも言っているので、流行の言葉で言えば、「パワハラ」って奴になるのかね。

 近々行なわれる党大会で、この訴えられた人は副党首の地位にあるのだけど、罷免されるかどうかの投票が行われるらしい。これに対して別の副党首(複数いるのが普通)は、留任させるなら、自分が辞任すると息巻いているようだ。これは完全に内紛だね。これをどう収拾つけるかが、海賊党の将来を左右すると考えるべきだろう。一見小さな事件だけど、下手を打てば、過去の崩壊した新政党の劣に並ぶことになる。
 まあ、海賊党って、緑の党もそうだけど、学歴の高いエリートが多くて、自分の正しさを信じ込める人たちが多いから、つまりはプライドの塊ばかりだから、意見が一致している間はいいんだけど、意見が分かれるとプライドとプライドのぶつかり合いになりやすく、拗れると大変なことになるのは予想できる。海賊党がここまで一枚岩を誇っていたことの方が、実は驚くべきことだったのだ。

?Aさすが共産党
 ビロード革命から30年を経てなお、存続し続けている共産党は、ことあるごとにかつての共産党政権時代の政策を正当化しようと画策している。もちろんすべてが正当化できるものではないのだが、すこしでも議論の余地があるものに関しては、拡大解釈を重ねて史実を書き換えようとする。史実なんて結局勝者から見た歴史だから、敗者である共産党には納得できないところもあるのだけど、やりすぎというか、お前ら正気かといいたくなることもままある。その点は、ロシアが今でも1968年のチェコスロバキア侵攻に関してソ連時代の公式見解を変えていないのと似ている。
 そのプラハの春の際の出来事に関して、共産党の国会議員、元治安警察の警察官で、デモの弾圧に当たっていた過去でも非難されている人物が、とんでもない発言をして、批判にさらされている。この人の説によれば、1968年のワルシャワ条約機構軍の侵攻によって、犠牲となったチェコ人たちは、交通事故の犠牲者なのだという。

 共産党政権時代の、チェコスロバキアは普段から道路を戦車が走っていて、道を歩くときに注意していないと、戦車にはねられたり轢かれたりするような危険な国だったと言うのだろうか。これでは、共産党政権、いやその要請を受けたソ連軍の侵攻を正当化しようとした結果、共産党政権下のチェコスロバキアの社会を貶めてしまっている。現実には戦車による交通事故なんて、滅多に起こっていないはずなのだから。全くとは断言する自信がない。
 あちこちからの批判を受けて、共産党では当の国会議員の発言を懲罰の対象にするかどうかの会議を開いた。さすがは身内には甘い左翼で、個人的な意見を発しただけなのだし、物事をどう解釈するかは個人の自由だとかいう理由で処罰なしの決定となった。事実誤認を正すという考え方はないのかね。都合のいいときだけ言論の自由を主張するのは、国が変わっても右も左も同じなのだ。
2019年11月4日21時。












タグ: 海賊党 共産党

2019年11月04日

祭の後(十一月二日)



 日本で開催されていたラグビーのワールドカップが終わった。毎週末には確実に見られていたあの熱戦が見られなくなるかと思うとさびしい。この喪失感はラグビーならではなのだろう。同じ巨大イベントでも、サッカーのワールドカップやオリンピックでは終わったという感慨はあっても、寂しさは感じない。オリンピックなんて、見るのに心の折り合いをつけるのが大変だから、終わるとホッとするほどである。

 日本のラグビーが今後も強くなり続けて、今大会のような結果を残せるかどうかは、今後の対応にかかっているはずなのだが、マスコミの報道を見る限り難しそうだ。特に、日本代表が準々決勝で負けた時点でワールドカップがすでに終わったかのような雰囲気を作り出していたのはひどかった。実際の日本での雰囲気はわからないけど、ネット上に踊る記事の数々から感じられたのは、大会とラグビーを盛り上げようという意識ではなく、日本代表さえ取り上げておけばいいといういい加減さでしかない。
 代表だけが注目されたのでは、何も変わらないことはすでに4年前に証明されているだろうに。他国での大会ならともかく、日本での大会なのだから、大会中に大会が終わってしまったかのような報道を繰り返すのは失礼極まりない。ラグビーに限らず、マスコミが足を引っ張っているというのは、よくある事例だとはいえ、いつまでたっても同じことの繰り返しというのは情けない。ラグビー協会にも、1980年代のラグビーブームがマスコミに踊らされた結果、文字通り泡のように消えてしまった過去を反省して、マスコミの言いなりにならないことを求めたいものだ。

 それはともかく、準決勝以降の4試合は、日本代表へのひいき目で見ても、日本−アイルランド、日本−スコットランドを越える素晴らしい試合だった。イングランドのニュージーランド対策が完璧にはまっての快勝も目を疑うほどに凄かったし、南アフリカの派手さを捨てて、確実に相手を追い詰めていくような計算つくされた勝利もとてつもない凄みを感じさせた。どちらも残念ながら今の日本には、難しいだろう。

 準決勝で負けたニュージーランドが三位決定戦では、しっかりチームを立て直してきっちり勝ったのも、ウェールズが怪我人続出の中で最後まで戦い続けたのも見事だった。やはりその大会で最高の4チームである準決勝にまで進出するチームに勝つのは、至難のことなのだ。日本代表が準々決勝の壁を越えて、準決勝に進むのは、よほどくじ運に恵まれない限りはしばらくかかりそうだ。とはいえ、前回大会以来の日本代表はこちらの予想をことごとく上回ってきているから、意外と早いかもしれないけど。
 決勝は、事前の報道では、トライのない試合になるのではないかと危惧するような声も見かけたが、トライなし=つまらない試合という図式を、しろうとファンが言うならともかく、プロであるはずのマスコミが垂れ流すというのはひどすぎる。実際、決勝の前半はトライがなかったわけだが、南アフリカが2トライあげた後半よりもずっと緊迫していて、見ごたえも大きかった。

 イングランドは、ニュージーランド対策に手一杯で、南アフリカ対対策まで手が足りなかったとか、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカと南半球の三強との三連戦で力尽きたなんて見方もあるのだろうけど、ここは南アフリカのチームの持つ物語の重さが、イングランドの戦術的な準備を凌駕したものと見ておきたい。
 アパルトヘイトという黒人差別のあった国の、白人のスポーツとされていたラグビーの代表において、初めての黒人選手、しかも貧困の中で育った選手をキャプテンにすえて臨む大会、しかも前回大会で番狂わせを起こされた日本での大会で準々決勝で再度対戦したのである。南アフリカ以上に優勝にふさわしいチームがあったとは思えない。南アフリカの優勝は、一篇の英雄叙事詩であり、神話でもあったのだ。
 そんな物語性の高いラグビーの大会が終わったのだから、喪失感を感じる人がでるのも当然のことだろう。ただそれを「ラグビーロス」とか軽すぎる言葉で表現してしまうのはどうなんだろう。こいうのは「祭の後の寂しさ」といいたい。ニュージーランドを初めとする南太平洋の国々の代表チームが、試合前に神にささげる舞を舞うことも、これら国の人にとってはラグビーが、単なるスポーツではなく、神事でもあることを示している。
 祝祭のハレの日が終われば、日常が戻ってくるのである。
2019年11月3日20時。










posted by olomou?an at 06:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年11月03日

よしなしごと(十一月一日)



 まとまった文章を書く気になれないので、日記ではないけれども、最近のできごとをつらつらと書き連ねてみよう。『枕草子』ではないけど、日記的章段というやつである。たまには難しいことを考えずに、思いつくままかくような日を作っても罰は当たるまい。問題は、普段の文章も、何も考えていないようなものに読めてしまうことだけど。

 さて、すでに十日ほど前になるだろうか。口座を開設しただけで、ほとんど放置してきた銀行からの最後通牒があって、必要な手続きをするために、オロモウツの支店に足を運んだ。EUの個人情報の管理に関する新しい法律のせいで、何らかの手続きをネット上でするようにというメールが来ていたのを、よくわからなかったので放置していたら、郵便での通知がきて、その締め切りが翌々日に迫っていたのだ。
 郵送でも、ネット上での送信でもかまわないと書いてありながら、インターネットバンキングの自分のアカウントには、まともに登録したことがないのでログインできず、郵送で送るための書類には、サインを公証人か、銀行の従業員かの前でして、確認の署名をもらう必要があるというので、年どう臭さを抱えながら出かけることにした。放置したら口座に入っているお金が戻ってこない可能性もありそうだったし、いくらあるかも知らないんだけどさ。

 その支店が入っているのがシャントフカのショッピングセンターで、ついたときには、従業員の数が少ないのか、お昼休み中でしばらく待つ必要があった。ただ待つのも時間がもったいないので、近くのカラのお店に入ることにした。事情があって財布を買わなければならなかったのだ。チェコのブランドなのは確かだけど、お店の人に、念のために本当にチェコで作ってるのかどうか確認したら、チェコだけではなくて、トルコにも工場があるからという頼りない答えが返ってきた。どれがチェコで作られたものかの判別もつかないらしい。
 買い物に際して、チェコに対するパトリオティズムに目覚めた人間としては、チェコのブランドでチェコ製が理想なのだけど、仕方がない。それもこれもグローバリゼーションが悪いのだ。以前も日本のメーカーのをと思ってシャープのテレビを買ったら、日本製ではなく台湾製だったしなあ。チェコの文房具メーカーのコイノールも中国に工場を持っていたから、日本で手に入るのは中国製だったかもしれない。中国の工場は畳んだみたいだけど、他の国にもある可能性は高い。

 それから何日かあとのこと、ここで買わなかったら、ずっと買わないだろうと、懸案だった春秋用の上着を買うことにした。買うのは今年の春にズボンをまとめて何本か買ったピエトロ・フィリッピのネットショップである。一月ほど前にも買おうとしたことがあるのだが、以前は存在した店舗での受け取りというのが消えていたので、配達の時間が合わない恐れがあって買うのをやめたのだった。
 一品だけ買うのはもったいないので、ワイシャツとマフラーも買うことにした。このブランドは、チェコ、もしくはスロバキアで縫製していることを売り物の一つにしていて、ネット上にスロバキア製との表示がなければ、チェコ製だと思っていた。それなのにマフラーは何と中国製。こういう小物は外注しているから仕方がないのかと思って、ワイシャツを見たら、今度はポーランド製。中国よりはましだけどさ。
 救いは、今回の買い物の一番の目的だった、分類上はセーターになっていて、冬場はコートの中にも切ることができそうな上着が、チェコ製だったこと。これまで中国製だったら迷わず返品していただろう。ズボンを買ったときも、チェコ製の方が多いはずだったのに、スロバキア製の方が多かったから、ネット上の表示が完璧でないのはわかっていたけど、ポーランド製はまだしも中国ってのは看板に偽りありすぎじゃないか。

 上から下までOPプロスチェヨフ、つまりはチェコ製の服を着ていた時代の再現を目指しているのだけど、なかなかうまく行かないなあ。マフラーがチェコ製じゃないってことは、靴下なんかも怪しいし。下着に関しては最初ッから諦めているから、完璧に上から下までと行かないのはわかっているんだけど。あ、財布も怪しかったか。うーん。もちろん、チェコ製の服しか買わないというわけではないんだけど、いざというときにはできるだけチェコ製で固められるようにしておきたい。無意味なこだわりだってのはわかっちゃいるんだけどね。やめられないのだよ。
2019年11月1日24時30分。










タグ: 買い物 日記的

2019年11月02日

チェコ映画を見るなら(十月卅一日)



 ネタがないわけではないのだけど、時間の変化に伴う気力の低下でやる気が起きず、難しいことは書きたくない。何か簡単に書けることはないかなと考えていたら、チェコ語の師匠に、チェコで一番人気のあるコメディだといって授業の代わりに見せられた映画のことをまだ書いていないことを思い出した。知る人ぞ知るチェコの映画を何本も紹介している黒田師の『チェコ語の隙間』にもなぜか取り上げられていない。

 その映画の題名は「S tebou m? baví sv?t」という1982年に公開された作品である。『チェコ語の隙間』にあげられていた批評家が選んだ名作のランキングでは5位以内に入っていないが、一般の人たちによるアンケートで、20世紀最高の映画、コメディ限定だったかもしれないけど、に選ばれており、今でも毎年何回かテレビで放送されている。「トルハーク」と違って、ついつい全部見てしまうということはないけど、ところどころ名場面をつまみ食い的に見してしまう。
 監督と脚本はマリア・ポレドニャーコバー。天才子役のトマーシュ・ホリ—の登山家の父親二部作もこの人の作品だったかな。映画監督としての作品数はそれほど多くないけれども、特に子供向けの作品に名作と呼ばれるものが多い。その頂点が、この直訳風に訳すとすると「お前と一緒なら世界は楽しい」である。

 チェコ的な、あれこれ非常にややこしいドタバタコメディなのだが、簡単にまとめると3つの家族の親子の冬休みの物語である。家族ぐるみで付き合いのあるプラハ在住の3家では、共同でベスキディの山中に別荘を持っていて(多分)、冬休みになると父親3人だけがその電気も水道もつながっていない山小屋に出かけるという習慣になっていた。毎年子供たちの面倒を見させられる母親たちが、それに文句をつけるところから話が始まる。
 妻たちの結託した本気を感じ取った男たちは、男の子だけは連れて行って面倒を見るという妥協案を出すのだが、女の子が、自分も男の子になって行くと言って泣きながら髪の毛を切ってしまったものだから母親の怒りが爆発。男3人で、オムツの取れない赤ん坊一人を含めて計6人の子供たちをつれて山小屋に向かうことになる。おまけに、怒りの収まらない妻たちが自動車は自分たちが使うと言い張ったために、男三人、子供六人で、スキーやそりなど山のような荷物を担いで、電車に乗るのである。

 電車の中では、何度も見たチェコ人の多くが覚えてしまっている名場面が何箇所か出てくるのだが、例を挙げるとすれば、男の子が唐突に、「ヘビっておならするの?」と父親に尋ねるシーンと、子供たちのコンパートメントに置かれた赤ん坊が、お漏らしをして、というかオムツの中に出してしまって、臭くて眠れないと、父親達のところに不満を述べに来るシーンだろうか。大物俳優ぞろいの父親たちと子供たちが見事な掛け合いを演じているのが素晴らしい。
 駅から山小屋までも大変そうだけど、そこは描かれず、山小屋での生活に入る。最初は元気一杯の子供たちに付き合っていた父親たちも、三日目ぐらいになると疲れ果てて何をする気力もなくなり、一日中小屋の中でのんびりするために、かくれんぼ大会を開催する。一日親たちに見つからないように隠れた子供が優勝でメダルをもらえるというものなのだけど、親たちは部屋で寝ているのである。

 父親たちが疲れているのは、三人のうちの一人の奥さんが歌手で地方巡業で近くの町に滞在していたので、夜な夜な山小屋を抜け出して会いに出かけていたのに、残りの二人に地元の若い女の子たちと知り合ってと嘘をついたために、二人は抜け出す男を夜中に追跡することになったからである。この辺りから、嘘やらいたずらやらが飛び交って、誰が誰に嘘をついているのかしばしばわからなくなる。
 それはともかく、子供たちにかくれんぼをさせて、面倒を見るのを放棄しているところに、三人の母親のうちの二人が、差し入れを持って陣中見舞いにやってきて、父親たちが子供の面倒を見るのを放棄した惨状を発見して、再び怒りを爆発させるのである。母親達はもう帰るぞと宣言するけど、子供たちは帰りたがらない。それがまた母親達の怒りを増幅して……。
 プラハの自宅に戻った後は、各家庭で、歌手の女性の家はそれほどでもないけど、夫婦が冷戦状態に陥る。夫婦の対立が男同士の対立につながったり、仲直りのために男たちのやらかすことが悉く裏目に出たり、とにかくどたばたコメディーと呼ぶにふさわしい内容である。最後は、友人を罠にかけるために赤ん坊を隠した洗濯籠を、友人たちにゴミ捨て場に捨てられた父親が、ごみの回収車を必死で追いかけているのに、後で笑っている母親の腕の中には赤ん坊がいるというシーンで終わるんだったかな。お母さんがいつも一番賢くて強いのである。

 共産主義の時代に、これだけ見事に家族愛、夫婦愛、そして友情を描き出した作品が製作されたのは軌跡のようにも思える。同時に、共産主義の時代だったからこそ、ここまで突き抜けたコメディーが撮影できたのではないとも言いたくなる。ビロード革命後の作品には、ここまでよくできた作品はない。「トルハーク」がちゃんと公開されていたら、最高の作品として選ばれたのは間違いないけどね。
 ちなみに、主役の一人を演じているのはスロバキア人のサティンスキーなのだが、そのチェコ語は完璧で、スロバキアの臭いはまったくしない。最近の俳優はスロバキア人がチェコ人を演じると、明らかにスロバキア人だと言うことがわかるチェコ語しか使えないらしい。昔は俳優に対する教育も厳しかったのだろう。
2019年10月31日24時。











タグ: 映画

2019年11月01日

夏時間が終わらない(十月卅日)



 今週に入って、どうにもこうにも頭が重くてやる気が出ない。なぜかと考えて思いついたのが、夏時間が終わって標準時、もしくは冬時間が始まったことだ。この時間の切り替わりは、春よりはましとはいえ、苦手なので、毎年いつなのか早めに確認して、心の準備をして迎えることが多いのだが、今年は週末はラグビーを見ることしか考えていなかったので、直前まですっかり忘れていた。
 土曜日の準決勝を見て、テレビのEPGプログラムで日曜日の準決勝の開始時間を見たときに、あれっと思った。10時からのはずが、11時からになっているのを見て、ああそう言えばと、時計の針を一周戻さなければならないことに気がついた。毎回時間が変わる時期には、表示に混乱が生じるのだ。ビデオの時間も設定しなおさなければならないのか。今年の春は、これをすっかり忘れていて、タイマーで録画したのに、最初の部分が録画できないと言う事態が発生したのだった。

 それはともかく、ラグビーである。なんで最終週は土日の開催じゃないんだ。金曜の午前中なんて見られないじゃないか。ヨーロッパ時間で夕方ならともかく、午前中じゃテレビで見られる人も限られていると思うのだけど、本当のラグビーファンなら見るために休暇を取るのかなあ。いや、気づくのが早かったら、自分でもやっていたかもしれない。その意味では気づくのが遅くてよかったとは言えるのだけど。
 イングランドに完敗したニュージーランドがどう立て直してくるかが楽しみだったのに。これが北半球同士、南半球同士の試合になっていたら、三位決定戦はそこまで無理してみたいとは思わなかったのだろうけど、準決勝に続いて、決勝も三位決定戦も北と南の対決である。普通ならどちらも旧植民地の南側に勝ってもらいたいと思うところだけど、南ばかりが優勝し続けるのもラグビーにとっていいことかとなると疑問である。準々決勝が終わった時点ではニュージーランドの優勝で決まりだと思っていたからなあ。

 とここまで考えて、やはり南の二国を応援することにした。いや、イギリスのチームを応援できない理由に思い当たったのだ。今回の微妙な体調不良の原因である夏時間。例年は秋の時間の変わり目は平気なことが多いから、その証拠に去年までの三年はブログで取り上げていないし、忘れていて心の準備ができていなかった自分が悪いというのもあるのだけど、来年から廃止されると思っていた、思い込んでいた、確信していた夏時間が、来年も継続される可能性が高いらしいのだ。
 当初ニュースで聞いていた話では、各国が個別に標準時か夏時間かどちらかを選んで、それを一年中使用するという方向だった。だから、チェコとドイツで一時間の時差が発生する可能性もあったわけだ。肥大化してしまったEU内ではすでに時差が存在しているし、さらに東への拡大を画策しているわけだから、今後域内の時差も大きくなることはあっても小さくなることはあるまい。

 それなのに、混乱を避けるためとかで、EU加盟国で話し合いをすることになったらしいというのが最初の問題。確かに好き勝手に選んだ結果、スロバキアが夏時間で、チェコが標準時、ドイツが夏時間なんてことになったら、EU内を国境を越えてひんぱんに移動する人には大変かもしれない。でも、大部分のチェコに引きこもっている人間にはなんの問題もないはずだ。
 その協議が順調に進んでいれば、とやかく文句を言う理由もないのだけど、遅々として進んでおらず、来年までに合意に達するめどが立たないらしい。そうなれば当然来年以降も夏時間による時間の変更が年に二回行われることになるのは当然で、来年も三月の終わりに苦しめられるのはすでに確定のようだ。チェコが夏時間を採用すれば、来年から廃止でも来年は苦しむことになるのだが、これが最後だと思えば苦しみも喜びになる。でも、まだ続くとなると苦しみは苦しみでしかない。

 協議が進まない理由を考えると、これはもう一つしかない。イギリスのEU離脱がいつまでたっても実現しないのが悪い。現状を見ないでごねまくっているイギリスの国会議員に現実を見せ付けるためにも、EU離脱なんてきれいなものではなく、除名してしまえばいいのに。合意なき離脱はEUにも損害を与えるとは言うけれども、現状の中途半端さに比べればはるかにましである。
 それに、EU諸国がイギリスのEU離脱なんて瑣末事に無駄な時間を費やして、懸案中の懸案である夏時間の問題を放置しているのもよくない。毎年EU居住者の大部分に大きな健康被害をもたらし続けている(と誇張しておく)夏時間問題のほうがはるかに重要で緊急性の高い問題であるのは明らかである。これもまたEUの官僚やら政治家やらが、使えないと批判される理由のひとつである。

 ただでさえ、寒くなって、日が短くなって、落ち込む要素は満載だというのに、今年の冬は、期待していただけに、例年以上に陰鬱なものになりそうである。土曜の深夜に夏時間が終わったのに、来年も終わらないというこの気持ちの上での矛盾。
2019年10月31日9時30分。










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