高松空襲と本土空襲ー市民から見た第2次世界大戦ー【電子書籍】[ 真田まさお ]
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卒業論文の制作では、資料は第一資料を使うこと。原則、まだだれも研究していないテーマで行うことが求められた。
卒論のテーマを考えると、古典、漢文、外国語が苦手な私にも唯一得意な言語がある事に気づいていた。
その言語を使うことでしか、四年で卒業する道は残されていなかった。その言語は小学生でも一般的には得意な言語で、現代日本で使われている日本語の事である。日本語ができれば、人生なんとかなる、この時そう思った。
なんとか、近代の文章からは読めるようになっていたので、第一文献を読むことができる、日本近現代史で卒業論文を書くしか方法が残されていなかった。
当時の私は日本近現代史にはそれほどの興味と関心は無かった。今思えば、愚かで無知、歴史のことなど薄い知識でしか知らない人間であった。
日本近現代史にそれほど関心がなかった理由は、第二次世界大戦のイメージが強く、日本は敗戦国家で、中国、朝鮮、東南アジアなどで極悪非道な悪いことばかりして、ナチスドイツと組んで世界を混乱させる悪の根源的な負のイメージしかなかった。その為に近代史にはあまり興味は持てなかった。
しかし、違う見方をすると、欧米列強のアジア支配に対して日本がアメリカやイギリスと戦った。この戦争はいわば、アジアの解放の為の戦いであるという視点が存在している。むしろ、世界を混乱へ導いていたのが、アメリカやイギリスを中心とした欧米列強の帝国主義にある事に気づかされた。
近現代史を深く研究して、勉強していく内に、これまで持っていたイメージが一方的なイメージにしか過ぎず、様々な視点が存在している事を知り、歴史の奥深さを痛感していく事になる。
どのような歴史であっても、様々な説が存在していて、絶対が無い。二次世界大戦でいえば、なぜ、日本が中国やアメリカ、イギリスなどを相手に戦争をしなければいけなかったのか、その理由を探っていくと、そこには今まで見えなかった新たな視点が隠されている事に気付いたのである。
資料が豊富に現存しているが為にロマンや空想では語れない近現代史、だからこそ、一言では語れない、多様な真実が近現代史には存在している。
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