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2019年09月09日
映画「東京暮色」ー 二人の姉妹を通して家族のあり方を探る小津安二郎の秀作
「東京暮色」
(1957年, 昭和32年) 松竹
監督 小津安二郎
脚本 野田高梧
小津安二郎
撮影 厚田雄春
音楽 斎藤高順
戦後の混乱期を抜け出し、落ち着きと静けさを取り戻し始めた東京。
日々の暮らしを営む平凡な家族、二人の姉妹を通して次第に失われてゆく家族のあり方を、ゆったりとした静かな視点で描いた名匠小津安二郎の秀作。
杉山周吉(笠智衆)は実直な銀行員。
でも彼には最近、小さな心配事があります。
夫との間がうまくいっていないのか、娘の孝子(原節子)が小さな娘を連れて家に帰っているのです。
妻もなく、独り身の周吉にとっては娘の孝子が家にいてくれるのは何かとありがたいし、孫娘の顔を毎日見られるのもうれしい。
しかし、孝子の夫である沼田(信欣三)を引き合わせたのは他ならぬ周吉本人であってみれば、一度、沼田にも会って相談をしてみようと思ったりしています。
周吉には孝子のほかにもう一人娘がいます。
孝子の妹、明子(有馬稲子)です。
その明子は最近、叔母である重子(杉村春子)に理由も言わず金を借りに行っていて、重子からその話を聞かされた周吉は、またひとつ悩みが増えました。
明子は大きな問題を抱えています。
交際相手の大学生、木村(田浦正巳)と肉体関係を持ち、妊娠してしまったのです。
木村との結婚などはおぼつかず、中絶手術のための金が必要になったのです。
明子は木村にも相談しようとしますが、木村は逃げ回っているのか行方がわからず、木村の友人たちが集まる雀荘へも足を運びますが、木村の行方は皆目つかめません。
雀荘の主人相島(中村伸郎)とも親しくなった明子は、相島の妻喜久子(山田五十鈴)とも知り合い、明子を見た喜久子は、明子が自分の娘ではないかと迷いはじめます。
もともと周吉の妻だった喜久子は、周吉が朝鮮の京城へ赴任していたころ、周吉の部下と関係を持ち、夫と二人の娘を捨てて家を出てしまっていたのです。
母親の顔を覚えていない明子でしたが、姉の孝子は喜久子をよく覚えていました。
何かと明子によくしようとする喜久子に、孝子は厳しい拒絶の言葉を投げつけます。
そんなことはまるで知らない周吉は、孝子の夫の沼田に会い、沼田とたわいもない雑談を交わし、帰宅します。
ようやく町の食堂で木村に会えた明子は、煮え切らない木村の態度に腹を立て、木村の頬を張り倒して店を飛び出しましたが、悲劇はその直後に明子を襲います。
あらすじだけを追っていくと、とても暗い話のようで、実際に小津作品の中で“失敗作”と見なす傾向もあったようですが、私はとてもそうは思えず、むしろ秀作だと思いますし、小津本人も自信があったようです。
小津作品の常連であり、父と娘の関係を演じることの多い笠智衆と原節子さんは、ちょっと控えめにして、望まぬ妊娠に直面して苦悩する明子を前面に押し出しました。
美人の有馬稲子さんは終始、思いつめた厳しい表情で登場しますが、それをやわらげる効果を発揮しているのが背景に流れる明るい音楽です。
音楽もそうなのですが、飲み屋の主人の浦辺粂子さんを始めとして、そこの客であったり、雀荘の主人の中村伸郎、バーの客など、脇役が飄々(ひょうひょう)としていますし、登場人物すべてに個性を持たせているので、暗さを相殺(そうさい)する効果が随所に配されています。
特筆すべきは“昭和の大女優”と形容される山田五十鈴さん。
かつて周吉の部下と関係を持って、家庭を捨てて逃げた喜久子。
いまでは雀荘の相島の女房としてつましい生活を送る喜久子は、図らずも二人の娘に出会い、心騒ぐものがあるとはいえ、娘たちは立派に成人して、姉の孝子は結婚して娘もいる。そんな中へ、どの面(ツラ)下げて母親です、と言えるものではない。
そんな、あきらめに似た、それでもやっぱり母親として娘たちと話をしてみたい、そういう心の葛藤を表面に出さず、胸の奥底にあるうもれ火を一人でかき回しながら寂しさに耐えているような、うつむき加減にじっと考え込む喜久子の表情はとてもいい。
小津作品では「東京暮色」一本だけになりましたが、山田五十鈴さんは黒澤作品にいくつか出演していて、「東京暮色」と同じ年の昭和32年には「蜘蛛の巣城」「どん底」。4年後の昭和36(1961)年には「用心棒」と続くのですが、「東京暮色」の喜久子が静かに耐える女性であったのに対し、黒澤作品ではギラギラした強烈な悪女を演じました。
特に「どん底」で香川京子さんの髪をつかんで引きずり回す、嫉妬深い悪女ぶりは強烈でしたし、「蜘蛛の巣城」では能面のように無表情ながら、夫の鷲津武時に謀反を仕向ける陰性の悪女がとても印象的でした。
「東京暮色」で秀逸だと思うのは、ラスト近くの駅のシーンです。
明子が死に、姉の孝子には「お母さんなんて大っ嫌い!」と厳しい言葉を投げつけられ、つくづく東京がイヤになった喜久子は、夫の相島と二人で北海道で暮らす決心をします。
そして出発の日。
相島と二人で汽車に乗り込んだ喜久子は、相島の勧める酒を口に運びながら窓の外を眺めています。
汽車の時間を孝子に知らせてあった喜久子は、孝子が見送りに来てくれるのを待っているのです。
プラットホームでは大学生の集団が、寮歌なのか応援歌なのか、その大きい声がホームに延々と響いています。
孝子がいつやって来るだろうかと、喜久子は窓の外が気になって仕方がない。
「来やしないよ」ポツリと相島が言います。
喜久子は黙って窓の外を眺めています。
孝子は喜久子を許すことなく、ホームへは現れません。
並みの映画であれば、ホームの片隅で喜久子を見送る孝子の姿が描かれるのかもしれませんが、小津は孝子と喜久子の母子関係に妥協の余地を与えていません。
しかし、明子の死と、実母である喜久子の背徳に対する憎しみを経験した孝子は、自分の娘に明子と同じ寂しさを味合わせたくない気持ちから、沼田の元へ帰る決心をします。
そして、孝子と孫娘が去って静かになった朝を迎えた周吉は、一人、いつものように出勤してゆくのです。
小津安二郎らしい、静かで味わい深いラストです。
監督 小津安二郎
脚本 野田高梧
小津安二郎
撮影 厚田雄春
音楽 斎藤高順
戦後の混乱期を抜け出し、落ち着きと静けさを取り戻し始めた東京。
日々の暮らしを営む平凡な家族、二人の姉妹を通して次第に失われてゆく家族のあり方を、ゆったりとした静かな視点で描いた名匠小津安二郎の秀作。
杉山周吉(笠智衆)は実直な銀行員。
でも彼には最近、小さな心配事があります。
夫との間がうまくいっていないのか、娘の孝子(原節子)が小さな娘を連れて家に帰っているのです。
妻もなく、独り身の周吉にとっては娘の孝子が家にいてくれるのは何かとありがたいし、孫娘の顔を毎日見られるのもうれしい。
しかし、孝子の夫である沼田(信欣三)を引き合わせたのは他ならぬ周吉本人であってみれば、一度、沼田にも会って相談をしてみようと思ったりしています。
周吉には孝子のほかにもう一人娘がいます。
孝子の妹、明子(有馬稲子)です。
その明子は最近、叔母である重子(杉村春子)に理由も言わず金を借りに行っていて、重子からその話を聞かされた周吉は、またひとつ悩みが増えました。
明子は大きな問題を抱えています。
交際相手の大学生、木村(田浦正巳)と肉体関係を持ち、妊娠してしまったのです。
木村との結婚などはおぼつかず、中絶手術のための金が必要になったのです。
明子は木村にも相談しようとしますが、木村は逃げ回っているのか行方がわからず、木村の友人たちが集まる雀荘へも足を運びますが、木村の行方は皆目つかめません。
雀荘の主人相島(中村伸郎)とも親しくなった明子は、相島の妻喜久子(山田五十鈴)とも知り合い、明子を見た喜久子は、明子が自分の娘ではないかと迷いはじめます。
もともと周吉の妻だった喜久子は、周吉が朝鮮の京城へ赴任していたころ、周吉の部下と関係を持ち、夫と二人の娘を捨てて家を出てしまっていたのです。
母親の顔を覚えていない明子でしたが、姉の孝子は喜久子をよく覚えていました。
何かと明子によくしようとする喜久子に、孝子は厳しい拒絶の言葉を投げつけます。
そんなことはまるで知らない周吉は、孝子の夫の沼田に会い、沼田とたわいもない雑談を交わし、帰宅します。
ようやく町の食堂で木村に会えた明子は、煮え切らない木村の態度に腹を立て、木村の頬を張り倒して店を飛び出しましたが、悲劇はその直後に明子を襲います。
あらすじだけを追っていくと、とても暗い話のようで、実際に小津作品の中で“失敗作”と見なす傾向もあったようですが、私はとてもそうは思えず、むしろ秀作だと思いますし、小津本人も自信があったようです。
小津作品の常連であり、父と娘の関係を演じることの多い笠智衆と原節子さんは、ちょっと控えめにして、望まぬ妊娠に直面して苦悩する明子を前面に押し出しました。
美人の有馬稲子さんは終始、思いつめた厳しい表情で登場しますが、それをやわらげる効果を発揮しているのが背景に流れる明るい音楽です。
音楽もそうなのですが、飲み屋の主人の浦辺粂子さんを始めとして、そこの客であったり、雀荘の主人の中村伸郎、バーの客など、脇役が飄々(ひょうひょう)としていますし、登場人物すべてに個性を持たせているので、暗さを相殺(そうさい)する効果が随所に配されています。
特筆すべきは“昭和の大女優”と形容される山田五十鈴さん。
かつて周吉の部下と関係を持って、家庭を捨てて逃げた喜久子。
いまでは雀荘の相島の女房としてつましい生活を送る喜久子は、図らずも二人の娘に出会い、心騒ぐものがあるとはいえ、娘たちは立派に成人して、姉の孝子は結婚して娘もいる。そんな中へ、どの面(ツラ)下げて母親です、と言えるものではない。
そんな、あきらめに似た、それでもやっぱり母親として娘たちと話をしてみたい、そういう心の葛藤を表面に出さず、胸の奥底にあるうもれ火を一人でかき回しながら寂しさに耐えているような、うつむき加減にじっと考え込む喜久子の表情はとてもいい。
小津作品では「東京暮色」一本だけになりましたが、山田五十鈴さんは黒澤作品にいくつか出演していて、「東京暮色」と同じ年の昭和32年には「蜘蛛の巣城」「どん底」。4年後の昭和36(1961)年には「用心棒」と続くのですが、「東京暮色」の喜久子が静かに耐える女性であったのに対し、黒澤作品ではギラギラした強烈な悪女を演じました。
特に「どん底」で香川京子さんの髪をつかんで引きずり回す、嫉妬深い悪女ぶりは強烈でしたし、「蜘蛛の巣城」では能面のように無表情ながら、夫の鷲津武時に謀反を仕向ける陰性の悪女がとても印象的でした。
「東京暮色」で秀逸だと思うのは、ラスト近くの駅のシーンです。
明子が死に、姉の孝子には「お母さんなんて大っ嫌い!」と厳しい言葉を投げつけられ、つくづく東京がイヤになった喜久子は、夫の相島と二人で北海道で暮らす決心をします。
そして出発の日。
相島と二人で汽車に乗り込んだ喜久子は、相島の勧める酒を口に運びながら窓の外を眺めています。
汽車の時間を孝子に知らせてあった喜久子は、孝子が見送りに来てくれるのを待っているのです。
プラットホームでは大学生の集団が、寮歌なのか応援歌なのか、その大きい声がホームに延々と響いています。
孝子がいつやって来るだろうかと、喜久子は窓の外が気になって仕方がない。
「来やしないよ」ポツリと相島が言います。
喜久子は黙って窓の外を眺めています。
孝子は喜久子を許すことなく、ホームへは現れません。
並みの映画であれば、ホームの片隅で喜久子を見送る孝子の姿が描かれるのかもしれませんが、小津は孝子と喜久子の母子関係に妥協の余地を与えていません。
しかし、明子の死と、実母である喜久子の背徳に対する憎しみを経験した孝子は、自分の娘に明子と同じ寂しさを味合わせたくない気持ちから、沼田の元へ帰る決心をします。
そして、孝子と孫娘が去って静かになった朝を迎えた周吉は、一人、いつものように出勤してゆくのです。
小津安二郎らしい、静かで味わい深いラストです。