フィデル(右)、セリア・サンチェス(左)、キューバ革命の友人でありニューヨークタイムズのコラムニストである米国の新聞記者ハーバート・マシューズ(中央)、ワシントンのキューバ大使館でのレセプションにて、1959年4月18日。
Cubadebate、2024年4月18日、Luis Báez
1959年4月15日、フィデル・カストロは、米国への旅行を開始し、それは4月28日まで続いた。このときフィデルは、アメリカン・ソサエティ・オブ・ニュースペーパー・エディターズ(新聞編集者協会)の招待にこたえて民間人として渡航した。この旅行は、ルイス・バエスによって書かれた書籍 「フィデル・世界をめぐる」 に詳しくまとめられている。バエスは、米国・カナダ・南アメリカをめぐる最高司令官に同行した新聞記者の一人だった。
この歴史的旅行から65周年を記念して、クーバデバテと 「フィデル思想の戦士」サイト は、バエスによる当時の回想録を共有する。
1959年4月18日、土曜日
18日(土曜日)の予定表には、唯一公式の行事として、夜の外交団とのレセプションが記録されている。首相は初めて別の制服を披露する。メダルもリボンもない軍服に、白いYシャツと、黒いネクタイ。
米国首都で信任されている大使の大半が招待に応じている。唯一これを避けたのはニカラグアとドミニカ共和国の両大使。
招待者たちが退席すると、ある集団が警備員の目をかいくぐり大使館をこっそり抜け出す。6人から成るグループ。フィデル、セリア・サンチェスに4人の叛乱軍メンバー。
深夜をすぎて、中華料理レストランに入り込む。客のあいだに驚きがあがる。フィデルは一般の注目の的になる。フィデル現るという知らせがすぐに界隈に広がり、遅い時間にもかかわらず、近隣住民たちがこの店舗に殺到する。
そこからWWDCステーションのスティーブ・アリソンが司会の番組が放送される。アナウンサーはフィデルに会見するという独占的権利を手にいれる。
夜中3時に大使館に戻るところ。そのとき、ダンスから帰る数組のカップルがマンションの前を横切る。彼らはフィデルを見つけ、歩道ですぐに会話がまた始まる。おしゃべりはほぼ夜明けまで続く。
この1959年4月18日の写真
フィデル(右)がロシア大使のミハイル・メニシコフ(左)に挨拶。ワシントンで信任された外交団とのレセプションにて。中央はキューバ大使のエルネスト・ディイゴ。1959年4月18日。
ジャックとジェフのカストロ兄弟はキューバ大使館の前に3時間以上いた。大使館は閉まったままだったが、フィデルに会うことなく立ち去りたくなかったのだ。誰かがこのことを最高司令官に伝え、フィデルは彼らを自分の部屋に迎え入れた。1959年4月18日。(アルベルト・コルダ撮影)
ニュース映像 カストロ、ワシントンに到着(1959年4月15日)
Un viaje de buena voluntad: A 65 años de la visita de Fidel Castro a Estados Unidos (IV)
http://www.cubadebate.cu/especiales/2024/04/18/un-viaje-de-buena-voluntad-a-65-anos-de-la-visita-de-fidel-castro-a-estados-unidos-iv/