1973年にビクトル・ハラが殺害された競技場前でろうそくを手向けるファンたち
Cubadebate、2018年7月21日、ロイター通信
アマンダは、彼女の父が、独裁者の故アウグスト・ピノチェトの権力のもとでおこなわれたクーデター後に、学生や左翼支持者たちとともに競技場で逮捕されたときは8歳だった。証言者たちは、ハラが拷問され、複数の発砲により殺害されたと述べた。
今年7月のはじめ、チリの裁判官は、長い調査の結果、8人の退役軍人たちに15年の懲役を宣告した。しかしハラの暗殺との関係を追及されたもうひとりの犯罪責任者は、自由の身であり続け、米国に住んでいる。
53歳になるアマンダ・ハラは、チリの漁業集落キンタイにある自宅近くでのインタビューのなかで、この判決について、「不処罰への打撃」として評価し、しかしチリの高官たちについては、退役中尉ペドロ・バリエントスを追及するための十分な行動をしていないと批判した。
現在69歳のバリエントスは2016年にフロリダ州連邦民事裁判所で、ハラの死に責任があると宣告された。その法廷ではひとりの元新兵が、バリエントスがいかに自慢して、そのあとハラに発砲し殺害するために使ったピストルを見せたか証言した。
バリエントス被告とは連絡がとれず、裁判で彼を弁護していた弁護士はすでにその任を解かれている。チリからの引渡し要請は、2013年に初めておこなわれたが、現在は宙に浮いた状態にある、とロイター通信は報じている。
チリ外務省は、ロイター通信への電子メールのなかで、今年3月に権力を握ったセバスティアン・ピニェーラ大統領の政権は、この件についてすばやく取り組みたいと延べており、7月にロベルト・アンプエロ外相は、引渡し請求が再開されたと発表した。
米国の法務省と国務省は、この事件についてコメントをしたがらなかった。
アマンダ・ハラは、最近の父に関するニュースを知って、最後の作品でもっとも知られている曲のひとつである「マニフェスト」について考えさせられたという。その歌で彼は「歌は感情を持つ。本当の真実を歌いながら死ぬ人の静脈で脈打つとき。」と書いた。
「おそらく何か切羽詰ったものを感じて、"これが私のあり方だ、これが私が歌う理由だ" と歌うこの歌を書いたのだと思う。」、とアマンダは語った。
(ロイター通信の情報による)
ペドロ・バリエントスの裁判を報じるニュース(2016年6月27日)
ビクトル・ハラ 「マニフェスト」
Hija de Víctor Jara pide extraditar desde EE.UU a uno de los responsables del crimen
http://www.cubadebate.cu/noticias/2018/07/21/hija-de-victor-jara-pide-extraditar-desde-ee-uu-a-uno-de-los-responsables-del-crimen/#.W1QTuNIzbIU
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