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2020年06月20日
数字に惑わされないこと
昨日は 母のかかりつけ医での定期検診だった
TAVIという人工弁を心臓に入れている母だが
4年を経て 時折具合が悪くなるものの
普段の生活には支障なく暮らせている
(2度ほど救急外来に連れて行ったことはあった 笑)
心臓という部位なので 何かあったら急変に直結する
顔色・声音・動き そしてもちろん日々の血圧等
注意できるところは 家族皆で気をつけている
検診の結果 大きな変化もなく
来月の市立病院での年1回の定期検診も
このままいけば多分大丈夫でしょう、と言われホッとした
検査結果には 色々なデータがつきものだが
母は 採血結果の数値にすぐ一喜一憂する!
こちらからしてみれば 正直取るに足らない変化だ
それでも「H」のマークがついていると
「どうして 高くなっちゃったの?」
「きちんと食事にも気をつけていたのに どうしよう?」
等々 オドオドして騒ぎ立てる
数値はあくまでも目安だよ!と言っても なかなか納得しない人だ
もちろん数値も大切だし 様々な指標になるが
それに振り回されてばかりでは 本末転倒だ!
先だって旅立った父は
4月1日の採血検査の結果が驚くべきものだった
心不全の検査指標として使われるBNPという数値が
とても高かったのだ
18.4以下が通常
40以下なら心不全の可能性は低くとも経過観察
・・・というところだが
父の場合は 何と12000をゆうに超えていた!!!
訪問内科の先生曰く
「この数字・・・亡くなっちゃってる人のだよ!」と
それでも 亡くなるまでの2ヶ月間
自分でそろそろ歩いてトイレにも行っていたし
日に2食ではあったけれど 好きなものを喜んで食べていた
身体の中がどうなっているのかはわからなかったが
血圧もそれほど驚く数値でもなく
いわゆる「全身状態」はすこぶる良かった
寝たきりに限りなく近い状態だったのに・・・
私自身 CA19-9の数値が 3800近くあった時もある
右腎臓にガンが転移していたときだが
摘出手術が終わるまでの全身状態の経過は
先生も驚くほど良好なものだった
本人がそれほど辛くもないのだから
数値が高くても 細胞さん達が頑張っていてくれたのでは?
そして 本人がご機嫌でいられれば
数値を超越した " 何か " が作用してくれるのでは?
やっぱり「自己免疫力」なのかな?
毎日笑って 好きなものを食べ 見て
家族と話して(自分はテレビにでも話しかける!)
とにかく 心持ちを軽くしていることが大事なんだと思う
梅雨時で 天候も不順で大変な時期だけど
何かしらの楽しみを見つけて
「生きている時間」を 自分のものとして
今まで以上にしっかりと 楽しく生きていこうと思う!
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2020年06月18日
2016年 10月 義父のこと
放射線治療を始めてから 早3週間を過ぎた
MRIを撮った翌日に大きく体調が悪くなったが
その後は 食事も普通に摂れていて
あのひどいつわりのような状態からは 脱することができた
この頃 義父の体調も思わしくなくなり
だんだんと目が離せなくなってきた
それでも 一人で家で過ごす!!と言う
デイサービスに通い リハビリにも通い
ヘルパーさんに週2〜3回訪問していただき・・・
制度的に利用できるものは 最大限に利用していた
リハビリには 兄嫁が送って行ってくれていたのだが
10月最終週のリハビリには どうしても義姉の都合がつかなかった
私の放射線治療は午前中で終わるのが
治療予約時間が9時半と言うことで
義父の施設までの朝イチの送迎はちょっと不可能だ
結局 義父にはこちらに泊まってもらい
送迎は夫にしてもらうことに
その日程や細かい時間の打ち合わせの中で
義父の通っているデイサービスの施設から
ホーム側の空きが出たとの連絡があった
取り急ぎ 夫の兄夫婦・嫁いだ義姉夫婦と私たちで
義父のこれからを相談することになった
義父はもともと腰が悪かったところに加え
脊柱管狭窄症を発症していて 腰が大きく曲がってきており
家事全般はもちろん 自身での起床等の動作が辛くなってきていた
どうしても最後まで自宅にいたい!と言い張ってはいたのだが
車で1時間近く離れた家での一人暮らしは
本人だけではなく ご近所の親戚にも 色々と負担をかけてしまう
私たちも 交互に食材を持って行ったり 泊まったり
出来る範囲での父の生活の面倒を見ていたが
皆 仕事を抱えている上でのことなので
転んだりして 起き上がれなくなったような場合
すぐに駆けつけ何事ないように 処置できるかと言うと
現実問題 到底無理だとは理解していた
3姉弟と その配偶者である私達交えて話し合った結果
空きが出たこのタイミングで 施設に移ってもらおうと言うことに
長男である義兄が責任を持って話すと言ってくれた
義父は プライドの高い人ではあったが
自身の身体が段々と衰えて行くことを自覚していたので
皆の都合のいい時に連れて行って欲しい、と承諾してくれた
自身の体力 体調の衰え・・・
これから先 自分が体験して行くことなんだろうけれど
義父の寂しそうな表情を見るのが とても辛かった
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2020年06月17日
母の様子
父が亡くなってから 今日で二七日(ふたなのか)
初七日が告別式に当たっていたので
なおさら 時が早く進む感じだ
母は 今のところ食事もきちんと取れているし
弟家族・孫たちに囲まれて 賑やかに暮らしている
頼まれた買い物を済ませ帰宅したある日
父の遺影に一人話しかけている姿を見た
61年間 自営業の父と毎日一緒に過ごした母
にこやかに 旅行の思い出を話していた
「61年間 入院時以外は毎日一緒にいたのに
涙がまだ出ないのよ・・・
どうしちゃったのかしらね?」
聞いている娘の方が泣きたくなる
いつも傍にいた人が ある日突然いなくなる・・・
義母を送った時にも 義父の心情を思うと
こちら側の方が泣きたくなった
母としては
まだ父がいなくなったことの実感がわかないのかもしれない
この一年くらいは 認知症も進み 色々煩わせた父だったので
正直 ホッとしている部分もあるのかもしれない
毎日小さな言い争いをしながらも
夫婦漫才をしているような駆け引きで
見ていて微笑ましかったほどだったが・・・
悲しみや 実感は ある日突然やってくるのかもしれない
いや 毎日少しずつ忍び寄ってくるのかもしれない
何れにしても 母の体調も注意深く見ていかないと
昨日までの暑さ 湿気も一段落して
今朝は 爽やかな朝だ
甥っ子に手を携えてもらって 母とお寺さんへ行ってこよう
四十九日まで 魂は自宅にいるはずなのに
七日ごとに 墓参りに行く習慣なのも不思議だが(笑)
納骨は済ませてあるので 素直に父に手を合わせに行こう!
毎日 伝えても伝えきれない感謝を
あらためて墓前で伝えてこよう!
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2020年06月15日
父の旅立ち
2020年6月4日
父が旅立った 満90歳だった
いつものように 母の用事を済ませて帰宅
午後の6時を回っていて
弟家族もそれぞれに帰宅する頃で
普段なら少しおしゃべりをして
自分のアパートに戻る時間
けれど 当日は父の呼吸の様子が気になって
ずっとベッド横に付き添って 話しかけていた
今年の初め頃から 痰のつまりがひどくなり
時折苦しそうに咳き込んでいた時もあった
それでも
パルスオキシメーターでの酸素濃度はいつも98程あり
家族は それほど緊急には捉えていなかった
実は 5月30日にも痰の絡みがひどくなり
かかりつけの訪問内科の先生に来てもらっていた
訪問内科の先生からは 喉も細く 筋肉も弱っていて
吸入等は 逆に本人の負担が大きくなると言われていた
(ほとんど骨と皮の状態だったので 本当に首自体細かった)
昨年 家族の話し合いで「延命治療」はしないとしていて
この状態で器具を使うことは先生としても避けたかったようだ
そして
「このような状態が 何度か繰り返されて
だんだんと体力が落ちて衰弱していくと思われます」と
家族に話してくれていた
食事は 亡くなる2日前くらいまで
食べたいものを 日に2食ほど摂っていたし
痰に関しては
背中をさすって出しやすくしてあげたり 水分補給をしたりと
周りでできることはしていて
話しかければ それに対して 普通に答えたり笑ったりしていた
けれど その日は本当に痰の絡みがひどく
背中をさすろうが 水を飲ませようが
咳き込むことが止まらなかった
自分も 確定診断のための痰を出すのができなかったので
喉の違和感の気持ち悪さは身をもって体験している
そして弟家族も次々と帰宅して ベッド周りに集まる中
だんだんと 呼吸の間隔が開いていった
たまたま帰宅が早かった看護師の姪が
「下顎呼吸になってきたので 多分あと何呼吸かで
脈が触れなくなると思う
みんなでたくさん声かけしてあげて!」と
頚動脈に手を添え 確認しながら言ってくれた
反応が鈍くなってきて 力が抜けて来てから
20分ほどだった時に 脈が触れなくなった
家族みんなに見守られながら自宅で息を引き取るという
私たち家族が一番望んでいた状態での最期だった
穏やかに見送ったつもりではいるが
正直 やはり後悔することもある
もっと一緒にいて お喋りしてればよかった
もっとこまめにお水を飲ませてあげればよかった
もっと音楽を聴かせてあげればよかった
もっと もっと もっと・・・・・・・・
けれど今 遺影の父は穏やかに微笑んでいてくれる
92で逝った祖母より長生きするんだ!と言っていた父
最後の最後に嘘をついた
今頃 祖母に「あら 早かったね」と笑われているのだろうか?
いやいや 孫たち大好き大家族の長だった父だ
四十九日までは しっかり自宅で皆を見ていてくれると思う
梅雨のさなかとは思えない 晴天の中での告別式
最後の最後まで 明るく晴れ男の父らしかった
これからも 私たち家族をいつまでも見守っていてね!!!
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2020年06月06日
更新少しお休み
6月4日 午後7時17分
父が旅立ちました
バタバタしてます
母も 弱ってきているところで
心配は絶えません
少し落ち着いてから 更新します
来週木曜日辺りから ボチボチと…
しばらくは 家族で
残された母に寄り添います
2020年06月03日
2016年 10月 たまの異変
毎日通わなくてはならないのは少し大変だが
放射線治療は 時間としてはとても短い
個人差はあるのだろうけれど 私の場合は
照射場所が普通に仰向けの状態でいい所だし
技師さんにとっても自分にとっても
姿勢を正すまでの時間が短く済むので
とても気が楽だった
午前中早めに終わるので その後歯科医院などにも通えたし
日々の買い物等も なんの負担なく済んでいた
そんな毎日にすっかり慣れてきたある日の夜
娘が たまと遊んでいて 叫んだ!!
「お母さん!! たまに穴が開いてる!!!」
穴??? 猫に???
言われて その場所を確認すると
本当だ!!!
紛れもなく「穴」だ!!!
肛門の近くに「穴」があった
小指の先ほどの小さな穴ではあったが
本当に 中を覗けるのでは?と言うくらいの穴だ!
驚いて 翌日すぐに獣医さんのところへ
何日か前から 抱っこを嫌がったりする素振りはあったが
もともと抱っこはあまり好きではない猫だったし
それほど 気にもしていなかった
ただ 時折 お尻を押し付けながら歩くような
少し変な格好をしていたことはあった
あれって お尻周りを気にしていたんだな・・・
自分のことばかりで 気がついてあげられなくてごめん・・・
先生に聞いたところ 肛門嚢破裂とのこと
肛門嚢??? 肛門の近くにある器官のことだ
マーキング(スプレー)をするときの分泌物が溜まっているところで
何かしらの原因で その分泌物がつまり 破裂してしまったらしい
ワンちゃんは 定期的に肛門腺を絞ることもあるらしいが
猫の場合 それほどのケアは必要ないので
実際 破裂してしまうまで気がつかないことも多いらしい
本当に穴が開いてしまうのだから こちらは驚くばかり
結果としては もう破裂してしまっている状態なので
猫自身は 痛みのピークは過ぎているとのこと
抗生物質の投与で 細菌感染をこれ以上起こさないようにと言われた
「縫合するほどの傷ではないので 自然とふさがりますよ」
大事には至らず とりあえずホッとした
14歳にもなっていたし
これからは 毎日
きちんと全身状態の観察をしていってあげなくちゃ!!!
ごめんね たま
おかあさんも気をつけるから もっと長生きしてね!!!
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2020年06月02日
もう6月
今年は 緊急事態宣言発出の影響で
例年とは全く違った5月だった
職場は GWのイベントもなく もちろんクローズのまま
例年であれば
「GWって 急に暑くなるよね〜〜」
「お客様 どのくらいきてくれるだろうね」
「アァ あのお客様のお子さん見てなくちゃ!」等々
バタバタと忙しいながらも それなりに充実している時期だ
本当に 気が抜けてしまった感じの5月だった
GWあけの週末から
密にならないように 時差・人員調整の上
ボチボチ出勤になったが
それはそれで 何とも慣れないものだ
当県では ある時からパッタリと感染者の報告がなくなり
クラスター感染の濃厚接触者の人達も 陰性の判定ばかりだった
ウイルスなので 完全に消滅するとは思えない
これから 長い期間をかけて 共存していくしかないんだろうな
季節性インフルエンザ並みになるように
ワクチン・検査方法等 早く確立されていくことを願うばかり
それにしても 6月か・・・
梅雨入りのニュースもさることながら
毎日のように 列島北から南までよく揺れている!
大きな地震が来るのだろうか?
今月末に大きな地震が来ると言っている人たちを
WEB上で ちらほら見かける
日本列島 どこで地震が起きても不思議ではないので
誰が言っていても " あぁ そうなの? " と受け流せるが
今年は何となく イヤな感じだ
「大きな地震」とは 震源の深さと
マグニチュードが大きいのか 震度が大きいのか
それぞれの組み合わせによって
直接的影響が変わって来るので 何とも言えない気もするが・・・
いつもより 少々 防災意識を高めて
何かあっても なるべく自宅で暮らせるように
備蓄できるものは 意識して蓄えておこう!
建物が崩れたりしたら やっぱり避難所なんだろうけれど
この時期 少し不安でもある
アパートが崩れないことを祈るばかりだ
梅雨時の大雨にも注意しなくてはならないし・・・
あぁ ダメだ!!!
天気が曇っていると 悲観的な方に考えがいってしまう
いけない いけない!!!
楽しく笑顔で過ごさなくっちゃ!!!
よし!!!
今日は 仕事が休みなので
友人のお店のランチ弁当をテイクアウトしてこようっと!
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2020年05月30日
2016年 10月 2
MクリニックでのダイナミックMRI撮影翌日
どうも調子が悪い・・・
まぁ 造影剤入れながらの時は
少しだけ体調に変化を感じる時はあったが
当日中に気にならなくなっていたし
こんな風に 翌日までだるさや悪心が続くことはなかった
これも 放射線治療の影響なんだろうか?
K先生も治療をしているのは知っていたし
MRI撮影が特段に影響することはないはず、と言っていた
け・れ・ど
うぅーー ホントにだるい 気持ちも悪い・・・
幸い 運転できないほどではなかったので
きちんと大学病院へ
念のため 体温血圧等測って待ったが
特段の問題はないので この日も放射線治療
やっぱりダメだ・・・
帰宅後
つわりか?と言うくらい 午後から体調が悪化
水分を意識的に多くとって 横になっていた
3時を回った頃 夫からの連絡
" 体調はどうですか?
朝 顔色が悪かったので少し心配です " ですと!
昨日の今日で 顔色伺ってたからなぁ(笑)
" どうにもならなくて ずっと横になってます " とだけ送った
この頃 やけに残業が続き 夫の帰宅は遅かった
彼女と会っていた訳ではなく " 本当に " 仕事だった
昼休みには 相変わらずのお花畑メールのやり取りをしていたが
こっそり会うのも難しいほど忙しいようで
ある意味 " 期待する(何を?)” 進展はなかった
それでも 毎日 彼女の洋服を褒めたり
髪型のことをいちいち指摘したり
ある時は ストッキング伝線してるよ、と送ってたり
今までとなんら変わっていなかった
気候も良くなってきたから 二人で走りたいとか
大会にエントリーして一緒に行こう、など
とにかく 普通の恋人同士のように毎日楽しそうだった
放射線治療を始めたせいか 何かとイライラすることもあり
この二人のことは 本当に頭にきていた
自分の体のこともあるし いつまでもこのままではいけないな
年内に 気持ちを固めて
年度末までには 自分自身の行く末をきちんと考えなくては!
ぼーーっと重い頭の中で そんなことを考えながら
夕方までずっと横になっていた
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2020年05月29日
2016年 10月 1
放射線治療を開始して4日目
思っていたよりも早く悪心が・・・
ちょうど木曜日だったので 先生の診察日
意外にサラッとした面談で
薬を出すほどではないので 心配しすぎないように
休めるときには ゆっくり横になっていること
最初のうちは 気分的なものも多いにあるからね、と
ただ 午前中の治療が終わって
寝る時間まで吐き気が続くようなことがあれば
診察日以外でも すぐに申し出るようにと言われ帰宅した
10月になり
4日はMクリニックのダイナミックMRI撮影の日
午前中 大学病院での放射線治療の後
車を飛ばして 1時間弱のMクリニックへ
やはり 気を張っているせいか 吐き気は少ない
通常通りかな・・・と思っていたら
「今日から 点滴の針が少し太くなりまーす」と看護師さん
いやはや きちんとルート確保できるかな?
心配は杞憂に終わり MRIはなんの滞りもなく終了!!!
ただ K先生との面談の中で 血液検査の結果を指摘された
「ニャンままさん 少し塩分控えめにしてくださいね
前回よりも 数値が少々悪い方に傾いているようです」
なんと!!! 一番ダメなやつ!!!
腎臓が一つになってから それなりに気にしていたつもりだったし
大学病院で放射線治療を始めるときの検査では
特に何も指摘されていなかったので 少々ショック!
9月は暑さが続いていたので 水分も意識して取っていたし
塩分の強いものはあまり口にしていなかったはずなのに・・・
就寝時間が少し不規則になってきたのと
仕事が休みで間食したり 運動不足になっていたからか?
先生からの指摘はそのくらいで
現在のところ 脳内には心配するような症状はないと
ホッとして とりあえず夫に連絡
今日のMRIのことは伝えていなかったので 例のごとく驚いていた
狼狽えていた夫に 必要以上に落ち込むことないよと
" 優しく" メールを送った
「伝えていなかったし 気づかなかったんだろうから」と
放射線治療が決まった前後に あれだけブチ切れたのに
ほとんど改善されていない関心の無さ
今回のMRIも言わなかっただけで カレンダーには記入済み
本当に学習能力のない夫だ(爆)
毎日 彼女とのメッセージのやり取りにうつつを抜かし
どうにか二人だけで会えないか、と言う点だけに注力しているから
特に変わった様子のない妻など 気にかけている暇もないのだろう
そんな扱いを受け続けているので
こっちだって色々考えてますよ、っと!!!
病院の食堂で ソーダ水を飲みながら鼻を鳴らした(笑)
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2020年05月26日
緊急事態宣言解除
日本全体が 緊急事態宣言解除ということになった
お叱りを受けるかとは思うが
自分としては それほど強い緊縮はしていなかった
政府や専門家委員会の人から見ればとんでもないことなのだが
県境をまたぐ移動を避けていた程度で
生活全体を締め付けるようなことはしていなかった
地方で それこそスーパー以外 3密にはなりにくい
仕事も元々 勤務日数がそれほど多くはない上に
本社のある東京が緊急事態宣言を受けてから
地方の支店も 軒並み在宅勤務になったし
買い物の回数を少し減らした程度だ
街へ出れば こんな田舎でもゴーストタウンのように
歩く人の姿も見かけないほどで
かえって その光景を見た時の恐怖の方が強かった
" 経済が止まる " という現実が目の前にあったのだから
以前 このブログでも引用したが
「パンデミックは 30〜40日で終わる」という数式
都市封鎖(ロックダウン)をしたイギリスと
しなかったスェーデン等での死者数の 大きな相違の無さ
人間vsウイルスの闘いに どれが「正しい」のか
まだまだ分からない部分だらけだとは思うが
基礎疾患や既往症のある人 高齢者はきちんと節制して
その他の若く" 健康な " 人たちは
外出して経済活動をしてもいいのでは?と ずっと思っていた
それにしても TVニュースでのインタビュー映像では
言葉は違えども こんな感じのことを言っている人達が多い
「家にいるだけの毎日だったから 外出できるようになって嬉しい
でも 急に緩んで 外出する人が多くなり第2波が来たら
それこそ 困ってしまいますよね?」
外出できるようになってうれしいのは どの年代でも同じだ
若年層の人たちも 本当に " STAY HOME " を頑張っていたと思う
けれど 私があちこちのTV局で見た映像では
ほぼ70代以上であろう人達が 人出が多いことを心配している
例のごとく マスコミが " 恣意的 " に
そういう年齢層の人を映しているのかも知れないが
申し訳ないけど・・・「あなたが言うな!!!」
その年代以上の方たちが 一番外出を控えていただいた方が・・・
還暦を迎えた自分も 人様のことを言えた義理ではないが(笑)
元気で 風邪症状のない若い人たちは どんどん外出してほしい
そして楽しく ショッピングやレジャーを楽しんでもいいのでは?
様々な店舗側も 遊戯施設・温泉施設等も
ウイルス対策に力を入れて お店の維持に頑張っている
韓国等の例もあるので
ライブハウス等の観客スシ詰めの 3密の状態の場所は避けて!
それにしても ライブが行われないのは
興業側も観客側も 辛く悲しい限りではあるが・・・
都内の孫も 来週からやっと幼稚園に通えることになったと
けれども 入園式は行われないそうだ
幼稚園入園のタイミングでも 心折れそうな事態
それこそ 入学期 受験期 就職期を迎えている人達やご家庭は
想像できないほどの不安と 苛立ちを抱えていらっしゃるんだろうな
お互いの立場の違いを想像しながら より良い生活様式を模索していく
「言うに易く行うに難し」
自分も 人のあげ足取りなんかしてないで(笑)
高齢者の一員として 節度を持って生活していこう!!!
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