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2020年07月23日
2016年も終わる・・・
12月23日 午後
義父を ホームに送り届けた
とても綺麗なところで 幹線道路からも程近いのに
どの部屋からも緑が見えて 落ち着ける設計だ
最初は 環境に慣れるのか 戸惑い気味だった義父も
笑顔を見せてくれたので 私も娘もホッとした
午後 ホールで行われるリハビリを
付添いがてら 見学させてもらった
左手が思うように動かない義父も
ぎこちないながらも 懸命にボールの受け渡しをしていた
リハビリには 多彩なプログラムがあるようで
義父にあったものも多く見受けられたので安心した
年末年始は 義兄宅に外泊させてもらう予定なので
義父も今のところは それほどの不安もないだろうと帰宅した
それから年末にかけては 例年通りの忙しさ!!!
年内勤務最終日まで 仕事しながらも職場の掃除
自宅の掃除は・・・もう見て見ぬ振りだな!
そして
夫と一緒にいると 過呼吸気味になるという言い訳を自分にして
仕事納めの日に 次男一家のお迎えに新幹線で上京
お迎えといっても 嫁子ちゃん実家近くの駅まで同行するだけだが
赤ちゃん連れの初めての帰省で 嫁子ちゃんが不安だろうと!(爆)
娘も 少しでも夫と離れていた方がいいと喜んで送り出してくれた
一泊してすぐに 嫁子ちゃん実家駅へトンボ返り
そして 時間差で帰省してくる長男と嫁子ちゃん実家駅で待ち合わせ
自宅駅よりも 一つ先の街だが
こちらの方が 都会だし お店もたくさんあるので
久しぶりに長男とデート気分
ほろ酔いセットなるものを楽しんで 新幹線で自宅駅まで戻った
翌日30日は 自分はおせち作り(ほんの一部)
夫は玄関周りや水回りの掃除を進んでやってくれた
長男・娘とも 目配せしながら笑っている
夫が後ろめたいことをしていると 冗舌になり
いつも以上に気の利いたフリで動き回るので(爆)
そして大晦日
夫の運転する車で 次男一家を嫁子ちゃん実家へお迎え
暮れのご挨拶がてら あちらのご両親と久しぶりのおしゃべり
結婚式に出席できなかった夫だが
あちらのご両親も 今となっては 普通に接してくれている
ランナーの彼女のことなど 知られたらそれこそ大変だ!!!
年末のほんの数日 すごい移動距離を叩き出したものの
体調の崩れもなく この2016年もどうやら無事に終われそうだ
2017年は どんな年になるのだろう?
大晦日 自宅に集った子供達や孫を眺めながら
自分自身の行く末も しっかり考えなくちゃな・・・と
にこやかに笑っている夫の顔をぼんやり見ていた
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2020年07月22日
父の四十九日法要
今月19日の日曜日に 父の法要をした
正確に数えれば 今日22日が四十九日だが
お寺さんや 私たち家族の都合を合わせ日曜日になった
ずっと自宅にいたし 看取るときにも家族全員がいたし
本当に 父がいつまでも家の中にいるような感じだった
仮の位牌から 本位牌に魂を移すという法要
あの小さな位牌の中に閉じ込められちゃうのか、と
一瞬 不憫にも思えた
自由にあちらこちら 飛び回っていてこその父のような・・・
自分もいつか必ず送られる側になるんだなぁと
日を追うごとに改めて考えさせられる
いま こうして普通に生活できていることに感謝して
1日1日を無駄にしないように より大切に時間を使わないと
母は 未だ夢に出てきてはくれない父に文句を言っている(笑)
皆で 「大トリ」だから もう少し待ってみたら?と
笑いながらも母を慰めている
心配していた母の体調も 大きな崩れはなく
精神的にも 今のところはしっかりしていて安心だ
これからの暑さに向かう時期
母の体調には 本当に気をつけていかないと!!!
法要のとき 本堂での読経が終わり
皆で お墓に線香を手向けに向かったところ
それまで持ちこたえていたかのような雲の合間から突然の雨が!!!
驚いたことに ほとんど私たちの頭上のみ・・・
「おじいちゃーーん! 淋しいからって雨降らせないでよ!」
「晴れ男なのに なんで今なのぉ?」
「かまってちゃんなんだからぁ! 美味しいウイスキーあげるから!」
「おばあちゃんと別れたくないのはわかってるって!!」
等々 甥っ子姪っ子たちのそれぞれの泣き笑いの言葉
墓前に着くと 嘘のように青空が広がった
雨を降らせてまで 孫たちの言葉を聞きたかった父なのかな?
幸せな人生だったと信じたい
そして これからは
残された私たちが父のことを忘れずに
毎日を幸せに暮らしていくことが 父への供養であり
恩返しなんだと思った
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2020年07月21日
12月の忙しさ 3
翌日は日曜日
午前中 年賀状の図案を決めたり
少しのんびりした後
午後の面会時間に合わせ N病院へ
義兄夫婦はすでに到着しており
夫と義兄の二人で 義父と話をすることに
女子部の義姉と私はロビーへ(笑)
案の定 義父は自宅で過ごしたいと・・・
夫が 勝手を言うな これ以上心配かけるな、という中
義兄はコンコンと説得して やっとホーム入所を受け入れた、と
田舎なので 長男を充てにする気持ちが大きく
義兄の言うことは素直に聞かざるをない様子
これで義父も少しは落ち着いてくれるといいな
すぐに義姉が連絡を入れ 少し調整時間はかかるが
次週23日には 入所できるようになった
このタイミングでも 義父は畑の白菜が心配でたまらないらしく
「明日にでも 取っておいてくれ!」との話
残念ながら 何日か降った雪ですでにダメになったらしいと
義姉から聞いていたので 少しいたたまれなくなった
20日に退院して とりあえず義兄宅へ行った義父
23日は 義兄夫婦の都合がつかないので 我が家でホームに送ることに
12月23日といえば 天皇誕生日で祝日のはず・・・
なのに 夫はまたまた出張とのこと・・・???
はいはい 私が義父を送り届ければいいんですね!?
22日 仕事帰りにまっすぐ義兄宅へ向かう
義父は準備万端で待っていた
自宅へ連れて戻ると 夫はまだ帰宅していない
実はその夜 職場の忘年会だったらしいが さすがに欠席する、と
それにしても 帰宅は9時過ぎだったが・・・?
夫が帰宅後に 義父の入浴介助をしてくれた
今までは 何かと義兄夫婦に頼りっぱなしだったので
それくらいしてもらわないと 息子としてはダメだよね?と
娘にすら言われていたので 自分から進んで申し出た(笑)
夜中も4回ほど トイレに起きた、と
さすがに夫も大変だったらしい
いよいよ 23日当日
義父は 夫が送ってくれるとばかり思っていたらしい
夫が出張だと聞いて 一瞬とても不機嫌にそして寂しそうに
昨夜 夫は何も言わなかったのだろうか?
" 仕事 " なら きちんと伝えておいてほしかった
どういうわけか 夫が出張だと伝えていないのは
私の責任のようになっていた
" 知らんわ!!! そんなもん!!!" と叫びたかったが
きちんと我慢しましたよ ええ(笑)
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2020年07月18日
12月の忙しさ 2
義父は ただただ眠り続けているので
ロビーで 義兄夫婦と話をする
義姉が 施設側と絶えず連絡を取り合っていてくれたので
今回のことで " 待った無し " のホーム入所に向けて動き出すことに
義姉には本当に頭が上がらない
義父が目覚めたら 義兄から話をしてもらうことに
そして 私の近況を知った義兄が
「とりあえず 放射線治療が奏功したようで良かった!!
娘ちゃんも 元気そうで何より
これだけ家族が頑張ってるのに 自宅に怪しい手紙が届くなんて!
普通に生活していたら そんなことは絶対ありえない!
もう あいつ(夫)と無理して一緒にいなくていい」と大激怒!!!
自分としては 今の状態を聞いてもらっただけで
ずいぶんと気持ちが軽くなり 自然と笑うこともできた
義姉にも
「動くときには 全面的に協力するからね!」と言われた
義父は目覚めそうにない様子で バイタルも安定していたので
義姉と私は とりあえず一度自宅に戻ることに
病院駐車場へ向かうとき
「離婚に向けて動き出すとしたら 具体的なタイムテーブルは大事
夫さんは 絶対 " うん " とは言わないだろうから
離れたい!という気持ちが絶対だということを
きちんと目に見える形にしたほうがいいね
近々 法テラスに行ってみない?」
突然の義姉からの提案だったが 考えてみれば納得の事だ
「前科」(笑)がある夫のことだ
妻側が離婚したい事由に 再びの不倫疑惑は充分すぎるだろう
メッセージの送受信の一覧だけでも充分な証拠だ
また 法の力を借りることになるのか・・・
運転しながら あの裁判所の小法廷を思い出していた
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2020年07月16日
12月の忙しさ 1
夫への警告であろう手紙だったが
午前2時まで " 尋問 " (笑)しても
本人は 完全否定で知らぬふり
こちらとしては 胃痛 過呼吸、と酷い状態だった
そして11日の日曜日
仕事から帰ると 休日出勤だった夫がまだ帰宅していなかった
私より先に出勤したはずなのに 午後10時近くに帰宅
もう・・・これは 二人でどこかへ出かけたな!?
私ももう諦めモードで 特に何も言わなかったが
本人は ご機嫌で冗舌だった
当然 私と娘はほとんど夫と口をきかないでいたのだが・・・
火曜日は 大学病院の放射線科受診だ
治療が終わってから1ヶ月後の 経過観察だったが
面談のみで CT等の画像はO先生のところでお願いしますとの事
そんな 急にCTとか言われても・・・
翌水曜日 O先生の病院予約日
予約としては 採血とレントゲンのみ
画像は特に問題はなく CEAの数値も下がってきていた
・・・と言っても 8,4ほどで正常範囲よりは高かったが
とりあえずホッとして帰宅
木曜日は 帰宅してからご近所の方の通夜への参列
金曜日はやっと仕事休み
土曜日は 休日のはずの夫が東京出張
それはもう 満面の笑みでの出発
たぶん 彼女と同行なのだろう
余計なことを考えないようにと 自分も仕事をしていると
子宮がんの手術を終えた義姉から電話がきた
経過も良好なので 今日退院できた、と
本当に良かった!!!
ほっとして電話を切ったら すぐに夫から電話が!
義父が倒れて N病院へ救急搬送されたと!!!
義姉が退院 義父が入院・・・と いとまがない
(それも 全く同じ病院 笑)
土曜日なので 義兄は休んでいるであろう夫に連絡したらしい
すぐに上司に相談して 早退させてもらった
義父は 思った通り 家の中で転んでしまって起き上がれず
布団までたどり着けずに 一晩中うずくまっていたらしい
私が行った時には スコンスコンとよく眠っていた
部屋の中だから良かったものの
廊下やトイレの中だったらと思うと 冷や汗が止まらなかった
この現実を受けて 諸々が待った無しの状態だと
改めて 突きつけられた
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2020年07月15日
2016年 12月 3
得体の知れない 白い封筒
そして わずかばかりの文章
以前 ランナーの彼女の自宅に来た手紙と
同じ差出人なのでは?
正直 驚いた 夫宛にも送って来たとは!
けれど 夫と彼女とのやり取りでは
"職場の人たちの 筆跡確認してみた " とか言ってたな?
今回の手紙は 宛名も内容も 全て印刷だ
普通にPCで打ち込んだものだろう
では 以前の手紙の差出人とは違う誰かなのか?
いや やはり同一人物で もう筆跡を見られたくないのか?
何れにしても どこの誰の仕業なのか?
きっと 夫たち二人の素行が
あまりにも酷いものだったのではないだろうか?
わざわざ こんな手紙を送りつけてくるなんて・・・
何だか 本格的に過呼吸になりそうだった
そのすぐ後に 何食わぬ顔で 普通に帰宅した夫に
「どういうことなの? これ!!!」と
白封筒を突きつけた
夫は 驚いて その封筒の中身を確認した
「え? 何これ?」
「こっちが聞きたいんですけど??
奥さんが放射線治療 娘が卵巣嚢腫の手術をしてたというのに
あなたは一体何をやってるの?
何もしてなかったとしたら どうしてこんな手紙が自宅にくるの?」
掴みかかってもいいくらいに 夫に詰め寄ったが
夫も その手紙をじっと見たまま ただただ混乱していた
「いや 本当に何のことやらさっぱりわからない」
つい 半月ほど前までは
iPadで 二人のメッセージのやり取りを確認できていたが
確認できなくなってからの 私自身の不安もあって
さすがにこの手紙には参ってしまった
何のことやら、とかではなくて 確実に何かあったよね???
事実 飲み会の帰りに二人だけでカラオケに行って
2時間もイチャついていたのは事実だし・・・
夕食 入浴を済ませた夫を待って
寝室で まるで尋問のように問い詰めた
夫は最後まで 知らぬ存ぜぬの立ち位置を通した
こちらとしても もう今更何を言っても無駄だな、と感じた
もう これ以上 夫との問題を先送りにするのは止めよう
悔しくて 情けなくて ボロボロになった顔をぬぐいながら
明日の仕事のことだけを考えて眠ろう・・・と横になった
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2020年07月14日
2016年 12月 2
義姉と久しぶりにゆっくりとおしゃべりできて
気分的に ずいぶんとリフレッシュできた
問題は いろいろと山積み状態ではあるものの
やはり 情報共有は大切なことだ
4日の日曜日になり 予定通り義実家へ行った
義父は 義兄からホームの件の話をされているはずなのに
全くそんな素振りは見せず 相変わらずの感じだった
訪問ヘルパーさんが男性に変わったことでの文句をひとしきり
私たちからしてみれば 前の女性ヘルパーさんより
よほど気が利いているように感じていたのだが
義父は " 男性 " ということだけで文句タラタラだった
何か要望があっても 男性には気軽に頼めないから、と
昔の感覚なので
女性には平気な物言いでわがままを言えるが
男性だったら 何も言えないではないか!ということだ
正直 どこまでわがままなんだよ?!と怒りたくなった
これでは ホーム入所の件など なかなか進みそうにないな
やれやれ どうなることやら・・・
翌週からは 普段通りのシフトで仕事
娘も 職場復帰してからは 用心しつつも元気に通勤していた
第3週に控えている 自分と娘の定期通院までは平和だな、と
年末の忙しさの " 嵐の前の静けさ " を楽しんでいた
そう!! 本当に " 嵐の前の静けさ " だったのだ
7日 仕事を終えて帰宅し
いつものようにポストから郵便物を取り出し
玄関の鍵を開けた
靴を脱ぎながら それらを確認したら
差出人名がない 白い大きめの封筒があった
宛先は 苗字だけ・・・ 誰宛なの???
なんとも言えない いやーーな予感がした
胸がドキドキし始めて 封を開けようとする手が震えてきた
中には A4サイズの白い紙が一枚だけ入っていた
「配偶者がいるのに 職場の部下にあたる女性と
親密な関係になるのは いけないのではないでしょうか?
職場の風紀も乱れてしまうと思われますが・・・?」
たぶん こんな感じの文言だったと思う
ショックで 頭の中が 真っ白というより
何かがスパークしたような感覚になった
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2020年07月12日
2016年 12月 1
11月末 娘の退院後初の健診も無事に終わった
取り出した卵巣嚢腫は
幸いなことに ガン化するような悪性のものではなかった
娘もそれはもう大喜びで その笑顔にとても癒された
12月に入ってからは 冷え込みも少なく
穏やかな冬の始まりといった風情の天候だった
2日に義兄宅にお邪魔した
平日だったので 義姉と久しぶりにのんびりおしゃべり
娘の様子を報告して 予後がいいことを喜んでもらって
お互いに 直近のこともいろいろと話して来た
夫が Apple IDを作り直したらしく
今までのようにiPadのやり取りを見られなくなったと
話したら 義姉がそれはそれは驚いていた!!!
「それって 相当危ないパターンじゃないの?
いよいよ本気モードなんじゃ・・・」
自分でもそう思っていたのだが いざそう言われると
胸が押さえつけられたような感覚になり 過呼吸になりそうだった
「まだ 今の所はなんとも言えない状態だから
もう少し様子見してみるつもり
何か動きがあったら すぐに相談にのってね!」とだけお願いした
義父は 相変わらずホームに行く事を拒否しているという
デイサービスとリハビリ 訪問ヘルパーさんの今のスケジュールで
そのまま自宅に住んでいたい、と
けれども 山あいでこれから気温も下がってくる
週末は 必ず夫たち兄弟どちらかの家が通っているが
一人だけで夜間を過ごすにはだんだんと辛い時期になっている
ヒーターを点けたままでは心配だが 寒さに体調を崩すよりは
暖かい部屋にいてほしい
けれど 給油が頻繁になるので ヘルパーさんのスケジュールに
間に合わない時も絶対に出てくる
だんだんと厚着になる季節なので 着替えすら大変になるはず
とにかく 細かいことで心配が絶えない
それでも 義姉から聞く限りでは
義父の様子は頑ななので しばらくそっとしておいた方が
本人の決断のためにもいいのかも?と感じた
本当に辛くなってからのSOSを待つしかないのかな?
2016年の終わりに向かって
まだまだ いろいろありそうだな・・・と義兄宅を後にした
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2020年07月09日
2016年 11月の自分
自身の放射線治療 娘の手術が無事に終わり
年内に残された懸案事項は
義父のホームへの入所のみになった
表面的には・・・
夫と彼女とのやり取りが見られなくなったことで
自分はホッとするのかな?と思っていた
しかし いざ そうなってみると
二人がどこで何をしているのかわからないことで
かえって いろいろと疑い深くなり
夫の言動 顔色等がより気になり始めた
それまでは 夫がどこにいるのか 何をしているのか
文字通り 手に取るように分かっていたので
やきもきしながらも " 知ってるしね!!" と強気でいられた
娘も 夫が新しいIDを作った事を知って
「奴ら 勘付いたのか??」などと悪態をついていた
少々 不安定な精神状態になりつつあったが
歯科への通院 義実家への定期訪問
こちらでも寿退社する女子の送別会(それもグループ別に3回 笑)
加えて 新人さん達のフォロー研修等々
手帳のスケジュール欄がほとんど埋まるほどの忙しさのおかげで
どうにか 平常心を保っていることができていた
そんな中
1ヶ月以上ぶりのO先生のところでの採血
「ニャンままさん 30回の放射線治療お疲れ様でした
S先生からも連絡をもらっていて 経過は良好だったそうですね」
大学病院への通院か・・・
なんだか すでに遠い昔のことのような感覚になっていた
「今日の採血結果は
まあまあそんなところかな?という数値でした
放射線治療の効果でグッと数値が下がってくるのは
もう少し先になりますが・・・
あ 下がっては来ていますからご心配なく」
O先生は笑顔で言ってくれたが
どういうわけか 採血結果を見せてはくれなかった
ん??? あまり芳しくない数値なのかな?
でも 先生がそれ以上何も言わないので
悪化しているわけではないのだろうと O先生の笑顔を信じた
正直 このころの自分の頭の中では
自身の検査結果などよりも
何をしていても どこにいても
娘から言われた
「もう ここにいるべきではない!」という言葉が
ぐるんぐるん と音を立てて回っている感覚だった
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2020年07月08日
2016年 娘の退院後と自分のこと
2016年11月の娘の退院後から
娘には
もっと自分のことを考えろ!と
親が子供を叱るように言われるようになった
ここではとても書けないが
夫とランナーの彼女のやり取りには
それはそれは呆れるばかりの文言が溢れていた
5月の初孫誕生のあたりからは
息子達にはその文面を送っていたが
娘は呆れかえって ほとんどiPadを見ることもなくなっていた
二人がどんな様子なのかは
私との会話の中に出てくることのみを把握していた
なので 目撃された「路チュー」のことも
特に知らせてはいなかったので 娘は知らなかった
退院後 iPadを持って自室に入って行ったのには驚いたが
自分の意思で確かめたかったのだと言う
見舞い・付き添いにくる私の顔色があまり良くなくて
自分のこと以上に心配だったと言うのだ
「放射線治療のせいばかりじゃない!!
絶対 アイツ(父)が何かやらかしてる!」と!!!
路チューの前後のデレデレした様子は残っていたが
もちろん画像があるわけでもないので
ただのノロケ話にしか取れないとは思う
毎日の お定まりの定期配信とも言えるやり取りは
以前から変わらないので それも想定内だと感じたらしい
・・・けれど 娘の手術当日の夜
夕方病院へ顔出しした後に すぐに飲み会へ行ったこと
そして二人だけで 2次会と称しカラオケに行ったこと
2時間 散々イチャついたと思われる文言を確認して
まさに「怒髪天を衝く」状態になった娘だった
「もう、さ!! お母さんここにいるべきではないと思うよ!
離婚するしないは別として 父と離れないと!」
正直 その頃は
毎日のやり取りを確認することも 迷いに迷っていた
こんな状態の二人がいて
知ってて見逃しているのは限界に近かった
本人達に 私が知っている事を告げて決着をつける時期だな、と
そんな風に気持ちを固めかけた11月中旬過ぎ
突然 メッセージの送受信を見ることができなくなった!!!
何かを感じたのだろうか?
夫が Apple ID を新しく作ったらしかった
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