ルベン・マルティネス・ビジェナ
Radio Rebelde、2019年12月20日、Andrés Machado Conte記者
「不眠症の瞳」、「農民の真実」、「死後のサイネテの歌」の卓越した詩人マルティネスは、今からちょうど120年前の1899年12月20日、現在のアルテミサ県にあたるアルキーサルで、主婦のマリア・デ・ロス・ドローレス・デ・ビジェナ・デルモンテと教師のルシアーノ・マルティネス・エチェメンディアの息子として生まれた。
キューバ文化研究庁「フアン・マリネージョ」の専門家カリダ・マソーン・セナによると、ルベン・マルティネス・ビジェナはその生来のリーダーシップと深い思想にもかかわらず、国際共産主義者運動の常套句のために、一度も同組織の総書記の役目を負わなかった。
その当時においては(と女史は語った)、プロレタリアートがもっとも革命的な階級を構成するというマルクス主義古典の思想に基づいて、共産主義政党の最高指導部は知識人ではなく労働者の手にあることが推奨されたのだった。
マソーン・セナ女史によると、ルベン・マルティネス・ビジェナはヘラルド・マチャド・モラーレスの独裁体制が倒れた5か月後の1934年1月16日、肺結核のため、ハバナの療養所「ラ・エスペランサ」で亡くなった。
論文「ルベン:記憶と希望から」の著者マソーン・セナは、ルベン・マルティネス・ビジェナの1927年共産党加入以前の時期における中心的役割を強調した。「13人の抗議」「キューバ行動」「退役兵・愛国者運動」などの活動である。
マソーン・セナ女史は特に、イタリア・アルゼンチン系のヴィットリオ・コドビジャのような国際共産主義と結びついた人びとの反応と批判の攻撃に対する、ルベンの・アントニオ・メジャの記憶へのルベンの忠誠を語った。
ルベン・マルティネス・ビジェナへの追悼として、この革命指導者が120年前に生まれたアルテミサ県アルキーサルにある19世紀後半の質素な木造家屋は1976年1月以来、博物館になっている。
このニュース音声はこちらから。
ルベン・マルティネス・ビジェナ(前列中央)
ルベン・マルティネス・ビジェナの生家、現在は博物館
キューバTV(2019年1月16日)
En Audio: Martínez Villena, el joven protagonista de la historia de Cuba
http://www.radiorebelde.cu/noticia/en-audio-martinez-villena-joven-protagonista-historia-cuba-20191220/