あたたかな食卓というと、脳裏に一枚の光景が浮かび上がります。高校生の時、友人の家で夕食に招かれた時の光景です。湯気が立ち昇る食卓を、驚きを持って見つめたあの時の自分の戸惑いと共に思い起こされます。
その日、いつものように学校帰りにバス停の目の前にあった友人宅に上がり込み、あれこれおしゃべりしていたら、友人のお母さんが「夕食時だからよかったら食べてって。あり合わせのものだけど。家族とおんなじものしかないけど、どうぞ」と呼びにきてくれて、友人も「そうだよ、そうだよ、一緒に食べようよ」といってくれ、階下の食卓に向かいました。
お父さんはその時はいなかったように思います。まだ仕事から帰ってきていらっしゃらなかったのかもしれません。友人と、友人の妹と、友人のお母さんと、私の4人でした。「なんにもないけど、遠慮しないで」という友人のお母さんの目の前には、揚げたての一口カツ、みずみずしいキャベツの千切り、たっぷり盛られた大根おろし、茄子のお味噌汁、炊き立てのご飯、そして他にも小鉢がいくつか並んでいました。
友人は私に向かって「遠慮しないでどんどんお代わりしてね」といい、妹と一緒に「いっただきまーす」と声を上げてソースをたっぷりかけた一口カツにかぶりつきました。友人のお母さんも「カツもまだまだあるからたくさんお代わりしてね」と言いました。
私にとってこの時の食卓の光景は、40年経っても脳裏に焼きついたままの衝撃的なものでした。
私の家ではカツを自宅で揚げたことはありませんでした。カツはお肉屋さんで揚げてもらうものでした。小学生の頃の、母が得意そうに言った言葉を今でも覚えています。「今日、お肉屋さんでカツを(家族の人数分の)4枚揚げて貰っていたら、(弟の同級生の)○○君のお母さんに『お宅は贅沢ねぇ、うちなんてそんなに高いお肉は買えないわ』って言われたの。これは特上のカツなのよ」
母は、特上とか、舶来とか、一流とかという言葉が大好きで、このような言葉をいつも枕詞に使っていました。幼い私は、素直にそのまま信じ、うちは他の家より贅沢をさせて貰っているのだと思っていました。
しかし、友人の家ではカツは「あり合わせのもの」だったのです。確かにひとくちカツ用の肉は、一枚の特上の肉に比べれば値段は安いかもしれません。でも、我が家のようにもったいぶって恭しく供されるものではなく、日常の食卓に並ぶ普段のおかずであり、子どもの友人が来たらついでに枚数を増やす程度のものだったのです。
ちなみにお母さんが「そんな贅沢はできない」と言っていた弟の同級生は、当時はまだ珍しかった受験をして、有名私立中学に進学しました。カツ代は教育費として貯金されていたのでしょう。
私が驚いたのは、カツを自宅で揚げていたからだけではありませんでした。そこには食卓としてのまとまりがあったのです。献立と表現したら良いのでしょうか。カツもあるけれど、他にも旬野菜やらお浸しが並んでいて、それぞれがバランス良く互いを引き立てあっていました。
それは一家の主婦が家族のことを思って、健康を考え、愛情をもって作った献立でした。そこには温かさがありました。
私の育った家では、「特上のカツ」の日にはおかずは「特上のカツ」だけでした。キャベツの千切りはもしかしたら自分たちで刻んで並べていたかもしれませんが、でも、テーブルの上にはカツと、キャベツと、お味噌汁とご飯だけでした。そして、そのお味噌汁は気味の悪いものでした。キラキラした煮干の背がたくさん浮いている「特別な」お味噌汁でした。お味噌汁には、苦くイヤな思い出がたくさんあります。時間のある時に後述しようと思います。
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2017年09月15日
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