白山は、市の瀬から別山に登り、尾根伝いに進み南竜のキャンプサイトでテント泊をしました。翌日展望ルートより頂上を目指し、池をめぐって観光新道から下山しました。キャンプサイトで和歌山の校長先生(単独)との出会いや、下山時に偶然声をかけたペアの方が同じさいたま市の人だったりと、世の中は相変わらず広くて狭いと感じましたね(笑)。
白山を100峰目にしたのは、深田久弥(敬称略)の故郷の山であることを意識したからです。そこで白山を下山後、加賀市大聖寺に移動し「山の文化館」訪問や富士写ケ岳に登りました。そして最後は山梨県韮崎の茅ヶ岳にも足を伸ばし、故人への理解を少しでも深めようとしました。以下はその現地情報となります。
大聖寺にある深田久弥「山の文化館」です(写真左)。元々は絹織物工場の事務所跡だったらしいですが、イチョウの大木があり風情のある建物でした。位置的には大聖寺の街中から少し移動した静かな場所に建ち、深田久弥が幼少時に登った「富士写ケ岳」もすぐそばにあります。
館内には相当量の展示物が整理されて保管されています。富士写ケ岳の説明や(写真左)、実際に使われた菅笠なども展示されていました。
我谷ダムの吊橋を渡ると登山道に到着です。登山道は全部で4箇所ありそうですが、市街よりアクセスの良い我谷登山道が便利です。
登山道には人工的な階段は皆無で、自然のままの山道を堪能できます。結構な急坂は粘土質で滑りやすく、ほぼルートを直登していくことになります。中間部以降は立派なブナ林になり、ガスに覆われて独特な静けさを満喫できました。
富士写ケ岳の頂上到着です。ちょっと違和感のある頂上表示板とモニュメントが設置されていました。表示板は2016年4月、モニュメントは新たに設定された「山の日」の記念建造物のようです。故人は「日本百名山」の中で、頂上に人工的なモノを置くことに否定的な発言をしているので、苦笑いしているかもしれませんね。まあ、時代の流れとともに少しづつ変化していくことになるのでしょう。
富士写ケ岳下山後、山梨県韮崎市に移動しました。深田久弥終焉の地である「茅ヶ岳」に登るためです。深田久弥は、この茅ヶ岳の登山中に亡くなられたようです。
麓には「深田記念公園」があり、有名な「百の頂に百の喜びあり」の碑が設置されています。
頂上直下の登山道(9合目くらいのところ)に深田久弥が倒れた場所を明記する碑が設置されています。登山道が岩場で狭くなり急坂をしばらく登ったところになります。親しい同僚たちと登っていたようですが、碑には1971年3月と書いてあるので、まだかなり寒い時期だったのでしょうね。死後45年ほど経っていますが冥福を祈ります。
茅ヶ岳頂上到着です。あいにくガスで覆われ展望はなくひっそりとしていました。下山後、駐車場脇の無人販売でジャムを仕入れました。このジャムは絶品の出来栄えでした。
白山登頂に関わる一連の投稿でした。 ありがとうございました。
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