2021年12月30日
日活ロマンポルノ50周年 堕ちてコソ神々しい谷ナオミ・・・
日活ロマンポルノ50周年 堕ちてコソ神々しい谷ナオミ・・・
今も色褪せ無い3人の女優達
12/30(木) 11:31配信
谷ナオミ(1974年撮影)12-30-11
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映画産業が斜陽と為った1971年、日活が社運を賭けて路線変更を図ったのが〔日活ロマンポルノ〕である。当時は日米安保・学生運動の裏で、若者達が虚無的に為り「シラケ世代」が台頭して来て居た。一方で高度成長期に突入し、社会は混沌としながらも活気に満ちて行った。そんな時代に、ロマンポルノは封切られたのだ。
反体制を貫き通せず、それでも何処かで革命の夢を見て居た若い人々の熱狂的な支持も在ってマンポルノは受けた。10分に1度の濡れ場・作品は70分前後と云うルールさえ守れば、比較的自由に撮れた為、若い監督達がその才能を遺憾無く発揮、神代辰巳・小沼勝・加藤彰・田中登・曽根中生等の名監督が生まれた。
ロマンポルノの第一作は誰もが聞いた事の在るタイトル『団地妻 昼下がりの情事』(西村昭五郎監督・白川和子主演)だ。
以降の17年間で公開された作品は、約1,100本・50年経った今も色褪せず、旧ファンも新ファンも熱くロマンポルノを語る。50周年のイベントで4週間に渉ってロマンポルノを上映した渋谷の映画館には、男性のみ為らず女性ファンの姿も多かった。
ロマンポルノと云えば「女優」で在る。スクリーンで輝きを放つ女優達は数多居るが、心を鷲掴みされるに違い無い3人を挙げるとしたら・・・悩みつつ紹介したい。
男に崩されるのでは無く、自ら崩れて行く
先ずは初代SMの女王と呼ばれている 谷ナオミ だろうか。その豊満で美しい肉体に先ず圧倒される。ドンなに脱いでも縛られても、彼女からは冒される事の無い気品が漂う。代表作『花と蛇』も好いが、谷ナオミの魅力が凝縮されて居るのは同じ小沼勝監督の『花芯の刺青 熟れた壷』(1976年)だ。
人形作家の未亡人の谷と義理の娘の嫉妬と葛藤。薄幸の未亡人が堕ちて行った時、ソコに渦巻く女の凄絶なエロスを谷ナオミはその肉体で思う存分表現する。堕ちて尚神々しい、嫌、堕ちてコソ神々しい谷ナオミ。
更にこの映画では彫師の 蟹江敬三 が又、凄まじい演技を見せる。彫る男と彫られる女・・・その緊張感が解けた時、エロスは爆発する。
彼女の目線一つで、柔な男はイチコロに為るのでは無いか。畏れ多くて話し掛ける事も出来無いかも知れない。強固な意志が肉体の快楽に依って崩れて行く。男に崩されるのでは無く、自ら崩れて行くのが谷ナオミ演じる女なのだ。ソコに同性として堪ら無いエロスを覚える。
そんな女王の意外な魅力を発掘したのが神代辰巳監督だ。『悶絶!! どんでん返し』(1977年)では、谷ナオミの素晴らしいコメディエンヌ振りを見る事が出来る。少し頭のネジが緩んで居る様な、それで居て本質を突く様な言葉を吐く女を、彼女は軽々と演じて見せる。女の可愛らしさをこれ迄かと見せ着ける彼女の演技の幅の広さに驚かされるだろう。
本能だけで繋がる男と女の方が動物としては正しい
1973年「四畳半襖の裏張り」撮影現場での宮下順子 12-30-12
谷ナオミが「エロスの象徴」なら「色気の代表」は 宮下順子 だ。それも作品に依って「色気の色」が違うのが魅力的だ。
例えば『実録 阿部定』(1975年・田中登監督) 昭和11年、思想弾圧の厳しく為った日本。2月には二・二六事件が起こって居る。その3ヶ月後、東京・荒川区の待合で、妻在る男を愛した女・阿部定が、彼を殺害、局部を切り取って逃走した事件の映画化だ。この作品を観ると、恐らく阿部定と云うのはこう云う女だったに違い無いと思えて来る。
2人は待合に籠もって、風呂にも入らず殆ど裸のママ延々とマグワイ続ける。部屋に2人の体臭や粘液の匂いが籠もって居るのが映像から伝わって来るのが凄まじい。定は、唯々男を自分のものにしたかったのだ。その心理の揺れを、宮下順子が丁寧に演じて居る。
黙々と男の局部を切り取る彼女の後ろ姿や真剣な横顔からは、男と一緒に居たいだけだと云う真摯な思いが判る。
阿部定をモチーフにした映画作品は数々在るが、実録と銘打って居るだけ在って、コレが実際の阿部定の心境に近いのだろうと妙な納得感が在る。それ程宮下順子の演技に説得力が在るのだ。
赫い髪の女は、インスタントラーメンもロクに作れ無い。水を入れた鍋をガスコンロに乗せて台所から炬燵の上に持って来る時、水がバシャバシャと零れるが、女は全く意に介さ無い。かと思うと「アンタ、ラーメン食べるか」と光造に聞いて作り始めるのだが、卵を買って来なかったと突然ヒステリックに泣き出したりする。訳の判ら無い女なのだ。それでも光造に只管「して」とセガム。
自分の欠落した場所を補って貰うかの様に男を求め続ける女に対して、最初は哀れさを覚えるのだが、仕舞には逞しさが漂って居る事に驚かされる。「訳の判ら無い女」を、これ程説得力を以て見せる事が出来るのは宮下順子以外に居ないだろう。
恋だの愛だのと言って居る内は、男と女の事等判り様が無いのではないか。言葉で判ろうとする事等本来不要で、本能だけで繋がる男と女の方が動物としては正しいのではないか。そんな風にさえ思えて来る。
光造は、生まれて初めて〔嫉妬〕と云う感情を覚える。それが女を愛する事に繋がって行く。女は「男の為の道具では無い」のだと思い知った光造は自分の姉夫婦に女を会わせる。だが、姉夫婦のデリカシーの無い発言に彼女は傷着く。
何かを抱えた女を、光造は只只管抱き締める。周りが何を言おうと女が何処から来ようと関係無い。目の前の、この肉体を持った女を彼は本気で愛したのだ。
女が愛されて居る事に満足して居るのか如何かは判ら無い。そこが又、宮下順子の凄い処だ。もしかしたら、又此処から不意に居なく為るのでは無いかと云う不安定さをズッと保ち続けて居る。不安定は色気に繋がる。
こう遣ってこの男女は繋がって行くのか、或るいは突然関係が終わるのか。判ら無いママに映画は終わる。宮下順子の何処か寂しそうな笑顔、感じた時の輝く表情、不安そうな眼差し等が、何時までも脳裏に残る作品である。
3人目は矢張り・・・
1984年放送のドラマ「昨日、悲別で」に出演した際の芹明香 12-30-13
モッと挙げたい女優は居るのだが、3人と為ると最後は 芹明香(きんめいか) だろう。熱烈なファンが居る女優で在る。華奢でスレンダーな肉体だが、この人の凄さは圧倒的な存在感だ。演技をして居るのか如何かさえ判ら無いのに、全てを凌駕する存在感は他に例を見無い程だと思う。
代表作は『(秘)色情めす市場』(1974年・田中登監督)だ。国宝級と迄言われるこのモノクロ作品の中で、芹明香演じるトメは娼婦で在る。大阪釜ヶ崎のあいりん地区を舞台に、「ひとりで稼ぐわ」と男に管理される事を嫌って生きるトメの姿を描いて居る。
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「うち、何や逆らいたいんや」
芹明香はそう呟く。男に後ろから突かれながらタバコを加え、ヤクザに殴られても一歩もヒケを取らずに抵抗し続ける。彼女は、矢張り娼婦の母親に路上で産み落とされた。今も男の顔色を伺い、男に縋る母を嫌い、自分はアアは為りたく無い、男に引きズラレル人生は真っ平だと思いながら彼女は生きて居る。
彼女には知的障害を持つ弟が居る。弟を見詰める芹明香の目は限り無く優しい。何もかも受け入れ何もかも与える聖母である。
ヤサグレて居る様に見えて、心の中に純粋で透明な太い軸を持って居る女を、芹明香はまるで自分の日常を見せるかの様に軽やかに演じて居る。逞しく生きて行く女・逃げ無い女・自分の足で歩く女を芹明香は見せ続ける。
ロマンポルノの他作品にも多く出演して居るが、ドンな小さな役で在っても彼女は常に印象に残るのが不思議だが、だからコソの人気なのだろう。芹明香と聞くと、彼女のファンのみ為らずロマンポルノファンの目が輝くのは、誰の心の中にも「自分だけの芹明香」が居るからかも知れ無い。男性だけでは無く、その骨太な存在感は女性からの支持も高い。
12-30-17
ロマンポルノ第一作から半世紀。それでも多くの作品が色褪せず、今観ても心から面白いと思えるのは、ジャンルが時代劇からコメディ迄と幅が広いこと、当時、脂の乗ったクリエイター達が心血を注いで、あらゆる工夫を重ねながら愛する映像を作り上げた事等、様々な理由が在る。
自分に取っての「この1本」が見付かったら、繰り返し観るのも楽しい。年を経るに連れ見えるものが違って来るからだ。今や映画作りの古典として、大学の芸術学部では講義もされて居るロマンポルノ。
映画の大事なものが沢山詰まった、日本文化のレジェンドで在り、レガシーと為って居るのでは無いだろうか。 DVDや動画配信、CS放送等でも観られるので、ご興味が在れば、是非。
亀山早苗(かめやま・さなえ) フリーライター 12-30-18
プロフィール 男女関係 特に不倫に付いて20年以上取材を続け『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』等著書多数
デイリー新潮編集部 新潮社