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2012年06月26日

真理探究の道・聖書


まゆみさん、実は28歳から44歳までの16年間
あの世界規模のカルト教団
エホバの証人の信者だったんです。

えぇっ?あの輸血拒否で医者泣かせの?
そうなんです。

えぇっ?あの休みの日にゆっくりしたいのにそういうときに限って現れるあの鬱陶しい奴らの仲間?
そうなんです。

えぇっ?あの親が死んでも手も合わせない、線香の1本も上げないあの宗教の信者だったの?
そうなんです。

聖書の解釈が強引で、反社会的な団体ではありましたが
私はそこから多くの恩恵を受けました。

とにかくよく聖書を読んだので、聖書の知識だけは身につきました。
聖書から受けたインスピレーションによって救われた事は数え切れないほどありました。

また信者同士の結びつきが強かったために物質面でも助けられました。
阪神淡路大震災で住みかを失ったときも仮設住宅の入居の手配や
引越しのためのトラックや人手は全部仲間の信者の助けによるものでした。

世界中の信者から多額の寄付を日本支部に送られてきて
被災の程度に応じて現金も支給されました。
国からの義捐金が17万円だったのに対して、協会から私が個人的に受け取った金額は
100万円くらいでした。

彼らには愛がありました。
彼らは伝道や集会への参加を最優先していましたから
多くの人がバリバリ働く能力があるにも関わらず、パートタイムでつつましい生活をしていて
そのつつましい中から多くの義捐金が寄せられました。

離婚して七戸に帰ってきて、4年くらいが過ぎた頃に私は重度の鬱病を患いました。
自分でできることといったら排泄だけ。
食事も、家事も、通院も、全部仲間の信者がやってくれました。
一人ひとりが名乗り出て、「この日の食事は私が担当します」「通院の援助は私がします」と。

カルト教団とはいえ、私は実際に恩恵を受け、彼らがいなければ生き延びることも
できなかったのです。確かに彼らには愛がありました。

それでも聖書からインスピレーションを受けて私はいつも感謝と喜びを感じていましたが
ほかの信者全体も長老たちもそれを分かち合える存在ではありませんでした。

エホバの証人はいったん入信してしまうと協会の教えに疑問を抱いてはいけない。
協会の教えイコール神の教えでした。

私も多くの体験を積むうちに、自分が聖書を理解すればするほど、
協会の教えから遠ざかってしまうことを痛いほど感じはじめました。

エホバの証人のタブーのひとつ、
エホバの証人を辞めた人との交際をしてはならない、挨拶さえしてはいけない、
エホバの証人を辞めた人、つまり協会側から見れば背教者のサイトにアクセスしました。

見る見るうちに目が覚めました。
そのサイトを48時間ぶっ通しで調べまくりました。
「断絶しよう!」
そうと決めたら心がすぅっと楽になりました。

あんなにお世話になったのに、この組織がなければ生き延びることもできなかったのに、
偽者の教えだと確信した以上はとどまることはできませんでした。

かつては、食事、家事、通院の援助のために手を尽くしていただいた長老たちと
再び同じ席で、組織の教えの決定的な間違いについて徹底的に追及しました。

一人の長老は良心的な方でした。私の言葉に一言も反論することはありませんでした。
もう一人の長老は私が幻聴にそそのかされてこんなことを口走っているのだと思ったようです。

どんな風に思われても私にとってはこの組織から自由になったことはすがすがしいことでした。

エホバの証人に入信したことも、断絶したことも私の霊性の進化のためには
必要なプロセスでした。
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