ADHDを抱えて、社会でうまくやっていくにはどうしたら良いのかと常に考えてきましたが、時々ADHDというのは結局は価値観の異なりなのではないかと思う時があります。
自分が人と違うことは分かっている
僕も自分が人と違うってコトは分かっています。
幼いころから、「皆はこうしている」「普通はこうしないといけない」と言われて育っています。
知識レベルでは、自分の選択が間違いだと分かっていることがあります。
もちろん、選択をした後に分かることもあるのですが。
分かっていても選べない選択がある
例えば僕は人の目を気にするコトが出来ません。
周りから変だと思われるのは分かっていますが、それでも言いたいことを言いたいのです。
人からナメられると思っても、誰にでも親切にしたくなります。
ちょっと馬鹿にされても、その場が楽しければいいですし、その方が気楽です。
根本的な価値観が違うと思う
頭では分かっていても、「馬鹿らしいな」と思うことが多々あります。
例えば、会社のような色々な人が意思決定に関わるときに、よく思います。
僕は絶対的に、会社で行うことは売上が理由であるべきだと思ってしまいます。
融通がきかないというか。。。
上司の顔色を伺えません。
上司の指示が売上を上げるために適切な方法だと思えないときは、ソレを率直に伝えてしまいます。
もちろん、論理的に説明しているつもりです。
でも、今までの半分くらいの上司は機嫌の損ねてしまいました。
「じゃあ、そうすれば?」なんて言われます。。。
僕は「いえ、もし不適切な方法であればご指摘いただきたいです。我儘を通そうというのではなく、より良いと思われる方法があったので提案させていただきたかったのです。」と答えていました。
うん、たしかに生意気ですし、機嫌も損ねるかもしれませんね。
それでも、正しいと思うことを行いたい
ただ、考え方が違うなら説明してもらえれば理解できると思っています。
そして、最悪理解できなかったとしても決定権は上司が持っていることも分かっています。
でも、そういった意見交換をする際に上司の感情を感じてしまうことに、「ああ、くだらないな」と思ってしまいます。
もちろん理路整然と説明し、僕に上司の思う方法を納得させてくれた人もいましたし、そういった僕の性質を好ましく思い提案を快く受け入れてくれた方もいました。
僕にかかわらず、ADHDの人はそういった融通の聞かないところあるのでは無いでしょうか?
価値観の違いは長所でもある
でも、僕はそんな自分が嫌いじゃないです。
頑張って正当化しているところもありますが。笑
友人に、なんでも受け入れてくれるから、お前にはなんでも話せると言ってもらえた言葉が宝物だったりします。
ADHDの人は常に「本質は何か」って突き詰めて考えている気がします。
ただ、その温度感が周りと違うので結果見失っているのかな、なんて。
でも、そんな融通の効かない価値観こそがADHDなのではないかと思った今日このごろです。
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きっと、色々なタイプの方がいるのですよね^_^
でも僕も色々な方から話を聞いて、違うこともあるけど似ているなあなんて思うことが多いです!
自分は静かに立っていたり 歩くだけで街の人々は竜巻か怪獣でも通ったかの用になります。
でも足元の雀は逃げません。