ファン
検索
<< 2017年06月 >>
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
月別アーカイブ
プロフィール
aokichiさんの画像
aokichi
あおきちと言います(´・ω・`) よろしくお願いいたします。(´・ω・`) いいものを紹介しているつもりです(´・ω・`)

広告

posted by fanblog

2017年03月21日

ドイツ式手作りハム直販サイト【土井ハム】








日本初のドイツ式ハム土井ハムの始まり
ドイツ式ハム… 皆さんはご存知でしょうか?
わが国において、食肉加工と呼ばれるものは、遠く奈良時代よりありましたが、
いわゆる今日風のハム、ベーコン、ソーセージは江戸時代末期、
長崎のオランダ屋敷でハム(火腿=ほーとい)が作られたのが最初と言われています。
文献として残っているものでは、明治5年にアメリカ人が伝授したのが最も古く、
明治7年にはイギリス人がハム、ベーコンを始めました。

そしてこれはドイツ式製法のハムが初めて日本に伝承されたときから現在に至るまでのお話です。

1914年(大正3年)に日本は第1次世界大戦に参戦しました。そしてすぐにドイツのアジア拠点である青島を攻略。その時大量に捕らえたドイツ人捕虜の中にドイツ式手作りハム・ソーセージ伝承のキーマンとなるソーセージ職人カール・ブッチングハウス氏がいました。
カール・ブッチングハウス氏は、習志野収容所に収容にされます。
ドイツ式ソーセージ作りの秘伝は彼の収容中に農商務省の講習会を通じて日本全国の食肉加工業者に伝わっていったようですが、当初、日本人はソーセージを気味悪がりなかなか受け入れられなかったといいます。
やがて終戦を迎え、カール・ブッチングハウス氏は千葉県習志野で開放され、千葉(小湊)の日本女性と結婚し日本に帰化します。その後、東京・目黒にソーセージ工場を開業し、のちに神戸へ移り広く知られるようになりました。

この頃、それまで秘密とされていたドイツ式ハムの製法が、妻の甥である栗原安太郎氏に伝授されてゆくのでした。
ブッチングハウス氏は、ドイツ訛りで「私の作ったもの上等」と言うのが口癖で、気に入らなければ焼き捨ててしまう、味に厳しいドイツ人マイスターでした。
「ワタシのやる事を良く見ておきなさい」と言うだけで、決して教えてくれることはなかったそうです。
そういう厳しさについていける弟子の数もしだいに減っていき、最後にただ一人残ったのは身内でもある栗原安太郎氏なのでした。
師であるブッチングハウス氏より、ドイツハムの歴史と味とその職人気質までも受け継いだ栗原安太郎氏は、後にドイツハム職人の第一人者として活躍することとなりました。

「土井牧場」は兵庫県明石市で乳牛200頭の酪農をしていましたが都市化が進み、昭和44年に現在の長崎県大村市に移ってきました。
兵庫にいた頃より栗原安太郎氏には先代社長である父(現会長)が大変懇意にして頂いており、ハム・ソーセージ作りの指導をしていただけることになりました。
栗原安太郎氏の指導の甲斐あり周りの方々にもとてもおいしいと好評を頂けるようになったので、昭和59年に「土井牧場ハム製造所」と社名を変え本格的なハム製造業に切り替え、土井牧場ハム製造所として活動を開始しました。

第1次世界大戦をきっかけに日本に初めてもたらされた本場のドイツの味。
ブッチングハウス氏が伝え、栗原安太郎氏から直々に学んだドイツ式ハム、ソーセージの伝統の製法を最高の味を守りたい。
土井牧場ハム製造所はそんな固い決意と信念で、もっと多くの人にこの味を知っていただきたく、今もなお日本伝来時のドイツ式ハムの味や製法を守り丁寧に心を込めて手作りしています。そして同時に、日本人の味覚や時代のニーズに似合ったハムも追求します。
伝統の製法と進取の気風で挑む、心を込めた手作りドイツ式ハム製造所。それが土井ハムなのです。






posted by aokichi at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | グルメ
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6077752
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
Build a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: