珍しく、本日2度目の更新。
昨日から書き続けてきたミステリ解説を公開したい。
今回考察するのはミステリ界の暴君のような麻耶雄嵩(まやゆたか)さんの作品。
『夏と冬の奏鳴曲(ソナタ)』(以下、本書と省略)という大問題作だ。
読み終わった後の脳内は大混乱の極致としか言いようがない。
謎だらけの本書をじっくりと考察したいと思う。
あらすじ
雑誌社の準社員の 如月烏有 (きさらぎうゆう)とアシスタントの 舞奈桐璃 (まいなとうり)は、舞鶴沖の日本海に浮かぶ絶海の孤島「和音島(かずねじま)」に向かう。
20年前、この島では7人の若者が共同生活を送っていた。
今回その同窓会のような集まりがおこなわれ、それを取材するための旅だ。
そして和音島で起こる数々の怪事件。
果たして烏有と桐璃は再び帰ってくることができるのだろうか…。
ぷりん将軍の本書の読書歴
10年以上も前に一度読み、そのときは完全に理解不能。
そして今回が二度目の挑戦。
ストーリー自体は理解できたけれども、やはり頭の中は「?」でいっぱい。
いろいろ書きながら、少しでも自分を納得させたいと思う。
参考にしたホームページとブログ
「夏と冬の奏鳴曲」と入力してグーグルで検索した。
そして検索結果のトップページに出てきたホームページやブログ、そしてその中で紹介されていた記事が次の一覧。
1. 夏と冬の奏鳴曲/麻耶雄嵩 (黄金の羊毛亭さん)
2. 麻耶雄嵩とエラリー・クイーン (EQ?Vさん)
3. 『夏と冬の奏鳴曲』の真相を探る? (半虚學研究会さん)
4. 麻耶雄嵩の大怪作「夏と冬の奏鳴曲」再読☆小説最後の謎を巡る解釈と考察☆(ネタバレ注意☆) (thompson1280さん)
5. 【ネタバレ注意】麻耶雄嵩『夏と冬の奏鳴曲(ソナタ)』の感想。 (裏旋さん)
6. 夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) 麻耶雄嵩 (棒日記?Zさん)
これらで検討されている推理に対する批判的考察と、ぷりん将軍が自分で考えた本書の謎解きを今回は記していく。
なお、もし今回の謎解きがすでにどこかで発表されていたとしても、ぷりん将軍が参考にしたのは上記のホームページとブログのみだ。
解釈・推理が一致していたとしたら同じような思考をたどっただけのことであり、盗用や剽窃ではないことを念のため記しておきたい。
以下、 完全ネタバレ です
未読の方はご遠慮ください。
なお、ページ数は講談社文庫版(初版 1998.8)のものです。
二人の桐璃
烏有を「うゆー」と呼ぶ桐璃と、「うゆう」と呼ぶ桐璃の二人が登場する。
彼女らを半虚學研究会さんに倣って、「うゆー」の方を桐璃A、「うゆう」の方を桐璃Bと呼ぼう。
彼女らはその外見の相似から、双子であると判断したい。
編集長
烏有と桐璃Aが働く雑誌社の女性編集長の名前は、やはり「和音」であろう。
いくつかのブログでは、この編集長を桐璃A・桐璃Bの母親としているが、それは違うと思う。
編集長が桐璃Aを見つけて、アシスタントに誘ったのだ。
だから、桐璃Aは編集長をただの知人としか思っていない。
創華社って云うんだけど[中略]取材のアシスタントが足りないんだって。そこの編集長の人と知合いなんだけど…うゆーさんやってみない?(p.394)
もし母親なら、最後に桐璃Aを切り捨てて桐璃Bだけを生き残らせた理由も考えなくてはならないだろう。
黄色い瞳
なぜか上掲のホームページとブログでまったく言及されていないのが「黄色い瞳」だ。
母親の隣には七歳ほどの小さな女の子が、その意味も判らずにちょこんと、母親の服の裾を心細げに握りしめ、座っている。[中略] その瞳は黄色く 、少し沈んだ色に輝いている。この少女が“今日”の意味を知るのはいつのことだろうか。(p.11)
その時から烏有は己れの犯した罪に気づき、青年の人生を背負いこむ破目に陥った。いや、葬儀の時、遺影を掲げた妹らしき七つくらいの少女の瞳を見たときから。真っすぐに烏有を睨みつける、その突き刺すような 黄色い瞳 を見たときから、烏有のなかにその青年の幻影が巣くったのだった。(p.230)
烏有は小学生のときに大学生から命を救われたことがあった。
しかし、烏有の代わりにその大学生は死んでしまった。
先の引用は、その若者の葬儀の場面である。
そして、烏有と桐璃Aの出会いの場面はこのように記されている。
この二週間、毎日のようにすれ違っていたのだが、顔もろくに見ていなかったのだ。烏有より少し背の低いその少女の 瞳は黄色がかって いた。[中略]それは何処かで見覚えがあったはずなのだが、思い出せなかった。(p.104)
「目」「瞳」は本書の中で重要な役割を果たすことになり、無視してよい描写ではない。
彼が選んだ桐璃は、コーヒーを一気に飲み干すと、 黄色がかった美しい二つの瞳 を輝かせて大きく頷いた。(p.701)
結論的に言うなれば、あの七歳くらいの女の子は桐璃Bである。
10年経って、ちょうど17歳。
年齢もピッタリだ。
真鍋夫妻の幼児誘拐とはまったく関係がない。
復讐
和音島での一連の事件の動機が明らかになったのは、烏有が和音の墓碑を訪ねたときのことだ。
ふと足元を見ると、杭の脇に花が一輪添えられていた。トリカブト、花言葉は(迂闊にも烏有はそれを覚えていた)その毒性故に“復讐”……。(p.542)
この復讐という動機は、編集長による和音島のメンバーへの復讐といくつかのブログでは解されている。
しかし、それだけではない。
兄を失った桐璃Bによる烏有への復讐という一面も色濃く表れているのだ。
これは可能性の一つだが、桐璃Bの家は大学生の兄の死が原因となって没落したのかもしれない。
苦境の中で成長していく桐璃Bは、安穏と暮らす桐璃Aの境遇を知り、自らの不幸を桐璃Aにもぶつけようとしたのかもしれない。
以下、物語の核心として、ぷりん将軍の推理を断定的に書き記していく。
物語の核心1
かつて和音島で暮らしたこともある編集長は、島の支配者である水鏡三摩地の妹だった。
一方、双子として生まれた桐璃Aと桐璃Bは、何らかの事情で別々に生きていくこととなった。
桐璃Bが引き取られた家は、烏有の身代わりとなって死んだ大学生の家だった。
大学生と七歳というように年齢が離れていることからも、桐璃Bが養子であることがうかがえる。
そして、この家は「菱形の組み合わさった家紋」(p.9)である。
菱は水草を意味しており、水の連想からこの家は水鏡家に連なる家系だったと考えたい。
ここに編集長と桐璃Bの接点がある。
編集長は兄の三摩地を武藤をはじめとする和音島のメンバーに殺され、復讐の機会を狙っていた。
また、大学生の義兄を失った桐璃Bも、烏有そして桐璃Aへの復讐を考えていた。
この二人が一連の事件を裏から操作していたのだ。
物語の核心2
編集長は桐璃Bと生き別れになっていた桐璃Aを捜した。
そして、ついに桐璃Aと知り合い、自らの雑誌社のアシスタントとして働いてもらうようにした。
そしてまた、映画『春と秋の奏鳴曲』のヌルと同様の人生をたどっており、桐璃Bの仇でもある烏有を見つけ出した。
編集長は烏有を桐璃Aを通じて雑誌社で雇うことに成功し、和音島に二人を送り込んだ。
桐璃Aが烏有の自宅を知っていたのは編集長から教わっていたからだ。
物語の核心3
本書のタイトル『夏と冬の奏鳴曲』は、作中の映画『春と秋の奏鳴曲』と対になっている。
thompson1280さんが指摘するように、本書は映画の続編として書かれた小説そのものなのだろう。
「黙示録ですか」
思わず烏有は口を挟んだ。[中略]
「でも、よく解らない。本当はちゃんとしたタイトルがあるらしいんだが、便宜的に云っただけだ。武藤が、ふとね」
「でもぉ、」
「どうもここではシナリオではなく小説を書いていたらしい。結局、読ませてもらえなかったけどな。」(p.146)
つまり、そこには「黙示録」として預言されたストーリー(本書)として事件がすでに構想されていた。
そして、その通りに一連の事件は進行していった(進行させられていった)。
物語の途中、やや唐突に決定論的思考(ラプラスの悪魔)と不確定性原理が語られる。
例えばダイスを転がしたとき、それぞれの数が均等に出る確率(のダイス)だとすると、それはダイスを転がすときの初期条件(手の握り具合、上を向いている面、力の入れ方、空気抵抗、地面の堅さや摩擦係数など)で決定されてしまう。これは確率的に見えて絶対的な世界なのだ。(p.354)
不確定性原理とは、簡単に云うと、速度と位置を同時に決定することは出来ないというもので、[中略]つまりこれは、演繹すれば物事は確率的にしか生じないというものだった。(p.355)
初期条件を整えることで、事件を小説の通りに起こすことはある程度可能だ。
この初期条件の中に含まれているのが、烏有と桐璃Aが取材担当になった理由であり、初日の晩餐会での桐璃Aのドレスの意味だ。
しかし、それはもちろん不確定性をはらんでいる。
たとえば烏有と桐璃Aの部屋の交換がそれだ。
こうした初期条件の変化をストーリーの本筋に及ぼさせないように送り込まれたのが桐璃Bの一つの存在理由だった。
物語の核心4
こうした事件の推移の中で、烏有は否応もなく気づかされた。
この事件の中で自分は主体ではなくただの客体でしかないということに。
そして、烏有がいま、その選択を迫られること、しなければならないことは、予めプログラムされ、決定されていたことなのだ、と彼は知った。
そして、烏有が選ぶのではなく、たとえいかなる選択をしたとしても、烏有は常に選ばさせられているのだ、ということも。(p.536)
物語のこうした帰結的展開に気づき始めたのは烏有だけではない。
「黙示録」を読んでしまったことで、パトリク神父は物語の終局にあるのが「和音の復活」であると考えてしまったのだ。
そして、「和音が復活」するためには自分たち和音島のメンバーの死が必要なことも。
「わたしが抱いていた唯一の不安は、『和音』の教え—このキュビスム的“展開”が、あの人[武藤]の野心のための便法としてのみ用いられたのではないか、ということでした。」[中略]
「しかし、武藤さんの著した“黙示録”には、この総てが記されていたのです」[中略]
「あの人の情熱は、信仰は、わたしですら信じがたいほどに、真摯で、深遠でした。」(p.670)
武藤が自分自身の死も「黙示録」の中に記していたことを知り、神父もまた「和音の復活」を信じて死んでいった。
物語の核心5
しかし、烏有はまだ物語の結末を確信できていない。
結局、無事に生き残ったのはおれだけなのだ。[中略]いつもそうだ。おれは常に誰かの犠牲の上に、のうのうと生き延びていくのかもしれない。[中略]桐璃[桐璃A]を愛しながらも、傷つけたという意識に苛まれながら。
彼は己の不遇を呪わしく思った。(p.676)
左眼を失った桐璃Aとともに生きることを不遇と考えてしまう極限状態での心理的逃避がそこにはある。
そして、その前に突然現れた桐璃Bと地震によって生じた奇蹟がさらに烏有の心を刺激する。
なぜ桐璃[桐璃A]には左眼がないのか?—疑問を持ってしまったのだ。そしてその悪性の腫瘍は徐々に烏有の脳を侵食し始めていく。その眼は、全く違う世界の全く違う自分を垣間見た気がした。どうして?(p.694)
烏有は不遇のままに生きることを止めた。
つまり、左眼のない桐璃Aを捨て、リセットして生きていくために桐璃Bを選んだのだ。
これが桐璃Bの復讐だ。
烏有に自覚的で残酷な極限での選択を強いること、そして桐璃Aの存在を抹消すること。
そして、この傷のない桐璃Bが生き延びることはまた「和音の復活」をも意味していた。
物語の核心6
傷のない桐璃Bとともに生きることを決意した烏有の前に現れたのはメルカトル鮎だ。
そのメルカトルの一言で、今回の一連の事件がすべて編集長に仕組まれていたことを知る。
本書文庫版の表紙には「PARZIVAL(パルツィファル)」と記されている。
「あなたは何も知らないほうがいい。……そう、パルツィファルのように」[中略]
パルツィファル—ワーグナーの楽劇“パルツィファル”に出てくる英雄の名で、“汚れを知らぬ愚か者”の騎士である。[中略]
「しかし、ぼくは汚れも穢れも知っています」
「いや」と神父は窘めると、
「あなたはまだ知らない。知っていたならば、己れに忠実であろうとするはずはないでしょう」(pp.422-423)
烏有自身がただの客体であったのなら、状況に流されていただけのことだ。
しかし、烏有は自らの意志で桐璃Aを捨てたのだ。
客体(「汚れを知らぬ愚か者」)ではけっしてない。
自らが汚れた愚者であることを、このとき烏有は自覚したのだった。
これで桐璃Bの復讐は完了した。
きっと烏有の前に桐璃Bが現れることはもうないのだろう。
残された謎
大きな謎として依然残っているは「鈴」だ。
「鈴といえば猫」というドラえもん的発想だと、やはり猫に関わる秘密なのかもしれない。
しかし、材料があまりにも不足しているため、何とも判断しようがない。
最後に
いろいろ好き勝手に書いてみた。
解説によれば、本書には続編の『痾(あ)』という小説があるとのこと(未読)。
それを手にすれば、もう少しいろいろわかるのだろうか。
案外あっさりと桐璃Bが登場していたら、今回の考察はもう問題外ということになる
とりあえず二回目の読了で考えたのはここまで。
長くなったので、これにておしまい。
おわり
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