サッカー界の武漢風邪騒動終わらず(八月朔日)



 今シーズンのチェコのサッカーリーグは、三部以下のアマチュアが中心のリーグは早々に中止が決まり、二部は中断があけた後、トシネツチームの感染者発生という問題を乗り越えて何とか最後までリーグが行われたが、一部は、カルビナーの感染者発生で再中断し、再度再開しようという日にオパバで感染者が出て、順位が確定しないままリーグ戦が終了した。

 これで終われば平和だったのだが、それではチェコではない。カルビナーのチームで陽性が判明してリーグが再中断に追い込まれたときには、降格を逃れるために意図的に感染させたんじゃないかという億節が流れたが、今回はモラビアシレジア地方の保健所からオパバチームで発生した患者についての情報を入手したチェコサッカー協会か、リーグ協会が、武漢風邪対策におけるルールを破った可能性があるとして、規律委員会にかけることを発表した。
 感染者を出したことが咎められているのではなく、対策が不十分だった、もしくは決められた対応を取らなかったことが咎められているようである。考えられるとすれば、体調を崩して感染が判明した選手が検査前に練習に参加したことが問題にされているのだろうか。その結果、チーム全体が隔離、自宅待機状態におかれることになり、リーグは6試合を残して未完のまま終了することになったわけだし。ただ体調のおかしくなった日の練習に参加していなかった場合に、チーム全体の隔離が回避できたとも思えない。

 オパバのチームの側では、当然この疑惑を否定しており、協会がかけた嫌疑のネタもとになったモラビアシレジア地方の保健所の関係者も、当の選手が当初練習中に感じていたのが疲労感で、それが練習による疲労感と区別できるものではないこと、実際に発熱などの症状が出た後は即座にチーム側の指導で医者と連絡を取って検査を受けていることから、チームと選手がこれ以上のことができたとは思えないというコメントを出している。

 カルビナーの疑惑のときにも思ったのだが、協会としてはリーグが完結できなかった責任を誰かに押し付けたいのではないかとすら思えてくる。チェコ語でいうところの「熱いジャガイモの投げ合いと」いう奴である。感染者がでてリーグが完結しなかったことに関しては協会には責任はない。協会が責められるとしたら、リーグが全試合行われなかった場合どうするかについて、誰もが納得するようなルールがなかったことだろうけど、前代未聞の今年の状況では、これも責められることではなかろう。
 規律委員会でのオパバの審議は来週行われるらしいが、罪ありと認められた場合には、最大で1千万コルナを超える罰金と、15点の勝ち点の剥奪が待っているようだ。オパバのような地方の弱小チームには、罰金もきついし、勝ち点の剥奪もこれが来シーズンに適応されるのであれば、降格チームも増えるし、残留の可能性を極めて低くすることになりそうだ。最終的にはお咎めなしということでけりがつきそうな気はするけどね。

 武漢風邪で大変なことになっているのはサッカー界だけではなく、3月の時点で、始まっていたプレーオフを中断してシーズンの打ち切りを決めたアイスホッケーでは、すでに来シーズンに向けたキャンプが始まっているチームもあるのだが、どこぞのチームでは感染者が出てキャンプが中止になったという話もあるし、二部のホモウトフは武漢風邪騒動による収入の減少もあって経営が破綻し、来シーズンはプロチームを解散してアマチュアレベルのリーグに参戦することを決めている。以前から財政的に苦しんでいたチームは、選手側と給料の未払い分の減額の交渉をしていたようだが、合意に至らなかったようだ。現在の経済状況でホモウトフの代わりに三部からあがってくるチームはあるのかね。

 来年に延期されたオリンピックの開催もどうなるかわからないし、スポーツ界の混乱はまだまだ続きそうである。スポーツが日常的に行われるというのは、人々の心の余裕にもつながるから、できるだけ早く元に戻ってほしいところではある。オリンピックはもう廃止でもいいけどさ。
2020年8月1日24時。












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2020年08月11日

チェコの君主たち9(八月八日)



 一月ぶりにチェコの王様の話。今回はバーツラフ1世の次に王位についた息子のプシェミスル・オタカル2世である。偉大なる祖父と同じで、もともとの名前はプシェミスルで、後にオタカルという名乗りを追加したようだ。祖父のプシェミスルは神聖ローマ帝国皇帝のオットー4世からオタカルという名前を与えられたという伝説があるが、プシェミスル2世の場合には、どういう事情でオタカルを名乗るようになったのかは判然としない。祖父の偉業の後を継ぎたいという思いから同じ名乗りを選んだのかもしれない。そしてその願いは、ハプスブルク家のルドルフ1世によって阻まれるまでは、実現に向かっていた。

 とまれ、父バーツラフ1世によってモラビアの支配を任されていたプシェミスルは、諸侯の一部にとって「mladší král」という皇太子のような地位に選ばれ、父に対して反乱を起こして鎮圧されている。恩赦を受けてモラビア辺境伯の地位にもどるが、バーベンベルク家のオーストリア公フリードリヒ1世の死後、オーストリアの貴族によって公爵の地位に据えられ、フリードリヒ1世娘のマルガレーテ(チェコ語ではマルケータ)と結婚した。婚姻によって継承権をえたわけである。これが、父バーツラフの生前、チェコの君主の地位につく前の1251年のことである。一説によると、このときからオタカルという名前を試用するようになったのだともいう。
 ただ、この結婚は、政治的には大きなものをもたらしたが、二人の関係は理想的な夫婦からは程遠く、さまざまなスキャンダルの果てに、1260年には離婚することになる。その一方で、愛人との間に私生児を三人設けており、そのうちの一人のミクラーシュにシレジアのオパバにおかれた公爵領を与えている。実はこのオパバのプシェミスル家は。本家がバーツラフ3世の暗殺で断絶した後も、存続していたらしい。

 父の死後、チェコの君主の地位についたのは1253年のことで、1260年にはハンガリーとの戦争を起している。これはシュタイアーマルク領をめぐるもので、ハンガリー王のベーラ4世の軍勢をクレッセンブルンの戦いで破り、プシェミスルはシュタイアーマルクだけではなく、ハンガリー王の孫娘クンフタをも妻として獲得した。子供向けの本には、最初の妻のマルガレーテについては、年上であまり魅力的ではないと書かれているのに、このクンフタについては美しいという形容詞がつけられている。

 プシェミスル・オタカル2世の全盛期には、ボヘミア、モラビアを中心とするチェコ領に、オーストリア、シュタイアーマルク、ケルンテン、カルニオラなどを合わせ、アドリア海に面した地域まで領有していた。北方でもプロシアに対する十字軍を支援し、バルト海沿岸にまで影響力を行使していた。そんなプシェミスルは神聖ローマ帝国内での権威を高め、ボヘミア王を選帝侯の一つにすることに成功すると共に、皇帝の地位を狙っていたとも言われる。
 しかし、軍事だけでなく政治的にも有能で、野心を隠さないプシェミスルを警戒したドイツの貴族たちが対抗馬に担ぎ上げたのが、ハプスブルク家のルドルフ1世だった。選帝侯の一人だったはずのプシェミスルを除外した形で皇帝に選ばれたルドルフ1世との権力争いは、プシェミスルに不利に展開し、オーストリアとヘプ地方の領地の召し上げと、臣従してボヘミアとモラビアに封じられるという形式を取ることを認めさせられる。

 その一方で、ルドルフと対立してプシェミスル側につく諸侯もおり、結局、両勢力の間で最終決戦が行われた。それがチェコ語ではモラビアにはないのに、もラフスケー・ポレ(モラビアの畑)と呼ばれる場所での戦いである(日本でなんと呼ばれているかは知らん)。王権が強化されることを嫌ったチェコ貴族の多くがが参戦しなかったこともあって、プシェミスルは戦いに負けただけでなく、命まで落としてしまった。時に1278年8月、四十台半ばでの死であった。残されたクンフタとの間に生まれた息子のバーツラフはまだ7歳でしかなかった。

 プシェミスル家の君主?H
  28代 プシェミスル・オタカル(P?emysl Otakar)2世 1253〜1278年。

 プシェミスル・オタカル1世以来三代続けて有能な君主が登場して、プシェミスル王朝のチェコは全盛期を迎えたと言ってもいい。それがプシェミスル・オタカル2世がハプスブルク家のルドルフ1世との権力争いに負けて亡くなったことで、衰退へと向かうことになる。後にチェコの領域がハプスブルク家の支配下に組み込まれてしまったことを考えると、プシェミスル・オタカル2世が負けた相手がハプスブルク家のルドルフ1世であったのは、なかなか象徴的である。
2020年8月9日22時。









2020年08月10日

チェック・トゥール2020(八月七日)



 もうちょっと先かなと思っていたら、昨日始まっていた。それを知ったのは、去年までは日本のナショナルチームが出ても、アイサン工業のチームが出てもニュースにしてくれなかった シクロワイアード で初日のチームタイムトライアルの結果が記事になっていたからである。見出しが「新城幸也出場のチェコツアー開幕」だから、新城選手が出場しているから取り上げられたということなのだろう。レースのカテゴリーとしては去年と変わっていないはずだし。

 去年は、テレジア門の近くの駐車場に、ボラ・ハンスグローエのチームバスが停まっているのを見て、開始が近づいていることに気づいたのだが、今年は武漢風邪の影響で引きこもり度が高まっていて、あまり街に出ていないので気づけなかった。ボラのバスが今年も同じ場所に停まっているとは限らないけど。状況を考えると全チーム同じホテルに滞在することになっているかもしれない。
 ホームページを見ると、ウニチョフでのチームタイムトライアルで始まって、二日目がプロスチェヨフからウニチョフ、三日目がオロモウツからフリーデク・ミーステク、最終日がモヘルニツェからシュテルンベルクというコースになっている。毎年同じではなくて、少しずつ違うステージ、違うコースを走るようになっているのかな。

 シクロワイアードの記事には、同時期に「ポローニュやツール・ド・ランなどステージレースが重なって開催されるため」「UCIワールドチーム勢も含めメンバーはやや薄め」などと書かれていたが、余計なお世話というものである。今年は、去年までは最大でも2チームしか出場しなかったワールドチームが、今年は6チームも来るのである。これはメンバーが薄いのではなくて、去年までよりもはるかに厚くなったといっていい。

 その6チームは、去年も出場したボラとミッチェルトンスコットに加え、クロイツィグルが所属しているけど出場しないNTTプロサイクリング、ユンボ、サンウェブに、新城選手のバーレーン・マクラーレンである。去年は全部で十人ほど出場していた日本人選手は、今年は新城選手だけ。チェコ人選手もワールドチームからは出場なしである。
 他の出場チームは、プロチーム枠が4つで、ノルウェーのUNO-Xサイクリングと、ベルギーのスポートフラーンデレン・バロワーズ、ビンゴールWB、アルペシン・フェニックスの三チームである。アルペシンからは、交通事故での大怪我から復帰したペトル・バコチが出場するが、このレースは自分のために走れるといっているので、期待大である。

 それ以外のチームは、チェコからは名前が微妙変わったエルコフ・カスペルとナショナルチームという名の選抜チーム、オーストラリアのFelbemayr Simplon Wels、オランダのSEGレーシング・アカデミーとメテック、ルクセンブルクのレオパード・プロサイクリング、ドイツのロト・ケムハウスとMaloja Pushbikers、スイスのスイス・レーシング・アカデミー、スロベニアのアドリア・モバイル、ポーランドのVoster ATSの、全部合わせて21チームが出場する。
 自転車のロードレースのチームは、スポンサーの変更と共にチーム名がころころ変わるので、この中に、いくつこれまでのチェック・トゥール、もしくはチェック・サイクリング・トゥールに出場したことがあるチームがあるかはよくわからない。今年これだけワールドチームが集まったのは、武漢風邪でレースの中止や延期が相次いでいるからかもしれない。来年も同じぐらいのチームが集まって、来年こそは所属するチェコ人選手が出場して優勝してくれると地元の人間としては嬉しい。

 そして、今年のレース結果をシクロワイアードが毎日記事にしてくれることと、来年以降も、新城選手が出場しない場合でも報道してくれることを願っておこう。アイサンチームに続く日本チームの出場も期待したいところだけど、武漢風邪が完全に収まるまでは難しそうである。収まってもまた4中国から新しい感染症が世界に放たれるかもしれないけどさ。100年前のスペイン風邪も実はスペインではなく中国が原産地らしいし。
2020年8月7日23時。












2020年08月09日

投票義務化?(八月六日)



 日本では、また選挙権の行使、つまり投票を義務化しようと主張する人たちが出てきたようだ。投票率の低下が、選挙権を十八歳以上にするという単独では愚策でしかない制度を導入してなお、止まらないということだろうか。この選挙権の義務化をしている国もあるとはいうが、義務化には憲法の改正は必要ないのかねという疑問も浮かぶ。主張している人はそんなことは全く考えていないだろうけど。
 1990年代に日本で毎回選挙権を行使していた人間としては、投票に行かないのはもったいないとは思うが、投票率の低下を政治への無関心のせいにして済ます考えにはまったく賛成できない。仮に政治への無関心がその主要な原因になっているとしても、その無関心の原因であるろくな政治家、候補者が存在せずに選びようがないという現実を無視してはなるまい。

 かつて選挙には、地方選挙も含めて毎回通っていたが、一回か二回、よんどころない事情でサボったことはあるかもしれないけど、国政選挙において候補者の名前を書いたことは1回しかない。能力も知力もないのに議員の子供というだけで候補者に納まっている二世議員、三世議員、官僚上がりだか崩れだか、マスコミ上がりってのもいたし、宗教関係者いた。現実を見る能力のない左翼の活動家崩れとか市民活動か上がりなんてばかりで、誰を選べというのか。
 という諦念と共に投票所に出向くのをやめようと思ったこともあるが、無駄にまじめだったので投票には出向いて、白票を投じていた。違う、白票ではなく無効票である。実在しない人物の名前や、友人の名前を、書くことが多かった。比例代表のほうは、絶対に政権を取らせてはいけないが、議席がゼロになるのもまずい、政権批判だけなら、批判するネタを見つけるだけなら日本一の共産党に投票していた。必要悪というやつである。地方議会のほうは近所付き合いで公明党の候補者に入れることもあったけど、となりに住んでいた創価学会の叔母ちゃんに頼まれたときだけ。

 ゴミとしかいいようのない候補者リストで、投票を義務化して、投票しない人間に罰則を与えるのなら、導入すべきことがあるだろう。増加するであろう白票、無効票に込められた有権者の意志をくみ上げるシステムなしに、投票を義務化したところで、政治への無関心が解消されるとも思えない。罰則の設定いかんによっては、これなら投票しなくても問題なしと考える人の方が多くなりそうだ。
 こういう誰も選びたくないという層の意見を反映させる方法として、マイナス票みたいなもの、当選させたくない人を選んでの投票を導入することを主張する人もいるようで、これはこれで悪くないとは思う。ただ、議員として誰も選べないということは、落としたい人を一人だけ選ぶのも難しいということになりかねない。

 それなら白票などの、明確に選ばないことを選んだことがわかる票だけ集約して、候補者の一人として扱った方がよさそうだ。誰も選ばないに入った票が一番多かった選挙区では、選挙を無効にして当選者を出さないのである。当然比例での復活も認めない。そして一年ぐらい期間をおいた後に再選挙を行うが、無効になった選挙に立候補した候補者は同じ選挙区では立候補できないとしておけば、候補者の代謝も進んで、そのうちまともな人も出てくるかもしれない。議員はおろか、首相候補と呼ばれるような人たちですら、二世議員、三世儀意ばかりの現状を変えることが、政治への無関心を変える第一歩だと考えれば、これぐらいのことはしないと将来は暗い。
 比例代表のほうも、どの党も選ばない票を一党扱いして、議席配分の対象にすればいい。つまり、選ばない票が多ければ多いほど議員の数が減るのである。党内事情で選ばれた箸にも棒にもかからないような候補者が並んでいる上に、小選挙区で落選しても比例で復活などという有権者の誰も望まない制度があるのも、政治への無関心の原因の一つなのだから、選ばないを選べば無駄な議員がいなくなるという制度にすれば、政治はともかく選挙への関心は高めることができはすまいか。

 こういう後援会以外には、誰にも望まれていない国会議員を減らすための改革は、その手の議員ばかりの自民党政権にはできまい。民主党政権が何かやるかなと思っていたけど、パフォーマンスに終始して、自民党の政治家と同じ穴の狢に過ぎないことを露呈していたから、政権交代があっても実現はしないだろうけど。
 ここに書いたぐらいのことは、とっくに誰かが思いついて発表していてもおかしくないと思うのだが、マスコミで取り上げられたという話は、寡聞にして知らない。権利、権利というのなら、候補者を選んで議員にする権利だけでなく、候補者をすべて拒否する権利も有権者にはあるはずである。いや、選ぶに値する候補者を得る権利と言い換えてもいいか。

 チェコでも、選挙の投票率は低下する傾向にあって、EU議会や上院議員選挙の二回目の投票など危機的なレベルにあるけれども、選挙の義務化という話は聞こえてこない。それは、共産党政権下で民主主義を標榜するために形だけ行われていた選挙で、事実上義務として投票を強制されていた過去があるからである。
2020年8月7日12時。










タグ: 選挙
posted by olomou?an at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2020年08月08日

サッカーリーグ来シーズンの予定(八月五日)



 終了したのかしないのかよくわからないまま終わってしまったチェコのサッカーリーグ一部だが、来シーズンの開幕が8月22日に決まった。例年と比べるとほぼ一ヶ月遅れということになる。結果的にシーズンが終わったのは7月の半ばのことだから、オフも一ヶ月ちょっと。例年より半月ほど短いのかな。もともとシーズンオフよりも冬の中断期間のほうが長いのがチェコで、シーズンが終了してあれこれ行事が終わったころには、新シーズンに向けたキャンプが始まっているのが普通である。今年もすでにキャンプやら練習試合やらが始まっている。

 今年は武漢風邪で最終順位が確定しなかったため、一部からの降格チームはなく、二部から2チーム昇格することで、来シーズンは全18チームでのリーグ戦となる。ここ2年行われてきた通常のリーグ戦終了後の追加部分は行われず全34節の結果で順位が争われる。秋の部は、開始が遅くなることから15節の開催で12月上旬まで行われ、春の部は例年より一月早く1月下旬に再開して、5月下旬まで行なわれる予定である。6月には延期されたヨーロッパ選手権が行われるので、それに合わせて春のシーズンの開始が早まるわけだ。
 同時に武漢風邪対策も発表され、1部リーグのチームは、各節の試合の前に試合に登録される選手、関係者の陰性の検査結果を提出することが義務付けられた。シーズン中は毎週一回検査を受けることになるわけである。この検査はチームの負担で行うことになったので、財政基盤の弱いチームの多い二部のチームに関しては、一ヶ月に一回と条件が緩和されている。実際に陽性の選手が出た場合にどんな対応をするのかは、今後保健所などと検討して決めるのだろう。陽性の選手が一人出たから試合中止なんて短絡的な決定にはならないことを望みたい。

 また、リーグの最終順位が確定しない理由となっていたリーグ規約の見直しも行われた。一試合でも欠けたら順位が確定しないというのを改め、予定された試合の50パーセント以上が開催された場合には、最終順位が確定するという形になった。事情によってチームごとに試合数が違う場合には、勝ち点の総計で決めるのではなく、一試合辺りの勝ち点に換算して順位を決めることになるようだ。

 ただし、リーグ全体で50パーセント以上の試合を消化して順位が決定した場合でも、半分以上の、つまり来シーズンは17以上の試合を消化していないチームは、優勝できないことになっている。これはチャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグの出場権も同様で、試合数の少なすぎるチームが有利にならないように配慮されている。
 その一方で、下位に沈んだチームは試合数が半分を超えていなくても降格するというルールになっている。これは、降格しそうなチームが意図的に感染者を出して試合数を減らそうとするのを防ぐ目的があると考えていいだろうか。実際にするかどうかはともかくとして、今年もカルビナーが疑われたように、チェコのチームだからそれぐらいやってもおかしくないと、お互いに疑い合っているのだろう。

 チャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグがどうなるかという問題もあるし、この異常事態はまだまだ続いていくのだろう。ただ、毎週サッカーなどのスポーツが行われているという事実が、ファンのみならず人々の心の安寧に多少なりとも役立っているわけだから何とか中断なんてことなしに、リーグが開催されることを願っている。そして、チェコでは、もう一つの人気スポーツ、アイスホッケーはちょっと特殊なリーグなので、サッカーが他のスポーツの基準になるところがある。言い換えればサッカーですら開催できなかったら、他のスポーツでリーグ戦など行えるわけがない。だから、サッカーには多少の無理はしてでもリーグを中断せずに開催し続けてもらいたい。ハンドボールの試合をテレビで見るためにもさ。
2020年8月6日12時。










2020年08月07日

武漢風邪選挙(八月四日)



 チェコでは、今年の秋に、四年に一度の地方議会選挙と、二年に一度、国内の三分の一で行われる上院議員の選挙が行なわれることになっている。それで、武漢風邪の流行が再度拡大し、収束の気配を見せず、感染者だけでなく感染の疑いで自宅監禁状態に置かれている人の数も増え続ける現状で、どのように選挙を実施するかで政治家たちが話し合いを始めた。

 もちろん、自宅監禁状態にない人に関してはいつも通りに選挙を行えばいいのだが、外出禁止常態に置かれる人たちに対してどのように選挙権の行使を可能にするかが問題になっている。増え続けるとは言っても、人口比にすれば1パーセントにも遠く及ばないのだから、国政レベルの選挙であれば、投票できなくても選挙結果にはほぼ影響はないといっていい。上院の選挙なんて全国81の選挙区のうち27箇所でしか行われないし、投票率も20〜30パーセントというところだから、普通に投票できない人たちの中に、投票を希望する人がほとんどいない可能性もある。
 問題は今回の選挙の中心が地方選挙だというところで、こちらは下院の選挙ほどではないが投票率は高い。それに、局地的に集団感染が発生している小さな自治体だと、人口の10パーセント以上が感染者で、その何倍かの外出禁止の人が出ることも考えられる。そうなると、投票できない人の存在が選挙結果に大きな影響を与えることになる。選挙権を行使するかどうかはともかく、行使できるようにするのが政治家の役割だとかいっている人もいたけど、ここで存在感を発しておかないと忘れ去られそうな政治家も多いからなあ。

 とまれ、国会での話し合いを前に、各政党がいくつかの案を出して、そのうちのどれを正式に審議にかけるかの話し合いをしていた。どんな案が出たのかすべてを知っているわけではないが、郵送での投票という、他の国で特に国外在住者の場合に使われているらしい方法は、内務大臣のハマーチェク氏によってなんだかよくわからない理由で否定されていた。

 それで、最終案として残ったのは以下の四つ。

?@代理人、もしくは仲介人を使って投票する。
 ただでさえ、選挙違反、特に票の買収の多いチェコで、これはないだろうと思っていたら、政党間の話し合いで撤回された。珍しく建設的な話し合いがなされたようである。
 代理人というと普通の弁護士なんかと縁のない人たちは血縁者を選んで委任状を持たせることになるのだろうけど、今回は家族全員で自宅から出られないと言うことになっている人が多いはずだから、そもそも導入しても意味のない制度だったのだ。代理人の資格を認定するなんて話になったら、代理人の売込みで大変なことになりそうだ。どこの党なんだろう、こんなの提案したの。

?Aドライブスルー方式
 ファーストフードの販売方式を真似て、自家用車で特設の投票所まで来て、一歩も外に出ないまま投票するのだとか。選挙管理委員が感染防止のための防護服を着て車の窓越しに本人確認をして、投票用紙を受け取る形になるようだ。
 そもそも自宅を出てはいけないのではないのかなんて質問はしても無駄である。選挙は特例扱いで、自宅監禁の対象者だけが集まる投票所を設定するから、他者との接触は最小限になるはずだという答えが帰ってくるに決まっている。もちろん車を持たない人もいるので、採用されるとしてもいくつかの方法のうちの一つとなるだろう。

?B移動投票所
 投票所というのは正確ではないか。感染防止対策をした選挙管理委員が有権者の下に出向いて投票してもらうというもの。共産党政権下で行なわれた形だけの選挙で投票率を100パーセントに近づけるために、選挙に来なかった人のところに選挙管理委員が押しかけて投票を強要していたという話を思い出すが、すべての隔離対象者の元に出向くわけではなく、希望者は事前に連絡を入れて時間などを決めることが想定されているようだ。

?C出張投票所
 老人ホームや病院などで集団感染が発生して施設全体が隔離状態におかれている場合に、施設内に特設の投票所を設置することが提案されている。地方議会選挙だから施設のある自治体とはちがうところに住所を置いている人はどうするんだろう。

 どれもこれも問題ありそうな案ばかりだけど、特別な事態なんだから仕方がない。来年に予定されている下院の選挙を前に、武漢風邪蔓延下の選挙制度を確立させて思惑もあるのだろう。すべての党が投票者が減ると自党が不利になると考えているように見えるのがおかしいけどさ。
2020年8月5日12時。









2020年08月06日

悪魔の聖書(八月三日)



 イジー・ストラフの傑作連作ドラマ「悪魔の罠」において重要な役割を果たした、この本の正式名称は「コデックス・ギガス」というらしいが、ドラマの中でもようだったように、一般にはキリスト教の信者には受け入れられなさそうな「悪魔の聖書」という名前で呼ばれている。本とは言っても、出版されたものではなく、13世紀に手書きで書かれたものである。
 世界最大の手書きの本だとされるこの本は、持ち運びどころか。ページをめくるのも一人では大変そうなサイズで、羊皮紙に書かれている。パルドゥビツェの南にあるフルディムの近くのポドラジツェにあった修道院で作成されたと言われ、チェコの文化財と言ってもいいようなものなのだが、残念ながらチェコはなく、スウェーデンのストックホルムにある。三十年戦争中にチェコ各地で略奪を働いたスウェーデン軍が戦果の一つとして持ち帰り、二度と返還されなかった。チェコが三十年戦争で失ったものは多いが、この本もその最も重要な一つである。

 俗称に「悪魔の」という名前がつけられているのは、本の中に悪魔の姿が描かれているからであり、執筆当時の人々の持っていた悪魔に対するイメージを知ることができる。顔は緑色で開いた口の両端からそれぞれ赤色の舌のようなものが伸びている。髪の毛は黒くパンチパーマのようで二本の赤い角が生えている。手足の指は四本ずつで先端にはとがった赤色のつめが付いている。これが当時のチェコの修道院の人々が考えた悪魔の像だと考えていいのだろう。
 内容は、聖書とは言っても聖書だけでなく、医学的な教訓や、悪魔祓いの方法、歴史の研究など当時の知識を集成したもので、一種の百科事典のようなものとされる。ポドラジツェの修道士たちが総力を挙げて、書き上げたものだと考えたくなるのだが、伝説によると、一人の修道士が、しかも一夜の間に書き上げたのだという。

 1212年にプシェミスル・オタカル1世のスイスのバーゼル訪問に同行した修道士が、当地で知り合った人物に悪魔崇拝について教えられた。チェコに帰国したあと修道院長に悪魔崇拝について学んだことを知られ、生きたまま壁に塗りこめられる刑に処されるところだった。それを避けるために、修道士は一夜のうちに世界のすべての知を収めた本を書き上げることを約束した。
 しかし、すでに真夜中の時点で朝までに書き上げられないことが明らかになり、絶望した修道士は自らの魂を悪魔に売りつけた。そして、修道士の代わりに悪魔が書き上げたのがこの大部の本だと言うのである。ということは「悪魔の聖書」というのは、単に「悪魔が描かれた聖書」というだけではなく、「悪魔によって書かれた聖書」という意味も持つようである。

 最も信仰に厚いはずの修道院の修道士の中から、悪魔崇拝に傾倒するものが出て、秘密結社が結成されたなんて話はよく聞くから、「悪魔の聖書」に関する伝説にもその事実が反映されているのかもしれない。異教徒を悪魔の手先と断じて迫害し人間扱いしなかったキリスト教の信仰の中から悪魔崇拝が生まれてくるのは皮肉である。
 だから異教ではなく、キリスト教こそが悪魔の宗教だなどと短絡する気はないが、共産主義や環境教も含めて熱心な信者になることは、悪魔に魂を売るに等しいと断じておく。自らの正しさを疑うことを知らないあの思考停止ぶりは悪魔のせいだというにふさわしい。
2020年8月3日22時。











タグ: 失敗
posted by olomou?an at 06:40| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2020年08月05日

『アラブが見た十字軍』(八月二日)



 職場が夏休みに入り、久しぶりにちょっと気合を入れないと読めない本を読もうかと考えて、ちくま学芸文庫のコレクションを眺めていたら目に付いたのがこれ。十字軍というヨーロッパに毒された日本人の感覚の中では、ついついロマンチックなものとして捉えてしまいがちな歴史的な出来事を、被害者の側のアラブ世界から語りなおしたのが本書である。
 もちろん読む前から、十字軍が物語りに描かれるほどロマンチックなものではなく、西欧では英雄視される人物であっても、その十字軍における実態は全く異なっていたことは知っていた。ただ、本書を読む前は、まだ十字軍を、人類史上最悪の愚行の一つとして位置づけることはできていなかった。言ってみれば、アラブ側の記述にも誇張や身びいきがあることをわかった上で読んで、啓蒙されたのである。

 本書の著者は訳者によればレバノンの著名なジャーナリストだというアミン・マアルーフで、原典たるフランス語版は1983年に出版されている。日本語訳は1986年にリブロポートから刊行され、2001年にちくま学芸文庫に改訳決定版として収録された。翻訳者は牟田口義郎と新川雅子の二人だが詳しいことは知らない。

 リブロポートは詩人の辻井喬としても知られる堤清二の率いたセゾングループの出版社で、関連会社のトレヴィルと共に数は少ないものの美術や世界史などに関連するいい本を出版する、良心的な出版社として知る人ぞ知る存在だった。その出版姿勢は堤清二の方針だったのだろうが、出版社単体で採算が取れていたとは思えない。セゾングループの経営悪化で事業整理が行われた1998年に廃業している。創業が1980年というから、20年弱しか持たなかったわけだ。
 そのリブロポートが世に送った名著の一つが本書なのだが、本書が提示したテーマ、キリスト教社会とイスラム教社会の対立の原点である十字軍の問題は、日本語版刊行から30年以上の年月を経てなおその意味を失っていない。いや、東西対立の最中で、宗教間の対立はそこまで先鋭化していなかった当時よりも、現代の方が大きな意味を持っているといってもいいかもしれない。

 ヨーロッパ社会においては、もしくはイスラム世界以外では、十字軍はすでに過去のもので、理想化され伝説化され現代社会における意味などないに等しいが、本書を読めばイスラム社会においては十字軍が極めて現代的な意味を持ち続けていることが理解できる。加害者は自分のなしたことを忘れがちで、被害者はなされたことを忘れないと一般化することもできるのだろうが、それよりは十字軍がイスラム社会にあたえた傷の大きさを強調した方がいい。
 その大きな傷が、何かにつけてグローバル化が喧伝される現代においてなお、キリスト教的なものを感じさせる、欧米的民主主義や資本主義に対する反発が消えない原因になっているのだろう。言い換えれば十字軍に関する意識を変えない限り、イスラム社会の反欧米主義者の種は尽きないということになる。本書を読めばこれぐらいのことは明らかだと思うのだが、キリスト教の側から本書が提示した問題に対する反応があったという話は、寡聞にして知らない。

 また軍事的には失敗に終わった十字軍だが、文化的、経済的には、当時の世界最先端を走っていたイスラム世界を略奪することで、ヨーロッパには大きなものがもたらされた。それがヨーロッパ文明の略奪性を高めたと考えることができるなら、世界中を略奪の対象にし、キリスト教徒にあらずんばひとにあらずといわんばかりに、誰彼かまわず奴隷として売買していた植民地主義を準備したのも十字軍だということになる。

 最近良識派の仮面をかぶった人たちが、チャーチルを人種差別主義者として糾弾するという茶番劇を見せていたが、本気で差別問題、宗教対立を解決する一歩を踏み出したいのなら、十字軍から始めるべきなのだ。チャーチルではなく、エドワードとかリチャードとか、フリードリヒなんかを差別主義者、虐殺者として糾弾すれば、イスラムとの距離が縮まるに違いない。
 そして、植民地化の尖兵となり奴隷売買の一端をになっていた宣教師達の中には、列聖された人々も多いが、そんな人たちも差別主義者として列聖を取り消せば、キリスト教徒の差別意識も少しは解消されるんじゃないかなんてことを、キリスト教のみならず、宗教嫌いとしては考えてしまう。どちらも実現は不可能だろうけど。
2020年8月2日24時。










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2020年08月03日

トマーシュ・ソウチェク(七月卅一日)



 これまでチェコのサッカー選手が国内のチームから国外に移籍した際に支払われた、いわゆる移籍金の記録を持っていたのは、2001年にスパルタからドイツのドルトムントに移籍したトマーシュロシツキーで、その金額は約5億コルナだったとされる。二番目は、数年前に中国に移籍したドチカルと去年ロシアに行ったクラールに超えられるまでは、バロシュがオストラバからリバプールに移籍したときの約1億9千万コルナだったから、ロシツキーの突出ぶりがわかるだろう。

 そのロシツキーの記録が約20年の時を経て更新された。更新したのはスラビアからイングランドのウェスト・ハムに移籍したトマーシュ・ソウチェクである。ソウチェクはまず今年の冬にオプション付きの半年のレンタルで移籍し、スラビアに1億1千万コルナほどの移籍金をもたらした。レンタルになったのはウェスト・ハムに二部降格の可能性があったためで、一部残留が決定すれば自動的に完全移籍に移行する契約だったと言われている。
 それで、ウェスト・ハムが16位で残留を決めたことで、ソウチェクの移籍も確定した。追加で支払われる移籍金が約4億3千万コルナで、レンタルの分と合わせて5億4千万ほどとなり、ソウチェクは、貨幣価値や為替の変動などを無視すれば、チェコリーグから最高額で国外に移籍した選手となった。ロシアや中国のような移籍金が数割高くなる傾向のあるリーグではなく、イングランドへの移籍でロシツキーを越えたことがソウチェクへの評価と期待の高さを表している。

 チェコサッカーのファンとして嬉しいのは、ソウチェクが高額で移籍したことではなく、降格の危機にさらされていたウェスト・ハムに移籍したソウチェクが中心選手として残留に貢献し、自身の活躍で完全移籍を勝ち取ったことである。
 一月の移籍直後から先発メンバーとして出場はしていたが、武漢風邪での中断までは、怪我もあってスラビア時代ほどの活躍はしていなかった。それが、中断開け以後は、完全にチームの中心選手として中盤を支配し、時には攻撃にも参加し重要なゴールを決めて、チームを残留に導いていた。スラビア時代のいいときと同様、どこにでもソウチェクがいるという状態だったようだ。
 自国の選手について過大に評価し報道してしまうのは、日本のマスコミほどひどくはないけれどもチェコでもないわけではない。だから、チェコでの報道は多少眉につばをつけておく必要はあるが、ソウチェクなしでは、ウェスト・ハムの残留は難しかったのではないかという印象を受けた。話半分に聞くにしても、監督やファンたちの評価も高いようである。

 最近、イングランドに移籍して成功を収めたチェコ人選手が出ていなかったからソウチェクも心配していたのだが、代表のことを考えても一安心である。カラスも、スカラークも、ビドラも、ゲツォフも、みんなみんな期待されていたのに、尸累々で代、表の戦力にならなくなった選手も多い。アーセナルに行ったロシツキーも怪我ばかりで本来の実力を発揮できたとはいえないしさ。
 ウェスト・ハムのチェコ人選手というと、1990年代に活躍したキーパーのルデク・ミクロシュコと、2000年代の初めのトマーシュ・ジェプカの二人の名前が挙がる。この二人は在籍期間も長く大成功を収めたと言えるが、ジェプカ以降は、ラシュトゥーフカとミコランダという在籍しただけという選手もいて、多少なりとも活躍したのはコバーチぐらいである。

 ソウチェクの活躍に味を占めたというわけではないのだろうが、ウェスト・ハムでは二匹目のドジョウとばかりに、スラビアの選手の獲得を考えているらしい。名前が挙がっているのはツォウファルとマソプストだという。ツォウファルはディフェンスの選手だからそれなりに期待できそうだけど、マソプストはどうかなあ。スピードはあるけどミスも多いし。どちらの選手が移籍したとしてもソウチェクの存在は大きな力になるに違いない。
 今回の移籍にはちょっといい話もあって、出身地で最初に所属したハブリーチクーフ・ブロトのチームに、今回スラビアに入る移籍金の10パーセントが支払われることになるらしい。その額はチームの年間予算の10倍になるというから、地方の財政難に苦しみ自治体の支援を受けている弱小クラブにとっては恵みの雨のようなものである。

 ソウチェクには、今後もイングランドだけでなく代表でも活躍が期待できそうだ。9月にはオロモウツで代表の試合があるからソウチェクも来るはずだ。たた、無観客試合になることが決まっているので観戦することはできないけどさ。
2020年7月31日23時30分。











2020年08月02日

メンチンスキ神父考再び(七月卅日)



 最近また、偽物ブランド品の販売サイトの宣伝のための迷惑コメントが増えている。それで、三年以上も前に書いた、殉教するために日本を訪れたポーランド人の メンチンスキ神父についての記事 にコメントがついたときにも、また削除するべきコメントかと思ったのだが、短くもありがたいまともなコメントだった。おかげでさらに一歩、調査を進め知らなかったことを知ることができた。
 過去の記事を読めと強要するのも申し訳ないので簡単に説明しておくと、ポーランドの貴族階級の出身でイエズス会に入った後、殉教するという目的のために、島原の乱を経て鎖国したばかりの日本に渡って長崎で処刑されたメンチンスキ神父について、資料によって名前が違うことについて問題にした記事である。歴史系の資料では「Wojciech(ヴォイチェフ)」になっていて、キリスト教関係だと「Albert(アルベルト)」になっているのだ。

 これについて、


「アルベルト・メンチンスキー」と「ヴォイチェフ・メンチンスキー」は、同じ人物です。ラテン語表記とスラブ語表記で、表記に仕方が異なります。



 というコメントを頂いたのだが、ポーランドかキリスト教に詳しい方だろうか。

 最初に読んだときは、同一人物というのは、納得できるけど、「ヴォイチェフ」と「アルベルト」が同じ名前で、ラテン語とスラブ語の違いだと言うのには、首をひねった。チェコ語にも「ヴォイチェフ」に相当する名前があるし、「アルベルト」という名前も存在しているのだ。チェコ語とドイツ語などの外国語で大きく形が変わる名前があるのは、いくつか知っているけど、この二つの組み合わせは聞いたことがない。

 とりあえず、チェコ語のウィキペディアで見てみたのだが、「メンチンスキ」は項目すら立てられていなかった。仕方がないので、読めないけど名前の表記ぐらいはわかるだろうと、ポーランド語版でメンチンスキを探してみると、名前の部分は以下のようになっていた。


Wojciech M?ci?ski (M?czy?ski), Alberto Polacco, Albertus de Polonia



 最初がポーランド語での名前で、二つ目三つ目が外国語だと思うけど、どちらもポーランドの「アルベルト」とか「アルベルトゥス」という意味だろう。同一人物というのはこれで間違いはなさそうだ。問題は「Wojciech」と「Alberto/ Albertus」の関係である。これ以上はポーランド語版では手も足も出ないので、チェコ語版で「Vojt?ch」を調べてみた。このときは、アルベルトと共通するあだ名が出てくればおもしろいぐらいの気持ちだったのだけどね。

 そうしたら、この名前の外国語での形のところに、ドイツ語、フランス語、英語では「Adalbert」になるという記述が出てきた。ラテン語では「Adalbertus」である。「アルベルト」そのものではないけれども、「アダルベルト」とアルベルトは音が似ていなくもない。
 ということで「Adalbert」も調べる。こちらはチェコ語でも使われるけれども、ドイツ語起源の名前で、同根の名前として、「Albrecht」と「Albert」があると書かれている。「Albert」のところにも同様のことが書かれていた。あら不思議、ボイテフとアルベルトがつながってしまった。

 しかし、語源の説明をみると、チェコ語の「Vojt?ch」は、戦争や軍隊に関係するもので、「戦いの喜び」とか、「微笑む戦士」と解釈できるようだ。それに対して、ドイツ語起源の「Adalbert」のほうは、「高貴な者」とか「素晴らしい者」となっている。なんでこの語源の違う二つの名前が同じものとして扱われているのだろうか。

 答えは、「Adalbert」のところに書かれていた。チェコの聖人の一人、聖ボイテフが、「bi?movací jméno」(よくわからんけど洗礼名かな)として、おそらくはドイツ語やラテン語にこのスラブ起源の名前に対応する名前が存在しなかったからだろうけど、指導を受けたマグデブルグの大司教のアダルベルトに敬意を表して、その名前を使わせてもらったことによるという。それで以後、聖ボイテフは、西スラブ語圏以外では、聖アダルベルトとして知られることになったのだとか。
 それで、チェコ語のボイテフに相当する名前の西スラブ圏の人が、ドイツ語圏に出て活動する際には、アダルベルト、もしくはその派生形であるアルベルトという名前を使うようになり、ヨーロッパ全域に広がったということであろう。百科事典などの資料では、現地名、この場合はポーランド語での名前を使い、キリスト教関係の資料では、ラテン語の名前を使うということか。でもラテン語だとアルベルトルスになりそうだなあ。そうするとイタリア語の形かな。

 コメントを頂いたおかげで、前回たどり着けなかった結論にまで到達できた。ありがたいことである。最初ちょっと疑ってしまって申し訳ない。
2020年7月30日23時30分。







https://pl.wikipedia.org/wiki/Wojciech_M%C4%99ci%C5%84ski
https://cs.wikipedia.org/wiki/Vojt%C4%9Bch
https://cs.wikipedia.org/wiki/Adalbert
https://cs.wikipedia.org/wiki/Albert






posted by olomou?an at 06:37| Comment(1) | TrackBack(0) | 戯言
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