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2020年10月17日
心臓移植の募金にモヤッとした理由
海外で心臓移植を受けた子が5歳で亡くなったというニュースを今日目にした。
子供の心臓病や難病の移植代を募金で募るというのを初めて知ったのは高校生の頃だった。
その時になにかがひっかかるような気がして、でも理由はわからなかった。
ネットでは下記のような意見が見られた。
1. 癌でもなんでも治療を受けられずに終わる命があるのになぜ特定の子供だけ特別なのか
2. この子の1生に3億円の価値があるのか。普通の人は1億ですら生み出せずに一生を終える。
3. 出産する前にわからなかった親の責任では。
4. 手術代ではなくドナーの順番待ちを繰り上げるためのお金なので、この子を助けたということは他に助からなかった命があるということ。
1. 私も概ね同意だけれど、少し僻みも混じっているのでは?治療費が必要なら自分だって頭をさげてお願いすればいい。けど大人が治療費を募っても、なんだが胡散臭さが出てしまう。子供は無条件に可愛いし未来の可能性に溢れているから助けてあげたい気持ちになり募金額が集まりやすい。
2. お金の面だけで考えるとその通りかもしれない。それに3億円というお金を海外で使ってしまっては日本国内の経済にもほとんど還元されないお金になりますよね。とはいえ、これは募金した人以外がとやかく言ってはいけないかな。
3. これは、他人がどうこう言うことでは無いと思う。判断できたかどうかも確かめようがないし。仮にわかっていたとしても、障害があっても産みたいという気持ちが葛藤よりも勝ったという話かもしれない。同じ立場になってみないと意見はできない。親の責任と言うのはひどすぎる。
4. これが1番私がモヤッとした原因かも。
例えば逆のパターンを想像してみる。海外の富裕層が3億円払ってどんどん日本のドナーを奪って3億円用意できなかった日本の子供達が命を落としたら、それが正しいと言えるだろうか。
いくら親心とはいえ自分の子供さえ助かれば良いのか?いくら可愛い助けたいと思っても、優先順位をお金で買うこというのは難しい選択だと思う。
みんな自分の子が可愛い。それはお金や運のあるなし関係なく同じ。
「心臓移植 救う会」と検索すると、多数の"○○ちゃんを救う会"のホームページが一面に表示されて驚いた。とにかく助かりたいというエネルギーに圧倒されてしまって、私はそっとブラウザーを閉じた。
人の親なら何がなんでも助けたいとい心情はわかるけれど、これはただの人助けや美談で片付けられないのではないだろうか。
それから、子供の募金にかかわらず、募金を受け取った人は用途を明らかにして欲しい。募金などは感謝を強要してやるものではないし、感謝してない人はそうそういない(と信じたい)ので「感謝すべき」などと恩着せがましく言うつもりは全くないのだけど、少しでも疑惑を残してしまうと他の人が募金を必要とした時に募金というものが信用されなくなってしまうから。
クラウドファンディングとかもそうですよね。
読んでくださった人が必ずしも同意してくださるとは思ってない。けれども、自分が疑問に感じていた解が見つかった気がしたので、今日は深夜に一人こんな事を記事にしてみた。
手術の有無にかかわらず亡くなられた子どもたちのご冥福をお祈りします。

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