小学生の低学年のころ、母親の実家に
よく、行かされていた。
行かされていた・・・
というのは、自発的ではなくて
当時幼かったのだが、なんとなく強制的な母親の
意図をうすうす感じており
子供心にそこが嫌だった。
もちろん、じっちゃん・ばっちゃんがいる。
可愛がってくれた。私が初孫である。
それこそ、眼に入れても痛くなかっただろう。
うれしくない筈はなかった。
居心地が悪いはずなど、有る筈がなかった。
この年になって、ようやく目に入れて痛くない・・
気持ちが
解ってきたのだ。
その、場所は「大踏 おおぶみ」と言われる地名である。
じっちゃん・ばっちゃんの家から100メートルほど西に
道なりにいくと
大きなカーブの先に「テッパン」と通称言われている
会社があった。
当時、なぜ「テッパン」なのか?
ぜんぜん分からなかったし、由来などに関心もなかった。
ところが、先日法事があり、母親の実家に行った際
ふと、この「テッパン」のことが話題にあがった。
いい歳になればなるほど、人に聞けない、
今更聞けない・・・
こんなことが多くあるものである。
その場で聞けないまま、何日かが経過した。
じつは最近は
疑問に思ったことでも、時間の経過とともに
すぐに流れるようになった、
何が分からなかったのかも
忘れるようになったので、そのまま「テッパン」は
なぜ「テッパン」なのか放置状態であった。
で、再び「テッパン」を思い出したのが
玉置浩二さんの歌を聴いていたときである。
「カリント工場の煙突の上に」という失礼ながら
わけの分からん題のついた
歌に小学生時代に「テッパン」の上にあった月を
よく眺めていたことをふと思い出した。
自分の故郷は「テッパン」があるところではなくて
8キロ離れた隣町である。
「カリント工場の煙突の上に」は故郷のことを思いながら
作った曲であるらしい。
なにか、あの頃につながるものを感じたのでしょうね?
ちなみに「テッパン」というのは
現在の日新製鋼ホールディングス(株)の研究所・工場でした。
統合を繰り返して成長したこの会社の前身に日本鐵板(株)と
いう名前が付いていたことが解り納得しましたよ、「テッパン」。
これも、すぐに書いておかないと
一週間もすれば、頭の片隅から消えて行ってしまいそう。
つまらぬ忘備録にお付き合い、恐れ入ります。
カリント工場の煙突の上に 玉置浩二さん
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