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2014年02月06日

教皇

教皇(きょうこう、ラテン語: P?pa[1]、ギリシア語: Π?πας Pápas[2]、英語: Pope)は、キリスト教の高位聖職者の称号[3]。一般的にはカトリック教会のローマ司教にして全世界のカトリック教徒の精神的指導者であるローマ教皇を指す。教皇の地位は「教皇位」、あるいは「教皇座」と呼ばれる。また、教皇の権威のことを「聖座」、「使徒座」ということもある。

日本語では「ローマ法王」と表記されることもあるが、日本のカトリック教会の中央団体であるカトリック中央協議会は「ローマ教皇」の表記を推奨している(後述)。なお、退位した教皇の称号は名誉教皇(名誉法王とも)という。

本項では主にローマ教皇について記述する。その他の教皇については称号の変遷とその他の「教皇」の節を参照。



古代教会では「papa/π?πας[7]」というのは一般的な司教に対する敬称であったが、徐々にローマ司教とアレクサンドリア主教に限定される称号になっていった。今日も、ローマ教皇以外で公式に Papa/Π?πας という称号で呼ばれるのは、正教会(東方正教会)の(ギリシア・)アレクサンドリア総主教と、コプト正教会の首長である(コプト・)アレクサンドリア総主教だけである(両者は別組織であり、それぞれ別人を立てる)。

エウセビウス『教会史』によればアレクサンドリア主教に3世紀ごろから Papa/Π?πας の称号が用いられ、のち他の都市にも主教の称号として波及したが、やがてアレクサンドリア主教とローマ司教の二者にのみ用いられるようになった。これは当時の東方教会(東ローマ帝国領)と西方教会(西ローマ帝国領)のそれぞれ中心地であった。現在でも、正教会やコプト正教会ではこの習慣を守り、ローマ司教と自派のアレクサンドリア総主教の双方を Papa/Π?πας 称号の保持者とみなしている。

一方、中世以降のカトリック教会において、教皇は「ローマ司教」にしか使用せず、単に「教皇(Papa)」と呼べばそれはローマ教皇を意味する。なおカトリックでは「聖下」はかつてローマ教皇のみの敬称であったが、第2バチカン公会議以降、上記のアレクサンドリア教皇を含む東方教会の総主教などの高位聖職者にも用いている。

カトリック教会の公式な認定と関係なく教皇位を宣言する者を、対立教皇という。通常、対立教皇が生まれる背景には、カトリック教会内の論争や特定の教皇の正統性をめぐって紛糾する事態が存在する(教会大分裂)。対立教皇が多発した中世において、正統な教皇以外に教皇を名乗る人物が現れるのは、宗教だけでなく政治をもまきこむ大問題であった。

カトリック教会内で大きな影響力を持つイエズス会の総長は、かつて「黒い教皇」と呼ばれることがあった。これはイエズス会士が質素な黒いスータンを着ていたことと、教皇は常に白い服を着ることに由来している。

教皇庁の一機関である福音宣教省の長官(枢機卿)は「赤い教皇」と呼ばれることがある。この職にあるものはアジアとアフリカ全域の教会の責任者であるため、教皇に匹敵するほどの地位だという意味である。なお、「赤」は枢機卿の衣の色である。


ウィキペディアより転載
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