キューバ野球連盟イヒニオ・ベレス会長 コロナ感染による合併症で死去

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イヒニオ・ベレス会長

JIT、2021年5月12日



イヒニオ・ベレス会長は、戦士の血統に忠実に、新型コロナウイルスによる合併症と何日間も戦ったが、ルイス・ディアス・ソト博士病院の専門家たちの努力の甲斐なく、死に至った。

1946年7月27日にサンティアゴのソンゴ・ラ・マーヤで生まれたイヒニオは、週末にプレーしていた父親のおかげで野球を始め、そのとき以来人生の最後の瞬間まで、情熱を持って野球と共にあった。

イヒニオは華麗にプレーしながら、向上心の一環として、当時の体育高等学校(ESEF)でも等しい情熱を燃やし、そこでは傑出した成績の他の学生たちとともに、第三回目の卒業生となった。

その学習や、グラウンド上での豊かな経験と、課せられたミッションに常に応答する完璧さによって、国内シリーズ4度、選抜シリーズ3度、革命カップ2度の優勝監督に輝いた。

国際大会でも、パンアメリカン大会(1987年、2003年)、ワールドカップ(2001年、2003年、2005年)、アテネ五輪(2004年)の優勝チームを率いて、頂点を極めた。

五輪優勝の2年後には、第1回WBCで準優勝に輝き、これはわが国の野球の歴史におけるクライマックスの瞬間とみなされている。

2007年から2014年まではキューバ野球の全国本部を指揮し、キューバ野球連盟会長としてパンアメリカン連盟副会長を兼任し、国際関係の任務を担った。

「それらの任命を私が依頼したわけではない。全面的な献身でこれらを遂行したが、加えてわが家族の計り知れない支援、これ無しでは不可能であったろう」、と数か月前イヒニオは、キューバとフィデルへの忠実さを高く掲げた義務感を持って、語った。

このイヒニオの死は、全国コミッショナーのエルネスト・レイノソを同じ原因で失った数日後にわれわれに訪れた。賞賛を待つことなく常に目標に向かう用意ができている戦士のようにイヒニオが最大の熱意を払った仕事を請け負う努力をわれわれが強化しなければならない。

イヒニオの死は、その最愛の人や仕事の同僚にとって取り返しのつかない打撃であり、彼らにわれわれは心から哀悼の意を表する。


キューバTV(2021年5月12日)


キューバTV(2021年5月13日)

Falleció Higinio Vélez, titular de la Federación Cubana de Beisbol
http://www.jit.cu/NewsDetails.aspx?idnoticia=204397
posted by vivacuba at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | beisbol

2021年05月12日

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