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2019年12月28日
映画「ひまわり」− 戦争によって引き裂かれる一組の夫婦, 原野に咲くひまわりの意味とは…
「ひまわり」
(I Girasoli) 1970年
イタリア/フランス/ソ連(当時)合作
監督ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本チェーザレ・サヴァッティーニ
アントニオ・グエラ
ゲオルギ・ムディバニ
撮影ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽ヘンリー・マンシーニ
〈キャスト〉
ソフィア・ローレン マルチェロ・マストロヤンニ
リュドミラ・サヴェーリエワ
戦地へ出征して、なんらかの理由でそのままその地にとどまった兵士は少なからず存在したのだろうと思います。
数年前にNHKのラジオニュースで、インドネシア(だったかな?)で、元日本兵が存在しているというニュースが流れたことがあります。
でもその人は、横井庄一さんや小野田寛郎さんのように終戦を知らずに戦後数十年をその地で過ごしていたわけではなく、戦争が終わっても帰国をせずに、現地で家庭を持って静かに暮らしていたということです。
竹山道雄の名作「ビルマの竪琴」の主人公・水島上等兵のように、戦死して無縁仏のようになった兵士を弔うため、僧になってビルマをさまよった人もいたかもしれません。
戦争という歴史の大きな歯車によって、思わぬ方向へ人生がねじ曲げられてしまう悲劇を描いた「ひまわり」は、巨匠ヴィットリオ・デ・シーカによる永遠の名作です。
電気技師のアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)と勝気で陽気なナポリ女ジョバンナ(ソフィア・ローレン)は、出会ってすぐに恋に落ちます。
戦時中であり、アフリカ戦線への出征が決まっていたアントニオは、結婚をすれば12日間の休暇がもらえるし、その間に戦争は終わるだろうと、気楽な二人は結婚式を挙げ、12日間の新婚生活を楽しみますが(卵24個を使ったオムレツを食べるシーンは秀逸)、それも夢のように過ぎてしまい、兵役を回避するため二人は一芝居打ちます。
妻のジョバンナをナイフで突然追いまわし、精神異常を装ったアントニオでしたが、偽芝居はあえなく露見。
懲罰のためアントニオはロシア戦線へ送られることになります。
ミラノ駅で夫を見送るジョバンナに「すぐに帰ってくる」と言い残して、アントニオは大勢の兵士と共にミラノ駅を後にして出征してゆきます。
年月は過ぎ、夫の帰りを待ちわびていたジョバンナは終戦の知らせを受け、帰国するであろう夫を迎えるためミラノ駅へ向かいます。
アントニオの写真を手に、列車から到着する復員兵たちの中にアントニオの姿を探しますが、夫の姿はありません。
落胆するジョバンナでしたが、列車から降りた復員兵の中に、ドン河付近でアントニオを見かけたという男がジョバンナに語りかけます。
…迫りくるロシア兵と、見渡すかぎりの雪原に舞う吹雪。
退却を余儀なくされた部隊は極寒と飢えの中で、ひとり、またひとりと倒れ、その中でアントニオも雪原に倒れてしまったのです。
しかし、アントニオの死を確認した者はなく、彼は生きているはずだと思い詰めたジョバンナはアントニオの消息を確かめるべく、スターリン亡き後のモスクワ行きを決意します。
広大なロシアの地でイタリア軍が戦ったとされる戦域を訪ね歩いたジョバンナは、外務省の担当官から見渡す限りの野に咲くひまわりの群生地に案内されます。
そこはイタリア兵とロシア軍の捕虜が埋葬されている地で、兵士だけではなく、女性や子どももドイツ軍によって埋められている、いわば原野の墓場であり、そこに咲いている何万本とも知れぬひまわりの数だけ死者が眠っていることを意味しています。
「生きて帰ったイタリア兵はいない」と言われ、夫の探索をあきらめるよううながされたジョバンナでしたが、どこかで生きているであろうアントニオを信じるジョバンナはあきらめず、アントニオの写真を手に村々を訪ね歩いたジョバンナは、ついに夫の消息をつかみますが…。
監督は、「自転車泥棒」(1948年)、「終着駅」(1953年)、「昨日・今日・明日」(1963年)の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ。
ジョバンナに「島の女」(1957年)、「ふたりの女」(1960年)、「ラ・マンチャの男」(1972年)のソフィア・ローレン。
アントニオに「甘い生活」(1960年)、「イタリア式離婚狂想曲」(1962年)、「8 1/2」(1963年)の名優マルチェロ・マストロヤンニ。
そして、
瀕死のアントニオを助け、彼の妻になるロシア人女性に「戦争と平和」(1965年—1968年)のナターシャ役で世界を魅了したリュドミラ・サヴェーリエワ。
哀愁に満ちた情感漂う「ひまわり」のテーマ曲は、「ティファニーで朝食を」(1961年)、「酒とバラの日々」(1962年)、「ピンクパンサー」シリーズなど、映画音楽界の巨匠ヘンリー・マンシーニ。
独特の映像美とカメラワークは「山猫」(1963年)、「愛の狩人」(1971年)、「フェリーニのローマ」(1972年)などの名手ジュゼッペ・ロトゥンノ。
第二次世界大戦はナチス・ドイツによるポーランド侵攻によって勃発するのですが、それ以前から世界戦争の火だねのようなものは燃えていて、やがて日本・ドイツ・イタリアの枢軸国とアメリカ・イギリス・オランダ・フランスなどの連合国との戦争に発展してゆき、ヨーロッパを主戦場としたドイツに対し、その多くの戦場を太平洋とした日本。
日独伊三国同盟といわれる中で、よく分からないのがイタリアの動きで、ムッソリーニの独裁国家であったイタリアですが、半島では内戦が勃発。
1940年に地中海の制海権とエジプトでの支配を目指したイタリアは北アフリカへ侵攻。
ほどなくしてドイツとソビエトの間に交わされていた独ソ不可侵条約が破棄され、ドイツはロシアへの侵攻を開始。
ナチス・ドイツに対する追随政策をとるムッソリーニはロシア戦線へ軍を派遣することになります。
「靴みがき」(1946年)や「自転車泥棒」(1948年)によって、ロベルト・ロッセリーニなどと並んでイタリアン・ネオレアリズモの代表的な監督として知られるようになったデ・シーカですが、「終着駅」にみられるようなメロドラマの醍醐味は「ひまわり」でも存分に生かされていて、特に、ロシアの小さな村で夫の消息を知らされ、しかし、その家には若いロシア女性がいて洗濯物を取りこんでいる。
もうすでに何らかの悪い予感がジョバンナの顔に表れ始める。
この情景は何度見ても素晴らしく、ぬかるんだ田舎道、ジョバンナの周りを取り囲んだ無邪気な子供たち、ジョバンナの視線に気づいた若い女(リュドミラ・サヴェーリエワ)の顔にも、とうとう来るものが来た、といった複雑な表情が浮かびます。
家の中へ招き入れられたジョバンナは、ベッドに並んだ二つの枕を見てすべてを察し、その家の幼い娘カチューシャは二人の間に出来た子どもであることを理解したジョバンナは悲嘆に打ちのめされます。
そして、工場から帰ってくるアントニオとの駅での再会。
しかし、言葉を交わすこともなく列車に飛び乗ったジョバンナの号泣。
数年後、イタリアでの再会を果たしたアントニオとジョバンナでしたが、お互いに別々の人生を送っていることを知った二人には、ふたたび同じ人生を歩むことはできず、モスクワへ帰る列車に乗ったアントニオを見送るジョバンナ。
「すぐに帰ってくる」と言って出征した同じミラノ駅での別れのシーンは、嗚咽をこらえながら大粒の涙に頬を濡らすジョバンナと、すべてをあきらめきった表情で列車に立ち尽くすアントニオ、そしてそこに流れる「ひまわり」の主題曲、二人の永遠の別れを物語る名ラストシーンです。
「ひまわり」が女性映画であるということをいわれるのはメロドラマ的なストーリー展開にあると思われますが、その背景にある戦争、そこで死んでいった兵士、そして女性や子どもたちが眠る原野に咲くひまわりの数だけ悲しみのドラマがあることを訴える力強い映画であると思います。
「私の好きな映画ベスト10」に入る一本。
イタリア/フランス/ソ連(当時)合作
監督ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本チェーザレ・サヴァッティーニ
アントニオ・グエラ
ゲオルギ・ムディバニ
撮影ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽ヘンリー・マンシーニ
〈キャスト〉
ソフィア・ローレン マルチェロ・マストロヤンニ
リュドミラ・サヴェーリエワ
戦地へ出征して、なんらかの理由でそのままその地にとどまった兵士は少なからず存在したのだろうと思います。
数年前にNHKのラジオニュースで、インドネシア(だったかな?)で、元日本兵が存在しているというニュースが流れたことがあります。
でもその人は、横井庄一さんや小野田寛郎さんのように終戦を知らずに戦後数十年をその地で過ごしていたわけではなく、戦争が終わっても帰国をせずに、現地で家庭を持って静かに暮らしていたということです。
竹山道雄の名作「ビルマの竪琴」の主人公・水島上等兵のように、戦死して無縁仏のようになった兵士を弔うため、僧になってビルマをさまよった人もいたかもしれません。
戦争という歴史の大きな歯車によって、思わぬ方向へ人生がねじ曲げられてしまう悲劇を描いた「ひまわり」は、巨匠ヴィットリオ・デ・シーカによる永遠の名作です。
電気技師のアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)と勝気で陽気なナポリ女ジョバンナ(ソフィア・ローレン)は、出会ってすぐに恋に落ちます。
戦時中であり、アフリカ戦線への出征が決まっていたアントニオは、結婚をすれば12日間の休暇がもらえるし、その間に戦争は終わるだろうと、気楽な二人は結婚式を挙げ、12日間の新婚生活を楽しみますが(卵24個を使ったオムレツを食べるシーンは秀逸)、それも夢のように過ぎてしまい、兵役を回避するため二人は一芝居打ちます。
妻のジョバンナをナイフで突然追いまわし、精神異常を装ったアントニオでしたが、偽芝居はあえなく露見。
懲罰のためアントニオはロシア戦線へ送られることになります。
ミラノ駅で夫を見送るジョバンナに「すぐに帰ってくる」と言い残して、アントニオは大勢の兵士と共にミラノ駅を後にして出征してゆきます。
![cce29efbe56cb9418b7a9cd0507426b9-519x400.jpg](https://fanblogs.jp/2810/file/cce29efbe56cb9418b7a9cd0507426b9-519x400-thumbnail2.jpg)
年月は過ぎ、夫の帰りを待ちわびていたジョバンナは終戦の知らせを受け、帰国するであろう夫を迎えるためミラノ駅へ向かいます。
アントニオの写真を手に、列車から到着する復員兵たちの中にアントニオの姿を探しますが、夫の姿はありません。
落胆するジョバンナでしたが、列車から降りた復員兵の中に、ドン河付近でアントニオを見かけたという男がジョバンナに語りかけます。
…迫りくるロシア兵と、見渡すかぎりの雪原に舞う吹雪。
退却を余儀なくされた部隊は極寒と飢えの中で、ひとり、またひとりと倒れ、その中でアントニオも雪原に倒れてしまったのです。
しかし、アントニオの死を確認した者はなく、彼は生きているはずだと思い詰めたジョバンナはアントニオの消息を確かめるべく、スターリン亡き後のモスクワ行きを決意します。
![640.jpg](https://fanblogs.jp/2810/file/640-2f0b6-thumbnail2.jpg)
広大なロシアの地でイタリア軍が戦ったとされる戦域を訪ね歩いたジョバンナは、外務省の担当官から見渡す限りの野に咲くひまわりの群生地に案内されます。
そこはイタリア兵とロシア軍の捕虜が埋葬されている地で、兵士だけではなく、女性や子どももドイツ軍によって埋められている、いわば原野の墓場であり、そこに咲いている何万本とも知れぬひまわりの数だけ死者が眠っていることを意味しています。
「生きて帰ったイタリア兵はいない」と言われ、夫の探索をあきらめるよううながされたジョバンナでしたが、どこかで生きているであろうアントニオを信じるジョバンナはあきらめず、アントニオの写真を手に村々を訪ね歩いたジョバンナは、ついに夫の消息をつかみますが…。
監督は、「自転車泥棒」(1948年)、「終着駅」(1953年)、「昨日・今日・明日」(1963年)の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ。
ジョバンナに「島の女」(1957年)、「ふたりの女」(1960年)、「ラ・マンチャの男」(1972年)のソフィア・ローレン。
アントニオに「甘い生活」(1960年)、「イタリア式離婚狂想曲」(1962年)、「8 1/2」(1963年)の名優マルチェロ・マストロヤンニ。
そして、
瀕死のアントニオを助け、彼の妻になるロシア人女性に「戦争と平和」(1965年—1968年)のナターシャ役で世界を魅了したリュドミラ・サヴェーリエワ。
哀愁に満ちた情感漂う「ひまわり」のテーマ曲は、「ティファニーで朝食を」(1961年)、「酒とバラの日々」(1962年)、「ピンクパンサー」シリーズなど、映画音楽界の巨匠ヘンリー・マンシーニ。
独特の映像美とカメラワークは「山猫」(1963年)、「愛の狩人」(1971年)、「フェリーニのローマ」(1972年)などの名手ジュゼッペ・ロトゥンノ。
第二次世界大戦はナチス・ドイツによるポーランド侵攻によって勃発するのですが、それ以前から世界戦争の火だねのようなものは燃えていて、やがて日本・ドイツ・イタリアの枢軸国とアメリカ・イギリス・オランダ・フランスなどの連合国との戦争に発展してゆき、ヨーロッパを主戦場としたドイツに対し、その多くの戦場を太平洋とした日本。
日独伊三国同盟といわれる中で、よく分からないのがイタリアの動きで、ムッソリーニの独裁国家であったイタリアですが、半島では内戦が勃発。
1940年に地中海の制海権とエジプトでの支配を目指したイタリアは北アフリカへ侵攻。
ほどなくしてドイツとソビエトの間に交わされていた独ソ不可侵条約が破棄され、ドイツはロシアへの侵攻を開始。
ナチス・ドイツに対する追随政策をとるムッソリーニはロシア戦線へ軍を派遣することになります。
「靴みがき」(1946年)や「自転車泥棒」(1948年)によって、ロベルト・ロッセリーニなどと並んでイタリアン・ネオレアリズモの代表的な監督として知られるようになったデ・シーカですが、「終着駅」にみられるようなメロドラマの醍醐味は「ひまわり」でも存分に生かされていて、特に、ロシアの小さな村で夫の消息を知らされ、しかし、その家には若いロシア女性がいて洗濯物を取りこんでいる。
もうすでに何らかの悪い予感がジョバンナの顔に表れ始める。
この情景は何度見ても素晴らしく、ぬかるんだ田舎道、ジョバンナの周りを取り囲んだ無邪気な子供たち、ジョバンナの視線に気づいた若い女(リュドミラ・サヴェーリエワ)の顔にも、とうとう来るものが来た、といった複雑な表情が浮かびます。
![ClpfsViVEAEC5e_.jpg](https://fanblogs.jp/2810/file/ClpfsViVEAEC5e_-thumbnail2.jpg)
家の中へ招き入れられたジョバンナは、ベッドに並んだ二つの枕を見てすべてを察し、その家の幼い娘カチューシャは二人の間に出来た子どもであることを理解したジョバンナは悲嘆に打ちのめされます。
そして、工場から帰ってくるアントニオとの駅での再会。
しかし、言葉を交わすこともなく列車に飛び乗ったジョバンナの号泣。
数年後、イタリアでの再会を果たしたアントニオとジョバンナでしたが、お互いに別々の人生を送っていることを知った二人には、ふたたび同じ人生を歩むことはできず、モスクワへ帰る列車に乗ったアントニオを見送るジョバンナ。
「すぐに帰ってくる」と言って出征した同じミラノ駅での別れのシーンは、嗚咽をこらえながら大粒の涙に頬を濡らすジョバンナと、すべてをあきらめきった表情で列車に立ち尽くすアントニオ、そしてそこに流れる「ひまわり」の主題曲、二人の永遠の別れを物語る名ラストシーンです。
「ひまわり」が女性映画であるということをいわれるのはメロドラマ的なストーリー展開にあると思われますが、その背景にある戦争、そこで死んでいった兵士、そして女性や子どもたちが眠る原野に咲くひまわりの数だけ悲しみのドラマがあることを訴える力強い映画であると思います。
「私の好きな映画ベスト10」に入る一本。
![20150607230739594.jpg](https://fanblogs.jp/2810/file/20150607230739594-thumbnail2.jpg)
2019年12月14日
映画「死刑台のエレベーター」- 二組の男女が織り成す愛の結末
「死刑台のエレベーター」
(Ascenseur pour l'échafaud) 1957年 フランス
監督ルイ・マル
脚本ロジェ・ニミエ
ルイ・マル
原作ノエル・カレフ
撮影アンリ・ドカエ
音楽マイルス・デイヴィス
〈キャスト〉
モーリス・ロネ ジャンヌ・モロー
ジョルジュ・プージュリー ヨリ・ベルタン
1957年ルイ・デリュック賞受賞(ルイ・マル)
濡れたようにしっとりと潤んだ瞳、挑発的で退廃的な唇、フランスを代表する名女優ジャンヌ・モローのクローズアップで始まるこの映画は、甘く湿った緊張感と共に一気に映画の世界に引き込まれます。
世界映画界に衝撃を与えた若干25歳のルイ・マル監督のデビュー作として名高い本作ですが、同時に、本作以降ヌーベルバーグの立役者として存在感を発揮することになる名手アンリ・ドカエの冴えわたる撮影が素晴らしい効果を発揮しています。
「もう耐えられない、…愛してるわジュリアン」
社長夫人フロランス・カララ(ジャンヌ・モロー)は、電話の相手ジュリアン・タベルニエ(モーリス・ロネ)にささやきかけます。
愛人関係にあるフロランスとジュリアンは、フロランスの夫でジュリアンが勤める会社の社長であるサイモン・カララ(ジャン・ウォール)を殺そうと計画しています。
計画は実行に移され、自分のオフィスから社長室に忍び込んだジュリアンはサイモンを射殺。
拳銃を握らせて自殺に見せかけます。
計画は成功し、ジュリアンは会社を出ようとしますが、社長室に忍び込むために使ったロープがそのままになっていることに気づきます。
あわてて会社に引き返し、エレベーターに乗ったジュリアンでしたが、終業時間をとっくに過ぎていることもあり、保安係によってエレベーターの電源が落とされます。
真っ暗になったエレベーターの中に閉じ込められることになったジュリアン。
一方、会社の外では花屋の店員ベロニク(ヨリ・ベルタン)と恋人のルイ(ジョルジュ・プージュリー)が路上に放置されているジュリアンの車を見つけ、反抗心むき出しの不良のルイが車に乗り込み、二人はジュリアンの車を盗んでドライブに出かけてしまいます。
約束の時間を過ぎても現れないジュリアンに不審を抱き、彼を探そうと夜のパリをさまよい歩くフロランス。
そして事件は意外な方向へと発展してゆきます。
ベロニクとルイはモーテルでドイツ人夫婦と知り合いになり、シャンパンと葉巻で一夜を過ごすのですが、ドイツ人のスポーツカーを盗もうとしたルイが見つかり、ジュリアンの拳銃でドイツ人を射殺してしまいます。
一夜が明け、ようやくエレベーターから解放されたジュリアンでしたが、彼を待っていたのはドイツ人殺しの容疑でした。
社長の自殺死体も発見され、シェリエ警部(リノ・ヴァンチュラ)が捜査に乗り出します。
ジュリアンの車が盗まれ、助手席に乗る花屋のベロニクを目撃していたフロランスは、ドイツ人殺しは二人の仕業だと警察に通報。
ルイは逮捕されますが、フロランスとジュリアンの関係を怪しいとみたシェリエは、社長殺しは計画されたものではないかと疑念を持ちます。
ジュリアンとの関係を否定したフロランスでしたが…。
完全犯罪として計画された殺人は、なんなく成功するように思われたのですが…。
こんな場面があります。
社長を射殺したジュリアンがふと顔を上げると、窓の外を黒猫がゆっくりと歩いている。完全犯罪が失敗に終わるであろうことを暗示させる場面だと思われます。
世の中、そううまくいかないもの。どこかに落とし穴が潜んでいるものですが、ジュリアンの場合は社長室へ忍び込むために使ったロープが命取りになりました。
しかしこのロープ、先端に引っ掛けるためのかぎが付いているシロモノで、事を成したあと、ジュリアンはふたたびこのロープで下へ降りているのですから、殺人を計画したときにロープの回収をどうするかということは考えなかったのかな、という疑問が生じます。
下へ降りてしまえばロープは回収できませんし、ロープを外して下へ落とせば自分が戻れない。
しかも、ジュリアンがエレベーターに閉じ込められているあいだにロープはいつの間にか会社の外に落ちてしまっている。
一見、脚本のミスなのか、編集上の手違いなのかと思われるこのロープ、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を裏返しにしたような、ひとりの人間の運命を左右する魔性の小道具のようにも思われます。
フロランス・カララに「雨のしのび逢い」(1960年)、「突然炎のごとく」(1962年)のジャンヌ・モロー。
ジュリアン・タベルニエに「太陽がいっぱい」(1960年)、「鬼火」(1963年)のモーリス・ロネ。
不良青年ルイに「禁じられた遊び」(1952年)の名子役ジョルジュ・プージュリー。
その恋人ベロニクに「修道女」(1996年)のヨリ・ベルタン。
事件を追うシェリエ警部に「モンパルナスの灯」(1958年)、「冒険者たち」(1967年)のリノ・ヴァンチュラ。
全編をおおう緊張感の中に退廃的でけだるいムードを醸し出すジャズの帝王マイルス・デイヴィスのトランペット。
とりわけ、夜のパリをさまようフロランスの心情を見事に表現したように流れる曲は映画音楽史上に残る名曲といえます。
完全犯罪がもろくも崩れ去るラストの暗室に浮かび上がるフロランスとジュリアンの幸福感あふれる現像写真。
見事な幕切れで、犯罪を証明したような証拠写真でありながら、それを見つめるフロランスの表情には愛しい時代を懐かしむような幸せそうな笑みがこぼれているのが、むしろ見ているほうが切なくなるようなラストでした。
原作はノエル・カレフの推理小説で、こちらは金目当ての殺人なのですが、ルイ・マルは男女の愛に置き換え、道ならぬ不倫関係のフロランスとジュリアン、無軌道な青春像のベロニクとルイという二組の恋人たちが織り成す破滅的な恋の結末を描いています。
1950年代、フランス映画が輝いていたころの傑作です。
(Ascenseur pour l'échafaud) 1957年 フランス
監督ルイ・マル
脚本ロジェ・ニミエ
ルイ・マル
原作ノエル・カレフ
撮影アンリ・ドカエ
音楽マイルス・デイヴィス
〈キャスト〉
モーリス・ロネ ジャンヌ・モロー
ジョルジュ・プージュリー ヨリ・ベルタン
1957年ルイ・デリュック賞受賞(ルイ・マル)
濡れたようにしっとりと潤んだ瞳、挑発的で退廃的な唇、フランスを代表する名女優ジャンヌ・モローのクローズアップで始まるこの映画は、甘く湿った緊張感と共に一気に映画の世界に引き込まれます。
世界映画界に衝撃を与えた若干25歳のルイ・マル監督のデビュー作として名高い本作ですが、同時に、本作以降ヌーベルバーグの立役者として存在感を発揮することになる名手アンリ・ドカエの冴えわたる撮影が素晴らしい効果を発揮しています。
![shikei2.jpg](https://fanblogs.jp/2810/file/shikei2-thumbnail2.jpg)
「もう耐えられない、…愛してるわジュリアン」
社長夫人フロランス・カララ(ジャンヌ・モロー)は、電話の相手ジュリアン・タベルニエ(モーリス・ロネ)にささやきかけます。
愛人関係にあるフロランスとジュリアンは、フロランスの夫でジュリアンが勤める会社の社長であるサイモン・カララ(ジャン・ウォール)を殺そうと計画しています。
計画は実行に移され、自分のオフィスから社長室に忍び込んだジュリアンはサイモンを射殺。
拳銃を握らせて自殺に見せかけます。
計画は成功し、ジュリアンは会社を出ようとしますが、社長室に忍び込むために使ったロープがそのままになっていることに気づきます。
あわてて会社に引き返し、エレベーターに乗ったジュリアンでしたが、終業時間をとっくに過ぎていることもあり、保安係によってエレベーターの電源が落とされます。
真っ暗になったエレベーターの中に閉じ込められることになったジュリアン。
![main.jpg](https://fanblogs.jp/2810/file/main-thumbnail2.jpg)
一方、会社の外では花屋の店員ベロニク(ヨリ・ベルタン)と恋人のルイ(ジョルジュ・プージュリー)が路上に放置されているジュリアンの車を見つけ、反抗心むき出しの不良のルイが車に乗り込み、二人はジュリアンの車を盗んでドライブに出かけてしまいます。
約束の時間を過ぎても現れないジュリアンに不審を抱き、彼を探そうと夜のパリをさまよい歩くフロランス。
そして事件は意外な方向へと発展してゆきます。
ベロニクとルイはモーテルでドイツ人夫婦と知り合いになり、シャンパンと葉巻で一夜を過ごすのですが、ドイツ人のスポーツカーを盗もうとしたルイが見つかり、ジュリアンの拳銃でドイツ人を射殺してしまいます。
一夜が明け、ようやくエレベーターから解放されたジュリアンでしたが、彼を待っていたのはドイツ人殺しの容疑でした。
社長の自殺死体も発見され、シェリエ警部(リノ・ヴァンチュラ)が捜査に乗り出します。
ジュリアンの車が盗まれ、助手席に乗る花屋のベロニクを目撃していたフロランスは、ドイツ人殺しは二人の仕業だと警察に通報。
ルイは逮捕されますが、フロランスとジュリアンの関係を怪しいとみたシェリエは、社長殺しは計画されたものではないかと疑念を持ちます。
ジュリアンとの関係を否定したフロランスでしたが…。
![MV5BMTQ3MDA1MTcyM15BMl5BanBnXkFtZTgwMTI2MTg3NTE@._V1_SY1000_CR0,0,1415,1000_AL_.jpg](https://fanblogs.jp/2810/file/MV5BMTQ3MDA1MTcyM15BMl5BanBnXkFtZTgwMTI2MTg3NTE40._V1_SY1000_CR02C02C14152C1000_AL_-thumbnail2.jpg)
完全犯罪として計画された殺人は、なんなく成功するように思われたのですが…。
こんな場面があります。
社長を射殺したジュリアンがふと顔を上げると、窓の外を黒猫がゆっくりと歩いている。完全犯罪が失敗に終わるであろうことを暗示させる場面だと思われます。
世の中、そううまくいかないもの。どこかに落とし穴が潜んでいるものですが、ジュリアンの場合は社長室へ忍び込むために使ったロープが命取りになりました。
しかしこのロープ、先端に引っ掛けるためのかぎが付いているシロモノで、事を成したあと、ジュリアンはふたたびこのロープで下へ降りているのですから、殺人を計画したときにロープの回収をどうするかということは考えなかったのかな、という疑問が生じます。
下へ降りてしまえばロープは回収できませんし、ロープを外して下へ落とせば自分が戻れない。
しかも、ジュリアンがエレベーターに閉じ込められているあいだにロープはいつの間にか会社の外に落ちてしまっている。
一見、脚本のミスなのか、編集上の手違いなのかと思われるこのロープ、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を裏返しにしたような、ひとりの人間の運命を左右する魔性の小道具のようにも思われます。
フロランス・カララに「雨のしのび逢い」(1960年)、「突然炎のごとく」(1962年)のジャンヌ・モロー。
ジュリアン・タベルニエに「太陽がいっぱい」(1960年)、「鬼火」(1963年)のモーリス・ロネ。
不良青年ルイに「禁じられた遊び」(1952年)の名子役ジョルジュ・プージュリー。
その恋人ベロニクに「修道女」(1996年)のヨリ・ベルタン。
事件を追うシェリエ警部に「モンパルナスの灯」(1958年)、「冒険者たち」(1967年)のリノ・ヴァンチュラ。
全編をおおう緊張感の中に退廃的でけだるいムードを醸し出すジャズの帝王マイルス・デイヴィスのトランペット。
とりわけ、夜のパリをさまようフロランスの心情を見事に表現したように流れる曲は映画音楽史上に残る名曲といえます。
完全犯罪がもろくも崩れ去るラストの暗室に浮かび上がるフロランスとジュリアンの幸福感あふれる現像写真。
見事な幕切れで、犯罪を証明したような証拠写真でありながら、それを見つめるフロランスの表情には愛しい時代を懐かしむような幸せそうな笑みがこぼれているのが、むしろ見ているほうが切なくなるようなラストでした。
原作はノエル・カレフの推理小説で、こちらは金目当ての殺人なのですが、ルイ・マルは男女の愛に置き換え、道ならぬ不倫関係のフロランスとジュリアン、無軌道な青春像のベロニクとルイという二組の恋人たちが織り成す破滅的な恋の結末を描いています。
1950年代、フランス映画が輝いていたころの傑作です。
![c0197800_23064956.png](https://fanblogs.jp/2810/file/c0197800_23064956-thumbnail2.png)