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2020年07月30日
2017年 1月後半 3
脳内転移している サイバーナイフの治療になる、と
夫に伝えたら 案外しおらしい反応だった(笑)
3月の治療日には 出張を入れないで休みを取るとまで
ほんと 夫が何かやらかし始めると
必ずと言っていいほど 体のどこかに変調が出る
翌25日は O先生のところでCT撮影
・・・だとわかっていたのに
前日のMRIの時の造影剤がまたまた影響しているのか
朝から本当にだるくて起き上がれず
娘と夫の朝食すら用意できなかったほど
予約時間には間に合うように どうにか病院へ
このころのO先生は 会うたびに表情が柔和になっていっていた
S総合病院にいた頃は 手術に明け暮れていて
その表情は いつも引き締まり怖いくらいの時もあった
もちろん 外来診療の時には優しかったが
今の穏やかな表情とはまた違った柔らかさだった
やはり 患者さんの命に直結する手術は
素人の自分が想像することもできないほどのプレッシャーなんだろうな
そんなことをぼんやり考えていた時に
先生はにこやかに言った
「肺・右腎臓があったところなど 気になるところは
画像を見る限り とてもきれいで落ちついていますね
K先生のところでは いかがでしたか?」
どうやら 転移したらしいことを話すと
「1ヶ所だけでしたら 何の心配もありませんよ
ましてや サイバーナイフでの施術でしたら
ガンマナイフよりも負担はありませんしね」
と いつもの笑顔で言ってくれた
そして続けてこうも言ってくれた
「今日の採血結果ですが
放射線治療の効果が確実にあらわれていますよ」
そう言われて数値を見ると
確かに前回よりもCEAの数値が下がっていた
・・・と言っても まだ5近くあるが
ん???
本当に脳内転移していたとしたら
この数値で収まっているのだろうか?
今までの例なら 数値幅はそれほどでなくとも
必ずCEAの数値は上昇していたけれど・・・
少し釈然としない思いもあったが
もう サイバーナイフでの治療予約も済んでいるし
3月のその日まで 体調管理をよりしっかりしていこう!!
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2020年07月29日
2017年 1月後半 2
24日の火曜日はMクリニックでの MRI撮影だ
予約は 午後1時
これは 点滴の処置室に入る時間
MRI室に呼ばれるのは 1時半過ぎの予定
お天気はよかったが 前日まで少しちらついていた雪が心配で
予定よりも少々早めに出発した
まぁ 道路に雪があったわけでもなく 結果的には
冬のお日様に見守られながら のんびり1時間弱のドライブ
いつものように 点滴から開始
到着時間が早かったので
予定より早く初めていただいたものの MRI室には時間通りのコール
そして 撮影は 何事無く終了
・・・と それからが待たされた
朝食抜きで来ているし お腹はペコペコなんだけれど
いつ外来に呼ばれるかわからないので
売店や食堂に行くのはちょっと憚られる
持参したルイボス茶をちょこちょこ飲みながら
文庫本片手に待っていた
やっと K先生の部屋に呼ばれる
腕組みして待ってるK先生の横顔が厳しい
「こんにちは ニャンままさん
何やら 少し気にかかる影があります
私の感覚では 転移再発したのかと・・・」
いや それ 不意打ち!!!
転移? 再発?
確かに 輪郭がくっきりとは言えないまでも
大きめの白い影が ボォーーっと浮き出ている
あぁ・・・ 確かにそれっぽいな
また ガンマナイフかな? 背術できる箇所なのかな?
画像とにらめっこして考えていると
K先生が にこやかに話しかけてきた
「ニャンままさん
今回は ガンマナイフではなく
サイバーナイフでの治療になります
なので ガンマの時よりも色々と負担が少なくなりますよ」
ガンマナイフのピンを抜いた後の出血を思い出し
背中が ゾクゾクしてきた
先生は 淡々としていて
「来月は予約が目一杯入っているので
ニャンままさんの予約は 3月の・・・8日になりますね
サイバーも2泊3日の入院です
7日から入院ということで お仕事の調整お願いしますね」
あっという間に 入院日程も決まり
サイバーナイフの冊子のようなものを渡されて終わった
まるで 犬神家の一族じゃん! と
冊子に載っていた 顔面を覆うマスク姿の治療風景を見て
思わず 吹き出しそうになりながら 会計に向かった
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2020年07月27日
2017年 1月後半 1
義姉と話してからは 半分だけ気が楽になった
残り半分、というのは 夫との事に関してだ
弁護士さんや 調停の場合の家裁の手続き等
法テラスでの相談はもちろん それ以降のことを思うと
正直 今さらながらに面倒臭い
そう思いつつも 法テラスからの宿題である
夫との これまでのいろいろな " 事件 " を年表にせねば!
まぁ 改めて書き起こしてみると よく頑張った自分!と
ハグしながら 盛大に褒めてあげたいくらいだった(笑)
22日には 義父のところへおしゃべりに!
正月休みに義兄宅で顔を合わせてから
2週間以上経ってしまっていたせいで
義父は少々ご機嫌斜めだった
長くいる事はないけれど 来る回数を増やしてほしいと
親しくおしゃべりできる友達が なかなかできないようだった
夫と相談して なるべく毎週末くるようにすると伝えると
義兄にも言っておいてくれ、と
自分で電話すればいいのに
おねだりするようで 嫌われると嫌だから、というほどだ
長男には 本当に気を遣っている
夫の出張がないときに 週末は来るからね!と伝えた
それにしても 日帰りとはいえ
最近 東京への週末の出張が多いのだが・・・?
学生の雇用に向けて動いているとかなんとか・・・
まぁ 今更どうでもいい事だが こっちはやはりザワザワする
義父のところを後にしての帰途の車の中で
今現在の夫にとっては
私がずっと家にいるのが既定事項となっているな、と確信した
別居を解消し 私が自宅に戻ってから早1年以上経っているし
夫としては
もうあの忌まわしい裁判沙汰のような事はないと思っているんだろう
今まさに 法テラスに相談に行こうとしている妻が助手席にいるのに
これからも 義父のところへ夫婦揃って顔を出せると当然のように考えていて
私の仕事のシフトを確認してくる夫
正直 あまりにおめでたいオツムの中身に呆れていた
そうよ!!!
改めてよく思い出してみると 夫からの私に対する今までのことで
" 正式な " 謝罪は受けていないんだから!!!
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2020年07月24日
2017年を迎えた
気持ちの中に 何かひっかかった状態のまま
新年を迎えた
いや 年末年始は
皆でそれなりに楽しく過ごしたはずなのだが・・・
義父のことは 皆で出した結論通り
ホームへの入所が決まって落ち着いたし
3人の子供たちも それぞれが自分たちの立ち位置で
仕事を懸命に頑張っているようだ
娘は 卵巣嚢腫摘出後
わずかの間 体調の浮き沈みが見られたが
新年を迎えてからは とても元気だ
・・・となると この引っかかる感じは
やはり自分の体調と " 諸悪の根源 " となりうる夫のことか!?
相変わらず 帰宅は遅いし 出張もたびたび
ランナーの彼女とのメッセージのやり取りを見られないので
余計なことを考えるとイライラするばかりだ
そんな折 義姉から連絡があった
「12月に話した通り 法テラスに行きましょうよ!
私も一緒に行ってあげるから、ね?
その相談がてら お仕事お休みの時にうちに来ない?」
さっそく予定を合わせて 11日にお邪魔することに
夫のこと 義父のこと たくさんたくさんおしゃべりした
気持ちがずいぶんと軽くなり 我ながらよく笑った
すると義姉が おもむろに受話器を握り
前に進まないとね!と 法テラスに電話してくれた
義姉が 電話口で ある程度概要を話してくれたが
予約は 相談者本人でないと受け付けられないとの事
すぐに電話を代わってもらい 月末31日に予約を取った
「さぁ いよいよ動き出す時だよ!!
法テラス側から言われた通り
時系列で今までの事を書き出さなくちゃね!
思い出すと 色々辛いかもしれないけれど頑張ってね!」
義姉にそう励まされ その日は帰宅した
31日かぁー
24日に MクリニックでのMRI
25日に O先生のところでの定期検診
・・・と 何かと忙しい月末になりそうだな
それまで 体調 崩さないようにしなくっちゃ!!
Mクリニックでは 脳内MRI撮影なので
新しい腫瘍等 できていませんように
O先生のところでは CTを取る予定なので
放射線治療の効果が 目に見えて出ていますように
運転しながら いつになく真剣に 自分の身体のことを祈っていた
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2020年07月23日
2016年も終わる・・・
12月23日 午後
義父を ホームに送り届けた
とても綺麗なところで 幹線道路からも程近いのに
どの部屋からも緑が見えて 落ち着ける設計だ
最初は 環境に慣れるのか 戸惑い気味だった義父も
笑顔を見せてくれたので 私も娘もホッとした
午後 ホールで行われるリハビリを
付添いがてら 見学させてもらった
左手が思うように動かない義父も
ぎこちないながらも 懸命にボールの受け渡しをしていた
リハビリには 多彩なプログラムがあるようで
義父にあったものも多く見受けられたので安心した
年末年始は 義兄宅に外泊させてもらう予定なので
義父も今のところは それほどの不安もないだろうと帰宅した
それから年末にかけては 例年通りの忙しさ!!!
年内勤務最終日まで 仕事しながらも職場の掃除
自宅の掃除は・・・もう見て見ぬ振りだな!
そして
夫と一緒にいると 過呼吸気味になるという言い訳を自分にして
仕事納めの日に 次男一家のお迎えに新幹線で上京
お迎えといっても 嫁子ちゃん実家近くの駅まで同行するだけだが
赤ちゃん連れの初めての帰省で 嫁子ちゃんが不安だろうと!(爆)
娘も 少しでも夫と離れていた方がいいと喜んで送り出してくれた
一泊してすぐに 嫁子ちゃん実家駅へトンボ返り
そして 時間差で帰省してくる長男と嫁子ちゃん実家駅で待ち合わせ
自宅駅よりも 一つ先の街だが
こちらの方が 都会だし お店もたくさんあるので
久しぶりに長男とデート気分
ほろ酔いセットなるものを楽しんで 新幹線で自宅駅まで戻った
翌日30日は 自分はおせち作り(ほんの一部)
夫は玄関周りや水回りの掃除を進んでやってくれた
長男・娘とも 目配せしながら笑っている
夫が後ろめたいことをしていると 冗舌になり
いつも以上に気の利いたフリで動き回るので(爆)
そして大晦日
夫の運転する車で 次男一家を嫁子ちゃん実家へお迎え
暮れのご挨拶がてら あちらのご両親と久しぶりのおしゃべり
結婚式に出席できなかった夫だが
あちらのご両親も 今となっては 普通に接してくれている
ランナーの彼女のことなど 知られたらそれこそ大変だ!!!
年末のほんの数日 すごい移動距離を叩き出したものの
体調の崩れもなく この2016年もどうやら無事に終われそうだ
2017年は どんな年になるのだろう?
大晦日 自宅に集った子供達や孫を眺めながら
自分自身の行く末も しっかり考えなくちゃな・・・と
にこやかに笑っている夫の顔をぼんやり見ていた
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2020年07月22日
父の四十九日法要
今月19日の日曜日に 父の法要をした
正確に数えれば 今日22日が四十九日だが
お寺さんや 私たち家族の都合を合わせ日曜日になった
ずっと自宅にいたし 看取るときにも家族全員がいたし
本当に 父がいつまでも家の中にいるような感じだった
仮の位牌から 本位牌に魂を移すという法要
あの小さな位牌の中に閉じ込められちゃうのか、と
一瞬 不憫にも思えた
自由にあちらこちら 飛び回っていてこその父のような・・・
自分もいつか必ず送られる側になるんだなぁと
日を追うごとに改めて考えさせられる
いま こうして普通に生活できていることに感謝して
1日1日を無駄にしないように より大切に時間を使わないと
母は 未だ夢に出てきてはくれない父に文句を言っている(笑)
皆で 「大トリ」だから もう少し待ってみたら?と
笑いながらも母を慰めている
心配していた母の体調も 大きな崩れはなく
精神的にも 今のところはしっかりしていて安心だ
これからの暑さに向かう時期
母の体調には 本当に気をつけていかないと!!!
法要のとき 本堂での読経が終わり
皆で お墓に線香を手向けに向かったところ
それまで持ちこたえていたかのような雲の合間から突然の雨が!!!
驚いたことに ほとんど私たちの頭上のみ・・・
「おじいちゃーーん! 淋しいからって雨降らせないでよ!」
「晴れ男なのに なんで今なのぉ?」
「かまってちゃんなんだからぁ! 美味しいウイスキーあげるから!」
「おばあちゃんと別れたくないのはわかってるって!!」
等々 甥っ子姪っ子たちのそれぞれの泣き笑いの言葉
墓前に着くと 嘘のように青空が広がった
雨を降らせてまで 孫たちの言葉を聞きたかった父なのかな?
幸せな人生だったと信じたい
そして これからは
残された私たちが父のことを忘れずに
毎日を幸せに暮らしていくことが 父への供養であり
恩返しなんだと思った
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2020年07月21日
12月の忙しさ 3
翌日は日曜日
午前中 年賀状の図案を決めたり
少しのんびりした後
午後の面会時間に合わせ N病院へ
義兄夫婦はすでに到着しており
夫と義兄の二人で 義父と話をすることに
女子部の義姉と私はロビーへ(笑)
案の定 義父は自宅で過ごしたいと・・・
夫が 勝手を言うな これ以上心配かけるな、という中
義兄はコンコンと説得して やっとホーム入所を受け入れた、と
田舎なので 長男を充てにする気持ちが大きく
義兄の言うことは素直に聞かざるをない様子
これで義父も少しは落ち着いてくれるといいな
すぐに義姉が連絡を入れ 少し調整時間はかかるが
次週23日には 入所できるようになった
このタイミングでも 義父は畑の白菜が心配でたまらないらしく
「明日にでも 取っておいてくれ!」との話
残念ながら 何日か降った雪ですでにダメになったらしいと
義姉から聞いていたので 少しいたたまれなくなった
20日に退院して とりあえず義兄宅へ行った義父
23日は 義兄夫婦の都合がつかないので 我が家でホームに送ることに
12月23日といえば 天皇誕生日で祝日のはず・・・
なのに 夫はまたまた出張とのこと・・・???
はいはい 私が義父を送り届ければいいんですね!?
22日 仕事帰りにまっすぐ義兄宅へ向かう
義父は準備万端で待っていた
自宅へ連れて戻ると 夫はまだ帰宅していない
実はその夜 職場の忘年会だったらしいが さすがに欠席する、と
それにしても 帰宅は9時過ぎだったが・・・?
夫が帰宅後に 義父の入浴介助をしてくれた
今までは 何かと義兄夫婦に頼りっぱなしだったので
それくらいしてもらわないと 息子としてはダメだよね?と
娘にすら言われていたので 自分から進んで申し出た(笑)
夜中も4回ほど トイレに起きた、と
さすがに夫も大変だったらしい
いよいよ 23日当日
義父は 夫が送ってくれるとばかり思っていたらしい
夫が出張だと聞いて 一瞬とても不機嫌にそして寂しそうに
昨夜 夫は何も言わなかったのだろうか?
" 仕事 " なら きちんと伝えておいてほしかった
どういうわけか 夫が出張だと伝えていないのは
私の責任のようになっていた
" 知らんわ!!! そんなもん!!!" と叫びたかったが
きちんと我慢しましたよ ええ(笑)
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2020年07月18日
12月の忙しさ 2
義父は ただただ眠り続けているので
ロビーで 義兄夫婦と話をする
義姉が 施設側と絶えず連絡を取り合っていてくれたので
今回のことで " 待った無し " のホーム入所に向けて動き出すことに
義姉には本当に頭が上がらない
義父が目覚めたら 義兄から話をしてもらうことに
そして 私の近況を知った義兄が
「とりあえず 放射線治療が奏功したようで良かった!!
娘ちゃんも 元気そうで何より
これだけ家族が頑張ってるのに 自宅に怪しい手紙が届くなんて!
普通に生活していたら そんなことは絶対ありえない!
もう あいつ(夫)と無理して一緒にいなくていい」と大激怒!!!
自分としては 今の状態を聞いてもらっただけで
ずいぶんと気持ちが軽くなり 自然と笑うこともできた
義姉にも
「動くときには 全面的に協力するからね!」と言われた
義父は目覚めそうにない様子で バイタルも安定していたので
義姉と私は とりあえず一度自宅に戻ることに
病院駐車場へ向かうとき
「離婚に向けて動き出すとしたら 具体的なタイムテーブルは大事
夫さんは 絶対 " うん " とは言わないだろうから
離れたい!という気持ちが絶対だということを
きちんと目に見える形にしたほうがいいね
近々 法テラスに行ってみない?」
突然の義姉からの提案だったが 考えてみれば納得の事だ
「前科」(笑)がある夫のことだ
妻側が離婚したい事由に 再びの不倫疑惑は充分すぎるだろう
メッセージの送受信の一覧だけでも充分な証拠だ
また 法の力を借りることになるのか・・・
運転しながら あの裁判所の小法廷を思い出していた
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2020年07月16日
12月の忙しさ 1
夫への警告であろう手紙だったが
午前2時まで " 尋問 " (笑)しても
本人は 完全否定で知らぬふり
こちらとしては 胃痛 過呼吸、と酷い状態だった
そして11日の日曜日
仕事から帰ると 休日出勤だった夫がまだ帰宅していなかった
私より先に出勤したはずなのに 午後10時近くに帰宅
もう・・・これは 二人でどこかへ出かけたな!?
私ももう諦めモードで 特に何も言わなかったが
本人は ご機嫌で冗舌だった
当然 私と娘はほとんど夫と口をきかないでいたのだが・・・
火曜日は 大学病院の放射線科受診だ
治療が終わってから1ヶ月後の 経過観察だったが
面談のみで CT等の画像はO先生のところでお願いしますとの事
そんな 急にCTとか言われても・・・
翌水曜日 O先生の病院予約日
予約としては 採血とレントゲンのみ
画像は特に問題はなく CEAの数値も下がってきていた
・・・と言っても 8,4ほどで正常範囲よりは高かったが
とりあえずホッとして帰宅
木曜日は 帰宅してからご近所の方の通夜への参列
金曜日はやっと仕事休み
土曜日は 休日のはずの夫が東京出張
それはもう 満面の笑みでの出発
たぶん 彼女と同行なのだろう
余計なことを考えないようにと 自分も仕事をしていると
子宮がんの手術を終えた義姉から電話がきた
経過も良好なので 今日退院できた、と
本当に良かった!!!
ほっとして電話を切ったら すぐに夫から電話が!
義父が倒れて N病院へ救急搬送されたと!!!
義姉が退院 義父が入院・・・と いとまがない
(それも 全く同じ病院 笑)
土曜日なので 義兄は休んでいるであろう夫に連絡したらしい
すぐに上司に相談して 早退させてもらった
義父は 思った通り 家の中で転んでしまって起き上がれず
布団までたどり着けずに 一晩中うずくまっていたらしい
私が行った時には スコンスコンとよく眠っていた
部屋の中だから良かったものの
廊下やトイレの中だったらと思うと 冷や汗が止まらなかった
この現実を受けて 諸々が待った無しの状態だと
改めて 突きつけられた
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2020年07月15日
2016年 12月 3
得体の知れない 白い封筒
そして わずかばかりの文章
以前 ランナーの彼女の自宅に来た手紙と
同じ差出人なのでは?
正直 驚いた 夫宛にも送って来たとは!
けれど 夫と彼女とのやり取りでは
"職場の人たちの 筆跡確認してみた " とか言ってたな?
今回の手紙は 宛名も内容も 全て印刷だ
普通にPCで打ち込んだものだろう
では 以前の手紙の差出人とは違う誰かなのか?
いや やはり同一人物で もう筆跡を見られたくないのか?
何れにしても どこの誰の仕業なのか?
きっと 夫たち二人の素行が
あまりにも酷いものだったのではないだろうか?
わざわざ こんな手紙を送りつけてくるなんて・・・
何だか 本格的に過呼吸になりそうだった
そのすぐ後に 何食わぬ顔で 普通に帰宅した夫に
「どういうことなの? これ!!!」と
白封筒を突きつけた
夫は 驚いて その封筒の中身を確認した
「え? 何これ?」
「こっちが聞きたいんですけど??
奥さんが放射線治療 娘が卵巣嚢腫の手術をしてたというのに
あなたは一体何をやってるの?
何もしてなかったとしたら どうしてこんな手紙が自宅にくるの?」
掴みかかってもいいくらいに 夫に詰め寄ったが
夫も その手紙をじっと見たまま ただただ混乱していた
「いや 本当に何のことやらさっぱりわからない」
つい 半月ほど前までは
iPadで 二人のメッセージのやり取りを確認できていたが
確認できなくなってからの 私自身の不安もあって
さすがにこの手紙には参ってしまった
何のことやら、とかではなくて 確実に何かあったよね???
事実 飲み会の帰りに二人だけでカラオケに行って
2時間もイチャついていたのは事実だし・・・
夕食 入浴を済ませた夫を待って
寝室で まるで尋問のように問い詰めた
夫は最後まで 知らぬ存ぜぬの立ち位置を通した
こちらとしても もう今更何を言っても無駄だな、と感じた
もう これ以上 夫との問題を先送りにするのは止めよう
悔しくて 情けなくて ボロボロになった顔をぬぐいながら
明日の仕事のことだけを考えて眠ろう・・・と横になった
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