2013年01月24日
第しヤ!
年配の看護師が、ぼくのベッドを上から覗き込む。
具合どうですかと、大して心配なんてしていないような口ぶりで、しかしそう訊きながらも目線はすでに点滴のビニール容器を手で揺すって、下の調節ねじを回し、滴下のスピードアップを図る。
大丈夫、そう言おうとして、咳が邪魔をする。
咳がひどいですねと、わかりきったことを言い捨てて、点滴の部屋から消えていった。
必要以上に無機質な部屋にベッドが3つおかれている。
誰もいなければ、ベッドというよりは白い布がかぶせられた棺のように見えるかもしれない。
「病院」ではなく「診療所」ではあるけれど、もしかしたらぼくが寝転がっているこのベッドの上にも、一度や二度は死んだ人間が安置されたことがあるのかもしれない。
それからもう一度、今度は別の看護師がぼくのベッドのところにやってきて、今度はまったく無言のまま、点滴のスピードを無造作に速め、そして奥のベッドに行き、はい、終わりですよ、ゆっくり起き上がってくださいね、とぼくより先に点滴していた患者に声をかけた。
入り口付近のぼくのベッドのほうに向かってくる、その患者の引きずるような足音が聞こえる。
めまいはしませんかと、看護師が声をかけている。
ぼくは、目を開けてその患者を確かめようとしたけれど、天井の蛍光灯の光が目に入るのを避けるため、そのまま息を殺してその患者をやり過ごすことにした。
看護師はその患者に、もう一度先生のところに行ってくださいと、そう声をかけ、そしてぼくのところに来てまた点滴のスピードを上げた。
おそらく点滴のスピードとは無関係だろうけれど、さっきから点滴がスピードアップされるに従って、ぼくはこのまま眠ってしまいたい欲求がどんどん強くなっていくのを感じた。
そして、今度はぼくのすぐとなりのベッドにまた看護師が来て、はい、終わりですねと声をかけた。
最初にぼくの咳がひどいと声をかけた看護師だ。
福島の訛が独特の雰囲気を聞く者に与える。
そのベッドからは若い女性の「ありがとうございました」の声が聞こえた。
まさかまたぼくの点滴のスピードを上げるのではないかと少し心配になったが、しかし看護師はなぜか今度はぼくのベッドのカーテンをやや乱暴に引き、そして女性に身支度を促した。
女性のベッドではなく、ぼくのベッドのカーテンを閉めるというのがなんとなく釈然としないものを感じさせたが、考えてみれば、ベッドとカーテンの隙間はほとんどなく、それでは女性の身支度には少しスペースが狭すぎるのかなと、そう思いなおして納得することにした。
患者の女性は、年配のくだらない世間話に一生懸命相槌を打っていた。
なんとなくその女性が気の毒な気がしてきた。
そして同じように、先生のところにもう一度行ってくださいと看護師が声をかけると、はい、ありがとうございましたともう一度女性は返事をしていた。
狭い点滴の部屋にはぼくひとりだけが残った。
そう思うと、なぜか少し気持ちが楽になった。
気持ちが楽になると、ぼくは気づかないうちに少しまどろんでいたらしい。
コツ、コツ、コツ・・・
靴音が聞こえて来る。
おそらく院長のものだろう。
ドアが開き、いきなり大きな声が飛び込んでくる。
——おう、調子はどうだ?
ぼくは答えようとして、また例によって激しく咳込んでしまう。
——まったくそりゃ、ひでぇ咳だなぁ・・・聞いてるこっちが苦しくなってきちまうな!
医師はそう言ってぼくの顔を覗き込んだ。
話によると、どうやらぼくは4本目の点滴らしい。
そんなに?と聞こうとしたが、どうせまた激しく咳込んでしまって声にならないのだろう。
そう思ったら、何かを言う気分にはなれなかった。
——お前今夜はここに泊っていけ。寒いからここで寝ていったほうがいいぞ。なぁ。別にカまわねぇからよ。どうせおめぇだけしかいねぇんだからな。
医師はそう言ってぼくをひとり残して行ってしまった。
190cmはあろうかという大男の医師が消えてしまったせいか、ぼくは急に心細くなってきた。
気を使ってくれたのかどうかはわからないが、医師は頭上の電気を消さないまま部屋を出て行き、そして病院の玄関がギィと音を立てるのが耳に届いた。
ぼくは、やれやれという気持ちでため息をついた。
すると、また例によって咳がこらえきれない感じで飛び出してきた。
激しく咳込んだあと、急に静けさが部屋を満たす。
でも、それはずっと続いているわけではなかった。
——ひどい咳だな
ぼくの隣の、誰もいなはずのベッドから、そう声がした。
具合どうですかと、大して心配なんてしていないような口ぶりで、しかしそう訊きながらも目線はすでに点滴のビニール容器を手で揺すって、下の調節ねじを回し、滴下のスピードアップを図る。
大丈夫、そう言おうとして、咳が邪魔をする。
咳がひどいですねと、わかりきったことを言い捨てて、点滴の部屋から消えていった。
必要以上に無機質な部屋にベッドが3つおかれている。
誰もいなければ、ベッドというよりは白い布がかぶせられた棺のように見えるかもしれない。
「病院」ではなく「診療所」ではあるけれど、もしかしたらぼくが寝転がっているこのベッドの上にも、一度や二度は死んだ人間が安置されたことがあるのかもしれない。
それからもう一度、今度は別の看護師がぼくのベッドのところにやってきて、今度はまったく無言のまま、点滴のスピードを無造作に速め、そして奥のベッドに行き、はい、終わりですよ、ゆっくり起き上がってくださいね、とぼくより先に点滴していた患者に声をかけた。
入り口付近のぼくのベッドのほうに向かってくる、その患者の引きずるような足音が聞こえる。
めまいはしませんかと、看護師が声をかけている。
ぼくは、目を開けてその患者を確かめようとしたけれど、天井の蛍光灯の光が目に入るのを避けるため、そのまま息を殺してその患者をやり過ごすことにした。
看護師はその患者に、もう一度先生のところに行ってくださいと、そう声をかけ、そしてぼくのところに来てまた点滴のスピードを上げた。
おそらく点滴のスピードとは無関係だろうけれど、さっきから点滴がスピードアップされるに従って、ぼくはこのまま眠ってしまいたい欲求がどんどん強くなっていくのを感じた。
そして、今度はぼくのすぐとなりのベッドにまた看護師が来て、はい、終わりですねと声をかけた。
最初にぼくの咳がひどいと声をかけた看護師だ。
福島の訛が独特の雰囲気を聞く者に与える。
そのベッドからは若い女性の「ありがとうございました」の声が聞こえた。
まさかまたぼくの点滴のスピードを上げるのではないかと少し心配になったが、しかし看護師はなぜか今度はぼくのベッドのカーテンをやや乱暴に引き、そして女性に身支度を促した。
女性のベッドではなく、ぼくのベッドのカーテンを閉めるというのがなんとなく釈然としないものを感じさせたが、考えてみれば、ベッドとカーテンの隙間はほとんどなく、それでは女性の身支度には少しスペースが狭すぎるのかなと、そう思いなおして納得することにした。
患者の女性は、年配のくだらない世間話に一生懸命相槌を打っていた。
なんとなくその女性が気の毒な気がしてきた。
そして同じように、先生のところにもう一度行ってくださいと看護師が声をかけると、はい、ありがとうございましたともう一度女性は返事をしていた。
狭い点滴の部屋にはぼくひとりだけが残った。
そう思うと、なぜか少し気持ちが楽になった。
気持ちが楽になると、ぼくは気づかないうちに少しまどろんでいたらしい。
コツ、コツ、コツ・・・
靴音が聞こえて来る。
おそらく院長のものだろう。
ドアが開き、いきなり大きな声が飛び込んでくる。
——おう、調子はどうだ?
ぼくは答えようとして、また例によって激しく咳込んでしまう。
——まったくそりゃ、ひでぇ咳だなぁ・・・聞いてるこっちが苦しくなってきちまうな!
医師はそう言ってぼくの顔を覗き込んだ。
話によると、どうやらぼくは4本目の点滴らしい。
そんなに?と聞こうとしたが、どうせまた激しく咳込んでしまって声にならないのだろう。
そう思ったら、何かを言う気分にはなれなかった。
——お前今夜はここに泊っていけ。寒いからここで寝ていったほうがいいぞ。なぁ。別にカまわねぇからよ。どうせおめぇだけしかいねぇんだからな。
医師はそう言ってぼくをひとり残して行ってしまった。
190cmはあろうかという大男の医師が消えてしまったせいか、ぼくは急に心細くなってきた。
気を使ってくれたのかどうかはわからないが、医師は頭上の電気を消さないまま部屋を出て行き、そして病院の玄関がギィと音を立てるのが耳に届いた。
ぼくは、やれやれという気持ちでため息をついた。
すると、また例によって咳がこらえきれない感じで飛び出してきた。
激しく咳込んだあと、急に静けさが部屋を満たす。
でも、それはずっと続いているわけではなかった。
——ひどい咳だな
ぼくの隣の、誰もいなはずのベッドから、そう声がした。